第10話 球技祭①
「あの……ほんとに、すみません」
ナターシャはすれ違った時とは比べ物にならない程、深深と頭を下げた。
「――気にするな、こればっかりは仕方ない。……とりあえず皆にバレなかったから良かった」
「綾人さんっ……」
怒られると思っていたのだろう。その不安から解放された安堵から来る緩みか。ナターシャの目尻には涙が浮かんでいた。
「――――しかし」
「……え?」
まだ話は終わらない。ナターシャには悪いがどうしても気になる所があった。
「流石に演技力が無さすぎないか……?」
「うぐっ」
ナターシャは痛い所を突かれたようだった。あの時は咄嗟にカタコトの外国人という事で押し通す事が出来た。しかし、カタコトの外国人にしては変に流暢だし、イントネーションも日本人っぽい。そう何回も通じる嘘ではないだろう。
「いやー私嘘つくのが苦手なんですけど、演技も嘘だと思っちゃって出来ないんですよね……」
「なるほどな。……まぁあんな状況そうそう起こるもんでもないから大丈夫だろうけど。」
「ですよね! そう、大丈夫です!」
「でもあの演技力だと今後の人生困る場面出てくるくないか……?」
綾人がそう口にすると、ナターシャは露骨に目を泳がせた。
「イヤーキットダイジョウブデス……」
「――おい、嘘ついてるだろ。大丈夫だと思ってないな?」
「へへへ」
「分かりやすく誤魔化すな」
ナターシャは照れて頭の後ろをかいた。一挙手一投足が愛らしいが、誤魔化しているのだと思うと少しムカついた。
「そうえば明日球技祭なんですよね!」
ナターシャが思い出しそう口にする。
「あぁ、そうだな」
「頑張ってくださいね! 見には行けませんけど、応援してますっ」
「ありがとな」
「…………いいなぁ……私も球技祭とかやってみたいです……」
「あぁ……ナターシャは通信だもんな」
ナターシャは前々から普通校に憧れている所がある。中三の時はギリギリまで通信か全日制かで悩んでいたそうだ。
結果的には親の意向で御屋敷の仕事を優先することになったらしい。本人の気持ち的には普通校に行きたかったのだろうが。
「たくさん写真撮ってくるから、帰ってきたら一緒に見るか」
そう言った直後に綾人は少し反省した。球技祭に憧れている子に、球技祭で楽しんでいる周りや自分の様子を見せるのは酷かと思ったからだ。
するとナターシャは突然笑って綾人の目をじっと見た。
いきなり見つめられて少しドキッとする。
「ふふっ……やっぱり私、綾人さんのこと好きですよ!」
「お前なぁ……」
ナターシャはそう言葉を吐くと、ゆっくりと息を吸って次の言葉に繋げた。
「冗談ですっ♪」
ナターシャはとびきりの笑顔を浮かべていた。その笑顔は澄み切っており、綾人の曇った心を少し晴らした。
***
――日曜日も同じ時間からバスケの練習をした。日曜日は誰も遅刻せず時間通りに始められたし、街にはナターシャもいなかった。
変わった事件がない平和な日で、これが続けばいいのになと思う。
――その夜。
綾人は一人自室で悩んでいた。
「……」
それはかつてナターシャが手に取った、とある本について。
あれ以降、あの本の事が頭から離れないでいた。もう一度あの本を棚から出せば、きっと綾人はまた数年前のように……。
――そして、綾人はある時の事を思い出した。
老いているが、しかし目に希望を残している子供のような老爺の隣。そこで楽しそうにピアノを弾いている自分を。ギターを持って歌っている自分を……。
そして、執事として働いたきっかけを。
もう戻らない日々を。
「――いや、やめだ」
あの棚はもう開かない。
あそこには綾人の大切な思い出が閉じ込められている。だからこそ辛くなるのだ。
綾人は思い出を上書きするように、メッセージを送った。相手は涼介である。
『勝とうな』
たったその四文字、しかしそれ以上の言葉は必要ないのだ。
それを送った綾人はその後、すぐに眠りについた。
『当たり前』と、そう届いていたメッセージを見るのは翌朝になった。
***
「おはようございます、お嬢様」
「っん……ご機嫌よう、九条」
お嬢様は布団から起き上がり伸びをした。寝起きのお嬢様はどこかふわふわしている。普段のクールなイメージと違くて少し可憐だった。
「今紅茶をお入れします」
「ありがとう」
今日のお嬢様は少し元気な気がした。球技祭が楽しみなのだろうか。
「九条」
「いかが致しましたか」
「頑張って応援しますからね」
お嬢様ははにかんでそう言う。綾人は俄然やる気が出た。
「感謝申し上げます。お嬢様はなんの競技にご出場されるのですか?」
「私は何にも出ませんよ」
「え……? 左様でございますか?」
「えぇ……。いまいちピンとくるスポーツが無かったので出場をやめました。なので、私が出ない分、九条が頑張ってくださいね」
「承知致しました」
「――さぁ、私も目覚めたので九条は制服に着替えてきなさい」
綾人はお嬢様が飲んだカップと、紅茶がまだ入っているティーポッドを片す。
その途中、綾人は手元が狂いカップを落とした。一度空中に舞ったカップは落下して地面に激突するかと思われる。しかし、そのギリギリで綾人はそのカップをキャッチしてみせた。
どうやら土日に練習したバスケの感覚は消えていないようである。
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