第32話 依頼達成

 はやく走れば人間でも風をきることは可能だろう。しかし空を飛ぶことはできるだろうか。その答えはもちろんノーだ。


「気持ちいい!」


 シエラはルルの背中の上で叫ぶ。シエラの前にはカルロがいて、二人して空を飛んでいた。

 ルルの大きな体はシエラとカルロの二人を乗せてもふらつくことなくまっすぐに空を飛んでいる。髪を揺らす風が気持ちよくて、心なしか上空の空気は美味しい気がする。

 辺りの、茜が暗闇に溶け始めている光景はなんだか神秘的である。


「あっちでいいんだな?」

「ああ、シクという町の近くにある森の中にひっそりと建っている家なんだ」


 シエラの前に座っているカルロがルルと会話している。

 もちろん目的地はヴィークの家だ。面倒な山を降りることをしなくて済むどころか、馬車でも数日はかかるヴィークの家までルルなら一っ飛びだ。


「オレたちは元々ハビスカという街にいて……」

「ほう。なかなか愉快ではないか」


 カルロとルルは談笑していた。

 なんだろうか、カルロとルルは話をしているうちに結構仲良くなっている気がする。少し羨ましい。


「でもすごいですね。あんなに時間をかけてレスイまで来たのに、もうこんなところまで戻ってきちゃいましたよ!」


 シクの町からレスイに着くまで馬車で数日もかかった。それなのにルルの背中に乗って二時間も経てばもうシクの町が見える位置まで戻ってくることができた。


 上空だと盗賊や魔獣に襲われる危険が少なく、戦う必要がないからというものあるだろうが、純粋にルルの飛ぶ速度が速いのだ。

 最初はあまりの速さにカルロと二人でしがみつくのに必死で、速度を落とすようにお願いしたくらいだ。


「もう少しで着くぞ」


 そう言ったルルの言葉通り、シクの近くの森につく。


「我の体では入れんな。庭の植物を潰してしまう」

「じゃあ森の外に降ろしてもらってもいいかな?」

「ああ」


 森の外でルルの背中から降りた。肌触りのいいもふもふの毛並みと離れ離れになるのは少し名残惜しい。


「オレたちは薬草を渡しに行くから」

「ルールー」


 カルロがルルに声をかけるとルルは鳴いて飛び上がった。わかった、とでも言ったのだろうか。


「よし、渡しに行こうか」

「はい」


 シエラとカルロは森に入ると、迷うことなくヴィークの家に行く。

 色とりどりの花を咲かす庭を抜けるとコンコンと扉を叩いた。


「こんにちはー」

「ん? ああ、もう戻ってきたのか?」


 扉を開けて顔を覗かせたヴィークはシエラたちを見て少し驚いていた。想像以上の速さで戻ってきたのだ、驚くのも無理はない。

 何日もかけてレスイに向かったのだから、普通なら何日もかけてここまで来ないといけない。それを空を飛ぶという裏技のようなもので時間を短縮してしまった。


「頼まれていた薬草はこちらで合ってますか?」

「ああ、そうだ。助かる……これは庭にある植物とは違ってこの森では育てられないから自生する場所に採取しに行かないと手に入らない希少なものだからな」


 薬草を受け取り、目当てのものかどうか確認したヴィークは満足そうに頷いた。


「でもレスイに行くだけでも時間がかかるというのに、随分とはやく戻ってきたのだな?」

「ルルが運んでくれましたので」

「ルル?」


 カルロが上空を指さす。そこには旋回するルルの姿があった。風に乗って微かに軽やかな鳴き声が聞こえてくる。


「あれは……もしや神獣か⁉︎」


 ヴィークは目を細めて暗くなった空に浮かぶ綺麗な白い毛並みを視界に捉えると、驚きのあまり大切そうに抱えていた薬草を落とした。


「まさか……まさか神獣さまがいるとは……」


 ルールー、ヴィークの声が聞こえてか否か軽やか鳴き声がシエラたちの元へ届く。


「驚きじゃ……」


 ヴィークは膝をつくと、ありがたそうに手を組んで上空のルルを拝んだ。その姿は女神像に祈りを捧げる信者の姿そのものだ。


「ヴィークさんはルルちゃ、神獣について詳しいのですか?」

「それは……まぁ、詳しいというほどではないが、小さい頃より両親から聞かされていた。正直、御伽噺のようだが……本当にいらっしゃった……」


 シエラの問いに答えたヴィークは感動しているようだ。少し声が震えている。

 本で知ったならともかく両親に話を聞いて知ったということは、ヴィークの両親は女神や神獣などの神秘的な生き物が好きな人だったのだろうか。

 答えはわからないが、先程のヴィークの言動を見てきっと熱心な信者だったのだろうと勝手ながらに解釈した。



 無事に薬草を渡したシエラたちは報酬としていくつか回復ポーションを受け取った。どれも最高級品のようだ。おそらくまともに店で買うと数日分の食費が飛ぶ金額の品物だろう。


「もう暗い、今日はうちで休んでいくといい」

「いいんですか? ありがとうございます」


 家の周囲ではフクロウが鳴いていた。

 茜色が微かに残っていた空はいつの間にか完全に日が落ち、夕方から夜へと移行しきっていた。


 この時間から移動を開始して宿へ向かうのは少し面倒だ。シエラたちはヴィークの好意を素直に受け止めて家の中に入った。

 ヴィークに案内されて二階建ての、普段は使われていないという部屋にシエラは通された。カルロはシエラの部屋の向かいの部屋らしい。

 たしかにこの部屋は普段から放置されているようだ。床に埃が被っていた。


「すぐに掃除をする」

「いえ、私も手伝います」


 シエラとヴィーク、カルロの三人で部屋を二つ分掃除しするとヴィークが夕食をご馳走してくれた。


「美味しいです!」

「変わった味付けですね」


 ハビスカや、味付けの濃いシクの町とはまた違った味付けの料理だ。美味しいが、なんだか今まで食べたことのない不思議な味付けである。


「これは薬草を練り込んだソースを使っている。だから普通の調味料とはまた違った味わいが楽しめるのだ」

「薬草で味付けですか」

「初めて聞いた調理法ですね」

「そうか? 母方から教わった料理なのだが……いや、そうなのかもしれんな」


 ヴィークは考える素振りを見せて首を横に振った。


「シクの町に住んでいたわけではないんですか?」


 この土地はシクに近い場所にあるが、シクの濃い味付けとは似ても似つかない。ヴィークやその親はシクに住んでいたわけではないのだろうか。シエラは疑問に思ってヴィークに尋ねた。


「ああ、元はここよりもっと遠くの辺鄙なところに住んでいた。しかし親が二人とも死んだのをきっかけに別の土地に移り住んだんだ。ここはいろんな薬草を育てるのにちょうどいい土が豊富にあったのでな」

「なるほど、薬草を育てるために最適な場所がここだったんですか」

「そうだ」


 ヴィークは頷いた。

 薬草を育てるために自身が生まれ育った場所ではない別の土地に移り住むとは、ヴィークの薬草にかける情熱はすごいものだ。

 今回の薬草採取の報酬にくれた最高級ポーションもヴィークの手作りのもののようだし、薬草への情熱といい本当にすごい人なんだなと思った。


 ヴィークと談笑して夕食を終えると、山登りと神獣と戦った疲労からシエラは部屋に戻り寝る準備をすると倒れ込むようにベッドに潜った。

 今日はこんなことがあったな、なんて感想が思いつくよりはやく、閉じた瞼と口元からはすうすうと寝息が漏れた。

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