みえるひと

原初

恋穢、気我れ、憑きて

 心は無形だ。


 

 確かにそこにあって、様々なものに影響を与えているけれど、見ることも触れる事も出来ない。

 

 もし、心に色があるとすれば、それはどんな色なのだろうか。

 

 燃えるような激情なら赤? 悲観に暮れる哀情なら青?


 それは誰にもわからないこと。


 ああ、でも。一つだけ。


 たった一つだけ、確かなこと。


 恋情が鮮やかな色に染まっていることだけは、絶対にありえない。






 僕はいわゆる、『霊能力者』というヤツだ。


 『霊』と呼ばれる存在を視認し、彼らと会話が可能で、ある程度の接触が出来る特異体質を持って生まれ、その異常性と共に生きてきた。


 まぁ、見て話して触って、と出来るだけで、漫画のようにカッコよく『悪霊退散!』とかはできないんだけど。 


 普段は、ちょっとオカルト好きな一般人を演じている。


 そんな風に、一般人ライフを過ごしていたある日の事。


 同じ大学に通う親友であり、高校からの腐れ縁でもあるシンジから僕は、「相談に乗ってくれないか」との連絡を受けた。


 電話越しのその声はどこか疲れており、普段の明るい彼とは明らかに違っていた。

なにかあったのだと即座に察した僕は、自前の道具……心霊現象がらみの事件の時に使う道具をひっつかみ、すぐに彼の下宿先に向かった。


 大学の講義が終わり、午後五時半。


 もうすぐ本格的な夏が始まる六月の空は、まだまだ明るかった。


 彼の下宿先のアパートに向かい、インターホンを押す。少しして鍵が開く音がし、扉がそっと開かれた。


 そこで、僕は「ん?」と首を傾げた。ドアにはチェーンがかかっており、腕一本入るか入らないかくらい空いたところでぴたりと止まったのだ。


 シンジの下宿には結構遊びに来たことがあるが、おおざっぱな性格の彼は部屋にいるときは鍵を掛けていることもまれで、こちらが鳴らしたインターホンに「はいっていいぞー」と不用心極まりない返事をするのがほとんどだった。


