放課後

 放課後、俺はフシミと二人で帰り道を辿っていた。校門を出てからこの十分間、お互い一言も口をきいていない。何度か話題を振ってみようかとも思ったけれど、出てくる話題は怪我や昨日に関することばかりで、朝のことがあった後では彼女にその話を振る勇気は無かった。そうこうするうちに別れ道が近づいてくる。このまま無言で別れていいものなんだろうか。でも下手に怪我とか昨日とか言ったら殺されるかもしれない。あーどうしよう、と悩んでいると、

「ねえ」

「はい!」

 俺は勢いよく振り向いた。どくり、と心臓が脈打つ。フシミが風に揺れる銀髪を押さえ、俺を見上げていた。

「このあたりを一望できる場所、ある」

「ある、けど――どうして?」

「案内して」

 問いには答えず、彼女は俺の脇をすり抜けた。数歩歩いて分かれ道の前で振り返る。

「どっち」

 拒否権は無いようだった。俺はため息をついて髪をかき回し、彼女に背を向けた。

「ついてきてください」




 真夏の山道を歩きに歩いて小一時間。大きな岩の前で、俺はようやく立ち止まった。

「ここです」

 汗を拭って振り返る。フシミは汗一つかかず、涼しい顔で俺を見上げた。

「ここ?」

 疑問形らしい疑問形は初めてだ。無理もない。あたりは木々に囲まれて、見晴らしのみの字も無い。俺はにやりと笑って大岩に向き直った。

「こっちです……よっと!」

 岩のくぼみに手をかけ足をかけ、ひょいひょいとかけあがると、途端に視界が開けた。燃える太陽。染まる世界。俺が一番好きな場所だった。俺は満面の笑みで振り向いて、岩の下、こっちを見上げるフシミに手を差し伸べる。

「さあ」

 フシミはじっと俺の掌を見た後、そっとそこに手を置いた。ひやりと冷たい手を力強く握り、俺は彼女を引っ張りあげた。彼女は一歩、二歩岩の先へと進み、ぐるりと辺りを見渡した。赤みがかった太陽に照らされて町が金色に輝き、それを囲む山や森は黒く赤く、まるで燃えているようで――

「キレイだなぁ……」

 俺は思わず呟いた。本当に、キレイだ。

「そうね。キレイ、かもしれない」

「信じられるか?俺か産まれるちょっと前まで、この辺は焼け野原だったんだ。それが戦争から二十年ちょっとで……すごい……すごいよな」

 上手く言葉が出てこなくて俺はフシミの隣に立った。

「……この景色を見てるとさ、色んなこと忘れられるんだ。学校とか、国とか、政府とか。めんどくさいこと全部、どうでも良くなってく――る」

 ハッとしてフシミに振り向いた。濃い青の目が合う。なんとなく気まずくて目を逸らした。

「聞かなかったことにする」

 フシミは踵を返す。

「帰ろう」

 銀髪が岩の下に消えた。呆気に取られて数秒固まって――それから慌てて後を追って岩を滑り降りた――瞬間、黒い影。首に鋭い痛み。声を上げてよろめいた。視界がぐわぐわ揺れて倒れそうになるのを、岩に掴まって何とかおさえた。

「いっ……た」

 涙まで出てきていっそう揺らめく視界を無理やり前へ向けた。歪んだ水晶玉みたいな視界の真ん中、フシミがそこに立っていた。彼女の右掌に突き出た針が、手の中に引っ込んだ。

「あんた……いったい……」

 フシミは目を瞬く。

「……これだけの薬剤をうってなぜ倒れない?」

「ああ、俺……麻酔とか効きにくいタチで……」

 揺れがようやく落ち着いてきて、俺は首を押えたまま背筋を伸ばした。回り始めた頭で考える。昨日の別れ。今までの無機質な言動。さっきの手。ふと思いついた。

「フシミ、アンドロイドか?」

 フシミの体が一瞬で変形した。皮膚が裏返り黒いアーマーを形作って昨日の「彼女」が現れた――瞬間右手は組み変わって黒い刃となり、彼女は目にも止まらぬ速さで地を蹴った。咄嗟に横に飛ぶ。耳に風圧。鋭い金属音。ごろごろと転がって起き上がると、薄く斬られた岩がずるりと大岩から滑り落ちるのが見えた。彼女は真っ赤に目を光らせ、こっちを見る。

