第31話 山頂の――
シエラの頭の中で鳥型の魔獣を思い返すが、思い出せない。なにかが喉元で引っかかっているというのに、そのなにかが全然わからない。絶対どこかで見たことがあるはずなのに!
「魔獣とは思えない強さのまじゅ、う……まさか」
どくり、と心臓が跳ねる。
先程まで引っかかっていたなにかが外れ、シエラは目を見開いて目の前にいる鳥を見つめて、額には冷や汗が伝っていた。
間違いなく、シエラはこの生き物を見たことがあった。まだ施設にいたころに図書館で見た本に描かれていた。
シエラの愛読していた魔獣図鑑には載っていない生き物。本棚の神秘の生き物コーナーにあった本に描かれていた生き物。それが――。
「カルロさん、これは魔獣ではありません! 神獣です!」
少しずつ後退しながら攻撃を避けていたカルロに叫ぶ。
神獣・シガナ。その白く大きな翼を特徴とする、過去に存在したとされる幻の生き物。
怪我をして翼が少し汚れたり荒れたりしているものの、目の前にいる鳥の特徴はシガナの特徴と完全に一致していた。
「神獣だって⁉︎」
カルロが驚きの声をあげる。それもしかたがないことだ。神獣だと叫んだシエラでさえ、正直信じられなかった。
まさか伝説上の生き物がこんなところにいるなんて、いやそもそも本当に存在したなんて。まったくもって信じられない。
しかしもしあれが魔獣ではなく神獣だとすれば、Sランクという枠からも外れるほどの異常な強さに納得がいく。
「さすがに神獣には勝てるかわからないな……!」
めずらしくカルロの口から弱音が漏れた。
いくらSランクの冒険者のカルロでも、神獣には敵う気がしない。それはシガナの攻撃を捌くのに必死な姿を見ればよくわかる。
二対一だというのに、こちら側が圧倒的に劣勢だった。
「キッ、キィ!」
シエラたちがいくら困惑していようとも、シガナは攻撃の手をやめない。血だらけの翼を振り続ける。
――おかしい。
神獣がいるなんて、ということはひとまず横に置いておいたとしても、神獣がこんなむちゃくちゃな攻撃を仕掛けてくるのはおかしなことだ。
普通、魔獣はそれほど知性が高くない。しかし神獣は知性も高く、なにか特殊な力を持っているとされている。
そんな神獣がこんな馬鹿の一つ覚えのように単調な攻撃をしてくるのだろか。
「き、ウェ」
叫び声をあげようとしたシガナがえずく。そして翼をばさばさと羽ばたかせた。
「うおっ、また暴れだした!」
「……もしかして」
その姿を見てようやくシエラはとあることに気がついた。
シナガはずっと暴れていた。敵も味方もいない一人きりの空間でしきりに翼を動かして草木を薙ぎ払っていた。
それを見てシエラたちはあの魔獣は気性が荒く、随分と攻撃的なのだと思っていたが、本当は違ったのかもしれない。
あれらの動きは周囲に害をなそうとして攻撃していたのではなく……本当は苦しくてただ暴れていただけだったのではないか。
それがシエラの考えついた推理だった。
「カルロさん、できるだけ神獣の動きを抑えてください!」
「簡単に言うなぁ⁉︎ やってみるけども!」
カルロがシナガに斬りかかり、シナガは怪我を負う。しかしそれでもかまわずに翼を広げた。シナガの意識は今、完全にカルロに向いている。
「ごめん、なさい!」
シエラに背中を見せたシナガを、シエラは思いっきり叩いた。狙ったのは首元。シナガは反動でオエッとなにかを吐き出した。
「黒い石?」
シナガが吐き出したのは黒い輝きを放つ拳大の大きさの石だった。シエラが手を伸ばすが、取る前にさらさらと砂のように粉末状になって空へと飛んでいった。
「ヴ、ヴヴ」
