第8話「歴史」

 グレンの目に映ったのは、アデリアスの首元で何かが光ったということだった。宙に浮かぶ魔物の腕は力を失って、体とほぼ同時に完全に消えた。刀身が砕け散り柄だけが残った剣が、音を立ててアデリアスの目の前に落ちてきた。


「一体何が……」


 グレンは首を横に振ると、一旦精神集中して周辺を索敵する。耳にも鼻にも、戦闘の気配は届いてこない。ひとまずの安全は確保できたと考えて刀を納め、アデリアスに近づいた。


「いてて……」

「……なぁ、アド」


 瓦礫を払いつつ立ち上がったアデリアスは、辺りを見回してから足元の剣柄を拾い上げる。自分の名を呼ぶ声に気づいて、声のする方へと目をやった。グレンはアデリアスを見て、驚いて目を見開いた。


「お前……怪我はどうした」

「うん? というかグレンの方こそどうしたの。擦り傷だらけじゃん」


 グレンの額には礫が当たった跡があり、少し皮膚が切れてしまったのかわずかに血が出ていた。同じ攻撃をくらったアデリアスの方はというと、服に汚れはあるものの、目に見えて全く怪我がない。


「肩は動くのか?」

「肩? 動くよ、ほら」


 ストレッチをするかのように両肩をそれぞれ回すアデリアス。グレンは眉を顰める。この短時間で怪我が治ることがあるというのだろうか。治癒魔法もあるにはあるが、そもそもあのタイミングではグレンもアデリアスも使う余裕なんてなかったし、誰かがかけてくれたという形跡もない。

 それにアデリアスの様子も気になった。苦しそうに呻いていたし、大森林での戦闘や平原での道中の戦闘とはひどく違い、戦闘狂と例えてもおかしくないくらいに我を忘れているように見えた。


「お前、さっきの戦闘のこと覚えてないのか?」


 あまりにもケロっとした表情をしているものだから、グレンは思わずそう問いかけてしまった。アデリアスは少し首を傾げたが、はっきりと覚えている、と答えた。


「最後の魔物は手強かったかな。地面の表面に魔力を流して鋭く作り変えるんじゃなくて、地面の中で魔力を弾けさせればああやって全方位に対策できるんだね。参考になった」

「……じゃあ、最後の奴の攻撃……お前の首元が光ってたように見えたんだ。あれが奴の剣を砕いたように思えてな。ちょっと見せてくれるか」

「首?」


 マフラーを少しだけずらしてもらい、首元のあの印を見る。すると、黒かったその印は少し薄くなり、淡い光を放っているようには見える。


(まさか……この印がアドを守ったとか……?)


 もしかすると、アデリアスの怪我が治っているのもこれが原因なのかもしれない。確証はないが、自分達が治癒魔法を使ってない以上、戦闘の前後でおかしい点といえばこれぐらいなものだ。

 本当だとするなら「大陸神の加護」としては確かにその通りに感じる。あの瞬間もし剣が砕けなければ首を切り落とされていたのだ。縁者の死を回避するために一時的に障壁を張った、と考えるのは可能性としてはありそうなラインだ。


「他に何か変わったことは」

「う……ん? そういえば……すごい耳鳴りと頭痛がした後、何かが割れる音が聞こえたような」

「割れる音? お前、砂漠のなんとかがひび割れてるって前言ってなかったか?」

「そうだけど……今回、砂漠の景色は見ていない。あくまで音だけだった、と思う」


 グレンは大きくため息をついた。やはり自分の知識では答えに近づけるような情報には届かないようだ。できるだけ早く、テトルクの調査団の力が欲しい。

 しばらくして、西口側から山道警備隊が応援を連れて戻ってきた。少し遅れて東側からも集まってきて、瓦礫の撤去と防壁の補修作業が始まった。防壁の一ヶ所はアデリアスが壊したのだが、有事ということでお咎めなしで済んだのは幸いだった。

 全体としては怪我人は何人か出てしまったが、重傷者や死者はいなかったという。魔物の襲撃に関しては今後対策が練られるだろう。後のことは全て任せ、アデリアスとグレンは最寄りの休息所で一泊し戦闘の疲れを癒した後、再び大山脈東海道を東に向けて出発した。

 あの戦闘の影響があったのかはわからないが、魔物が下りてくる気配はない。しかし、新規の通行は一時的に制限されたのか、昨日と違ってすれ違う者はいなかった。

 東口、つまりテトルク側の出入口が見えたところで、ようやく馬車とすれ違った。ただ、十人近い護衛を従えており、あの戦闘の影響は既に出ているようだ。

 魔物に関しては心配だが、今は自分達の目的が先だ。二人はようやく大陸の東側へと到達した。


「テトルクまではどれくらい?」

「機獣車で二日、連絡馬車なら四日だ」

「ニバルメンよりは近いね」

「そんなに変わらないけどな」


 東側でも大山脈のすぐ近くに町がある。東西どちらの町も、大山脈を経由する輸送のために作られているもので、巨大な倉庫があるのが特徴だ。多くの物資が運び込まれるということから、城や城下町の次に警備が厚い。文字通りそれぞれ東西の玄関口にあたる町だ。

