第3話 電車と花畑



 電車の汽笛でようやく意識を取り戻した。それまでは完全に上の空だった。駅までは自転車で来たけど、それからほとんど記憶がない。


 僕たちは電車の窓に沿って付いている長い座席に座っていた。隣には真城さんが座っている。まだ、今の自分の状況が信じられない気持ちだった。


 というか……これって、デートじゃね?


 一人で「デートだよね?いやデートじゃないいやデートだろ」と無限問答を続けていた。意識すると、心臓の鼓動が早くなってくる。


 そんな僕の心情はつゆ知らず、真城さんの表情は穏やかそのものだった。ニコニコ笑いながら窓の外を眺めて「天気いいねー」と言ってる。やっぱりデートじゃないのかもしれない。もう、二人で出かけられるだけで何でもいいや。


「そう言えば、どこの神社に行きたいんだっけ?」

 僕は訊ねた。何処に行くかも知らずに頭を空にしてホイホイついてきたのだ。飴を餌にされて知らないおじさんについていく幼稚園児と同レベルと言える。


 真城さんはスマホを操作し始めた。「えっと……ここ」と指差して画面を見せてきた。神社のホームページが出ていて、文字と写真が載っている。僕はスマホを少し覗き込んだ。


 ……吉備津神社?


「自転車でも一時間ちょっとくらいで行けるんだけど、さすがに暑いからね」

 こう言いながら、真城さんは窓の外を見た。木造の家と田んぼの混じった景色が右から左へ流れている。蝉のうるさい鳴き声が想像で聞こえる。


 僕は真城さんが二人の間にある画面のホームページを、上から下にスクロールしてくれるのを眺めながら訊ねた。


「ここの神様って、桃太郎がモデルなの?書いてるけど」


「らしいね。あとはめっちゃ長い廻廊とかアジサイとかも有名とか」


 真城さんは少し画面を覗き込んで言った。フワッと良い匂いが漂ってきて、意識が一瞬飛びかけた。初恋の匂いがする、とクソ気持ち悪い事を思った。


 僕がギリギリでスタンに耐えたのもつゆ知らず、真城さんは続けている。


「割と近いから来たいと思っていたんだけど、なかなか来られなかったんだ。まだ大学に入って四か月だったし。だから『ついに』って感じなんだ」





 電車が着いて、無人駅を降りると案内看板があった。それを見ると、どっちに行けば何があるのか一目で分かるようになっていた。


 標識にしたがって二分ほど歩くと、いつの間にか参道に入ったらしかった。幅の広い松並木の道の両側に提灯みたいなのがドミノみたいに並んで立っている。それらを眺めながら歩いていると、いつの間にか巨大な鳥居の下に到着した。


 僕と真城さんは一緒に鳥居を見上げていた。僕はふと疑問に思った事を口にする。


「鳥居ってことはまだ何も見えないけど、ここはもう神社ってことになるのかな?」


「それが実は、、、そうなんだよね~。人の家に例えるとこの鳥居が門で、そこから家までの道。中のもう一つある本格的な赤い門が神門で、それが玄関みたいな感じだね」


「なるほど」


 分かりやすい説明、さすが神社マスターだ。教えて貰ってばかりで少し申し訳なくなったが、あれこれ話す真城さんは楽しそうなので、僕が聞き役でちょうどいいのかもしれないとも思った。


 僕らは鳥居の前で一礼してから、道の端を通って入った。真ん中は神様の通り道らしいから、人間の僕たちは遠慮して端を歩かねばならないらしい。


 さらに道が伸びている。まだしばらく歩かなければならない。鳥居から神社の姿が見えないという事実に、僕の知っている近所の小柄な神社とは違うと、少しばかりのカルチャーショックを受ける。


 階段を上がると、真っ赤に塗られた立派な門があった。これも国指定の重要文化財らしかった。門の前で再び並んで一礼して抜けると、本殿が目に飛び込んできた。


 その佇まいに僕らは数秒間、言葉を失った。


「わぁ……」と真城さんの感嘆の声が聞こえた。「いいなぁ……この空間にいるのが大好きなんだ。厳かさが広がっている静かな感じというか」


「確かにいいなぁ……」


 僕と真城さんはしばらく一緒に見入っていた。この建築はこの社殿独自の造りらしく、この神社の名前がそのまま、神社の建築様式名の一つになっているらしい。どうりで見たことがないはずだ。

