第4話 見えない道
ビニール傘の元に着いた真也は、山手を見る。
そこは、木々が生茂り、草木が覆い隠し、まるで獣道を閉ざすかのようだった。
麻衣は、この山の中へと連れ去られたというのだろうか。
足元を見れば地面の上を何かが引きずられた痕跡があった。
「麻衣ちゃん!」
真也はその跡を辿って、走り出す。
一歩進むごとに、不安は増していく。
見えない鬼。
そんなものが本当にいるというのだろうか。
不審者の見間違いではないだろうか?
いや、そんなことはどうでもいい。
今は、麻衣を見つけることだけが真也の頭を占めていた。
見えない道を突き進み、真也はようやく開けた場所に出る。
真也は周囲を探すが、どこにも見当たらない。
まるで、最初から誰もいなかったかのように静まり返る空間で、真也は立ち尽くす。
降りしきる雨の音のみが、真也の耳に届いていた。
その時、真也は背後から気配を感じた。
真也は振り返る。
そこには、樹木にもたれかかる麻衣の姿があった。
「真也、さん……」
麻衣は意識が混濁しているのか、焦点の合わない目で、真也を見た。
真也は麻衣の肩を抱き、彼女に呼びかける。
麻衣の呼吸は荒く、今にも消えてしまいそうなほど弱々しいものだった。
雨に濡れた髪が麻衣の額にはりついており、その表情は暗い。
麻衣は、真也の声を聞くと嬉しそうな顔を浮かべて微笑む。
そして、ゆっくりと口を開く。
その言葉は、とても小さかった。
しかし、真也は聞き逃さない。
「静かに」
その言葉の終了と共に、真也は聞いた。
雨音に混じり、微かに聞こえてくる水の膜を踏み潰すような足音を。
何かが近づいて来る。
一歩。
また一歩と。
麻衣を抱きしめながら、真也は後ろを振り返る。
何も居ない。
前方を見て、左右を見る。
すると、真也は右側を見た際、地面にある水が跳ね上がるの見た。
水飛沫が舞う。
実体は見えない。
だが、確実に何かがそこに居る。
近づいて来る。
真也と麻衣の眼の前の地面が飛沫を上げると共に、形を作って窪む。
それは大きな足跡だった。
その足跡から、真也は目を離せない。
麻衣は真也の腕の中で、息を呑んだ。
それは、人間などよりも遥かに大きく、恐ろしいもののように感じられた。
獣が喉を鳴らせば、こんな音がするのではないかと思うほど低い声が響く。
足音は、二人の前を通り過ぎて行く。
遠ざかり、周囲が静寂に包み込まれると、真也は大きく息を吐いた。
「……あれは、何なんだ」
真也の疑問に答えるように、腕の中の麻衣が呟く。
「鬼です」
その声は震えていた。
【鬼】
その語源は『
つまり目に見えない存在を指す言葉だった。
大陸から伝わった霊魂を表す「鬼」という漢字は後から当てられたもの。
当時の鬼は人間の目には見えないにもかかわらず、人間を襲い、切り刻んで食べてしまう恐ろしい存在として語られていた。
それだけでなく、人々を脅かす災害や、現代で言えばウイルスのような疫病も鬼と呼ばれていた。
その言葉に、真也は子供達が行っていた遊びを思い出す。
隠ごっこ。
あの時、子供達は鬼の事を見えない鬼と呼んでいた。
あれは、鬼から逃れるために、隠れたり逃げたりする行為を示していたのだ。
その実態は、鬼と遊ぶ子供の戯言ではなかった。
「音をさせないで。鬼は、音に反応して追いかけてきます。だから、静かにしてれば見つかりません。でも、見つかったら終わりなんです」
麻衣はそう言って、真也に寄り添う。
その声は震えていた。
真也は麻衣を、そっと立たせる。
麻衣はふらつきながらも立ち上がり、真也に背を向けた。
その背中は、真也にこれ以上迷惑をかけまいとする意思が込められていた。
「ともかく。ここから逃げよう」
真也の言葉に、麻衣は首を小さく振る。
雨に打たれ続けた麻衣の体は冷え切っており、震えていた。このままでは、麻衣は風邪を引いてしまうかもしれない。
麻衣は口元を抑えて、小さくクシャミをする。
緊張が一気に
真也は自分が着ていた上着を脱ぐと、麻衣の肩にかける。
麻衣は驚いた様子だったが、そのまま羽織った。
その時、雨音とは別の音が、二人の耳に届く。
それは、二人の背後から聞こえてきた。
麻衣の表情が凍った瞬間、彼女は急激に後へと引きずられる。彼女の首根っこを掴む手だった。
その力の強さに真也は驚く。
麻衣は抵抗するが、びくともしない。
「真也さん!」
麻衣は助けを求めて手を伸ばす。
真也の脳裏に、火災に飲まれる佳奈の姿が浮かんだ。あの時、真也は佳奈の手を掴めなかった。燃え盛る炎と煙で視界を遮られ、伸ばす手は空を切る。
だが、今度こそは。
伸ばした麻衣の手を掴み、真也は離さなかった。
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