「ストップストップストップ!言わない言わない言わないから!」

 叫びも虚しくまた彼女は地を蹴った。右、左、右、右。振られる刃を辛うじて避け、俺は必死に走って大木の影に転がり込む。

「言わないって!ほんとに!」

「その保証は」

 耳元で声。身をかがめる。髪の毛が数本宙に舞った。

「ない!けど!信じてくれよ」

 振り下ろされる斬撃。咄嗟に首を曲げた。鈍い音がして、さっきまで頭があったところに刃が突き刺さる。ダメだ、話は通じそうにない。フシミが刃を抜こうとしている隙に、俺は彼女の脇をすり抜けて脱兎のごとく山道を駆け出した――と、唸るような轟音が耳を打つ。頭上を見上げる。緑の枝葉の隙間、真っ赤なビークルが飛んでいるのが見えた。確かあれは国軍の――そう思った瞬間、ビークルの腹がピカリと光る。考えるより先に体が動いていた。俺は踵を土にめり込ませ無理やり方向転換すると、黒い刃を構え飛び掛かってくるフシミに真っすぐ体を投げ出した。


 ダ、ダ、ダ、ダ、ダ。空気が震えた。土くれが跳ね石が砕け、飛び散った木片が俺の頬を切る。頬に流れる熱さを感じながら、俺はわずかに身を起こしてフシミの顔を見下ろした。

「だい……じょうぶか?」

 深い青の目が揺れる。

「あなたがそれを言うの……?」

 はっきりとした困惑の声だった。びた、びた、と滴る音。俺は苦笑いして自分の左腕を見る。ぱっくり開いた傷口が、制服のを真っ赤に濡らしてとめどなく血を流していた。

「俺は、大丈夫だから」

 血が引いて真っ青になっているであろう顔を無理やり笑顔に形作る。深い青の目がゆらゆらと揺らめいた。

「どうして……どうしてあなたは――」

 どこかで銃声が響いて俺は身をすくめた。包囲完了――更に応援を要請――敵は敵国の最新鋭兵器だ、気をつけろ――くぐもった声が遠くから響く。俺はあたりに素早く目を走らせた。

「早く逃げないと」

「無理。完全に包囲されてる」

「じゃあ俺が囮になるから――」

「あなた自分が何言ってるか分かってるの。私はAAAの戦略兵器。あなたの国の内情を調べてたスパイ。それを庇うなんてことしたら国家反逆罪になる。そうしたら――」

「うん、分かってる。死ぬだろうな」

 フシミは目を瞬いた。

「じゃあどうして――」

「なんとなく」

 ぽろ、と言葉がこぼれ落ちた。自分でも思ってもみない言葉だったが、でも確かに心からの言葉だった。命とか、国とかどうでもいい。ただなんとなく、目の前の青い目を無くしたくなかった。俺はどくどくと自分が流れ出ていくのを感じながらにやりと笑う。

「自分の命と引き換えに誰かを救う――なんとなく、かっこいいじゃんか」

 青い目が大きく見開かれた。銃声。身を伏せる。人の足音がもう間近に迫っていた。俺はフシミの耳元に囁く。

「良いか?俺が飛び出して注意を引く。そしたら俺と反対方向に逃げるんだ」

「それじゃダメ。あなたは死ぬべきじゃない。あなたみたいな人、今まで一人もいなかった。」

「……ありがとう」

 わずかに身を起こし、俺はフシミの目をもう一度見た。深い青の中、あるはずのない潤みが見えた気がした。

「もう時間が無い。いち、に、さんで行くんだ。良い?いち、にの――」

「ダメ!」

 フシミの目が真っ赤に光った。次の瞬間、俺は青い空を見ていた。宙を飛んでいるんだと気付いた時にはもう地が迫っていた。衝撃。肺の空気が全部なくなって、チカつく視界。ゆらりと立ち上がる黒い影。その向こうに並ぶ大勢の兵士。だめだ、と伸ばそうとした手を、後ろの誰かに押さえつけられた。よくやったとか怪我がどうのとか言って俺を引き摺っていこうとするそれにがむしゃらに抗って訳の分からないことを喚いて――その時フシミがこっちに振り向いた。

「大丈夫。私に『別れ』はプログラムされていない」

 透き通るような声が不思議と良く聞こえて、俺は思わず動きを止めた。フシミの口がゆっくりと半月形になっていくにつれ、彼女の背後、無数の光が輝きを増していく。

「百年後に、また」

 閃光。爆風。世界が破れ、散り散りになって――そして消えた。

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