第33話 水の都・再訪

 目が覚めると顔を洗おうとして、自分がヴィークの家に泊まっていることを思い出した。

 宿とは違って個室に洗顔する場所がないので一階まで降りなければならない。

 シエラが部屋を出ると、対面の部屋の扉が空いているのが見えた。ここはカルロが泊まっていた部屋だ。部屋の中が空なことをみるに、もう起きて下に降りているのだろう。


 シエラも階段を降りようとして部屋の前を離れるべく足を動かすと、寝起きだった影響か床の小さな凹凸に足を引っかけて倒れ込みそうになった。


「おっと」


 しかし床に転がる前に、とっさに右手がドアノブを握ったおかげで転ばずにすんだ。自身の機転の良さに安堵して立ち直す。


「……ここは?」


 とっさにドアノブに手をかけたせいでカルロが泊まっていた部屋の隣の部屋の扉が少し開いてしまった。

 隙間から見るからに、書庫のようだ。たくさんの本が棚に陳列されているが、どれも古めかしそうに埃を被っている。


「読めない……?」


 それに、本の背表紙に書かれている文字が読めない。あきらかに普段シエラたちが使っている文字ではなかった。外国の言葉かなにかだろうか。


「シエラ?」

「あっ、すみません。おはようございます!」


 興味が湧いて部屋に足を踏み込もうとしたシエラだったが、階下からカルロの心配そうな声を聞いてハッと我に帰った。

 おそらくシエラの転びそうな音を聞いてなにかあったと思って声をかけてくれたのだろう。シエラは部屋の扉を閉じると軽やかな足取りで一階へと降りた。



 ヴィークに朝食をご馳走になって、見送られて森を出る。今後の予定はとりあえず馬車のあるシクに移動しようという話になっている。


「そういえばレスイの観光がまだでしたね」

「ああ、魚料理が有名でいたるところに美味しい店があるそうだからはやく戻って観光しないとな」

「そうですね!」


 本来はレスイの観光をしてからヴィークの元にくる予定だったが、ルルの好意で薬草採取後すぐにここまで飛んできたので、満足にレスイを観光できていなかった。

 まだ白身魚のフライと湖の上からの景色しか楽しめていないのだ。シクに行って馬車でまたレスイに戻らなくては観光の続きを堪能できないだろう。


「なんだ、またあの街に戻るのか」

「ルルちゃん!」


 森の前でカルロと話をしていると上空からルルが降りてきた。


「もしかして私たちのことを待っていてくれたんですか?」

「なに、昨夜は森で少しばかり羽を休ませていたのだ。我は今、本来の三割ほどの力しか出せないからな」

「三割⁉︎」


 昨日の飛行を思い出して、あれで三割の速度だったのかとショックを受ける。三割しか力が出ないのにあの速さだったのだ。もしルルが本気を出せば誰も背中に乗ることはできないだろう。

 それに、ヴィークは当たり前に過ごしているがあの森は低レベルとはいえ魔獣が多く生息する森だ。そんな森の屋根のない場所で休めるのもすごいことだと思う。やはりルルは神獣なだけあって他の魔獣より力、知能ともに卓越しているのだろう。


「あ。ってことは私たちルルちゃんに無理をさせちゃったんじゃ……」


 いくら回復ポーションをかけて傷口が癒えたとはいえ、三割の力しか出ない状態で人を二人も乗せて飛行させてしまった。本当は無理をさせていたのではないかと思うと、シエラは申し訳なくて眉を下げた。


「問題ない。あれくらいならなんてことないぞ」


 そう言って得意気に鼻を鳴らしたルルは軽やかに鳴くと腰を落とし、頭を少し下げた。もしかしてこの体制は背中に乗れという意味だろうか。


「いいのか?」

「かまわん。またあの湖の街に戻ればいいのだろう」


 ルルの好意にありがたく甘えさせてもらい、背中に乗せてもらう。

 シエラとカルロを背中に乗せて飛び上がったルルの、背中の上から見えるのは綺麗な青空だ。


「綺麗ですね」

「そうだね」


 昨日の夜空とはまた違った光景。本来なら人が見ることができない位置から見る青空はとても美しかった。どこまで見ても、一面青色!

