魔法

 頭の半分はまだ温かい泥のような無意識の領域に留まっている。しかし、鳥のさえずりがそこから引きづり出してきた。

 隣のベットには、まだぐっすりと寝ているリーナの姿。

 外から物音がしないところをみると、まだ早い時間らしくフレイには好都合だった。

 普通の陸地を移動する分には、やはり馬が一番の手段であり、他より先に馬を確保してしまいたかったからだ。

 本当は馬車が出ているのが理想だが、距離的に相当離れているため望みは薄い。

 だからといって、馬車を乗り継いで向かうような時間的余裕はないため、直接目的地に向かってくれるよう交渉するしかないだろう。

 今までの経験上、飼い主は動物に合わせて起きるため朝が早い。そのため、おそらく今から行っても会うことが出来る。

 昨日のうちに目星をつけていた馬小屋らしき建物に行くと、予想は大当たりだった。

 建物の中を覗くと、馬と忙しなく働く男の姿。

「すいません、ちょっとお時間よろしいですか?」

 建物の中には入らず、声を張った。

「見ない顔だな。 旅人が一体どうした?」


「直接、フローラまで行きたいんです。 馬車を出して貰えませんか?」


「あそこまで何日かかるか分かって言ってるのか? どれだけ急いでも二十日だ。 この村にだって用事があるやつは沢山居るが、採算を合わせるためには一年に一度が限界だ」


「迂回せずに行けば四日で十分なはずです。 護衛なら俺がやります。 儲けが足りないなら言い値をお支払いします」


 虚を突かれたような顔をした男は、しばらく考え込むと再び口を開く。

「これは俺一人で決められる事じゃねぇ。 朝飯は食べたか?」


「いえ、まだですけど」


「じゃあ、食事を終えてからまた来てくれ。 その間に他の奴と話をまとめておく」


「分かりました」


 あまり長く部屋を空けていると、リーナが起きてしまって要らぬ心配をかけてしまうので急いで戻ることにした。

 嫌な予感を感じつつも扉を開けると、やはりと言うか、逆の意味で誂え向きと言うべきか仁王立ちをしているリーナの姿。

「ねぇ、どこに行ってたの……?」


「別に置いていこうとした訳じゃない。 馬の確保に行ってきただけだ。」


「荷物があったからそんな事は心配してないもん。 起こすなり、書き置きするなりしてよね」


「はい……。 ちなみに馬の事は保留にされてる。 朝ご飯を終えてからまた来て欲しいらしい」


「そうなんだ。そういえば、朝ご飯をもうすぐ運ぶって宿屋の人がさっき言いに来たよ」


 リーナがそう言って間もなく、扉がノックされ料理が運ばれてきた。パンにミルクが使われたスープという朝食らしい簡素な物だ。

 特に焦ることもなくそれらを腹に収め、一休みした後、今度はリーナも連れて馬小屋に向かう。

 馬小屋に着くと、先程は居なかった老若男女が集まっていた。

 こちらに気づく素振りも無かったため、建物の中に足を踏み入れる。

 会話が断片的に聞こえる距離になった頃、誰かがこちらに気が付き、声を漏らすとそれを皮切りに全員の視線が集まった。

「皆さんおはようございます。 それでどうでしょうか先程の件は」


「向こうに行って売りたい物も買いたい物もそれなりにあるし、片道は四日間で済むなら馬を出せないこともない」


 代表して先程話しかけた男が返事をしてくれ、更に言葉を続ける。

「問題は、四日間で済ませるために森を抜けることだ。 この村にはろくに戦闘が出来る奴は居ないから、戦闘は全てあんたに任せることになると言っても過言じゃない」

 そう言って外に出るよう促してくる。剣か魔法を使わせたいのだろう。

 こういう場合は魔法の方が良いと相場は決まっている。何故かと言えば、迫力があるからというだけだが、戦闘を知らない者には分かりやすく強さを示す事が出来る。

「どこに向かってやればいいですか?」


「あの岩でどうだ?」

 そう言って指さされたのは、フレイと同じくらいの高さがある大きな岩。

「良いでしょう。 下がっていてください」

 大きな岩の後ろは小高い岩山となっているため、何かに被害を与える心配もない。

「神の鉄槌を、雷光ブリッツ・シュラーク!」