 もうこの時点で嫌な予感がしていた。熱さでかくのとは違った汗が背中を流れ、僕はぐっと拳を強く握って意識を切り替えた。


 開いたドアの隙間から、シンジの顔半分が覗く。



「…………ああ、よかった。お前か」



 掠れた弱々しい声、そしてその顔を見て驚いた。


 男前で清潔感のある顔には深い疲労と恐怖が刻まれ、頬がこけている。瞳には生気がなく虚ろで、目の下には大きな隈が出来ていた。


 そして、それを見ただけで俺は察してしまった。



「悪い、今開けるな」


「あ、ああ……その、大丈夫? 体調悪いんじゃ……」



 白々しい言葉だと、内心で笑う。


 これはもう、体調不良なんて普通に理解できる範囲の話じゃない。



「体調は……まぁ、よくないな。けど、病気とかじゃないんだ。……とりあえず、入ってくれるか?」



 シンジは弱々しい声で言い、ドアを開けて部屋に僕を招き入れた。


 窓もカーテンも閉め切った1DKの部屋の中は、コンビニの袋やファーストフード店の包装紙、まだ中身の入った小物サイズの紙袋などが散乱している。


 そこに足を踏み入れた僕は、すぐに気づいた。


 いる。


 この部屋の中には、確かに何かがいる。


 雰囲気とか気配とか残留思念? とにかく、そういったものがシンジの部屋には色濃く残っていた。


 特に酷いのは……天井付近。


 そっと視線を向けてみれば、黒い靄のようなナニカが一瞬だけ視界に映った。


 シンジがゴミを部屋の隅に片付け、床にクッションを二つ置いた。


 僕はベッドの傍に置かれたクッションに座る。シンジは少し離れた場所にすでに腰掛けていた。



「悪いな、いきなり来てもらって……」


「いや、いいけど……本当に、なにがあったの?」


「…………」



 無言でうつむき、顔の前で手を組むシンジ。


 小刻みに身体を震わせるシンジの返事を待ちながら、無言の時間が続く。


 五分ほど静寂が続くと、シンジは大きく息を吐いた後にゆっくりと口を開いた。



「……最近、夢を見るんだ」


「夢?」


「ああ。……なぁ、お前。チサトって覚えてるか?」


「チサト……ああ、確か高校の時にシンジに付きまとっていた子だっけ?」



 顔も性格もいいシンジは、昔から人気者だった。


 シンジの周りには色々な人物が集まり、それ故に少し面倒な相手から執着されることになる。


 チサトはその中でもとびっきり面倒なヤツだった。


 出会いは確か、チサトの学校の学園祭に遊びに行ったのがきっかけだったはず。


 シンジに一目惚れをしたチサトは、彼に付きまとうようになる。


 シンジの行動を意のままにしようとし、彼に沢山の枷を付けて、その首に己の愛という名の首輪を嵌めようとしたのだ。


 要するに、チサトは俗に言うところのメンヘラストーカーだったのだ。


 人の好いシンジはそんなチサトにも無難に接していたのだけど、そんな態度が彼女を調子づかせ、付きまといは高校卒業まで続いた。


 高校を卒業して地元から離れた今の大学に入学したことを機に付き合いが無くなったとシンジから聞いていた。


「やっと解放された」と肩を落とし、安堵のため息を吐くシンジの姿を思い出す。



「強烈だったから覚えてるよ。シンジがちょっと嫌な顔しただけで、この世の終りみたいな顔して、わざとらしい泣き真似をしていたヤツでしょ? あのキンキン声はそう簡単に忘れられないよ。それで、そのチサトがどうしたの? まさか、またストーカーを?」


「違う。……それだけなら、どれほどよかっただろうな」



 力なく呟くシンジは、顔の前で組んだ手に力を入れ、俯いたまま話し始めた。







 きっかけは、二週間前の三連休。


 シンジは恋人と帰省ついでの旅行に出かけたとか。


 両親に恋人を紹介したり、地元の友人に冷やかされたりと楽しい時間を過ごしていた。


 そんな最中、シンジはチサトに偶然、遭遇してしまった。


 実家近くの商店街を恋人と一緒に歩いていた。


 ご当地キャラのキーホルダーを二人で買って、お揃いだねと笑い合っていた最中。

商店街の人ごみの中にチサトはいた。


 ウェーブのかかった長い黒髪が顔の半分ほどを隠し、白いワンピースのような服に身を包み立っている。


 足早に進む人の群れの中で、長い前髪の隙間からじっとシンジとその恋人を見つめるチサト。


 不思議なことに、どう見ても通行の邪魔になっているはずのチサトを、歩いている人々は気にする素振りすら見せなかったという。


 やけに目につくチサトの瞳が、シンジたちの姿を捉えて離さない。


 異様な雰囲気のチサトに不信感と危機感を募らせたシンジは、恋人の手を引いて足早にその場を離れた。


 その間も、チサトはずっとシンジのことを見つめていたという。


 やがて、商店街から離れたシンジは恋人に「怖い思いをさせてゴメン、アイツとは前に色々あってさ……」とチサトのことを謝った。


 しかし、そこでシンジの恋人はおかしなことを言った。



「え? アイツって……誰?」



 その言葉を聞いて、シンジは思わず「……はぁ?」と間抜けな声を出してしまったという。


 すぐに商店街にいたチサトのことを、恋人に聞かせたシンジ。


 しかし、シンジの恋人はチサトの姿を見ていないと言う。


 そんなはずはない、とシンジは混乱した。


 それもそのはず、チサトはシンジの真正面の人ごみに立っていたのだ。シンジと並んで歩いていた恋人がその姿を見ていないはずがないのだ。


 ぐるぐると纏まらない思考をなんとか整理しようとするが、結局なにが起こったのかは分からなかった。

 ただ……この時すでに、シンジは何か得体の知れない感覚に襲われていたという。


 そして、旅行の日程を消化し終え、帰る時間になった。


 シンジは駅まで見送りに来てくれた地元の友人に、チサトのことをそれとなく聞いてみた。

 

 思い出話をするかのように、「そう言えば、アイツって今どうしてんのかな?」と言ったように。


 チサトの名を聞いた友人の反応は、顕著だった。


 顔を思いっきり顰めて、言いずらそうに口ごもる。


 シンジは背中を流れる冷たい汗を止める事が出来なかった。手は自然と拳の形をとり、爪が掌に食い込む。


 そして、しばらくの沈黙の後、友人が口を開く。



 ――――自殺した、らしいよ。



 シンジは、血の気が引いた。


 友人が言うには、高校を卒業してすぐに自宅のマンションで首を吊ったらしい。

なぜチサトが自殺したのかはわからない。


 遺書も何もなく、ただ天井からぶら下がる肉の袋が見つかったのだと。


 けれど、チサトの自殺原因など、シンジにはどうでも良かった。


 ――……じゃあ、俺の見たアレは何だったんだ?