 雲一つない綺麗な青空の中を悠々自適に進んでいく。


「あの街でなにをするんだ?」

「観光を。主に魚料理を食べたいと思っています」

「魚か、いいな」

「ルルちゃんも来ます?」

「いや、我が街の中に入れば騒動が起きる可能性がある」

「そっか……そうですよね」


 シエラたちはルルが神獣であること、そして人に害をなさない存在であることを理解している。しかし街の人からみれば鳥の魔獣にしか見えないのだろう。

 シエラだって本を読んでいなければ彼が神獣だと気がつかなかった。もしシエラたちがルルのことを魔獣ではなく神獣だと言っても信じてくれる人は少ないだろうし、ルルのことを恐れて攻撃してこないとも限らないのでルルを街中に入れるのは危険な行為だ。

 街のそばに着くと、どうせなら一緒に旅をしてみたかったと思いながらもシエラはルルの背中から降りた。


「それじゃあルルちゃん、さようなら」

「ああ、また明日だな」

「そうですね、また明日……えっ?」

「明日の昼頃、湖の辺りで待っている」

「あっ」


 まさかの明日会う予定をとりつけると、驚くシエラを置いてルルはどこかへ飛び去っていってしまった。


「神獣ってこんなに気さくな性格なものなのでしょうか?」

「どうなんだろう……ルルが特別なのかもね」


 どこかへと向かって飛んでいくルルの背中を見送ると、シエラたちはレスイの中に入った。

 昨日見た光景と変わらない、相変わらず綺麗な街並みがそこに広がっている。


「あ、あんたらは! よかった、無事だったんですね!」


 メインストリートの中心で街のシンボルになっている噴水と、そのそばに建っている女神像を見ていると聞いたことのある声が近寄ってきた。


「ああ、山まで送ってくださった方ですね」

「はい! あなたたちにお代を払っていただいた薬を飲ませたら娘の体調がだいぶマシになって、本当にありがとうございます!」


 シエラが振り返ったところにいたのは娘の薬代が払えなくて医者に薬の処方を断られていた男性だ。そのお礼に山まで漁船で連れて行ってくれたのだが、娘の体調が良くなったようでなによりだ。


「それはよかった。ところでどうしてここに?」

「私は栄養のあるものを、と買い物に来たのですが……あなたたちこそもう湖の向こうの山から戻って来れたんですか? 船がなければ迂回して歩いて帰っても何日かかかりそうなのに」

「そ、それはまぁ、その……はは」


 男性の問いに、神獣の背中に乗って空中から戻ってきましたなどと馬鹿正直に言えるはずがなく愛想笑いで誤魔化す。

 たしかに陸地を歩いて帰ってきたにしてはシエラたちが今ここにいるのは速すぎる。不思議に思われてもしかたがない。


「この辺でいいお店を知らないかな? 観光地とか、美味しいご飯が食べられる店とか」

「ああ、それだと外せないのはやっぱり街のシンボルにもなってるこの噴水と、湖を船上から見るツアーとかでしょうか。まぁ、この街はただ街中を散策しているだけでも綺麗な建物ばかりなので、気の向くまま歩き回るのもいいと思いますけどね。治安もいいですし」


 カルロの問いに男性は答える。


「あとお店でしたら観光客に人気の店がいくつかあって、街の中でも湖に近いところにあるレストランは少し値が張りますが、新鮮な魚介を使った料理が有名ですよ。とくにテラス席は湖を身近に感じながら食事を楽しめると人気だとか。まぁ、私は行ったことはないんですけどね」


 そう言って男性は自虐気味に笑った。

 どう返せばいいのかわからずシエラが愛想笑いのまま固まっていると男性はまた口を開いた。


「そうだ、あんまり観光客に人気ってわけではないんですが、私のおすすめは北区にある酒場ですね。低価格で地元の人間が通う店なんですけど、そこの魚を揚げた料理がすごく美味しくて。あっ、いや、べつにそこに行けというわけではないんですけど、いちおうこういう所もありますよって」

「なるほど。地元の人に愛される酒場……それは美味しいものがありそうだ」

「そうですね。情報ありがとうございます。娘さん、はやく治るといいですね」

「ええ、お二人もお気をつけて」


 いくら体調がマシになったとはいえ、熱を出した娘を看病している男性を長く引き止めるのは申し訳ない。店の話を聞くとシエラたちは男性と別れを告げて街の中を散策することにした。

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