夜桜散華 7


 早朝、何故かいつもより早く目覚めた。

 音をたてないように着替えて部屋を出る。

 行く宛もなく愛機が眠る格納庫へ。


「おはよう、早いね」


 テツがいた。

 薄紫色の飛行服に身を固め、髪はまだ結わえてない。


「どうしてここに」

「何となく。行く宛もないし。君は」

「何となく」

「なるほどね」

「でもここに入るのに許可は」

「サトウさんって整備員に」


 サトウか。

 サクラは愛機の翼に飛び乗った。

 機体が少し揺れる。

 暖機もしていない気温も上がらない早朝の機体は、ひんやりとした無機物。


「翼の上が好きなの」

「うん。操縦席の次に」

「それは分かる」

「綺麗な曲線で、滑らか。芸術品なんだ、飛行機って」


 翼を撫でる。


「綺麗だよな、見るだけならば」


 テツを見下ろす。

 こちらを見つめるテツの目が、翼よりもずっと冷たい。

 そうだね、と肯定の言葉が遅れる。

 一息短く吸って、翼から降りる。

 格納庫の大扉を押し開けると、目の前には滑走路が広がる。

 朝靄で視界が悪い滑走路は寒い。

 雑草が朝露をまとって仄かに煌めく。

 嫌に高い鳴き声の鳥が遠くに。

 隣にテツ。


「ライチの滑走路もこんな感じ。すぐ海が見える。戦闘から還ってきて燃料切れして海に落ちて」

「浸水の前に助けに行く」

「そう」


 足元の雑草を蹴って、朝露の滑走路へ。


「チフルをどう思います」

「いい基地だよ。喫茶店のコーヒーも美味しかった」

「そう。姐も好きだったの」

「フジか。フジはコーヒー苦手だったが」

「スイレン姐さんのほう」


 コンクリートの地面に2つの足音。

 桜の木へと無意識に向いていた足は、桜の木の下で止まる。 


「遅咲きか」

「そう。藤や山吹より遅い。でも睡蓮よりは早い」

「枝先が赤いな。あと1週間ほどか」


 テツが枝を手繰って枝先を見る。

 枝先は色付いている。


「姐さんはね、夜桜が好きだって言っていたんだ。私は青空快晴の桜が好き」

「夜桜はいいな。桜は花吹雪が綺麗で、ライチでも毎年見てる」


 枝を離す。

 滑走路の向こうに、日が昇る。


「いつ帰るの」

「昼に。まだ会議が残っているそうだ」

「そう」

「それまで暇だな。スクランブルも出撃もないんでね」

「そうね」

「暇なら喫茶店まで行くかい」


 敵と行くのか。

 一瞬迷ったが、暇に変わりはない。


「行く」

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