 大山脈での戦闘がなければこの町で一泊する予定だったが、まだ日も高いことからすぐに機獣車を借りて出発した。

 補給と休息を道中の町で適宜取りつつ、二日後にようやくテトルクに到着した時には、すでに夜の帳は下り始めていた。




  ◇◆◇◆◇◆




 少し時は遡り、アデリアスとグレンが東側に到着した頃。テトルク城内にある司祭の私室ではミルスが大量の書物と格闘していた。

 部屋の扉がコン、コンコン、コンと不規則なリズムでノックされる。ミルスは床に積まれた書物を蹴飛ばさないように注意しながら扉に近づき、ゆっくりと開いた。


「これはこれはヒューム様、ご機嫌麗しゅう」

「こんにちは、ミルス司祭」


 ミルスは人がひとり通れるくらいの隙間まで扉を開け、ヒュームを室内へと手招きした。ヒュームが振り返ると、扉の陰に隠れていたタスクが姿を見せる。


「お変わりはなさそうですね、タスク殿」


 タスクは軽く会釈をして返答とした。改めて二人を招き入れると、ミルスは先程まで手にしていた書物の場所へと戻る。


「えっと……これはいったい……?」


 机の一角やベッドを残して、ありとあらゆる場所に書物が積まれていた。どれもメモが挟まれていたり表紙に添えられていて、置き場所によってどこにあった物なのかミルス自身が自分でわかる区画を作ってまとめられているようだ。他人が下手に触ったら混ざってわからなくなってしまいそうで、ヒュームは書物には一切触れずにミルスへ声をかけた。


「随分前から頼んでいたものが、先日ようやく届きましてね。内容が内容ですから、こうして自分で情報の精査をしているのです」

「頼んでいたもの?」

「ええ、西オルドラン教を含む、ニバルメンで普及している歴史書です」


 ミルスは、ヒュームとタスクの側にある山を指差した。一番上にあったのはニバルメン建国についてだ。大山脈を挟んで存在する西の大国は、東の大陸テトルクと対をなすと言われている。ヒューム達王族はもちろん、騎士団の面々もニバルメンについて学ぶ機会はきちんとあった。最悪の場合、数百年前のように戦争が起こる可能性はある。念のため敵国の情報も学んでおく必要があるのだ。


「しかし、私達テトルクの者が知っている情報と、実際に西の地で今取り扱われている書物には差異があってもおかしくありません。歴史というのは常に新しい情報が増えていきます。未来が発展したことで、過去の事実が解明することだってあるのです」

「私たちが伝え聞いたニバルメンの話は、今この時には当時と意味が異なっている場合がある、ということですね」


 ヒュームの言葉に、ミルスは大きく頷いた。ミルスは一司祭という立場ではあるが、幼い頃のヒュームの家庭教師をしていたこともある。まるで昔にかえって授業をしているような気分になって、ヒュームはくすりと笑った。


「まぁ、今回はニバルメン自体の歴史よりも、西オルドラン教の歴史の方が重要です」

「……元はひとつだったから……?」

「その通りです。では何故テトルクもニバルメンも、大陸神オルドランという唯一神を信仰しているにもかかわらず、わざわざオルドラン教まで東西に分ける必要があったのでしょうか」


 ミルスは自分のノートを手に取ると、ヒュームに手渡した。タスクにも見えるようにヒュームがノートを開くと、びっしりと書き込まれた文字が目に飛び込んできた。二人の反応を楽しみつつ、ミルスは話を続ける。


「実は、オルドランの姿が東西で違って見えた、という説があるようです」

「オルドランの姿? しかし、オルドランの肉体はこの大陸自体ではありませんでしたか?」

「はい。タスク殿のおっしゃる通り、オルドランの肉体はこの大陸です。つまりオルドランは、何らかの理由で不要になった肉体を放棄した後、別の器へと精神を移したのだと考えられます。異なる器を使えば、東西で違って見えてもおかしくはないはずです」

「別の器……ちょっと待ってください。それって……」


 ヒュームが何かに気づいて声を上げた。精神が器に宿ることで確立する存在を、自分達は知っているのではないか。


「魔物の誕生と同じでは……ないのですか?」


 ヒュームはノートから目を離して、ミルスをじっと見つめた。ミルスは静かに頷いた。


「確証はありませんが、可能性は非常に高いですね。ただ、魔物は器に左右されます。そういった意味では、大陸神の精神は器の状態がどうであっても、捻じ伏せてその身とすることができるのかもしれません」

