第10話「共闘」

 静まり返った室内で、ヒュームが再び口を開いた。


「大陸は自浄作用によって命を循環させ、新たな命を迎え入れます。しかし、その自浄作用に生じた歪みは、次第に大陸神をも歪めていったのです」


 強い願いをもったまま死んだ者達は生者達を妬み、絶望し、少しずつ陰力が強まっていく。オルドランはそうした力に取り込まれ、魔物の増加に繋がった。

 そしてそれはいつしか他の大陸にまで影響が出始めた。オルドランを除く大陸神が世界の為に決断し、今アデリアス達が生きるこの大陸だけが本来の位相から封印され、切り離されてしまった。


「大陸同士の戦争と、封印直後の混乱を記録した資料を、前司祭は手に入れていました。それを読み解くに、オルドラン自身の目的はおそらく再び元の世界に戻り、他の大陸へ侵攻することだと考えられます。そのために魔物を襲撃させ、人々の心に不安や怒り、憎しみといった負の感情を焚きつけて力を蓄えている……これが、魔物増加と一部地域の襲撃の関連です」


 アデリアスはミルスの言葉を聞きながら拳を握りしめた。それに気づいたグレンは代わりにミルスへ疑問を投げかける。


「では何故大陸神の縁者というものが存在するのですか?」

「この大陸に施された封印を破るための受け皿……でしょうか。縁者はほぼ確実に魔物によって滅ぼされた地域の者です。前司祭の友人はルド砂漠のオアシス出身でした。そしてアデリアス殿、貴方はローゼル大森林の方。死んだ同郷の者達を思って、行動を起こしませんでしたか」

「……!」

「もしかして、アドが一人だけ生き残ったのは、大陸神がそうなるように襲撃したってことですか!?」


 食い入るように机に身を乗り出したグレンに、ミルスは首を横に振った。アデリアスの方へと視線を移して、自身の首飾りに触れながら言った。


「アデリアス殿、貴方もまた、魔物の襲撃によって既に命を落としているのです。そして、大陸神の加護を与えられ器としての生を受けた存在。今代の器が壊れるその瞬間まで、貴方は死ぬこともできない」

「そんなバカな……! 私は確かに生きている! 今まで通り食べることも眠ることも、会話することも戦うことだってできている! なのに私は、大陸神なんかに利用されているだけの動く死体だっていうのか!?」


 椅子を弾いて立ち上がり、ミルスにつかみかかろうとするアデリアスを、扉の側に控えていたタスクが駆け寄って羽交い締めにする。その様子を見ながら、グレンは先日の戦闘のことを思い出した。治癒魔法の形跡がないにも関わらず完治していたアデリアスの怪我と、首を切り落とされそうになった瞬間に剣が粉々になり、アデリアスの首元が光ったことを。

 グレンは静かに剣を抜くと、いきなりアデリアスの首に向かって刀を薙いだ。


「ちょっ……!?」


 アデリアスの首に当たる瞬間、何か見えないものに当たったような反応があり、振り抜いたグレンの刀は刀身だけが砕けた。マフラーの隙間から見えた縁者の印から淡い光が漏れていたのを、タスクが見た。


「……やはり、そういうことだったのか」

「グレン、いったい何のつもりで……!」


 アデリアスの怒りの矛先がグレンに向いたが、グレンは刀の柄を強く握って目を伏せた。


「……大山脈で戦った時、お前に聞いただろ。戦闘のこと覚えてないのかって。あの時あのでかい奴の剣はお前の首を狙って、そして今と同じように砕けたんだ。だから、その印がお前を守ったように見えた。文字通り加護だったように見えたんだよ」

「首を斬られたら死ぬから、って……?」

「それだけじゃない。お前は大山脈で戦闘に入った時、俺の知る限りでは防壁の上から落ちた時に肩を怪我して、右手だけで扱えるように柄を切り離していたんだ。なのに戦闘の後、お前に怪我はひとつもなかった。俺もお前も治癒魔法を使ってないし、あの場には他に誰もいなかったのに、いつの間にか治っていた」


 グレンの言葉に、アデリアスは何のことかようやく思い当たったらしい。力がすっかり抜けたことで、タスクがアデリアスから離れる。

 アデリアスはよろよろと椅子に座り直し、手で顔を覆った。そして少しずつ記憶が遡っていく。

 ローゼル大森林が襲撃されたあの日、自分は集落にいたはずで、仲間と共に魔物と戦っていた。気がつけばただ一人、集落からはかなり離れた場所に移動していた。しかも怪我ひとつなく。増えたのはこの首の印だけ。


「このままでは、貴方は大陸神の器となって消えることになります。ですがそれは、この大陸に施された封印が解けるトリガーになるか、それともこれまで同様、次の縁者が育つまで坩堝と化して待つのか……どちらかになるのだと思います」


