二組目 イツヤコ

「ヤコちゃーん! 聞いて聞いて!」


 ポニーテールが大きく揺さぶられ、わたしは後ろ髪をひっぱった。髪型は崩れていないわね。シュシュのタグも出ていないみたい。色つきリップの塗られた口元をほころばせる。


「なあに? そんなに急いで。アップルティー飲む?」

「そういうつもりで調理部を覗いた訳じゃないのに。ヤコちゃんすきー!」

「もう。口が達者ねぇ」


 わたしはティーポットを手に持った。持ち手には金色の三つ編みがあしらわれている。長い髪の主は、王子を抱きしめていた。


「それ、ラプンツェル? 長い髪がきれい」

「そうでしょ? わたしのお気に入りなの。いつでもお姫様気分になれるから」

「ヤコちゃんは童話が好きだよね。文房具もコスメも童話モチーフじゃなかった?」


 やだ、覚えてくれたの嬉しい。三つあげちゃお。

 わたしは冷ましていたブラウニーを切り分けた。


「だって可愛いもの。しかも、親に隠れてこっそり集めていたものを、堂々と使えるようになったのよ。部費で買う食器も、遠慮なくわたし好みにさせてもらったわ」

「ほかの部員の意見は聞いたの? いくら少人数の部活って言っても、ヤコちゃんの独裁はまずくない?」


 独裁とは聞き捨てならないわね。ハートの女王様のように、家来をこき使ってはいないわよ。


いつきはわたしに任せるって言ってくれたわ。部長直々にお願いされるくらい、信頼されているのよ」

「それ、信頼じゃなくて丸投げじゃない? 御影みかげは単純にヤコちゃんが怖いんじゃないの? 見た目も性格も正反対だし」

「とってもいい子よ。それで、話したいことってなあに?」


 来週の花火大会に着ていく浴衣を相談された。昨日までは行く気がなかったはずなのに、さては告白されたのね。よりアドバイスに力が入るってものよ!


「話聞いてくれてありがと! そろそろ御影が帰ってきそうだから退散するね! あの人、急に背後にいるから心臓に悪いんだよね。ヤコちゃんからそれとなく伝えておいて」

「分かったわ」


 ドアが閉まったのを確認して、わたしは部室の隅に置かれていたウサギの着ぐるみを見る。


「樹、いつまでそんなところに入っているのよ? 急に陽が満ちたなんて言って、びっくりしちゃったわ」


 ウサギの頭を取ると、青い顔をした樹がいた。いいえ、青い顔は通常運転だったわ。真夏でも雪のように白い肌なんだもの。


「影が薄い御影なもので」

「そんなに卑屈になっちゃだめよ! せっかくの美人さんなのに肌も心も荒れちゃうじゃない!」


 樹の前髪をヘアクリップで留める。顔のほとんどを隠しちゃってもったいないわ。樹のクラスメイトも怖がっていたらまずいもの。三泊四日の修学旅行で誰とも会話しないのはつらすぎるわ。あと三週間で樹を変身させなきゃ。まずは最低限のコミュ力を上げるところから始めないといけないわね。


「樹のクラスは京都に行くのよね。わたしは東京なの。八ツ橋が食べたかったわ。おみやげに買ってきてちょうだいよ」

「……」

「あ。やっぱり、かんざしも捨てがたいわね。がま口ポーチも気になるし、どっちがいいと思う?」

「……」

「どっちも買ってきてくれるの? 樹は太っ腹ね!」

「……」


 樹の無言が怖い! またウサギの皮をかぶろうとしてるじゃない! 変身計画はうまくいかないわね。

 机に突っ伏すと、樹がわたしのカップにおかわりを注いでくれた。


「一年生、たくさん入ってくれたから、ちょっと奮発、する」

「本当?」


 樹の両手を握ると、心なしか毛が逆立った気がした。


「いつまでウサギでいるつもり? 今はわたしと二人だけよ?」

「ウサギじゃないと意味ない」

「不思議の国のアリスのティーパーティーってこと? 素敵なはからいね!」


 帽子屋はいないけれど、物語の中に入った気分になる。樹はしみじみと言った。


康生こうせいくんに少しでも喜んでもらえてよかった」

「こら! わたしのことはあだ名で呼んで! 嫌いなのよ。自分の名前!」

「山田康生が? かっこいいのに」


 胸をぎゅうんと掴まされたのは、照れではなく驚きだと思いたいわ。


「か、かっこよさはいらないの! わたしはどっちかと言うと、可愛いって言われたいわ! だから学ランじゃなくてブレザーが着られるところを選んだの!」


 女子のスラックスが許可されている学校もある一方で、男子のスカート着用は少ないのよね。樹が履いているチェックのスカートが羨ましいわ。

 わたしが溜息をついていると、樹はぼそりと囁いた。


「新色のリップ、似合ってる。可愛い」

「そ、そりゃあ、わたしは何でも似合うもの。可愛いのも、当たり前よ!」


 わたしのバカ! 素直にありがとうって言いなさいよ。性格に可愛げのない子は嫌いなんでしょ。初めてリップを変えたことに気づいてくれる人が現れたのに。自分から可愛いって言うのは抵抗ないのに、どうして人から言われると拒絶反応が出ちゃうかな。


 目をそらすと、樹の手が頬を包み込んだ。鼻にもこもこの感触がした。


「ひゃっ。くすぐったいわ!」

「……」


 ウサギは一瞬だけ固まると、ショートへアをあらわにした。


「いつも選ばない色にチャレンジしたのは、キスしてもらいたいから? ヤコはおねだりが下手だよね。夏祭りの誘いも、わたしから言われるの待ってるしさ。正直になりなよ。ヤコがしてほしいこと全部叶えてあげる」


 ウサギだと思っていた生き物は、ドSの牙を隠し持っていたらしい。

 返事に困りに困ったわたしは、立ち上がって樹の肩を掴んだ。


「誰が好き好んでまどろっこしい真似するのよ! 下手なんて言ったこと、訂正させてやるわ!」

「……」


 どうせヤコには、おでこのキスしかできないって思っているんでしょ。いつも涼しい顔しちゃってムカムカするわ。樹の頭の中、わたしでいっぱいになったらいいのに!


「ん~!」


 樹との距離が縮まらないのはどうしてなの?

 必死で顔を近づけるわたしの両手が掴まれる。


「いつまで待たせるつもり? 焦らさないでよ」

「そんなつもりないわよ。樹こそ、ちゃんと待てしなさい!」

「恋人と四日も会えないのしんどすぎる。今のうちに補給させて」


 わたしは樹にされるがまま、深いキスに落ちていった。

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