 フレイによって手元から発せられた光の帯の様なものは、一瞬にも満たない速さで岩を包む。

 もちろんそれがただの光であるはずもなく、岩は粉々に崩れ去った。

「なんだ今のは……」


「手から雷が出て、岩を破壊した……?」


雷光ブリッツ・シュラークって絶級じゃないか……」


「これがフレイの魔法かー」

 リーナを含めたその場の全員が目を見開き、岩だったはずの物を見つめる。

「――よし、馬は出そう。 フレイという名前なのか? 俺はアイゼン・フェッツだ。 よろしく頼むよ」


「ええ、フレイと言います。 こちらこそよろしくお願いします」


「全員聞いてくれ! 正午になる前に村を発つ。急いで準備してくれ」

 アイゼンの一言で、今回の旅に参加する十人程度が村のあちこちへ散っていく。

 苗字を言う勇気はやはり出なかった。フレイという名前だけなら、なんとか誤魔化しも効くだろう。けれど、苗字まで言ってしまったら足取りが追いやすくなるかもしれないからだ。

 だからといって適当な苗字を口にする気にもなれなかった。

 自分の事ながら、普通に旅をしていくだけでも難儀なものだと自嘲してしまう。

 でも、自分の隣に居るリーナの姿を見た。昨日偶然出会ったというだけで、過ごした時間という点ではアイゼンと殆ど変わりは無い。

 けれど、リーナは違う。自分にとって特別になる。そんな願望みたいな事を思って抑えられなくなった。

「なぁ、リーナは苗字なんて言うんだ? 俺はブランシュ。 フレイ・ブランシュだ」


「急にどうしたの? 私はアイナノア。リーナ・アイナノアだよ! どう? そこはかとなくかっこいい名前でしょ?」


「そこはかとなくなんて言葉よく知ってたな」


「何だか馬鹿にされている気が……」

 少しだけ怖い顔をしたリーナは一息ついた後、話題を変えた。

「私たちは出発までどうするの?」


「いくらか買い物はしておきたいけど、まずはリーナの魔法を見ようかな」


「フレイのあの魔法を見せられた後に、私に魔法を使えって言うの?」


「別に同じ魔法を使えって言ってるわけじゃないさ。 それに簡単に雷光ブリッツ・シュラークを使われても困るよ」


「雷光は絶級だっけ?」


「ああ。森精霊が用いてる魔法階級は俺が知ってるものと一緒なのか……。初級、中級、上級、超級、絶級、神級の順か?」


「うん! そこも同じ」

 訓練が大切な事は言うまでもないが、実戦は訓練で身につけた物に磨きをかけ、開花させられる唯一の場所だ。

 訓練で五まで上げたものを十まで引き上げることが出来るかもしれない場所。あるいは十五や二十になるかもしれない。

 だから、ずっと村に居たリーナはこれから待ち受けるであろう実戦でどんどん強くなっていく。

「四大元素も分かるな?」


「地、水、風、火の四つじゃないの? 」


「うん、俺が知ってるのと同じだ」

 四大元素は魔法の歴史の一番下にある概念で、魔法階級とは比べ物にならない程大事な考え方だ。

「じゃあ、四大元素をそれぞれ使ってもらっていいか? 階級は何でも良いから」


「不傷の守りをここに! 土砦アースフォート


「おお! 周りの土を使えるのか。」

 魔術は周りの物に魔力を流すことでも使うことが出来る。

 本来無かったものをその場に発生させることは、それなりに魔力を必要とするため、可能な限りその場にある物を使うのが望ましいというのが主流の考え方だ。

「バンッ!」

 リーナの声より一瞬だけ遅れて、フレイが粉々にした岩の後ろにあった崖がいくらか削り取られる。

「これは見た感じ爆発エスクプロージョンか。擬音での詠唱省略もよく出来てる。」


「完全詠唱だといざって時に使い物にならないって村の人に言われたから」


「完全詠唱するくらいなら、階級を下げて詠唱省略をした方が実戦向きではあるな」


 魔法とは、自分の想像イメージを形にする物であり、詠唱は魔法の成立を手助けすると共に、威力を上昇させる効果がある。

 裏を返せば、詠唱にはその程度の役割しか無いため、想像イメージが強固であり、威力が十二分にあるのならば、短文や擬音での詠唱省略、または無詠唱で魔法を放つ方が脅威となる。

