第7話「大山脈」
大山脈には停留場がないため、機獣車での移動は大山脈に一番近い町まで。機獣車を返却した二人は宿を取り、早朝改めて町を出発して大山脈を目指す。
「たった二、三日とはいえ、ずっと機獣車で移動していると体が鈍ってしかたがないね」
「そうなんだよなぁ。楽だし面白いから俺も機獣車は好きなんだが、あまり平和ボケしすぎるのも良くないなとは思う」
凝り固まった体をほぐそうと、グレンは力いっぱい伸びをした。ここからは徒歩での移動になるため、否が応でも体を動かすことになる。ただ、徒歩とはいっても一時間程度の距離だ。最寄りの町だけあって街道が整備されており、行商の馬車も数台見かける。
大山脈は未だ一般の通行制限こそあるが、東西物流の要である。ニバルメン・テトルク両国が出資しあい、長い年月をかけて山を切り崩し山道を整備してきた。馬車が二台並んでも余裕を持って歩けるほどの広さ、安全のための休憩所や宿泊所の設置、そして両国の騎士から希望者を募って結成した山道警備隊の運用。そのどれもが、東西物流の発展と安定に尽力した結果である。こうして作り上げられたのが「大山脈東西道」であった。
西口から東口まで約五十キロメートルという長さのため、山道警備隊の配置が間に合っていないのが当面の課題となっている。大陸神オルドランの背と呼ばれているこの大山脈は、他の場所に比べて魔物の数が多い。それはこの地に陰力が満ちているというわけではなく、この地そのものが大陸神の背と呼ばれるほどに力が集まりやすいからだ。
一般の通行に対して制限がかかっているのは、現時点では安全確保が不可能だから、ということになる。いくら東西で人手を集められても、万が一の際に逃げ隠れできる場所は少ないのだ。
「……」
アデリアスは険しい表情で道の先を見つめていた。どうも胸騒ぎがする。大陸神に連なる場所に対して少し嫌悪感があることを差し引いても、足元が落ち着かないような気分だった。
「どうした?」
「いや……なんでもない」
「そうか。まぁ、途中いくつか休憩所があるから気負わず行こうぜ。どうせ半日はかかるんだ」
グレンにどん、と背中を押され、アデリアスはよろめく。本人はじゃれているつもりなのだが、驚くほど力強い。思わず苦笑した。
「……力加減、もう少し考えて」
「あー……悪い悪い」
だが、おかげで多少は肩の力が抜けたかもしれない。心の中ではそっと感謝を告げた。
二人はしばらく山道を歩き続ける。太陽が真上にさしかかる頃、グレンが何かに気づいてぴたりと足を止めた。普段より耳を伸ばし、正面から聞こえてくる音を聞き逃すまいと注力する。アデリアスはその邪魔をしないように、静かに戦闘態勢を整える。
「……戦闘音だ。微かに血の臭いも流れてくる。ここからだとまだ結構距離があるな」
「なら走ろう。気づいた以上見て見ぬふりはできない」
「そうだな」
二人は顔を見合わせると、全速力で駆け出す。途中、二人とは逆方向から慌てて走ってくる馬車とすれ違った。
「お、お前ら! そっちはやべえぞ!! 魔物が、魔物が雪崩みたいに!」
「わかった」
一目散に馬を走らせて逃げてきたのであろう御者は、来た道を指差しながら叫んできた。アデリアスはただ一言そう返すと、グレンを置いてさっさと走って行ってしまう。
「おいバカ、一人で行くな!! ……悪い、アンタそのまま西口まで走って警備隊に報告しといてくれ。頼んだぞ!」
返事を待たずにグレンも走り出し、アデリアスを追いかける。大森林の二の舞にしたくない気持ちもわかるが、冷静さを失えば意味がない。グレン自身も焦りを抑えながら走り続けた。
グレンを置いて先に到着したアデリアスの目には、土砂崩れを防ぐために建てられた防壁は粉々に砕かれ、空いた穴から魔物が溢れ始めている光景が映った。居合わせた傭兵や警備隊が応戦しているものの、商人達を守りながらになっているためか防戦一方のようだ。
(それなら……)
アデリアスは槍の石突を使って地面に魔術紋を描くと、そのまま石突で紋を小突いた。舗装された地面が見るも無惨に砕け、側の防壁をも巻き込んで崩れていく。大きな音を立てて起こった崩落は、人も魔物も気を引かれるのにじゅうぶんだった。
崩れる瞬間に防壁の上へ飛んで自身が起こした崩落を避け、走りながら槍の穂先に指で魔術紋を描き、魔力を込めた。魔物の群れの中心へ勢いよく飛び込み、着地と同時に槍を大きく振り回す。
「吹き飛べ……っ!」
振り回された拍子に槍に施された魔術紋が弾け、回転に合わせて魔力の礫を生成する。辺りの瓦礫を巻き込んだ竜巻が魔物達を容赦なく打ちのめす。グレンが追いついた時には、竜巻は消失しアデリアスが再び防壁の上へと飛び退くところだった。
(なんて無茶苦茶なことをしやがる……! 何考えてるんだアイツは!?)
