#10
私の地元は都心から車で1時間半くらいの海沿いの町。地元の小・中・高校を出て、東京の大学に進学して就職した。
結局すべて失った私は実家にそのまま数日間留まっている。
兄は家族と近くに住んでいるものの、あまりに突然の母の死にまだ立ち直れずにいる父が1人になってしまうことも心配だったし、あのベッドのないワンルームの部屋に戻る気にはなれずそのまま地元にいた。
不規則な生活を送っていたからか、母の死があまりにショックだったから、その他にも私を悩ますことが続いたからか私は数日体調が悪かった。吐き気と頭痛と怠さが続いた。
太田から
<お願いだから店に戻って>
と、何度もメッセージがきた。
そのたびに吐き気と頭痛が襲った。
もう戻る気もないし、話をする気もない。
少しでも体調を改善したくて近所のドラッグストアへ行った。
フラフラと店内を歩いていて、目にとまった長細い箱がアタシに訴えかけた。今の私に必要なものはこれだと直感が働いた。それを買って家に帰り、トイレに籠って箱を開けて検査した。
妊娠していた。
どんなタイミングでも太田は自分本位なメッセージを送ってきた。
<子供ができたので、もう夜の仕事はできません。>
と、初めて彼のメッセージに返信した。それから太田からの連絡はパタリとなくなった。
私は歩いて数分の海に行った。風にあたると幾分気分が良くなる。
海沿いのコンクリートの歩道を徒歩や自転車で人が行きかう。その歩道から5,6段降りた砂浜には犬を散歩している人やサーファーたちがまばらにいた。
階段に腰かけて波の音を聞きながら海を眺める。
父や兄に仕事を辞めたこともウソをついているのになんて言おう。
産むべきなのか。
おろすならいつまでか。
だれかに相談すべきか。
あのワンルームに戻ろうか。
このままに実家にいようか。
「水川さん、水川さんだよね?」
と声がして、そちらを向くと黒い服装の華奢な女性が私のことを覗き込んでいた。
たしか高校時代、同じクラスだった子だ。
「久しぶりだね」
と、言って私の横に座った。
「水川さん、地元にいたんだ」
と、彼女は聞くので
「東京で就職したんだけど、いろいろあって……」
と、答えた。
「いろいろあるよね、人生。アタシもあったよ、いろいろ」
と言って海を見ていた。
少し間があって彼女は続けた。
「アタシ、海嫌いなの。地元もきらい。死にたくなる。もう500回くらい死にたくなってる」
「500回?」
「うん、数えてたのが500回。それ以上数えるの面倒になって……。でも本当に死にたかったのは3回かな」
と、彼女は笑いながら言った。
彼女とは同じクラスだった時ほとんど話したことはなかった。私とは違うグループだったというより彼女は1人だった。眉下で揃った前髪に長い黒髪で暗い印象しかなかった。
今初めて横に並んで話して、こんな風に話すんだということと、大きな二重で三白眼がステキな目の美人だったことを知った。
私は
「死にたいって、今、1回目、思ってるところだったの」
と、彼女に思わず打ち明けると、
「アタシは今生きててよかったって思ってる」
その綺麗な目で私を見て笑顔で言った。
「水川さんはいつもキラキラしてた、高校んとき。かわいくて、男子からも人気あって、頭よくて。アタシはただ隅っこにいるひねくれた子だった。そんなアタシが生きてていいことあったから、水川さんにだってあるよ」
彼女から私はそう見えてたのか。今砂浜ではしゃいでいる女子高生たちのように私はキラキラしていたのか。
「私のこと凜って呼んで」
と彼女に言うと、彼女は
「アタシのことは
と軽やかに言った。彼女の下の名前は違うはずだ。
「隅っこにいた頃の自分は捨てたんだ。嘉音って自分でつけたの」
と、言って立ち上がった。彼女はなりたい自分に自分でなったのだった。
黒いライダースに黒いロングスカート、黒い靴でまるで悪魔の様ないでたちだが天使のように見えた。
今は前髪はないが艶やかな黒髪を風になびかせて去っていった。
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