4 霊的現象

 明石あかし呼道こどう家から出た後、再び家という名の学校に戻った。

 彼は家がないので学校の元調理室(現部室)を家代わりに使っているのだ。


 がらがら、と音を立てて元調理室のドアを開け、中に入る。

 今日は土曜授業もないので、いつも静かな部室がより一層静かだった。


(思考に耽るには丁度いい静けさかな)


 そう考えて椅子に座り、目を瞑って瞑想を始めた。




 音楽が聞こえる。

 気が付くと、夕方の五時だった。

 瞑想していると、時間を忘れてしまうのが明石の悪い癖だ。この部活動をやる上においては、才能と呼べるのかもしれないが。


 ガサゴソ、と持ち物を整理する。

 きっと今夜、この事件は解決する。

 そう思いながら、明石は学校を出た。






 夜道は暗くて分かり辛かったが、記憶を辿って呼道家に着くことができた。だが、まだ六時。霊的現象は起きていないだろう。

 彼らに来たことを気付かれるわけにはいかないので、少年は屋根の上に上ることにした。


 もし誰かに見られていたら余裕で通報されていたと思うが、大丈夫だったらしい、サイレンの音が鳴り響くことはなかった。


 屋根の上で仰向けに寝転がると、いくつかの星が見えた。特に詳しいわけではないので、どの星がどんな名前なのかとかは分からないが、ただ綺麗だな、と思った。

 街灯が無ければ、もっとたくさん見えたのだろうか。


 腕時計のバイブレーションだけのアラーム機能を、夜の一時くらいに設定しておく。瞑想を始めると、気が付くと朝になってしまう可能性があるからだ。それと、万が一寝てしまったときのため。夜だと瞑想している最中に寝かねない。


 そうして、屋根の上で胡坐あぐらを組んで再び瞑想を始めた。




 ヴー、ヴー、と、時計が一時を教えてくれた。

 きちんと瞑想をすることができた。これならきっと大丈夫だ。

 ……霊的現象の気配がする。

 明石は屋根から飛び降り、玄関のドアを開けようとして鍵がかかっていることに気が付き、蹴り飛ばした。


 かかってこいよ。

 さあ、霊明部の力を見せてやろう。




 ドアを蹴り飛ばした後、一応靴は脱いで奥へ進む。

 前に探索したときに部屋の配置は覚えている。呼道の母親の寝室のドアを勢い良く開ける。


 すると、首を押さえて叫ぶ呼道母がいた。

「――――‼――――――‼」

 背後に居る真っ黒な小柄な男が首を絞めている。


 それを見て、霊明部部長は叫ぶ。

「おい、呼道!呼道千利こどうせんり!来い!今からお前の母親を助ける!」

 すると、後ろから、驚いた顔をした後輩が現れた。

「え、カギ閉まってたのにどうやって入ってき」

「うるせえ!」


「なあ、千利。俺は朝ここで説明したよな。認識が対象に従うんじゃあなくって、対象が認識に従うって」

「はい」

「だからさ、こういうこともできるって話なんだよ!」


 パチン、と明石が指を鳴らすと、明石の右側の床に、何か禍々まがまがしく光り輝くうずができた。

「来いよ、【シャイン】。遊ぼうぜ、あのバカ野郎とさァ!」

 そして、渦から現れたのは、全身が光り輝く中性的な少年(?)だった。足元まで伸びた髪でさえも美しく輝いている。まるで彼自身が光であるかのようだった。

 その顔は、美しい女性のようにも見えるが、美青年にも見える。どちらにせよ、少年のような闘志がたぎっていることには間違いなかった。

 そして、ニヤリと笑うと、光のような速さで呼道母の首を絞めていた黒い男の影を右手の拳で殴った。その後すぐさま左手で頭を鷲掴みにし、床に叩きつけた。

 その間に近づいていた明石がしゃがみ、影の頬を掴む。

「はっ、やっぱりか。お前の正体は」



「呼道千利。お前だな?」



 名前を呼ばれた本人は、驚いた表情で呆然としていた。

 明石は影の頬を掴んだまま続ける。

「きっと、明確に霊的現象を使って母親を殺そうなんてことをしていた訳ではないだろう。でも、確かにお前の中には、母親を恨む気持ちが、殺意が。濃厚に積もっていってたって話だ。母親が幽霊に殺されるって言ってても、心の中では喜んでた。違うか?」


 千利は何も言わず、気まずそうに目を背けただけだった。

 だが、明石にとってこれは答え合わせになった。今度は千利の母――――呼道弘子こどうひろこの方に話しかける。

「と、いう訳だ。で、アンタは。息子に恨まれるようなことに思い当たる節があるんじゃあないのか?」

 少年の問いかけに対し、呼道弘子は俯くだけだった。


「アンタはこのままで良いのか?息子に恨まれてて、殺したいとまで思われている。そんな状態で、母親としての心は一ミリも動かないのか⁉」

「…………」

「解決できるチャンスは今だけだ。ここで何もしないなら俺はもう二度と助けに来ないぞ。明日の夜も、明後日の夜も、その次も……ずっと息子に殺されそうになる日が続くことになる。いずれ本当に死ぬかもしれない。それでも良いのか?」


