第3話 「天使の髪の毛」と交換

 天使の髪の毛と引き換えに、私は貰われた。

 物心ついた頃、すでに母は病床についていた。それはもう幼子にも理解できるほどに弱り切っていた。

 そんな二人の世話をやいてくれたのが、「坂木さかきのお兄ちゃん」だ。

 彼は、お話を書いているのだと説明してくれた。

 要するに、暇なのだろう。言葉にこそ変換できないが、当時の私はそう理解したはずだ。実際、手が空くと、坂木のお兄ちゃんは、本を読んだり何かを書いたりしていた。

 世に言う「お父さん」とは、こんなものかもしれない。

 少なくとも、母にはその気があったはずだ。恋焦がれる少女そのものだった。大げさではなく雪のように白い肌に、キラキラと輝く瞳。宝石みたいだった。

 ああ、でも、今なら理解できる。

 母は、失恋して私を産んだのだ。そうして、母の本当の願いとは、死に際に看病してもらうことなどでは決してなかった。凡庸な娘が望んだものとは、生涯でいちばん甘美なものであった。ああ、だから、坂木のお兄ちゃんは、石矢いしやのお兄ちゃんと仲良くしていたのだ。石矢のお兄ちゃんは、お医者さんだ。そして、彼が坂木のお兄ちゃんを見る表情は、母のそれと酷似していた。悔しいけれど、坂木のお兄ちゃんが、より心を開いていたのは、石矢のお兄ちゃんのほうだった。

 ばかだなあ。二人とも。

 こんな頭のおかしな人に出会わなければ、もっと全うに生きられた。母も、いや、きっとその瞬間、母は確かに幸せだった。

 それはそれとしてもだ。やはり、小さな子供には母親が必要なのである。いくら母個人の願いを叶えたからといって、娘である私には関係のない話である。生家は、看病のお礼にと小説家の物となった。要するに、私は寄る辺を失ったのである。酷い話だ。しかし、捨てる神あれば拾う神があると言う。私は、一人のお姉さんに出会った。後で、本当の姉になるのだけれど。私が「色っぽい」という言葉を初めて認識した時、それは義姉のことを指すのだと理解した。そう伝えたら、彼女は変な顔をした。でも、そう思って生きてきたのだから、仕方ないよね。

 呉紫織くれしおりさんには、母には無い魅力があった。何よりもまず、長くて綺麗な髪の毛。母はいつもバンダナだの帽子だのを被っていた。ああ、可愛くない。喉元まで出かかっては、飲み込んだ言葉。だから、あれは母の願いなどでは決してない。私が可愛い母を見たかっただけなのである。義姉はまた、幼子のように舌っ足らずの言葉を話した。なんだか聞いたことのない言葉もまぜこぜに使っていたようだったが、それがもともとひとつの歌でもあるように感じた。きっとよその国から来たお姫様なのだろう。彼女が時たま逸らす視線の先には、その国のことが見えているのだ。まあ、その通りだったのである。

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