「ねぇ、あの木狙ってもいいかな?」

 そう言って崖の上を指すリーナ。

「まぁ、後で治癒魔法を使えばいいんじゃないか?」


「それもそうだね。じゃあ、遠慮なく」

 リーナが目をつぶると、顔と同じくらいの水の塊が一つ、また一つとリーナの周辺に現れ始める。

 束の間の溜めの時間があった後、出来上がった無数の塊が四方八方に散り、さながら飽和攻撃のようだ。

 もっとも、ただの木に魔法に対する防御力などこれっぽっちも備わってはいないのだが。

「良いとは言ったけど、ちょっと過剰過ぎやしないか?」


「そう? どうせなら凄いところを見て欲しいっていう私のいじらしい気持ちの表れじゃん」


 標的にされた木は勿論、周りの数本の木も巻き添えを食らう形で無惨な姿になっていた。


「いじらしがったかどうかは置いておいて、上級魔法の水砲アクアキャノンを無詠唱で大量生成、加えてそれらの同時操作。実戦経験がある訳でもないのに立派だよ。」


「でしょー?」


「それはそうと木を治そうな? 飛行魔法で連れてってやるから」


「言われなくても分かってるって。土砦はあのままでいいの?」


「魔法で作ったものはそのうち元に戻るし、別に良いだろ。村の子供達が遊びで使ったりでもするんじゃないか?」

 今回は周りの土を使ったので、そのうち崩れて平たくなるだろう。もしかしたら少しだけこんもりしてしまう部分があるかもしれないが。

 魔力で土を生成した場合は、分解されて消えていくので完全に元通りだが、大差はない。


「木も勝手に治ってくれたらいいのになぁ」

 木に少し多くを求めすぎなように思える発言は無視して、リーナに声をかける。

「ほら、掴まれ」

 抱え込むような形でリーナを持ち上げる。少々不安定なのは否めないが、行先は飛ぶというより跳べる距離なのだから問題もないだろう。

 崖の上に到着すると、リーナは膝を着いて木に手を当てる。


「精霊よ、癒しを! 高位治癒ハイヒール!」


「治癒魔法も詠唱省略出来るのかよ」


「素直に喜びたい所だけどさ、どうせフレイはもっと上のやつ使えるんでしょ? 高位治癒ハイヒールなんて所詮上級なんだから」


「治癒魔法はどうにも苦手でさぁ、頭に何を思い浮かべれば良いのか分からないというか。」


「ほんとかなぁ。私をからかっているようにしか聞こえないよ」


「わざわざ恥を晒すのは気が進まないけど、まぁ見てろよ。一本くらい俺も治すのを手伝わないといけないと思ってたしな」


 意識を集中させ、詠唱を一度頭に思い浮かべてから唱え始める。

「大地に満ちたる命の躍動、精霊よ、力を失いしかの者を少しばかりの命の息吹を与えん! 高位治癒ハイヒール!」


「あ、あれ? 詠唱も一番有名で基本的なやつだ……」


「だから言ったろ? 治癒魔法は苦手なんだ。詠唱省略も詠唱を自分なりに変える事も一切出来なかった」


「魔法は自分で詠唱を省略をしたり、言葉を変える事が出来るようになると上達するらしいね」


森精霊エルフの間でも、その噂は広まってるんだな。少なくとも俺はその話は本当だと思ってる。雷光ブリッツ・シュラークは勿論、実戦で使う魔法は無詠唱か、自分で考えた詠唱だ」