 ここまで言って、ようやく呼道弘子は口を開いた。


「……私、不倫をしたの。正直旦那との結婚なんて金目当てで、裕福な暮らしをしながら若い男と遊ぼうと思ってたのよ、初めから。鈍感で便利な旦那だと思ってた。私がいくら遊んでいても、疑いもしないんだもの。でも、そんなことはなかった。ある日突然、消えたのよ。離婚届と、少しのお金を置いて。それでようやく、私は見逃されていただけだったって気が付いた」

「でも、もうすべて遅かったの。ずっと一緒に遊んでいた若い男だって、きっと私の体とお金しか見ていなくて。それでも私には彼しかなかった。だから、その残された少しのお金も彼につぎ込んだし、毎週家に呼んでセックスもしてた。きっと、私のことを愛してくれる日が来ると信じて」

「確かに、ただでさえ少ないお金を男につぎ込んでいたのは申し訳ないと思っているし、自宅で親が知らない男とセックスしてるなんて、子供からしたら最悪よね」


「ごめんなさい、謝るわ。これからはもっとあなたのことを考える。だから、どうか許してほしい」


 呼道弘子はその場で息子に土下座をした。頭を床に擦り付けて。


 その土下座の宛先は明石じゃない。そんなことは分かっている。だが、彼が呼道弘子を許さない。

「そこで男と別れるって言えないで薄っぺらい土下座しかできないから、お前はどうしようもないクズなんじゃあないのか?」

 明石はまだ続ける。

「子供に殺したいなんて思われるの、よっぽどだよ。子供なんてのは、無条件に親を愛する――――いや、愛したい生き物なんだ。それをどうしたらここまで捻じ曲げられる!」


 しかし、呼道弘子も反論する。

「あなたに何が分かるの!これは私と千利の問題なの。私がクズなんてのは分かってる。息子のことをよく考えてなかったのだって。でも、あなたに言われる筋合いは無い。外野は黙ってて!」


「外野じゃねえよ」

「少なくとも俺は、他人事には思えない」

 明石は、淡々と告げる。

「だって、俺も霊的現象で親を苦しめた末、んだからな」


「「⁉」」

 呼道親子は揃って【シャイン】の方を見るが、彼はニヤニヤと笑っているだけだ。


「だからさ、千利。お前が親を殺したい気持ちは嫌なくらい分かる。でもさ、どれだけ気持ち悪くたって親は親で。殺したらきっと胸糞悪いぞ」


「……でも、僕はこの人が嫌いです。きっと、わからないけどきっと。心が殺したいって言ってて。許せないって叫んでるんです」


「まあ、そうだよなあ」

 明石はため息をついて、しかしまだ彼の瞳には光があった。

「じゃあ、二人とも。見てろよ。今から希望の光を見せてやる」

 そう言って、明石はまた指をパチンと鳴らした。

「【妄想空間ディリュージョンゾーン】」

 すると、寝室だった部屋が、どんどん塗り替わっていく。


「これが、対象を認識に従わせる技の神髄、かな。自分の脳の中に思い描いた世界を作り上げるんだ」


 そうして出来上がった世界は、病院だった。

 ベットに横たわった女が、泣きながら赤ちゃんを抱いていた。

 元気な男の子ですよ、と隣に立っていた看護士が言うと、女は本当に嬉しそうに笑っていた。


 今度は、どこかの家のリビングだった。幽霊が出そうな家だが、その真ん中に寝かされている赤ん坊はとても幸せそうに笑っていた。それを見て、同じ空間にいた女は本当に嬉しそうに笑っていた。


 次は、七五三の場面だった。

 次は、幼稚園の入園日だった。

 次は、運動会。

 次は――――――。


 明石の【妄想空間ディリュージョンゾーン】が終わったころ。

 呼道弘子は涙を流しながら呆然と固まっていた。


「ああ、そうだった。私は。千利を育ててた時は幸せだったんだ。千利のことは、本当に、心の底から好きだったんだ。愛していたんだ。なのに、どうして」

 そう言いながら立ち上がった女は、きっと、さっきまでとは違った。


「ごめんなさい。あなたが私を許してくれなくてもいい。それでも、謝ります。殺されても文句も言えないことを私は今までしてきた。男とは別れるし、今までより仕事も増やして、あなたが不自由ない生活が送れるようにする。だから、一緒に生きていきたい」

 とてもきれいに頭を下げた。その覚悟を感じ取った明石は、今度は何も言わずに後輩の方を見た。


「……ごめんなさい。僕はあなたを許せない。あなたが本当に反省しているのは分かっている。だけど、それでもやっぱり、もう無理なんだ」

「……分かったわ」


「先輩。僕はきっと、一生母を許せない。このまま母と生活していたら、また霊的現象で苦しめてしまうと思います。僕は、どうすればいいでしょうか」


「そうか。……一応ひとつ、方法はあるにはある。だが、本当にいいのか?」


「はい、覚悟はできてます」

 千利は頷いた。

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