 シンジの脳裏に、あの時のチサトの顔が思い浮かぶ。


 感情の無い瞳で、じっとシンジのことを見つめるチサト。


 能面のような……いや、アレはそんな生易しいモノじゃない。


 まるで、生きている気がしない蒼白の顔で見てくるチサト。


 普通に考えたら、唯の見間違い。


 けれど、そうじゃなかったら――――。


 それから帰ってくるまでの間のことを、シンジはほとんど覚えていなかったらしい。


 呆然と、自分でもよくわからないナニカを考えながら、自宅に戻った。


 そして、『夢』はその日から始まった。


 自室で寝ているシンジ。暗い部屋の中、布団にくるまれた身体はピクリとも動かない。


 見知った、全てが既知である筈の部屋が、まるでまったく知らない場所のように感じた。


 目を閉じて全てをシャットアウトしようとしても、瞬き一つできない。ただひたすらに天井を見つめる事しか許されない。


 そうしているうちに、視界に奇妙な物が映り込む。


 天井の一角が、黒く染まりだす。


 真っ暗な部屋にあってなお、濃く暗い黒はうぞうぞと蠢き、嵩を増していく。


 そして、黒が人の顔ほどの大きさになると同時に、今度は声が聞こえてきた。



『……えーん。……えーん』



 ざらついた耳障りの、甲高い女の声。


 聞いていると、いら立ちが募ってくるようなわざとらしい泣き真似を聞き、シンジは血の気が引いたという。


 シンジはその声に聞き覚えがあった。


 ――――チサト?


 声が出ないから、胸の中でそう呟く。


 何処からともなく聞こえてくる声は、チサトがシンジにちょっと冷たくされただけでしていた泣き真似にそっくりだった。



『……えーん。……えーん。……えーん』



 断続的に響く泣き真似。次第に感覚が短くなり、声が大きくなる。


 近づいてきている。シンジは直感的にそう思ったという。


 シンジは必死に、「これは悪い夢だ。すぐに覚める」と自分に言い聞かせ、何とか目を閉じようする。けれども、相変わらず体は動かない。


 怖い、助けてくれ。そんな声すら上げることを許されぬ状況で、『それ』は姿を見せた。


 天井の黒い靄から、なにかズルリと垂れさがる。


 髪の毛だ。長い女の髪の毛が、天井から生えている。


 それも、ウェーブのかかった黒髪。


 シンジは全身にあらん限りの力込めて、動かない身体を動かそうと藻掻いた。


 目が痛くなるほど瞼に力を籠め、首の骨が折れそうな勢いで顔を逸らそうとする。


 だが、その全ては徒労に終わった。



『えーん。えーん。えーん。えーん』



 声はもう、耳元で囁いているかと思うほど近く。


 シンジの視線の先には、『顔』があった。


 天井から垂れ下がる髪の毛の隙間から覗く、青白い顔。


 充血した目を限界まで見開き、感情の無い能面のような表情でシンジを見つめるチサトの顔が黒い靄から現れていた。



『えーーん。えーーーん。えーーーーん。えぇーーーーーん』



 無表情で口だけが動き、ひたすらに泣き真似だけを続けるチサト。


 その目は何かをシンジに訴えているようだったという。


 恨みか、憎しみか、妬みか。くすんだガラス玉のような瞳からは、何も読み取れない。


 頭がおかしくなりそうな恐怖に、シンジはそこで意識を手放し……気が付けば、朝になっていた。







 そこまで語って、シンジはやっと顔を上げた。


 疲れ切ったような……憑かれすぎたような顔で、シンジは僕を見つめる。



「それから、毎日のようにその夢をみる。極力寝ないようにしてるんだけど、限界が来て意識を失っても見るんだ。それに……」



 シンジが片手で頭を掻きむしり、唇を噛んだ。



「…………チサトが、近づいてくるんだ」


「近づいてくる?」


「ああ……夢を見る回数が増えるたびに、黒い靄が大きくなって……そこから出てくるチサトも少しずつ見える部分が増えるんだよ。顔だけ、首から肩、腕から上半身……って」



 ぶるり、とシンジの身体が震え、彼は寒さに耐えるように自分の肩を抱いた。



「……昨日は、膝まで見えた。もうすぐで、チサトの顔が俺のところまで来る」



 小さく囁くように零したシンジ。



「あのままチサトに捕まったら……俺は、どうなるんだ?」



 そこまで言って、シンジはまた顔を伏せてしまった。


 そんなシンジを見て、僕はとりあえず基本的なことを聞いてみる。



「シンジ、お祓いとかには行ったの?」


「夢を見て、すぐに。近くの○○神社に行った。でも、特に何も憑いてないって……」


「ふむ……」



 なるほど、と僕が頷いていると、シンジが縋るような目を向けてくる。



「なぁ、お前ってこういう話に詳しかったよな? 何か、なにかないか? あの夢を、チサトをどうにかできる方法は……っ!」



 恐怖と絶望が半々。そんな色の瞳から、シンジがどれほど参っているのかが伝わってくる。



「頼む……俺もう……ダメかもしれないんだ……。あの声が……甲高いチサトの声が、耳から離れなくて……。聞こえるはずがないのに、起きてるときも声が聞こえる気がして……。俺、俺…………ッ!」



