第5話(終) 想い出の始まり
「麻衣!」
真也は叫ぶ。
麻衣の身体は宙に浮いた状態でいたが、見えない何かが麻衣の身体を掴んでいることは理解できた。
麻衣は苦しげに顔を歪めた。
その光景に、真也は怒りを覚える。
「離せ鬼! 僕は、この手を絶対に離さない。二度と僕から大切な人を奪わせない。麻衣を返してもらうぞ!」
真也はありったけの力を込めて、麻衣の手を握る。
鬼が唸った気がした。
真也は見えない鬼に対し、ありったけの力を込めて拳を叩き込む。水を叩いたような衝撃を拳は感じつつも、突き抜ける。
その瞬間、麻衣を拘束していた力は解かれ、彼女の身体は真也の元へ引き寄せられた。
その勢いのまま、真也は麻衣の身体を抱きかかえる。
麻衣は咳き込みながら、呼吸を整えた。彼女は、涙目になりながら真也を見上げる。
そして、嬉しそうな顔を浮かべた。
麻衣の表情に、真也は胸を撫で下ろす。
しかし、まだ安心はできない。
鬼は真也達の前にいる。
麻衣を抱きしめたまま、真也は正面を睨む。
だが、そこには何も居ない。
いや、何かが居た形跡はある。
地面に残された足跡が、不自然に途切れている。
まるで、そこから先が消えてしまったかのように。
◆
真也は麻衣を病院に連れて行った。
鬼に襲われたなどということを言っても信じてもらえるハズはないので、斜面を滑落したという事情での入院となった。
幸いにも大きな怪我はなく、検査の結果も問題なし。
念の為一晩だけ様子を見るため、麻衣は病室のベッドの上に横になっていた。
「あれは、一体何……」
真也は窓の外を見ながら、麻衣に話しかける。その声には、麻衣に対する心配が滲み出ていた。
すると麻衣は、この地方での伝承を口にする。
この地の鬼は、人々の忘れ去られた思い出や未解決の感情が集まった存在だと。
人の心の中に埋もれた思い出や悲しみ、怒りなどの感情が鬼(隠)となって現れ、それぞれの持ち主を追いかけるのだと。
「なら、あの鬼は僕が……」
真也は、自分の中に渦巻く気持ちに気づく。
「たぶん。真也さんがお姉ちゃんを助けられなかった出来事が深く刻まれ、その感情が鬼となって追いかける存在となったんじゃないでしょうか。火災の出来事に関連して現れ、罪悪感や喪失感を象徴していた」
麻衣の言葉に、真也は自分の胸に手を当てる。
それは、確かにそうかもしれない。
あの時の、燃える旅館の中で見た佳奈の顔が、今も忘れられない。
自分のせいで死んだのではないか、という自責の念が真也を苦しめていた。
「僕は、何てことを。佳奈だけでなく、麻衣までも危険な目に遭わせるなんて」
そんな真也に、麻衣は優しく微笑んだ。
麻衣は真也の頭を撫でる。
その行動に、真也は驚き、戸惑う。
麻衣はクスリと笑った。
「ちゃんと名前で呼んでくれましたね」
その笑顔を見て、真也は思う。
やはり、麻衣は佳奈に似ていると。
佳奈も、真也が落ち込んでいると、いつもこうやって慰めてくれた。
その度に、真也は佳奈が好きだという気持ちを再確認させられる。
佳奈の事を想い出すと、真也は胸が締め付けられる。
だが、その痛みすら愛おしいと思えるほどに、真也は麻衣に惹かれていた。
「私、真也さんのことを、お兄ちゃんができたみたいで嬉しかったです。でも、お姉ちゃんが居なくなって、真也さんのことを見ていたら、その気持がどんどん大きくなってしまって……。
だから、今度は私が真也さんの支えになりたいんです。真也さんが辛い時は、こうして
麻衣はそこまで言うと、頬を赤らめる。
そして、小さな声で続けた。
「……分かりますよね。私の気持ち」
麻衣の問いかけに、真也は答えられない。
麻衣の事は好きだ。
それが恋愛なのか佳奈の妹としてのものか、真也には分からない。
ただ、真也にとってかけがえのない存在であることは確かだ。その麻衣の好意に応えたいと思う反面、佳奈の事を忘れるのが怖いとも思ってしまう。
そんな真也の心を見透かしたように、麻衣は口を開く。
「忘れていいんですよ。お姉ちゃんに怒られるのは嫌だけど、私は、真也さんに幸せになって欲しい。真也さんがお姉ちゃんのことで苦しんでいるのは分かっています。
でも、それでも、真也さんに笑っていて欲しい。これは、私のワガママなのかもしれませんけど」
麻衣の言葉に真也は、涙を零した。
「僕も麻衣には笑っていて欲しい。絶対に手を離さないって言ったのに……。僕は、また同じ過ちをする所だった」
真也は、溢れ出る涙を拭いながら麻衣の手を握り返す。
麻衣は、その手を両手で包み込むようにして握った。彼女の手は柔らかく、暖かい。
そして真也は、自分がもう、麻衣を妹のように見ていないことを自覚した。
この日が、真也と麻衣の、二人の想い出の始まりだった。
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