第46話 母親
「あの、
「ノーコメントだ」
「まだ何も言ってませんよ……」
和服店の帰りの車内で僕は先程の件を切り出す。
明らかに先生は急いであの場を後にした。
その理由を僕は知りたかった。
「なんだ?」
「どうして職員会議があると嘘をついてまで店を出たんですか? 今日は会議とかは無いって言ってましたよね」
「…………」
先生は真剣な面持ちで運転を続ける。
僕の問いかけに答えるか否か。何か事情があっての事なのは見ていれば分かる。
「……お前がいたからな」
「僕がですか?」
「ああ、私だけだったら長居しても問題なかったが。お前がいればそうせざるを得なかった」
「それはつまり、俺が同行しない方が良かったと」
「いや、そういうわけじゃないんだ。お前を連れて来たのは私の意思だし、それ自体に嘘はない」
「それじゃあ、さっきのは」
「…………」
そこで先生はまた黙り込む。
もし言いたくない事であれば追求するつもりはないが、なんだか物寂しい表情を浮かべているのが気になった。
「少しプライベートな話だからな。他言しないと約束できるか」
「……努力します」
「ははっ、お前は素直だな」
先生は僕の言葉にいつも通りの笑顔を見せた。
一体これから聞かされるのは、どんな話なんだ。
「お前は、
「店長さん……ですか」
「ああ」
確かに和服店の店主である冴島さんについてはいくつか気になった事がある。
その中で、感じた印象として挙げるのであれば。
「どこかで会ったことがあるような気がしました。というより、誰かに似ていたようなそんな感じです」
「その誰かって、具体的には誰だ?」
「それは」
髪が長く和服の似合う大和撫子という言葉が似合う程に美人な冴島さん。
僕はあの整った顔立ちに近しい人物を知っていた。
「黒木さん……」
そう。冴島さんからはどこか黒木さんを思わせる面影があった。
「黒木さんと少し似ているなと思いました」
「……そうか。やっぱり親子だからな」
「えっ、それって」
「そのままの意味だよ。美沙子さんは
その言葉を聞いて、僕は一瞬言葉を失った。
「あ、あの……」
「ん?」
「黒木さんのお母さんって、亡くなってるんじゃ……」
「……岬がそう言ったのか」
先生は視線をフロントガラスに向けたまま寂しそうな声で聞く。
「いえ、前に家に来た時に。お母さんは居ないと言っていたのでてっきり」
「そういえば、私がお前の住所を岬に教えたんだったな。今も来てるのか?」
「毎朝迎えに来てくれていますよ」
「そうか、仲が良くてなによりだ。お前も最近は朝早く登校するようになったし。一石二鳥だな」
「はい。……って、今はそんな事よりも」
「ああ、美沙子さんの話しの続きだが」
危うく話しが脱線しかけていたが、すぐに軌道を修正する。
「私と岬が従姉妹だというのは知っているよな」
「はい。黒木さんの父方の親戚なんですよね」
「そうだ。岬は今そのお父さんと二人で暮らしている」
「それじゃあ、冴島さんは」
「岬が小学生の頃に離婚して。今は一人で暮らしているんだ」
「なるほど。それで」
お母さんが居ないって言ったのか。
黒木さんから初めてその事を聞いた時。あの場には僕の母さんも妹の由花も居たけれど。おそらく、僕を含めた全員が同じ考えに至ったはずだ。
「岬もそんなつもりで言ったわけじゃないと思うが、居ないなんて言われたらそう解釈するのも無理ないな」
「いえ、それは良いんですけど。今、冴島さん……。黒木さんのお母さんと黒木さんの仲ってどんな感じなんですか」
離婚にも色々あるだろうけど、親と子供が定期的に会うという話しを聞いた事がある。
「私が知る限り、離婚してから一度も会っていないらしい」
「そんな……。仲が悪いんですか?」
「いや、そんな事は無かったと思うが。岬も親が離婚した当時は小学生だった。だから色々と思うところがあるんだろうな。岬自身が会わないと言っているみたいだ」
「お母さんの方は……」
「美沙子さんは会っても良いと言ってくれている。お父さんの方も了承済みだが、二人とも岬の意思を尊重するとも言っていてな。私はたまに美沙子さんと会うからその時に岬の話はするんだが……」
黒木さんにそんな事情があったんだ。
簡単に話せるような内容では無いけれど、一度も黒木さんは今回の事について話してくれた事はなかった。
彼女にも抱えているものがある。
「どうして黒木さんはお母さんと会おうとしないんでしょうか」
「それは私にも分からない。昔は仲が良かったはずなんだが、何度聞いても首を横に振るだけで教えてくれないんだ」
「…………」
正直、今の僕なんかではなんの想像もつかない。
黒木さんのお母さんについて初めて聞いた時、悲しそうな顔をしていたのを今でも覚えている。
でも、生きているのなら会いたいと思うのが普通なんじゃないのかと。僕は思っていた。
「昔は岬も、よく笑う明るい子だったんだがな……」
先生がぽつりと呟いたその言葉は、隣を過ぎ去る大型トラックの音でかき消され僕の耳には入らなかった。
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