 絞り出すような声。


 こちらに差し出された手。その指先は小刻みに震え、血の気の引いた色をしている。


 僕は迷わず、その手を取った。



「――――わかった。僕に何が出来るかわからないけど、やれるだけやってみる」



 自分で言って、内心で苦笑する。


 ああ全く――安請け合いだ。


 経験則でなんとなく、今回の件もあたりがついているし、解決策も思いついた。


 それでも上手くいく保障なんてない。ないけど……見捨てるという選択も、またないんだよなぁ。


 シンジを助けたい。僕はもう、そう決めてしまったのだから。



「そっか……うん、ありがとな」



 この安心した顔を見れたなら、安請け合いもどんとこいだしね。







 それで、どうしたのかというと。


 僕は今晩、シンジの部屋に泊まることになった。


 シンジは渋ったが、僕が強引に押し通した。


 霊障を解決するには、とりあえず実態を確認する必要がある。


 シンジは間違いなく霊に憑かれている。


 けれど、霊はシンジ自身に憑いているわけではない。


 シンジのことをじっくり見ても、最初の黒い靄いがいは何も見えなかった。


 けれど、部屋の中には霊の気配が漂っている。


 つまり、シンジ以外のナニカに霊は憑いてきてしまったのだ。


 そう思い部屋中を探していたのだが、それらしきものは見つからない。


 気配を消しているのか、力を温存するために非活性状態なのか。兎に角、残滓のような気配以外に霊の存在をにおわせるものは何もなかった。


 僕は少しだけ安心し、胸を撫でおろした。


 蘊蓄なのだが、人に憑く霊というのはそれなりに力のある霊だったりする。


 古い霊だったり、複数の霊が集まった霊だったりと、一般的ではない霊がほとんどだ。


 そして、チサトはそうじゃない、一般的な霊だ。


 夢を見せる程度のことしか出来ないなら……まぁ、手持ちの道具で何とかなるだろう。


 シンジの作った夕飯を食べ、部屋を掃除したり道具の準備をしたりして時間を潰す。


 外も暗くなり、時刻は十二時を回る。


 シンジにはベッドに横になってもらい、僕は床で寝る事に。


 寝るのを嫌がったシンジだが、霊に出てきてもらうためにも寝てもらうしかない。


 それに、明らかに体調の悪い様子だし、少しでも寝て休んでもらいたかった。



「じゃあ……頼んだぞ」


「うん、おやすみ」



 シンジが布団に入り、部屋の電気を消す。


 やはり疲れているのか、寝るのを嫌がっていたにも関わらずシンジはすぐに寝息を立てる。


 暗闇と静寂が、いっぺんに五感の二つを奪う。


 時計の針や外で走る車の音を聞きながら、僕は床に座りながら寝ているシンジを観察した。


 そして、そうして待つこと三十分ほど。


 ふと、部屋に冷たい空気が流れたその刹那。



「うっ……ぐぅ、くぅう……っ!」



 突然、シンジが苦痛の声を漏らす。


 見れば身体が不自然に硬直しており、明らかに様子がおかしい。


 来た――と思い、闇に目を凝らした。


 やっぱり。寝転ぶシンジの頭上に、黒いナニカが見える。


 はっきりとした形が見えないのは、チサトの霊がそれほど弱いことを示している。


 今まさに、チサトの霊がシンジに影響を及ぼしていた。


 それはチサトの霊が活動的になっているということであり――。



「……そこかっ」



 ――――チサトの憑いているものを発見するのに繋がる。


 黒いナニカとのつながりを辿って、僕は棚に置かれた小さな紙袋に手を伸ばす。


 土産物屋の名前が書かれたそれは、シンジが旅行先で恋人と勝ったというキーホルダーが入っているもの。


 すぐに中身を取り出し、中身を見て合点がいった。


 それは小さな人形だった。


 飾り布で作られた簡素なお雛様といった、いかにも工芸品といった趣の人形。

 

