第39話 雪の花

 シークレットエデンは王道牝馬路線でも不調を抜け出せず、俺はヤキモキしていた。仕上がり切っていないのに出走させているように思えたのだ。


 エリザベス女王杯は5着とまずまずの結果に思えるが、しぃちゃんの力を知る俺からは物足りない。この時点で有馬記念後引退が決まっている。俺は有馬記念をアイノクラウディアに乗る予定だった。ある雨の日、松沢先生が傘もささずに俺の家にやってきて言った。


「有馬記念、シークレットエデンに乗ってくれないだろうか……」


「俺で良ければ乗りますよ」


 俺は微笑んでそう言った。


 シークレットエデンのラストラン。有馬記念は雪がちらつく空模様。アイノクラウディアは鞍上に岡田弘明を迎えて単勝1.1倍。それに次ぐのが嵯峨弘幸のダンスパフォーマー。滝川はホウオウショウマで雪辱を期す。ロンリィバタフライに岸信親、マイケル・ベルモントはアルゼンチン共和国杯の覇者、クーランド。三島義典はベルストーリー。


 満員の競馬場に有馬記念のファンファーレが響き渡る。シークレットエデンはすんなりゲート入りし、俺はしぃちゃんに声をかけた。


「しぃちゃん。これが最後だよ」


 シークレットエデンは鼻を鳴らして答えてくれた。


 ゲートが開き、ホウオウショウマが絶好のスタートを見せる。それに張り付くようにクーランド、間が空いてアイノクラウディア、ロンリィバタフライがわずかにその外。それを見るようにダンスパフォーマー、そしてシークレットエデン、しんがりからベルストーリー。レース中盤からベルストーリーはかかって前の方に。俺はダンスパフォーマーをマークして後ろ。アイノクラウディアの脚色がいい。最終コーナー回って最後の直線。




 その彼方に白いワンピースの女性が見える。


「母さん?」


「妙子!」




 岡田は鞍上で母の名を呼んだ。シークレットエデンは馬群を前にさばいて前に。ホウオウショウマが脱落する。ダンスパフォーマーは来ない。岡田のアイノクラウディアと俺のシークレットエデン。二人の生きざまがそこにはあった。数多のサラブレットを予後不良にしてきた親父ならではの償いは、一つでも多く勝つことだ。では俺は? 俺の競馬道はまだ中途だ。必死になってシークレットの手綱をしごく。アイノクラウディアを捕らえた瞬間、ゴール板前に立っていた女性とすれ違う。


「母さん!」


「妙子!」


『ありがとう、二人とも。私の夢を、叶えてくれて』


 俺と岡田は涙も拭かずに後ろを見たが、そこにはもう母さんは居なかった。

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