第5話「坩堝」

「最初に会った時にお前が言っていた復讐って……そういうことだったのか……」


 グレンの胸中は複雑だった。背中を預けるに値すると思い同行してもらった傭兵が、探していた人物であったというのは幸運だ。だが、もしも本当に大陸神が彼女の故郷を滅ぼしたのだとすれば、どんな理由だったとしても大陸神への復讐を望むだろう。大陸神を信仰する者としては、それを簡単に許容できるはずもない。けれど。

 この惨状を目にした今、果たして大陸神を信じ続けていいものかと、燻ぶっていた疑念は既にグレンの中で膨らみ始めていた。


「君の言うオルドラン教の歴史としては、この印は加護に見えるんだろうね。でも、私にとっては呪いでしかないよ」


 アデリアスはグレンから目を逸らして、そこにあったはずの故郷を思いながら言った。全てを突然失って、自分ひとり命からがら生きのびて、そしていつの間にか首元につけられていた消えない印など、恐怖以外の感情がわくものか、と。


「私さ、グレンには感謝してる。おかげで少しずつ、私がやるべきことがはっきりとしていくから。君と共に行けば、この村が滅んだ意味も理由もわかるんじゃないかって、今は結構本気でそう思ってる」

「アド……」

「君は私を探していた。だったら、ちゃんとテトルクまで連れて行ってくれるんだよね」


 有無を言わさぬような口調で、アデリアスは言葉をぶつける。これはグレンへの問いではない。確定事項の確認だ。

 実際アデリアスには、今更グレンが前言撤回をすることはないだろうという確信があった。直前まで依頼内容を伏せるほどで、内容も国家間で内密に交わされている。そして、この大陸そのものともいえる大陸神オルドランに対しての疑いと調査。アデリアスもとっくに重要機密へと片足を沈めているのだ。

 案の定、グレンは頷いた。頷くしかなかった。もとより、彼にとっては断るような理由もなかったが。


「俺だって……真実を知りたいさ。今は元だが、俺は国のために民を守る騎士だ。民あっての国だ。もし魔物を増やすために大陸神がこんなことをしたっていうのなら、西側だけの問題じゃない」


 このまま放っておけば、この大陸の均衡も崩れてしまうかもしれない。それにグレンがニバルメンに来ている間に、テトルクでの調査も進んでいるはずだ。アデリアスの首の印が本当に加護なのか、それとも何らかの呪いなのか。

 動けるのだから、動くしかない。


「頼む、アド。俺と一緒にテトルクへ行って、調査団と会ってほしい」


 グレンは深々と頭を下げた。当初の予定であった手伝いとしての同行ではなく、護衛すべき相手として。アデリアスはグレンの肩を軽く叩くと、申し訳なさそうに言った。


「うん、わかってる。意地の悪い言い方をしてごめん。でも……もしテトルクの人達が私の邪魔をするっていうなら、私はその人達を傷つけてでも自分のために動くつもりだから。そこは譲れないってこと、知っていて」

「……あぁ。そうならないことを祈っておくよ」


 どんな理由があろうとも、大陸神への復讐を考えるということは、大陸神を信仰するオルドラン教に対して刃を向けることになるのだ。大陸神へ懐疑的になっている調査団はともかく、テトルク全体では大陸神への信仰は厚い。下手をすれば国を相手にした戦争になってしまう。いざこざが起こるにしても、表沙汰にならずに解決できれば……そんな甘い考えがグレンの脳裏を掠めていく。


「ところで、ついでに確認しておきたいんだけど」


 一旦話がまとまったところで、アデリアスが再度切り出した。首の印が大陸神に関係している可能性があるのなら、ひとつ確認しておきたいことができたのだ。


「ん?」

「東側って砂漠地帯あったよね」

「あぁ、テトルクよりもさらに東側にあるな」

「じゃあその砂漠のどこかに、ひびの入ったすごく大きい入れ物……壺とか臼みたいな……そういうのを置いてあるような場所って見たことない?」


 さすがにグレンも怪訝そうな顔をした。砂漠に入れ物が置いてあるという状況がまずつかめない。アデリアスは慌てて補足する。


 まず大森林が滅ぶに至った原因そのものは、その日突然現れた魔物の群れによって襲撃されたこと。これはアデリアス以外の生存者による報告でも伝わっており、生存者のほとんどは魔物と戦闘になる前に大森林を離れることができた者達だ。

 逆に戦闘を行わざるを得なかった者達は、確認できた限りでは全滅している。これについては大森林内で発見・回収された記輪の情報から、集落の居住者であったり依頼を受けて訪れていた傭兵などであることがわかったからだ。しかしアデリアスのように、表立って救助を求めなかった者までは把握されていない。

 確かに記輪には個人情報が刻まれているが、通常は必要最低限の情報しか読み取られないように厳格に管理されている。町へ入場したからといって、大森林からの避難者かどうかは記輪を読んでもわからないということだ。