とはいえ、アデリアスの勢いに任せた乱入が奇跡的に功を奏したのか、魔物の統率が乱れたようだ。警備隊は魔物の各個撃破に成功し、戦況は一気に優勢に傾き始めている。グレンも大盾から刀を抜くと、目の前に立ち塞がった犬型の魔物を一刀両断した。
グレンはそのまま突き進み、近くにいた警備隊の騎士に声をかける。
「アンタら生きてるか!?」
「あ、あぁ……もしかして助けに来てくれたのか!?」
「まぁそうなる。今は怪我人達を連れて急いで退避してくれ!」
「すまない、恩に着る!」
襲撃で逃げ遅れていた通行人達はこのまま警備隊に任せた方が楽だ。彼らもまた、人命救助を最優先にしていたこともあって素直に従い、退路を確保しながら西口の方へと離れていく。残ったのはグレンとアデリアス、そして数人の傭兵達だ。
今現在魔物達は、与えた損害の大きかったアデリアスを討ち取ろうとしてグレン達からは少し離れていた。余裕ができた傭兵達はグレンに気づくと、東側を指差して叫んだ。
「おい兄ちゃん! ここ任せてもいいか!?」
「どうかしたのか?」
「アンタが来る前に何体か、テトルク側に逃げたうちの雇い主を追っていった魔物がいる! 俺達はそれを追いかけたい!」
逃げ遅れた者達とは別に、先に雇い主だけ逃がせた者達がいたようだ。それが本当なら、警備隊と合流できる前に魔物に追いつかれてしまっているかもしれない。最悪の可能性を考えて、グレンはその申し出を素直に受けることにした。後から来た自分達よりも、襲撃に居合わせた傭兵達の方が状況に詳しいはずだ。救助は任せてしまった方が良いと判断した。
「頼んだ」
「おうよ!」
ますますここから魔物を逃すわけにはいかなくなってしまった。しかし、グレンは無意識に笑みを浮かべていた。守るものがこの背にあるというのは、緊張感と責任感で武者震いをしてしまいそうだというのに。
(やっぱり俺は、騎士なんだろうな)
任務が終われば改めて騎士に戻る身であり、今はまだ傭兵という立場ではある。だが、託された以上は騎士としてこの場を死守してみせる。グレンはそう決意した。
一方アデリアスは、先程の不意打ちで生き残った魔物達からの攻撃を避け続けていた。魔物の数は両手で数えられる程度に減ったとはいえ、反撃しようにも魔術紋を描く余裕がない。瓦礫や防壁を足場に跳躍し、同士討ちを誘いながら敵陣を動き回る。
だが、精霊型の魔物は宙を音もなく浮遊するため、接近に気づきにくい。防壁の上で気配を感じて振り返れば、目と鼻の先に燃え盛る炎があった。
「くっ!」
咄嗟に槍を構え、柄で炎を受けたアデリアスだったが衝撃で吹き飛ばされ、地面に落下する。体を捻ってなんとか頭からの落下は阻止したが、着地の際に下敷きになった左肩に鈍い痛みがはしった。折れたかはわからないが、左腕はしばらく使い物にはならない。自身の失態に苛立って、アデリアスは小さく舌打ちをした。
隙を逃すまいと、人型の魔物が落ちていた斧を拾って振りかぶる。アデリアスは何かを思いついて槍から手を放し、人差し指の腹で急いで魔術紋を描く。
「貫け」
とん、と紋を叩くと、ローゼル大森林で使った棘のような岩が一柱生え、壁となって斧の攻撃を防いだ。棘の陰で、すぐに槍の柄から魔力を抜き、穂先だけに分離させて拾う。斧が弾かれた衝撃でよろけた魔物の足を、アデリアスは体勢を低くしたまま穂先で薙ぐようにして切り裂いた。
完全にバランスを崩した魔物の首を狙って、膝立ちになりながらもう一度薙ぐ。首が地面に落ちる前に、魔物の体は塵と化して消えた。
足元に落ちているバラバラになった槍の柄を集め、いつもの槍の形へと戻す。携帯性を重視し、鋼魔鉄製で作成していたのが、こんなところで役に立つとは。アデリアスは大きく息を吐いた。
辺りを見回すと、グレンが刀を一度大盾に戻してから魔術紋を施していた。刀の柄を握って、大盾の展開とほぼ同時に刀を引き抜くと、刀の刃が摩擦と魔力で発生した炎を纏った。踊るように刀を振り回し、まるで生きているかのようにしなる炎が敵を一ヶ所に誘導し、残り少ない魔物達を焼き尽くすかのごとく屠ったところだった。
