鬼籍睡蓮 3
出撃命令が出ないまま、午後までのんびりと格納庫の愛機の翼の上に座っていた。
胴体に背を凭れて、目を閉じる。
格納庫の中は昨日までの雨の匂いと潤滑油、燃料などの匂いが籠もっている。
ふと、スイレンは膝の上に手帳を開いた。
何気なく手記を綴る。
散華に抜擢された時々から、気がついたときに思うままに綴っている手記。
引っくり返して読んで見れば、懐かしい気持ちになりながら、同時に暗澹たる気分になる。
本当に自分が書いたのか、と思うこともある。
他人の日記を読んでいるよう。
この手帳は、持ち主が散った時に神酒を撒いて燃やす。
その場面に何度か立ち会った。
自分の姐が散った時も、そう、燃やした。
中身を読もうとは思わなかった、その手記にはその人の秘め事が書かれているから。
飛びたくない、散りたくない。
そんなことを読んでしまったら、自分もそう思ってしまう。
感化されるだろう。
スイレンは、愛機に描かれた睡蓮の花を撫でる。
この花は整備士のサトウが老いた手で描いてくれた。
浅葱色の花弁、新緑の葉。
愛機に自分と同じ花を描くのは昔からの仕来りのようなものだ。
サクラの機体にも桃色の桜が描かれている。
―――睡蓮は花弁を散らさない、花弁を閉じて枯れていく。
友人のモクレンが散ったとの凶報を聞いたのは数日後の朝。
立派に散っていったと直掩機の搭乗員は慟哭する。
スイレンは、その搭乗員がモクレンの恋人だったことを知っている、仲睦まじい2人だった。
昼前には、手帳を燃やした。
隣でサクラが泣いている。
たくさん可愛がってもらったんだ、悲しくないわけがない。
サクラの同期で、モクレンの妹パイロットのレンゲは放心状態でヘタり込んでいる。
「モクレン姐さん…」
レンゲの消え入るような声をぼんやり聞く。
スイレンは涙1つ流れない。
手帳が燃え尽き灰になると、風が攫っていった。
「いいパイロットだったのに、どうして」
何度も聞いた言葉だ、聞いたって逝った人間は戻らない。
「残念だったね、気を確かに」
モクレンの恋人にそう声をかける。
まだ泣いている。
やがて、
「菖蒲が描かれた戦闘機が、モクレンを落としたんだ。頼む、そいつを」
スイレンは菖蒲の戦闘機に覚えがある。
交戦経験がある。
かなりうまい、化け物のようなパイロットだった。
交戦して、勝てるかどうか。
しかし、スイレンはその恋人に気圧されて頷いた。
「分かった。早めに落とそう」
スイレンはその場を離れた。
サクラはまだレンゲを慰めている。
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