石を吐いたシナガは低い唸り声をあげて、シエラが振り返るとシナガは苦しそうに倒れ込んだ。
「出血がひどい!」
翼からは大量の血が流れていた。先程のカルロと戦った傷だけではないのだろう。よく見ると身体中小さな傷がたくさんあった。
本では美しい白い翼を持っている生き物と書かれていたが、今のこの姿は血塗れで神秘さのかけらもない。ただの弱った鳥だった。
「石を飲み込んで苦しんでいたのか……」
「そう、みたいです。ああ、こんなに痛そうに……」
カルロは剣を仕舞うと膝をついてシナガに手を伸ばした。シナガは抵抗することなく低い唸り声をあげていた。
「毛がぼさぼさに逆立っていたのも木かなにかに体をぶつけたからなのだろうね」
「たぶんそうですね。私が読んだ本ではシナガは美しい毛並みをした鳥の神獣だって書いてありましたから……」
このまま放っておけばシナガは自身でつけた傷で死ぬだろう。
「カルロさん……」
「好きにするといいよ」
シエラがカルロを見つめると、カルロは少し戸惑って、しかし笑ってそう言ってくれた。
シエラはカバンからヴィークからもらった回復ポーションを取り出した。それをシナガの傷にかける。
人用に作られたものなので神獣に効くかはわからないが、目の前で苦しんでいるのを放っておけなかった。
「ヴ、ヴヴ……」
回復ポーションをかけられたシナガはゆっくり目を閉じた。
「ルー」
「うわっ!」
「びっくりした!」
目を閉じたので安らかに眠ったのかと思ったら、急にシナガが元気よく鳴いたのでカルロとシエラは驚いて尻餅をついてしまった。
「ルールールー」
先程までの鳴き声と違い、甲高くて軽やかで、心地の良い綺麗な鳴き声。
「よかった、ヴィークさんからもらった回復ポーションが効いたみたいですね」
「そうみたいだね」
カルロは苦笑しつつ立ち上がる。シエラも立ち上がるとシナガは軽やかに空に飛び上がった。
「わっ、高い!」
「神獣、なんだもんな」
ルールーという鳴き声を上げながらシナガは元気にシエラたちの頭上を旋回した。
助けてくれてありがとうと言っているようにも見える。
「ふふ、ほんとによかったです」
「そうだね。まさか神獣がいるとは思わなかったけど……うん、よかった。もうこちらに攻撃をしてくる様子はないし、オレたちは薬草の採取もできるし、神獣も自由に行動できるようになるだろう」
「はっ、そうでしたね!」
神獣騒ぎのせいでヴィークに頼まれて薬草を取りに来ていたことを忘れてしまっていた。ハッとしてシエラは近くに薬草がないか探す。
「そうだ……元気でねー!」
喉に石を詰まらせて苦しんでいた神獣はこれで自由の身になった。おそらくどこかにある巣に帰るのだろう。それを見送ろうとシエラは顔を上げた。
「ルールー」
シエラの言葉に返事するかのように軽やかな鳴き声が聞こえてくる。
「ふふ、ずっとルールーって鳴いてるので名前をつけるとしたらルルちゃんですね」
「神獣に名前をつけるなんて勇気あるなぁ、シエラは」
「なんだかかわいらしくって」
「それは……わからないこともないが」
回復ポーションで怪我が完治した様子のシナガことルルは本で読んだ通りの綺麗な毛並みをしている。撫でたらもふもふして気持ちよさそうだ。
シエラたちがヴィークに頼まれた薬草を探して採取している間、シナガはずっとシエラたちの頭上を飛んでいた。
そしてシエラたちは目的の薬草を見つけて採取し終わると、山を降りる準備を始めた。
夕方になってしまっているのでここで一夜を明かしてもいいのだが、シナガがいなくなったことによってここに本来生息していた魔獣たちが戻ってくる可能性が高い。だから魔獣との遭遇を避けるためには迅速にここから離れる必要があった。