「大丈夫か?」
刀を一振りして炎を消すと、グレンはアデリアスの元へ駆け寄ってきた。戦闘はまだ継続できるという意思表示でアデリアスが頷くと、ため息をついたグレンに額を小突かれる。
「無茶しすぎなんだよ。とりあえずお前、今はおとなしくしてろ。まだ魔物は残ってるかもしれない」
「……残ってるよ」
「あ?」
アデリアスがまだ戦闘継続の意思を見せたのは、ただのやせ我慢ではなかった。アデリアスは魔物によって防壁に穿たれた穴を睨みつけている。あの奥の何かのせいで、酷い耳鳴りが始まった。
「……っ」
頭の中に腕を突っ込まれて、何度も揺すられているかのような。そんな、外側からはどうにもならない頭痛まで始まって、アデリアスはその場にしゃがみ込む。どんなに目を瞑っても、明るさが目の奥を刺激する。
そしてふと、耳鳴りが止んだその瞬間に、遠くの方で何かがひび割れる音がした。
「……うう、う……」
明らかにただ事ではない異変を感じて、グレンはアデリアスの前に飛び出した。穴から現れた鹿獣人型の魔物からアデリアスを庇って大盾を構える。
「おい、アド! しっかりしろ!!」
魔物と対峙しながら、背中側にいるアデリアスに向けてグレンは声を張り上げた。しかし、アデリアスにはグレンの声は再び始まった耳鳴りで良く聞こえない。片目だけでも、と必死に目を開けて敵の姿を黙視する。あれを倒せば、この痛みから解放されるのだろうか?
「……邪魔、だ……!」
唇を強く噛み、痛みを痛みで無理やり上書きする。なんとか踏ん張って立ち上がり、グレンの隣に立った。驚いてアデリアスの顔を見たグレンは、思わず怒鳴りつける。
「今のお前じゃ無理だ! 今ここで死んでもいいのか!?」
「邪魔だ!」
グレンの声が全く届いていないのか、アデリアスは雄叫びをあげると槍を片手に魔物へと走る。一拍遅れてグレンも再び刀を抜くと魔物に向かって飛び出した。
人型の魔物は道具を巧みに扱うことができる。鹿獣人の魔物は、手にした両刃剣を軽々と片手で振り抜いた。グレンは重い攻撃をなんとか大盾で受けながら、魔物の攻撃の瞬間を見定める。
アデリアスは魔物の懐に飛び込み、グレンが攻撃を受け止めたタイミングで攻撃を挟む。がむしゃらなようで冷静に動いてはいるが、どの攻撃もかするだけで大ダメージには至らない。
「なんだこいつ……他の魔物とは違う……!」
グレンは宙で魔法陣を描き炎弾を撃ち出した。至近距離からの炎弾はすぐに魔物の腕へと命中するも、少したたらを踏んだだけだった。
お返しとばかりに魔物は剣を足元に突き刺して、剣を通じて地面に魔力を流す。膨れ上がった魔力が爆発し、地面が抉れて弾けた瓦礫が二人に襲いかかってきた。
「うおっ!?」
アデリアスが使ったのと同じ、大地の力を利用する地陰の魔法だった。二人は吹き飛ばされ、まだ無事だった防壁の一部に叩きつけられる。間髪入れずに振り下ろされた剣の追撃を、グレンは体制を崩しながらも大盾でなんとか防いだ。
「こ、の……やろう……!!」
力いっぱい押しつけてくる剣を、大盾で押し返す。そのまま右手の刀を振り上げると、魔物は力比べを止めて大きく引いた。
魔物が目の前のグレンに対して意識を向けて再度剣を振りかぶったその時、魔物の背後から現れたアデリアスが、魔物の胸を躊躇なく槍で一息に貫いた。吹き飛ばされた時に、気配を消して隠れていたのだ。
槍を刺されたまま悲鳴を上げて暴れ回る魔物。しばらくの間苦しんだあと、突然大きく仰け反ってゆっくりと倒れ込んだ。
肩で息をしながら、アデリアスは槍を回収しようと近づく。それを予想していたのか、原型を失い始めた魔物の腕が最後の力で意思をもって千切られ、剣を拾ってアデリアスを狙う。
「アド……っ!!」
間に合わない。そうわかっていても、グレンは手を伸ばした。魔物の剣が、瓦礫に足を取られて無防備になったアデリアスの首めがけて振り下ろされ、そして砕けた。
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