学校
教室の窓の外、絵に描いたような真っ青な空を、何台ものビークルが横切っていく。窓際の席でそれをぼんやり眺めながら、俺は昨日のことを思い出す。あれはなんだったんだろう。誰かが来て、誰かを助けて、誰かが去っていった。それは覚えているのだが、『誰か』がどんな顔でどんな格好だったのか。それが思い出せない。ひょっとしたらあれは夢だったんだろうかとも考えてみるけど、今日起きた時のあの部屋の惨状からしてあれが夢だったなんて思えない。じゃあなんだったんだろう――繰り返すループをどこかの時報が断ち切った。
『A.W2122年七月二十日午前九時をお知らせ致します』
がらりと扉が開き教官が入ってきたその時には、クラス全員が背筋を正して立っていた。
「国家に栄光あれ!」
「「国家に栄光あれ!」」
「国家に栄光あれ」
生徒の唱和にこたえ、教官はファイルを教壇に置く。
「国家に捧げるものは?」
「「生命、忠誠、勤労」」
俺は口の中で言葉を転がす。一糸乱れぬ唱和に、教官は満足気に頷いて鷹揚に手を振った。
「よろしい。では座りたまえ――とその前に」
教官はにやりと笑って扉の方を向くと、二度大きく手を叩いた。がら、と扉が開いた瞬間、男女問わずクラス全員が息を呑んだ。流れるような銀髪。深い青の瞳。きめ細やかな肌。彼女は靴音を響かせて教官の隣に立つ。
「今日からここで学ぶことになりました、フシミサキです。よろしくお願いします」
澄んだ氷のような声だった。揺れる銀髪。俺の脳裏を何かが掠めた。教官が一歩前に出てフシミの肩をぽんと叩く。
「と、いうわけだ。夏休みまでいくらもないが――まあ仲良くしてやってくれ。さて、フシミの席だが……」
クラスに緊張が走った。フシミに集中していた視線が鋭さを増す。見つめられている本人は窓の外に横目を流し、退屈そうに左腕に右手を引っ掛けている。袖の端からちらりと何かが顔を出した。包帯?いや、包帯にしては不格好なその布は――
「ああーっ!」
視線が一斉に俺に向く。俺は思わず立ち上がっていた。パズルのピースがはまるように昨日の記憶がくっきりとよみがえる。
「あん――あなた昨日の――」
思わず一歩踏み出した。無感動な青が一瞬俺を見て――そしてまた窓の外へと流れた。教官はきょとんとして俺とフシミを見やる。
「なんだ、お前ら知り合いか?」
え、いや、そういう訳では、とか口の中でもごもご言って、俺は席に戻った。顔が熱い。思い違い?人違い?でもあの布は確かに――そんなごちゃごちゃした俺の心の中など知らない教官は上機嫌に笑った。
「じゃあフシミの席はそこで決まりだな。んーっと――なんだお前達、通学路も途中まで一緒じゃないか。ここらに慣れるまで良く面倒みてやれよ?」
はっはっは、と笑い声。俺は頭を抱えて机に突っ伏した。あちこちからため息。視線がチクチク突き刺さる。この学校に転校生が来るなんてまず無い。しかもそれが絶世の美少女と来たら――まあこうなるだろう。俺は机にため息をついた。コツ、コツ、と靴音が近づいてくる。がた、と椅子が引かれる音がした。
「ねえ」
顔を上げる。また冷たい青と目が合った。
「よろしく」
こ、こちらこそ――と言う間に、彼女はもう椅子に座って前を向いていた。そっちではもう教官が授業を始めようとしている。俺は慌てて机を起動してテキストを表示させ電子ノートを引っ張り出して、ふと隣を見た。フシミはまっさらな机を前にして微動だにせずじっと前を見ている。
「あの」
ちょっと身を傾けて囁いた。
「なに」
フシミは前を向いたまま答える。
「机の起動方法、知らないですか?」
「知ってる」
俺は目を瞬いた。さらにフシミに身を傾ける。
「なんで起動しないんですか?」
「必要ないから。」
「……必要なくても起動した方がいいと思いますよ。教官、厳しいから」
俺は教官をちらと見る。幸い教官は教壇になにやら書き込んでいるところだった。
「……そう」
フシミは呟き、机に目を落とす。ちょうどその時、教官が顔を上げた。俺は素早く机にかがみこんでノートに適当にペンを走らせた。教官の声と、ペンを走らせる硬い音がしばらく続く。俺はちらりと隣に目をやった。フシミは赤や青の微かな光に照らされながら、じっと前を向いている。俺はまたちょっとだけ彼女の方に体を傾けた。
「あの」
「なに」
「何、見てるんですか?」
「何も」
「え?」
「何も見てない」
俺は彼女の顔を見た。その目は深海のように沈んで、確かにどこも見ていないように見えた。ふいとその目に光がともり、俺の目を見る。
「教官」
はっとして俺は体を戻して上目で前を見る。危機一髪、教官がこっちを向いたところだった。横目で隣を見てみると、フシミはどっから取り出したのか、電子ノートにペンを走らせていた。ノートを押さえる左腕、半袖の下から不格好な結び目が顔を出し、空調の風に微かに揺れている。
「あの」
「何?」
「その腕、いつ怪我したんですか?」
ペンが止まった。彼女は、目だけをこっちに向けて、ゆっくりと口を動かした。
「先週、窓から落ちて」
「昨日じゃなくて?」
青い目が鋭く光った。その瞬間、背筋に寒気が走った。俺は勢いよく首をひねりノートに目を戻す。震える手でミミズののたくったような字を書き連ねる。殺気。あれは本物の殺気。人に殺気を向けられるという人生初の体験に、俺の体中に鳥肌が立っていた。
「フシミさんどこから来たの?」
「S2から」
「S2!? すごーぃ、エリートじゃん!」
「S2と言えばよ! 知ってるかフシミ、あれ」
「どれのこと」
「ウワサだよウワサ! 副総帥が向こうと繋がってて、スパイの活動を支援してるっていう……」
「なにそれコワーィ!」
「そうね。怖いわね」
俺は机に突っ伏したまま、恐る恐るちらりと隣の席を見た。二重三重の人の壁の隙間から見えるフシミはとても穏やかで、その青い目には鋭さなんて欠片もないようだった。
さっきのは気のせいだったのかもしれない。きっとそうだ、光のイタズラだ――そう思って俺が軽く身を起こしかけたその時、一瞬――ほんの一瞬、フシミの目が光った。俺はほとんど反射的に机に突っ伏した。全身に鳥肌が立っていた。それから一日の授業が全部終わるまで、俺は二度と隣の席を見なかった。
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