「ってことは……お前、襲撃してきた魔物と戦って、その上で生き残ったってことか?」

「無我夢中だったから正直記憶もあやふやなんだけどね……目が覚めたら村より離れたところにいて、様子を見に戻ってきたらニバルメンの騎士達がいたから、気づかれないうちに逃げたというか」


 この時点でのアデリアスが知る由もないことだが、大陸神の縁者とわかる印の話は西オルドラン教の上層部も当然知っている。下手に遭遇すれば縁者として祀り上げられてしまい、身動きが取れなくなる危険だってある。結果的には面倒事が起きるのを回避できたのだろう。


「本当は、ちゃんと弔ってあげるべきだった。でも、全部終わってからにしようと思って」

「いいのか?」

「今は生きている人が優先」


 アデリアスは大きく伸びをすると、グレンに向かって右手を伸ばす。


「利害が一致する間は、改めてよろしく」


 含みはあるが、シンプルでわかりやすい理由だ。細かく判断するにしても、現時点で手に入れられる新しい情報はほとんどない。ならばと腹をくくったグレンは歯を見せて笑うと、同じく右手を差し出して力強く握手をした。


「万が一の時は俺と戦ってもらうからな」


 ひとまずはこのままローゼル大森林を離れ、大陸を東西に二分する大山脈を目指すこととなった。




  ◇◆◇◆◇◆




 一方その頃。テトルク城内の一室に、白い法衣に身を包んだ猫獣人の男性が息を切らせて飛び込んできた。


「ミルス司祭、そんなに慌ててどうなされたのです? あまり目立つような行動は……」

「す、すみません、ヒューム様……! しかし、前司祭の手記に書かれていた内容の解読が終わりまして……!」

「もしかして、何か……わかったのですか?」


 ヒュームと呼ばれたのは熊獣人の女性。腰に短剣を吊るし軽装に身を包んでいるが、その頭部には王族を意味する小さな銀のティアラがあった。


「待ってください、姫。誰かに聞かれているかもしれません。お二人とも、部屋の奥へ。ここは私が見張りをしておきます」

「タスク、ありがとう。ミルス司祭、少しお水を飲みましょう」

「かたじけない……」


 部屋に控えていたのは鎧兜で身を包んだ鳥獣人の女騎士タスク。先ほどミルスが入ってきた扉を少し開け、廊下の様子を窺う。しばらく息を潜め耳を澄ましたが、幸いにも室内にいる自分達以外の気配はなかった。部屋の外、外壁の方にも間者の気配はなさそうだ。タスクはヒュームにアイコンタクトを送った。ヒュームもまた、タスクに対して頷いて返す。

 椅子に腰かけ、水を一気にあおったミルスは深く息をつく。向かいの席に座ったヒュームと、扉の前で警戒するタスクの顔を交互に見て、ゆっくりと話し始めた。


「ルド砂漠の坩堝は……大陸神の核ではない、と。あれはあくまで大陸神の、今代の器だということです」

「器、ですか?」


 ヒュームは机の上の資料を手に取り、目を通す。机の中央に広げられた大陸図には様々な書き込みがあり、テトルクより南東の砂漠の一角にピンが立てられていた。また、ニバルメンより西にあるローゼル大森林にも同じくピンが立てられている。その他の場所は、みな過去に魔物の襲撃を受けた記録のある地だ。各地の細かな情報が、ヒュームの手にある資料に書かれている。その内のひとつ、ルド砂漠についての一説を読み上げる。


「――ルド砂漠にはもともと貴重なオアシスが存在していましたが、魔物によってオアシスとそこで暮らす人々の命は失われました。人々の魂を鎮め導くため、まず最初に神殿が建てられました。その後、大陸神のもとへ還り再び生を受けることができるよう、坩堝は作られました」

「えぇ、そうです。歴史上はそう伝えられております」

「坩堝が作られたというのであれば、それはオアシス消失後ですよね。しかし、人類に大陸神の器を作ることなどできるのでしょうか……?」

「私は難しい……と考えます。しかし、大陸神自身が何らかの方法で地上に器を残し、当時の人類に祀らせた、と考えることも可能です」


 ミルスは懐に隠していた前司祭の手記を取り出す。装丁は既にボロボロで、数十年以上の時を感じさせる。


「今代の、というのが気になりますね」

「大陸神の肉体はとうにこの大陸として根付いておりますからね。複数あったというのは本来疑わしいのですが……」


 ヒュームとミルスの会話を聞いていたタスクが、ふと口を開いた。外を警戒しつつも、彼女なりに考えをまとめていたらしい。


「これまでも代替わりがあったというのなら、その数だけ神殿があったと考えられませんか?」

「! 確かにそうですね! ミルス司祭、過去の襲撃地の写真を見せてください」


 ヒュームは両手をバチンと叩いて笑顔を見せた。まだまだ調べるべきことはありそうだ。


「グレンが戻ってくるまでに、少しでも正確な情報を集めましょう」


 これが、ヒューム姫達調査団の戦いだった。

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