第2話「平原へ」
翌朝、アデリアスは荷物をまとめて宿を出ると、すぐに昨晩の酒場へと向かった。時刻は朝七時。指定された時間よりはまだ早いが、グレンは朝食を取ると言っていた。だからアデリアスもついでに酒場で朝食を済ませようという考えだった。
店内に入れば昨晩の喧騒はどこへやら、オシャレなカフェテリアとそう変わらない落ち着いた静けさを感じる。アデリアスが店内を見渡すと、昨晩と同じ席にグレンがいた。
「おはよう、グレン」
「あぁ、おはよう、アデリアス」
「昨晩の話なんだけど」
先に食券を買ってから、案の定食事中だったグレンの向かいに座り、水を運んできた店員に食券を渡すアデリアス。店員が離れたのを確認してから、話を続けた。
「受けるよ、その仕事」
「いいのか?」
「東にも行きたいと思ってたし。君がここにいるってことは、大山脈の通行証もあるんでしょ」
アデリアスの問いに、グレンは頷いた。腰のポーチから一枚の紙を取り出し、アデリアスに見えるように置く。薄くテトルク国の国章が刻まれたその紙には代表者としてグレンの名前が書かれており、さらにテトルク国王のサインと押印があった。
「これが通行証だ。トラヴァスパスは
この大陸では誰もが記輪と呼ばれるバングルを腕に装着している。記輪には名前や職業、現住居などの個人情報が魔術紋で刻まれており、自身の存在を証明する大切な装具だ。魔術紋は読み取るだけなら高価な設備はいらないが、更新となると専門の公務魔術師にしかできない。
しかし、公務魔術師が勤務する役所――記輪所を有する町はそれほど多くはない。城下町を除けば一定の領土を有する領主の町くらいだ。
だからこそ大山脈を通行するためのトラヴァスパス所持者は、ある程度の能力と身分を得ているという側面をもつ。実績を積まなければ入手できないのも、半永久的な国公認の資格としての効力があるからだ。
とはいえ、東西の国を行き来する資格を気軽に不特定多数へ渡すことはできないし、そもそも記輪の更新も限られた場所でしかできない。これを解決するのが、期限付きの大山脈通行証だ。
商人達は大山脈を行き来する度に、出発地点の国から通行証を発行してもらう。大山脈の出入口はそれぞれの国で管理しているため、反対側の出入口で通行証は回収され、通行者リストと照合し不法入出国ではないことの証明を受ける仕組みになっている。
帰るために再び大山脈を渡る場合は、今いる側の国に通行証を発行してもらわなければならない。大山脈の通行証が本来片道分というのはそういう意味だった。
「でもここにあるってことは、大山脈の出口で回収されなかった。それってもしかして、往復の通行証だから……?」
「その通りだ」
グレンはニヤリと笑う。テトルク国王の印が入ったこの通行証の期限には、なんと一年間の猶予があった。よく見ればニバルメン国王の印もある。つまり、大山脈を管理する東西の両国から正式に認可の降りた通行証ということだ。
この様子だと、今日明日ですぐに東に行くわけではないのだろう。だが東西国王の印を見るに、明らかに普通ではないレベルの通行証なのは間違いない。
アデリアスは、グレンが通行証をしまう様子を眺めながら言う。
「簡単には言えない内容の依頼に、一年の期限がある大山脈の通行証……君、思っていたより重鎮なんじゃない?」
「まさか」
「わざわざ騎士を辞めてるっていうのがおかしいもの。立場が万が一の時に足枷になる、ってことでしょ」
アデリアスの言葉に、グレンは喉の奥で唸った。彼女の推測がほぼ合っていたからだ。いくら友好条約を結んでいるとはいえ、他国の騎士が自国領内を我が物顔で動き回るのは問題があるとして、表向きには国の依頼を受けただけの傭兵ということになっている。
「その辺の話もまぁ、後で説明する。依頼内容と無関係じゃないからな」
「ふぅん」
「お前は大山脈の東側に行きたい。そのために俺の依頼を受けてくれる……そういう下心でも、依頼を蔑ろにしなければかまわん」
「意外だね」
「こういうのは、お互いにメリットがあるラインを探すのは基本だろう?」
グレンはそう言って牙を見せて笑った。アデリアスもまた、目的のために利用されても問題ないと言うグレンに対して好感をもつ。背中を預ける相手としては、過度な規律や服従を求められるよりはずっと良い。
「じゃあ、契約成立ということで」
「あぁ、改めてよろしく頼む、アデリアス」
「……アド、でいいよ。親しい人達はそう呼んでいたから」
注文した料理が届いて、アデリアスは店員へと顔を向けていた。グレンは少し驚いた顔をして、それから先程よりも口角を上げた。多少なりとも心を開いてくれたのだと思うと、自分の目に狂いはなかったと実感できるからだ。
そうして食事を終えた二人は、ニバルメン城下町の南門から外へ出て、広大なニバル平原へと足を踏み出す。