 ちなみにこの知識は真城さんからではなく、さっき見たホームページにも書いてあったのを、横に立ててあった説明看板で復習したものだ。僕と真城さんは一文字も飛ばさずにじっくり読んで感心していた。


「神社は近所にあるのを正月の時に初詣するくらいしか関わりがないから、こういう本格的なのを見るのは初めてだ」


「全然違うでしょ?」


「うん」僕は素直に頷いた。「何というか、地元の遊園地しか行ったことなくて、そのノリでUSJに行ってしまった人みたいな感じだ」


「つまり?」


「ビックリした」


 真城さんはクスクスと笑っていた。実際、ウィザーディングハリーポッターの世界観はヤバかった。

 平日だからか境内に人はまばらで、社殿に近づいて見たり離れて見たり、違った角度から眺めたりと、じっくり鑑賞することができた。何枚か写真も撮った。


 やがて真城さんは背伸びをして言った。


「そろそろ、お参りしよっか。その後、廻廊に行きたいな。一番楽しみにしてたんだ」


 こんなにウキウキしている真城さんを見るのは初めてだった。僕までつられてウキウキしてしまってモンキーになりそうだった。





 社殿を右に抜けると、吹き抜けの長い廊下が伸びていた。目の前の廻廊はこの神社で最も有名な建物の一つらしい。廻廊の横にはアジサイが咲き乱れていて、これも一部のマニアからは有名らしい。

 この眺めに圧倒されながら僕は呟いた。


「この廻廊どこまで続くんだ?」


「本当に長いね。蛇のお腹の中を歩いているみたい」


 僕らはゆっくりと廻廊の中を歩いて行った。前方がまだはるか遠くにあるから終着点が見えない。早く到達しても得があるわけでもないから、散歩する気分でゆっくりと歩く。


 左手は小高い山になっていて、木々が生い茂っている。右側にはさっきのアジサイが咲いていたり、記念碑のようなものが置かれてあったりした。


「この柱、好きだなぁ」と真城さんが言った。何の変哲もない一つの柱を指差していた。


「柱?」


「うん、この時を経て木の色がくすんでいる感じ」


 その柱は黒茶色に変色して、とうの昔に腐っているように見えた。いつ役目を終えて自ら割れて崩れてもおかしくない。そもそもこの廻廊は一五九一年にできたらしいから古びているのは当たり前だった。よく今まで残っているものだと感心させられる。


 真城さんは続けた。


「なんだか懐かしい気持ちにならない?ちゃんと少しずつ時は経っていると教えてくれるというか」


「まぁ、神社に来たら歴史を感じるしね。特にこの廻廊を歩いていると、分かる気はする」


「本当?」


「うん。真城さんの感覚とは違うかもしれないけど、人間よりも長い時間をかけて朽ちていく建物に感情移入するというか、それで諸行無常を感じるというか、上手く言葉にできないけれどそんな感じ?」


 僕は真城さんの方を振り向いた。


「うん、かなり近いよ」と真城さんは言った。「正解。九十二点」と付け加えた。


 僕が「やった」と微笑みながら喜ぶと、真城さんは「ふふふふ」と笑った。

 好きな人と同じものを見て同じ気持ちを共有するというのはなんて幸せなんだろう、と思った。


 廻廊の横に植えられている花はアジサイが多めだった。僕の頭の中でも次々と色とりどりの花が咲いてお花畑になり、花粉が頭皮から漏れ出ている。

 意識がポワポワしてしまって、外界の情報が少しぼやけて感じられる。音も景色も全てがどこか遠い。幸せ過ぎるんだが? 


 真城さんはじっと柱を見ていた。


「長い時間経っても誰かが見ててあげないと、変わってるかどうか分かんなくなっちゃうんだよ。きっと」


 そっと真城さんは柱に左手を当てた。そして僕に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟いた。


(久しぶりだね)


 何かボソッと言ったような気がしたけど聞こえなかった。



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