「神の鉄槌ってのは結構使われてそうなもんだけどなぁ」


「まぁ、そこはなんというか……、短くしていくと自然と似るものだろ?」


爆発エクスプロージョンの詠唱を擬音でやったら多分全員同じになっちゃうだろうしね」


 魔法を操る者にとって、詠唱を自分自身で考えたのか、誰かを真似をしたのかというのは永遠に謎のままだ。

「さて、木も一通り治し終わったし、最後の風魔法を見せるとするね」


「そうしてもらおうかな」

 今まで以上にどこか自信がありそうなリーナに疑問を覚えつつも、今までと変わりなく見守る事にするフレイ。

「大いなる風の精霊よ! 敬虔なる風の信徒である我の求めに応じ、大気を震わせ、空気を切り裂く幾重にも重なりし風を顕現させよ! ああ、強き風よ! そなたは全てを無に帰す存在なり! 今一度我が眷属となりて、力を振るわん! 我に立ち塞がらんとする咎人に裁きの風を! 颶風ウィンド・デッファー・ダーミネス! 」


「お、おい! ちょ、馬鹿野郎!」

 詠唱の長さからして嫌な予感はしていたが、魔法の行使がしやすい様に変化が加えられた完全詠唱など、魔法の使用者本人以外、何が放たれるのか分かったものではない。

 ただただ、魔力の流れを見ようとせずとも魔力が尋常ではない程集まっていることが直感的に分かっただけだった。

「あ、あれ?! そっちに行っちゃ駄目!」

 リーナが声を上げる少し前、絶望的な破壊力を持った風という分類はされつつも、風ではない何かとしか言いようがない魔法は、本来取るはずだった崖の方に向けての進路ではなく、フレイの方向、もっと言えば馬小屋や民家がある方向を目標に定めた。

「おいおい、嘘だろ……!?」

 魔法がフレイの目前に迫った時、咄嗟に魔力を集中させ、殆ど透明な障壁を魔法とフレイの間に創り出す。

 障壁は、フレイの前だけではなく城壁のように高く、広い範囲に、そしてもはや測ることは出来ないであろう薄さで多重に展開されていた。

「あ……良かったぁ……」


「危なかった……建物は治癒出来ないし、自分で直すのも無理だからな……」


「ごめんなさい。流石に調子に乗りすぎた。操りきれない魔法を使うなんて……」


「こんな町中で使ってみろって言ったのは俺だから、別に良いんだ。絶級魔法を使おうとされるとは思わなかったけどな……。てか、あれはほぼ完成してるだろ」


 実戦で使える程度まで詠唱を縮めるという段階は険しいが、方向の制御は魔法さえ完成させられるようになれば案外容易いものだ。

「そうかな?」


「これから地道に練習していこう。水魔法と風魔法が特に凄くて、全体的に詠唱してからの魔法の完成も速い。立派だと思うよ」


「――うん! そういえば私、フレイが治癒魔法苦手な理由分かったよ」


「――え? ずばりなんでだ?」


「あんなに強力な防御魔法使えるんなら、そもそも怪我をしない! 何か違う?」

 急にどこか怒ったような顔になり、そう言ってくるリーナ。

「いや、別にあの魔法が使えるようになる前から治癒魔法は練習してて、それでもからっきしだったんだけどな……」


「防いで貰えなかったら、フレイと町が大変な事になっていたけど、自分だけじゃなくて町まで守れるようにフレイが咄嗟に発動した防御魔法で私の精一杯の魔法が消えるなんてとも思っちゃうよ……」


「障壁は一枚じゃなくて多重だし、半分は割られたけどな……多分十枚はあったぞ?」


「そういう問題じゃないもん……」

 どうやら余計な事を言ったらしい。


「――買い物に行くか……、ほら! リーナの服とか買わないといけないんじゃないか? 毎日同じやつ着る訳にも行かないだろ?」


「特別な素材で出来てるから基本的に汚れないし、清潔なんだよ? この服は」

 また余計なことを言ったかもしれない。


「い、いや! じゃあ、気に入った可愛い服とかあれば買ったらいいさ。それに食べ物とか」


「食べ物って言った……?」


「え? ああ。言ったけど?」


「よし! フレイ行くよ!」

 先程のちょっぴり理不尽な怒りはどこへやら。明るいリーナに戻るのだった。

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