アデリアスは腰に携えていた円柱型の武器鞄から槍の穂先を取り出す。さらに武器鞄にぶら下げていた二本の柄も後ろ手で器用に外すと、慣れた手つきで組み立てて一本の槍にした。
「ほう、もしかして
「うん。町の中だと危ないからね。外だとそのまま持ち歩くけど」
鋼魔鉄は魔力と併用する鉄材の中でも比較的手に入れやすい。携帯性を重視した武器は、アデリアスの槍のようにいくつかのパーツに分解することができるが、強度に不安が残る。
そこで、魔力を流すと硬化・固定される性質を持つ鋼魔鉄を使用すると、繋ぎ目が補強されることで非携帯性の武器と遜色ない強度を保てるのだ。繋ぎ目の魔力を停止させれば簡単に分解できるが、所有者の魔力を魔術紋で刻んであるので、他者によって妨害されることもほとんどない。
「ふむ、
「君の
柔魔鉄は名前の通り柔らかめの鉄材だ。鋼魔鉄と違って魔力を流しても強度に変化はないが、色が変わるという性質をもつ。職人達はこれを活用した鞄や道具を製作し、殺風景で実用性のみを追求した旅道具にオシャレという概念を加えた。今や傭兵達の間でも武器の収納に関しては流行のデザインかどうかまで話題になる。
アデリアスが使用している柔魔鉄製の鞄はダークブラウン一色のシンプルな見た目だが、所々に使用されている鈍色の磁力鋼が程よいアクセントにもなっている。磁力鋼は穂先と柄の取り出しやすさを重視して鞄の蓋と底にあり、ベルトの留め金と引き合うことで分解された槍の柄を固定する仕組みだ。
一方、グレンの大盾刀は左腕を覆うほどのサイズの盾が鞘代わりにもなっていて、盾の中央部分を開いて刀を抜くことができる攻防一体の武具。東側発祥の武具としては有名なもので、携帯性・機動力を重視した西側と比較すると、有事にはスムーズに戦闘態勢に入れることを優先しているといえる。この程良い差別化が、東西の交易の一部でもある。
そんな雑談をしつつニバルメン城下町を背に、方位磁針を手にしたグレン。北を指し示す針は、グレン自身を指していた。
「ふむ。じゃあ進路は西だな。俺達から見れば右だ」
グレンは指を進路へ向けながら言った。アデリアスはその動きを目で追いつつ頷く。ここはまだ城下町のすぐ近くだ。細かな説明は道すがらとなるのだろうと思い素直に従った。
このオルドラン大陸には、人類や動植物の他に陰力をもつ「魔物」と呼ばれる存在がある。生者が無意識にもつのが陽力だとすれば、陰力に寄っている魔物は、大陸自身に備わっている自浄作用から外れて負の感情に支配された魂である、とされている。
陰陽のバランスが悪くなると、先日のように町への襲撃が起こってしまう。そしてまた襲撃によって陰力が増し、生者を脅かす。
「オルドラン教が死者を弔うのは、自浄作用の流れに戻してやることで、陰力を抑える意味もあるらしい」
「……魔物は、そうはいかないでしょう」
道中襲ってきた魔物を蹴散らしながら、アデリアスは先の発言をしたグレンに問いかけた。魔物は一定の形をもたない。それは人の姿であったり、獣の姿であったり、精霊の姿であったりと様々だ。
「精神だけでは本来何もできないんだ。陽でも陰でもない精神は、負の感情を纏った器に近づいてしまうことで、陰力をもった魔物と化す。僧侶が巡礼の旅に出るのも、少しでも魔物の誕生を阻止するためでもある」
感情というものはそれだけで大きな力を持つ。そこに一方の力に満ちた器を与えてしまうと、大陸のバランスが一気に崩壊してしまうのだ。
グレンの話を聞きながらも、アデリアスは槍を振るう。今倒した魔物の背後から突進してきた猪型の魔物を軽いステップで避け、転進する隙を突いた。
「君、もしかしてオルドラン教の信者なの?」
「国教ではある。が、考え方としては学ぶ意味があると思ってな。経典は何度も読んだよ」
グレンは精霊型の魔物が放った魔法を大盾で受け流すと、そのまま大盾を押しつけて刀を魔物に向かって引き抜いた。密着した大盾から現れた刀によって、魔物は一閃される。
戦闘を終了し、グレンは最寄りの町の位置を地図で確認した。近くにあった立て札で現在地を割り出せば、日が暮れるまでには到着できそうだ。
霧散する魔物を見届けていたアデリアスに、地図を見せながら声をかける。
「今日はこの町で休んで、明日はローゼル大森林へと向かう」
「……! それって……」
アデリアスは目を見開いた。西の国にいれば必ず聞いたことのある場所。そして半年前に突如として魔物に襲撃され、大森林としての景観を失った場所。
グレンは地図を握りしめて言った。
「ローゼル大森林が一夜にして滅んだ、その痕跡を探すのが俺の仕事だ。また、生き残りを保護し、大陸神の縁者かどうかを確認してテトルクまで護衛すること。つまりその手伝いをしてほしいのが、今回の依頼になる」
「大陸神の……縁者……?」
アデリアスの呟きに、グレンはゆっくりと頷いた。
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