「ミルス様。異なる器を使うというのは、頻繁に器を乗り換えることができるということですか?」


 今度はタスクが質問を投げた。ミルスは首を横に振る。


「いいえ。東西で異なる姿のオルドランが見られたというのは、何も同じ時期とは限りませんよ」


 ミルスはヒュームに渡したノートを指差す。二人が中身に目をやると、ニバルメンとテトルクの年表が書かれていた。それぞれの歴史書から年数を合わせて書き出したらしい。年表に間違いがなければ、ニバルメンの建国とテトルクの建国では十数年ほどニバルメンが早かった。


「失礼を承知でお尋ねしますが、我らがテトルク国の国章はご存じですね?」

「ええ、もちろん。『天翔あまかける双角そうかく大蛇だいじゃ』です」


 当然とばかりにヒュームは答えた。頭部に二本を角をもち、空を飛ぶように泳ぐ蛇。それがテトルクの国章だ。


「対するニバルメンの国章は『天統てんすべる有翼ゆうよくりゅう』。強靭な四肢をもつ上に空を舞う獣だと言われております。現代には存在しないようですが」

「まさか、それぞれの国章が過去に目撃された大陸神オルドランの姿だったということですか?」


 ヒュームの出した答えに、ミルスは大きく頷いた。

 現代人の視点での推測ではあるが、かつてテトルクがニバルメンに戦いを挑んだ時、豊かな資源という名目の裏にはオルドラン教の主はどちらにあるかという宗教戦争の一面が含まれていた可能性が浮上した。しかしたまたま建国のタイミングで大陸神が外殻を取り換えていたのだとすれば、オルドラン教の本質や目的は全く同じまま信仰対象の姿が違ってしまったことで、東西に分かれてそれぞれの国で信仰されるようになったと考えられる。

 当時は大山脈を行き来するということもなかった。東は東で、西は西で発展していったのだ。そしてどちらも大陸神に敬意を払い、国章に大陸神をあしらった。だからいつの間にか東西に分離したままになってしまった。


「ちょっと待ってください。オルドラン教が二つに分かれたことと、現代の魔物の増加が結びつきません」


 ミルスの説明を聞いていたタスクは、少し困ったように言った。確かに魔物の増加と大陸神について関連があるのでは、と考えられて調査団が作られたわけで、東西の歴史を勉強するためではないという主張もなくはない。実際、まだいくつも「その可能性が高い」という情報ばかりだ。

 しかし、ミルスははっきりと否定する。これらは深い場所で繋がっていることなのだ、と。


「大陸神の縁者の話を覚えていますか?」

「ええと……首に大陸神の加護をもつ者ですね」

「かつてのオルドラン教の司祭は、代々大陸神の縁者が務めていました。では、東西に分かれたオルドラン教では、司祭は誰が務めるのでしょうか」

「それは、縁者が……ん?」


 タスクは、縁者が司祭を務めると口にしようとして、思いとどまった。オルドラン教が東と西に分かれているなら、司祭はそれぞれに一人ずついるはずだ。しかし、大陸神の縁者が一人しかいなければ、どちらかの司祭は偽物になってしまう。可能性を広げるのであれば、どちらも本物の場合と、どちらも偽物の場合も考えられる。


「『オルドラン教の司祭は、大陸神の加護を受けた者、すなわち縁者である』。それを前提とした場合、司祭の存在が大義名分になるのです」

「そうすると、東西で分かれている以上、どちらも本物であるという可能性は誰も想定しないまま、自分達に大義があると主張しそうですね……」


 ヒュームは苦い顔で呟いた。身分のある者は、自らが望む望まぬに関わらず一定の力を持ってしまう。王族であるという立場だけで、敬われることもあれば憎しみをぶつけられることもあるのだ。それを利用されることだってある。


「戦争が終わったのは、大山脈での戦いが拮抗し、最終的には互いに互いを認めるということで落ち着きました……というのが表向きの話です。当時のテトルクとニバルメンは、大山脈で魔物に襲撃されました。多くの死傷者を出し、両者とも撤退するほかありませんでした。魔物に、漁夫の利を狙われたのです」

「魔物がそんなことを狙ってやるなんて……信じられません……」


 ミルスは、この部屋に隠されていたもう一つの手記を机の上に置いた。前司祭がかなり詳しく情報を書き残してくれていた。ミルスはただ解読したに過ぎなかった。前司祭は人々が真に幸せであることを願って、後に続く者達へ自らの経験と共に記録していたのだ。


「申し訳ありません、ヒューム様。つい昔の癖で、長々と講義をしてしまいました」

「本題はこれから、ということですか……」

「そうですね。ではタスク殿が辛そうなので結論からお伝えしましょう」


 タスクの鋭い視線がミルスに刺さるが、笑みを返して誤魔化す。大陸神オルドランの話も、東西の戦争の話も、魔物の話も、どうしても整理しておきたかったのだ、と心の中で謝りながら。


「大陸のバランスを崩壊させて大いなる封印を破り、大陸神オルドランが元の世界に再び顕現するために必要な器が、大陸神の縁者なのです」


 大陸神が自らのために作り出した贄。それが、縁者。

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