夜桜散華 8

 朝食をとって、少し時間を開けてから外出許可をとった。

 ヤマブキはもうシミュレータで訓練している。


 正面玄関でテツは待っていた。

 細い煙草を吸っている。

 ふと姐も煙草を吸っていたな、懐かしい思い出が蘇る。


 基地を出て喫茶店へ。

 マスターはいつも通りコーヒーカップを磨く。

 散華と敵地の男が来店しても、目線をちらりとやっただけで表情は変わらない。


「コーヒーと、サクラは」

「リンゴジュースで」


 マスターは小さく頷いて、あの壁一面の引き出しから数種類の豆を計量する。

 席について店内に流れる曲を聞く。

 いつも聞くのは飛行機のジェット音だから、なんて心地良いだろう。

 テーブルの上にはクレマチス。


「マスター、好きだな。クレマチス」


 コーヒーとリンゴジュースを持ってきたマスターに言うと、


「好きではない」


 ぶっきらぼうな返答。

 すぐにカウンターの内側へ戻る。


「マスターが喋るなんて珍しい。仲いいの」

「いや、全く。面白いなと」


 砂糖もミルクも入れずにコーヒーを飲む。

 ちらほらと話を繋げ、ジュースが半分ほどになる。

 昼まであと少し。

 ふと、口から溢れる。


「姐がね、手記を残してくれて。でも読めない」


 どうして、とも言わずにテツはテーブルのクレマチスの残葩を指先で遊ぶ。

 ぷつんと花弁がとれる。


「読めないなら読まなくていいと思う。でも、後悔はするだろうね。例えば、空戦中に機体に大穴開けて海面に突っ込む瞬間に」


 テツの言葉に温かみはない。

 温度を下げて抑揚もない。


「何が書かれているか知らないけど、俺なら読むよ。どんな事実があって、教え込まれたことがひっくり返ってもね」

「空を飛べなくなるんじゃないかと」

「どうであれ飛ぶ義務がある。精神崩壊したって身体がボロボロになったって」

「散華でいられなくなったら」

「雑魚として死ね」


 テツが優しく微笑む。

 目は笑っていない、その不気味さから目を逸らす。


「俺はいろいろ知ってるよ。空飛んで長いし、選抜隊も長い。終わらない戦争の裏も知ってるし、教育期間に学んだことも嘘だって気付いたのも昔のこと。でも俺は飛んで撃って殺してる」


 飛べるよ、何を見て、何を知っても。

 テツはマスターに2杯目のコーヒーを注文した。

 それを飲んでまた柔らかく笑う。


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