 手のひらサイズのそれは、黒い靄で覆われているように僕の霊視に映った。


 「どうして」「なんで」「私は――」と、視界を通して思念が伝わってくる。


 僕はそれを持って、シンジの傍にいく。


 脂汗を流して苦しむシンジの眼前に人形を突き出し、僕は口を開いた。



「シンジ、叫べ! お前の想ってること、言いたいことを全部ぶちまけてやれっ!」



 寝ていても伝わるように、声を張り上げて言う。


 シンジは僕の声にピクリと反応し、そして――――。



「――――どっかいけ! 迷惑なんだよ! 二度と顔も見たくない! 付きまとうな気持ち悪い! ストーカーとか頭沸いてんのか! 消えろ! 消えちまえ! 死ねよブサイク! お前なんて、お前なんて――――殺したいほど、大っ嫌いだッ!!」



 懇親の叫びが、部屋をビリビリと震わせるような絶叫が響き渡る。


 刹那――僕の目は黒いナニカがびくりと震えて人形にひっこむのがはっきりと見えた。



「よしっ、これなら――」



 僕は準備していた道具――とある神社でもらったお札を纏めてねじった紙の棒に、ライターで火をつける。


 そして、テーブルに置いておいた大きめの灰皿に人形と火をつけた紙の棒を放り込んだ。


 異様な速度で紙の棒は燃え、赤い炎があっという間に人形へ引火する。


 次の瞬間。



『ぎぃいいいいいいいいいいやぁあああああああああああああああああああああッ!!』



 シンジの絶叫に負けない金切声が、何処からともなく響く。



『あぁああああああああああッ!! ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいッ!!』



 苦しみがダイレクトに伝わってくるような叫び声。


 人形に引火した炎が大きくうねり、火柱が上がる。その中に苦痛に歪んだ女の顔が浮かびあがる。――――チサトだ。



『ァアアアアアアアアアアアアアアアア、やぁあああめぇええええてぇえええッ!』


「……五月蠅いよ、ストーカー女。死んでさえ迷惑かけるとか、馬鹿じゃないの?」



 僕がそう吐き捨てていると、ベッドの方からごそごそと音がして、シンジが身体を起こしていた。


 火柱とそこに映るチサトの顔を見て目を見開いたが、すぐに表情を怒りに変えて。



「――――消えろって言ってんだろッ! このクソ女! マジで殺すぞ!!」



 憤怒の形相で吐き出された叫びは、自分にかけられた者じゃないと分かっていても背筋が伸びるほど怖かった。


 普段あまり怒らないシンジが本気でキレた姿に、チサトもビビったのか。



『あぁああああああああああああっ! ぎゃぁああああああああああああ……――』



 と、断末魔を上げて消えていった。


 炎が消え、部屋に焦げ臭いが充満する中。


 僕とシンジは顔を見合わせ……へらり、と安堵の笑みを浮かべるのだった。







 その後、チサトの霊は二度と現れる事なく、シンジは元の明るい性格に戻った。


 シンジにチサトの霊が憑いてきてしまったのは、様々な要因が重なった結果の偶然だろうというのが僕の見立てだ。


 自殺という怨念が溜まりやすい死因、生前に執着していた相手との接近、その相手が霊の依り代になりやすい人形を持っていたこと。


 そして――シンジが恋人と一緒にいたこと。


 メンヘラストーカーとはいえ――否、だからこそ、その恋情は強かったのだろう。


 そんな相手が、他の女と一緒に幸せそうにしている――嫉妬に狂い、憑いてきてしまってもおかしくない。


 シンジに強く激しく拒絶されて、簡単に依り代に引っ込んだのもソレ故だし。


 生きても死んでも迷惑をかけまくる。好きな相手と一緒になりたいという願いは尊く綺麗なはずなのに、どうしてここまでこじれる事が出来るのか。


……まぁ、でも。


チサトの気持ちが分からないかと言われれば……そんなことは無かったり。



「この前のお礼?」


「そ。助けてもらったし、二人で食事にでも行かないか? なんでも奢ってやるよ」



 後日、大学でシンジにそんなことを言われた。


 僕はちょっと考えて。



「うん、いいよ。でも、二人きりは流石にダメじゃない?」


「え? そうか? 友達と食事に行くだけだろ?」



 首を傾げるシンジに、僕は呆れたようにため息を吐く。


 こうも意識されていないとは……まぁ、ただの友人だし? シンジは彼女いるし?


 モヤっとした心を押し込めて、くるりとシンジに背を向ける。


 ふわり、と僕の穿いているスカートの裾が揺れた。


 納得いかない、でも嬉しい気持ちもある。


 違う二つが混ざって、ぐちゃぐちゃになる。


 ああもう、本当に。




 綺麗じゃないなぁ……恋心って。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

みえるひと 原初 @omegaarufa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