 ヒュームの言葉は、アデリアスにとっては残酷だった。仲間達の復讐のためにも傭兵となって敵を探し、グレンと出会ってその相手が大陸神の可能性があると知って。

 ヒューム達調査団がオルドランを信仰する者達だから、もし復讐を阻止されるのであれば戦いも厭わないと決意して。

 ようやく辿り着いた場所では、その復讐心すら大陸神オルドランの手のひらの上だったというのか。


「私が復讐を望めば望むほど、オルドランに力を与える……と。そういうこと?」


 アデリアスは顔を覆ったままヒュームへと尋ねた。指の隙間から見える目は、返答次第では今にも噛みついてきそうなほど鋭く、ヒュームは一瞬躊躇する。しかし、この先のことを考えるとアデリアスには納得の上で協力してもらわなければ意味がない。腹をくくって肯定した。


「……えぇ、そうなります」

「今までの人達は、抵抗しなかったの」

「大陸神という存在が基本的に大陸全土で信仰されている以上、大陸神の縁者というのは神に選ばれた者として名誉なことです。そしてその身が大陸神に捧げられるものだと知れば、それこそ喜んで身を差し出すでしょう。より良い未来のためにと」

「オルドランの本当の目的を知らなければ、大陸の為を願った自己犠牲ですむから、か」


 アデリアスは舌打ちをして、椅子の背に体を預けた。正直、そんな犠牲はクソくらえ、という心情だった。何よりアデリアス自身は何一つ名誉にも思わない。自分の目的と遂げようとすれば、それが復讐相手の力になってしまうなど、ただただ都合よく利用されているようで無性に腹が立った。


「ヒュームだっけ。言いたいこと言っていい?」

「どうぞ、アデリアス」


 全員に聞こえるくらい大きく息を吐くと、アデリアスはヒュームに向き直った。


「オルドランの鼻を明かしてやりたいんだけど」

「……ええと……それは……」

「君達の前で言うのも多少は悪いとは思うけどね。利用されたまま死ぬなんてまっぴらごめんだから、オルドランに一矢報いたいかな。魔物が増えている原因がオルドランそのものなんだったら、倒せばいい。そうでしょう?」


 それはつまり文字通り、この大陸の神を殺すこと。


「元の世界だとか、封印がどうだとか、正直私にはもうどうでもいいや。私は、私を利用したオルドランが憎い。でもその憎さをぶつけてしまえばオルドランの思うつぼだって言うなら、何か別の手段が欲しい。それに……」


 アデリアスはさらに畳みかける。先程の動揺が嘘のように、意地の悪い笑みを浮かべて。


「君達も信仰する神様を疑って調査団なんて作ってるんだから……最悪の場合は考えていたはずだよね」

「……食えない人ですね」


 ヒュームもまた、思わず口角を上げた。自分達が出す提案に、アデリアスは応えてくれるかもしれない。


「グレン、貴方に問います」

「はっ、はい」


 急に話を振られたグレンが、少したじろいだ。ヒュームに向けて背筋を伸ばして敬礼する。


「この先、全てを捨てて私達についてくる覚悟がありますか」

「……!」


 ヒュームはじっとグレンの目を見つめた。全てを見透かしていそうな目に、グレンも真っ向から戦う。ヒューム達調査団とアデリアスの対立がないのであれば悩むこともない。


「はい!」


 グレンの返事を聞いて、ヒュームも嬉しそうに頷いた。ヒュームはタスクを手招きすると、アデリアスと向かい合う。


「今この時をもって、私は王族としての身分を捨てます。既に父には許可も得ておりますので、お気になさらず」

「いや……えぇっ!?」


 突然の話に、アデリアスは驚いて思わず声をあげた。追い打ちをかけるように、さらに驚愕の事実が降ってくる。


「タスクは私の護衛騎士ですが、実はニバルメンの元第一王女です。彼女は私よりも随分前に王族から除名されて、私の幼馴染としてテトルクで騎士になっています」

「そ、そうなんですか!?」


 アデリアスだけではなく、グレンまで驚きで目を見開いていた。さすがにこれは内部でも伏せられている経歴だろうと、アデリアスも妙に納得してしまう。

 こうなると、何故かアデリアスとグレンの目がミルスに向いた。ミルスは苦笑しながら、お二人の想像通りです、と言った。


「既に次の司祭への引継ぎは済んでおります。この首飾りも渡さねばなりません」

「ってことは、俺に全てを捨てて、っていうのは……」

「そうですね……場合によっては再び騎士に戻ってもらうつもりだったのですが、その必要がなくなってしまいましたね」


 グレンは万が一のトラブル回避のために、テトルクの騎士を辞めて傭兵となり、ニバルメンに渡ったのだ。大陸神の縁者を連れてくるという任務を終えて騎士へ復帰かと思いきや、そのままになるようで。


「ヒューム様……いったい何を考えているんですか……?」


 少し落胆したようなグレンを放って、ヒュームはアデリアスの方を見た。人差し指をぴんと立てて、ニヤリと笑みを浮かべる。


「アデリアス。貴方にはオルドランの精神を捻じ伏せて新たな大陸神となってもらいます。私達はそのために、身分を捨てるのです」


 想定していなかった言葉をかけられ、アデリアスは一瞬固まった後に心の底から笑った。一国の姫君が、なんてことを提案するのだろう。


「いいね、それ。私にとってはオルドランに対する立派な復讐だよ」


 初めて会ったのに、ヒュームは自分を。そんな喜びが全身から滲み出ていた。

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