第49話 隠していた事


「要くん、ごめんね……。いきなり泣いちゃって」

「いや、さっきのは僕が百パーセント悪いよ。黒木さんが謝る事じゃないよ」


 リビングのテーブルに腰掛ける黒木さんの前に僕はお茶を出す。


 偶然にも由花と母さんが外出していてくれて助かった。

 こんなところを見られたら、どんな事になっていたか。


「要くんの家、入るの二回目だ」

「ん、そういえばそうだね。ほぼ毎日迎えに来てくれてるけど、入るのは初めて迎えに来てくれた時以来だよね」

「……うん」


 黒木さんはゆっくりとお茶を啜る。


 あの時も、黒木さんはこの席に座っていたな。

 つい最近のはずなのに、もうずっと前のことみたいだ。


「少しは……落ち着いたかな」

「うん」


 笑顔を浮かべる黒木さんの目は少し赤い。

 本当、反省しないとな。せっかく話しづらい事を黒木さんががんばって話そうとしてくれたのに僕が台無しにしてしまった。


「さっきの、話だけど……」

「!」


 黒木さんが口を開いた瞬間、身体が震えた。

 先程の失敗が脳裏をよぎって緊張が走る。


「う、うん……」

「聞いて、もらえるかな。最後まで」


 意外にも、黒木さんから話しの続きをすると告げられる。


「大丈夫……なの? 無理して話す事は、」

「ううん。聞いてもらいたいから……要くんに」

「僕なんかで本当にいいの?」

「うん。要くんに……聞いてほしい」


 親しい間柄である高森先生ですら知らない話しを僕が聞いてもいいのだろうか。


 それを確かめるように視線を黒木さんは向ける。

 しかし、僕の目に映る黒木さんの目は真剣だった。

 それなら、僕も覚悟を決めよう。

 その要望に応えれる精一杯の誠意で応えよう。


「分かった。でも、本当に無理はしないでね」

「うん、ありがとう」


 それから、黒木さんは深呼吸をしてから僕の目を見て話し始める。


「私は、昔から服を作るお母さんが大好きだった。私の世話もしながら服も作って。私が生まれる前は今みたいに和服に関わる仕事をしてたんだけど、結婚してからは趣味で洋服を作ったりもしてくれてね。服に興味を持ったのもそれがきっかけ」


 普段の黒木さんと違い、声がよく通る。

 間をあける事もなく話しは続いた。


「でも、お父さんが仕事で忙しくて家族との時間が減っていくのがお母さんのストレスになっていたみたいで離婚の話しが出た」


 そして、話しは離婚当時の事へ。


「私は、家族が離れ離れになるのは嫌だった。少しでも二人の仲が良くなるように、子供だった私はとにかくお母さんを元気付けようと笑顔で接してたの……」


 言葉を区切ったところで黒木さんの表情が曇っていく。


「そしたらある日、言われたんだお母さんに……」


 僕は、ごくりと喉を鳴らす。


「なんて、言われたの?」


 おそらく、今言おうとしている事が、黒木さんがお母さんに会おうとしない理由なのだとすぐにわかった。

 僕は次の言葉に備える。


「どうして笑っていられるの、あなたの明るい声なんて聞きたくない……って」


 それは、この前に見た黒木さんのお母さんからは想像もつかない言葉だった。


 ストレスというものは怖い。

 溜め込み過ぎると、自分の意識とは外れた言動をしてしまう。

 その時の黒木さんのお母さんも、おそらく……。


「お母さんが本気でそう思っていたのかは分からない。でも、その時は私にも悪い原因があって、もしかしたら離婚の原因も私にあるんじゃないかって思ったの」

「……っ!」


 それを聞いて、自然と涙が出た。

 そんな事ないと、言ってあげたかったけど声が出ない。

 僕はふるふると首を横に振ることしか出来なかった。


 黒木さんは俯いたまま続ける。


「だから私は自分を変えようと思った。下手に明るく振る舞って誰かを傷つけないように。これ以上、あんな思いはしたくなかったから」


 もしかして、黒木さんが普段から誰かと喋ろうとしないのは……、そのことがあったから。


「それからお母さんと会うのが怖くて。面会もしないまま高校生になって……」


 黒木さんは最後に息を吸って言った。


「私を見てお母さんがまた傷つくかもしれないし、それならもうこのままでも良いかなって思ったんだ」


 僕に笑顔を向けてそう言った黒木さんの表情は全然笑っているようには見えなかった。

 口角は上がっているけど、それが作り笑いなのは一目瞭然だ。


 黒木さんは傷ついたままでいいの?


 その言葉が出なかった。

 そんなに苦しそうな顔をして自分はどうでもいいような言い方。

 自己犠牲。

 まさに黒木さんがしていたことはその言葉そのものだった。


「黒木さんは……会いたくないの? お母さんに」


 唯一出たのはそんな言葉。

 

 黒木さんがまだお母さんのことを好いているのなら、本当は会いたいんじゃないか。そう思った。


「……会いたいよ。でも怖くて、本当に私の事が嫌いならもう会わない方がいいんだよ」


 そう、なのかな。

 昨日会った時は、そうは思えなかったけど。


 高森先生の前だからか?

 いやでも、昨日帰り際に見た美沙子さんの表情は……。


「要くん、ありがとう」

「あっ、いや」


 色々と考えていると、黒木さんが席を立った。


「帰るの?」

「うん、話しを聞いてもらえて嬉しかった。でも、玲ちゃんには内緒だよ」

「う、うん」


 口の前で人差し指を立てる仕草を見せて、通学鞄を持って部屋を出ようとする黒木さん。


「あっ、送るよ」

「ううん、まだ真っ暗じゃないから今日は大丈夫」


 玄関先で送ると伝えると、やんわりと断られてしまった。

 あんな事があった後だ。少し一人になりたいのかもしれない。


「黒木さん、最後に一つだけいいかな」

「うん……」

「どうして僕に話してくれたの?」


 素朴な疑問だった。高森先生にも話した事のない事をどうして僕に教えてくれたのか。それが気になった。


「……き、だから」

「えっ?」


 とても小さな声だったから聞き取れなかった。

 聞き返すと、今度は息を吸って少し声が大きくなる。


「要くんが頼れる人だから、かな」


 少しだけ晴れた表情を浮かべながら黒木さんは笑った。

 さっきとは違い、今度はちゃんと笑っていた。


「じゃあ、また明日」

「あ……」


 それを最後に、黒木さんは僕の家を後にした。


「頼りに……」


 僕は一体、彼女に何をしてあげられるのだろうか。


 黒木さんが僕には話してくれたのには意味がある。

 あの話しを聞いて、何も思わないわけがなかった。


「僕に、できることはあるのか……」


 黒木さんの言葉が頭から離れないまま、文化祭の当日は刻一刻と迫って来ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る