「ルールー」
「まだ飛んでますね」
「そうだね。あっ、もしかしたらここが巣なのかもしれないな。オレたちが邪魔なのかも」
「わっ、それなら長居したら迷惑ですね。ごめんなさい、ルルちゃん! すぐに出て行きますから!」
頭上で旋回しているルルに声をかけるとルールーと返事が返ってくる。
「よし、じゃあ帰ろうか」
「はい」
カバンにヴィークに頼まれた薬草を入れ、少し気が進まないが山を降りることにした。またあの山道を通らなければならないのかと少し憂鬱に感じるがしかたがない。時間がかかればかかるほど体力は回復するだろうが、魔獣が増えて面倒な戦闘が起きるかもしれないのだ。
「ルールー」
「バイバイって言ってるんでしょうか?」
「さぁね。神獣の言葉はわからないけど……まぁそうなんじゃないかな」
ずっとルールーと軽やかに鳴くルルの鳴き声の意味を勝手に解釈したシエラの言葉をカルロが笑って肯定した。
「いや、違うが?」
「あっ、違うのか。すみません間違えて……え?」
「は?」
シエラとカルロ、そしてルルの軽やかな鳴き声の中に突如別の声が混じった。ついつい謝ったシエラだったが、その声の主に気がつくと目を丸くした。隣ではカルロも同じくきょとんとしている。
「送って行ってやろうと言ったのだ」
突如シエラたちの会話に混じってきた声の主がシエラたちの前に降り立った。
「る、ルルちゃんー⁉︎」
シエラの大声が山の中を響き渡る。なんと、先程の声の主はルルだった。
これで驚くなと言う方が無理がある。だっていくら神獣とはいえ、人間以外が人の言葉を話したのだ。
「神獣が喋った⁉︎ いや、神獣ならあり得るか……あり得る、のか?」
驚くシエラの隣でカルロも不思議そうに首を傾げた。
「神獣と呼ばれるくらいなのだから人の言葉を話すことなど容易よ」
「そうなのか……」
相手は神獣だ。真面目に考える方が馬鹿らしく感じたのか、ルルの言葉にカルロは思考を放棄したようだ。
シエラも神獣が人の言葉を話せるというのは意外ではあるが納得できた。しかしそれでも困惑したのは――。
「男の子⁉︎」
ルルの声が、人でいうと男性のものに近かったからだ。話し方といい、声のトーンといい、ルルは間違いなく雄だ。
「すみませんでした!」
綺麗な鳴き声から勝手に雌だと思っていたシエラはガバッと頭を下げた。
勝手に名前をつけたものそうだが、ちゃん付けまでしてしまった。
やってしまったとシエラは頭を抱えた。
「なに、気にするなシエラよ。我は気にせん。ルルという名が気に入ったのならそう呼べばいい」
「ル、ルルさま!」
神獣の怒りを買えば無事に帰れる保証はない。というより命の保証がない。天誅を怯えたシエラだったが、ルルの寛大な心で許されたらしい。とくに危害を加えようとはしてこない。
「さまなど不要よ」
「ルルさん!」
「好きに呼べ」
ふんっとルルは鼻を鳴らした。
「いやぁ、びっくりしたな。まさか神獣に会って、しかも話せるなんて。ところで送って行ってやろうとはどういう意味かな?」
「そのままの意味だ。貴様たちには行く場所があるのだろう? 湖を迂回するには時間がかかるだろうし、湖を渡る船もない。なら空から行けばいい」
「背中に乗せてもらえるのか⁉︎」
「かまわん」
カルロの言葉にルルは頷いた。
ルルの背中に乗れる。それはつまり山道を通らなくていいという意味で、しかももふもふな羽毛に触れるということで。
「ありがとうございまーす!」
シエラは今度は謝罪ではなく感謝の意を込めて、豪快に頭を下げた。
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