第10話 餞別
俺はその後、函館のクイーンステークスで八番人気のアイノフラワーで逃げ切り勝ちを決め、同期の滝川に次ぐ形で重賞制覇を果たした。馬主の愛野興産社長はなんども「よくやった、よくやった」といい、以後に斎藤厩舎に入れる馬にも乗ってくれと大変な喜びようだった。
俺はその勢いに押されて、はぁ、とかまぁ、とかしか言えなかった。重賞でこの喜びようならG1を勝ったらどうなるんだろうか見たくもあり、見たくもなく、そんな心境だった。
タタルカンのデビュー戦も追い込みでギリギリ勝利をものにし、俺は最終コーナーからの追い通しで腕がパンパンだった。いわゆるズブい馬なのだろうか。よく言えばいい脚を長く使えるとかいうアレだ。全然スピードが上がらず、馬が完全に俺を舐めているのが判った。
アイノフラワーの次走は秋華賞トライアル紫苑ステークスに決まり、タタルカンは新潟2歳ステークスに出すことになった。アイノフラワーの相手は神野五郎のスターマインライン、滝川英雄のヴューティリオンの二強対決だと言われ、タタルカンの相手はまだ実力は未知数だが、岡田弘明がラディウスという高値で取引された馬で出てくるとテレビのレポーターが教えてくれた。
俺はなんとしてもタタルカンで朝日杯フューチュリティーステークスを取りたかったので、斎藤調教師に頼んで課題であるゲート練習を組んでもらい、本番に備えた。
その調教後。
「ゲートやったのか?」
岡田がそう話しかけてくる。
「ゲートの出が悪い。切れる脚はないし、ちゃんと出てくれないと困る」
「逃げればいいんじゃないか?」
「人の馬だと気楽に言える。実際、俺はどんなペースで逃げれば勝てるか知らないし、アイノフラワーのクイーンステークスはまぐれだ」
「それは違う。競馬は人馬の両方の実力だけで決まる。何回やろうが、勝ち味に薄い馬は来ない。それが競馬だ。これをやる」
そういうと岡田は鞭を袋から取り出して渡してきた。
「これは?」
「俺がカイゼルガイストで皐月賞を買時の勝った時の鞭だ。本当は初勝利のときにくれてやるつもりだったが、タイミングを逸した」
「そんなもんもらえねーよ」
「いいから受け取れ。カイゼルガイストはもう死んだ。思い出は数え切れないほどある。どんな馬であれ、一頭、一頭と向き合って大事に乗れ。駄馬なんてサラブレッドはいない」
「さっきの話と矛盾するぞ?」
「馬を生かすも殺すも人間だってことだ。お前は馬を生かす男であれ。俺は今の所殺してばかりいる」
岡田弘明の馬は予後不良の措置が取られる馬が多いのは、競馬サークルでは有名だ。能力以上に走らせ、馬を故障させる。それが岡田の魅力でもあり、欠点でもあった。
「とりあえずありがたくもらっとくよ」
「そうか」
俺は岡田がカイゼルガイストで皐月賞を買った時の岡田の喜びようを思い出した。馬がその後故障したのは結果論だ。間違いなく彼は皐月賞ではベストのパフォーマンスを出したし、その後がどうであれ、誰にも責めることはできないはずだ。そう思った。
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