第9話 球技祭前前日③
「どこか行きたい店とかあるんすかー?」
最前線を歩いていた明日香は振り返ってそう聞いた。全員に質問したようだが、皆は綾人に答えを委ねていた。やはり言い出しっぺにはその責任があるのだろう
「んー、まぁ中華と……か…………」
ちょうど数メートル先に中華があったのでそう答えたのだが、その店の前にとても見覚えのある人物を発見した。
腰まで流れている白金色の髪の毛。あの背丈と、一つ一つの行動の大きさ。守りたくなるような小動物感。
普段よく話している人と酷似……いや、そのものだった。
――あれは。
「ナターシャ――――?」
そこに居たのは、有栖川家の使用人として働いているナターシャだった。
しかしメイド服ではなく私服だ。しかも両手には大きな紙袋を二つ提げている。直前まで買い物でもしていたのだろうか。
その状態でナターシャは、店の前にあるメニュー表をまじまじと見ていた。
とにかくまずい状況だ。ナターシャは綾人を発見したらきっと大声を出して近づいてくる。ナターシャと知り合いなのが涼介達にバレると色々面倒くさくなる、想像は容易かった。
「確かに中華いいっすね!」
「……悪くねェな」
そんなこと全く知らない明日香と悠は綾人の意見を承諾する。二人以外も賛同のようだ。
しかしどう考えてもダメだろう。中華に行くとナターシャと鉢合わせしてしまう。
「――いや中華はなしだ!!」
「えぇー!? なんすか急に!?」
提案しておいて変な話だが、綾人は中華を拒否した。
「綾人君がバグった……」
「理解不能だな」
「あっ! じゃああそこ行こうぜ!」
代替案として、涼介は少し高級そうな蕎麦屋を提案した。そこは中華の少し奥にある。ナターシャを横切る事になるが同じ店に入るよりはマシだ。
「……いいんじゃないか」
蓮はそれに同意する。しかし、明日香は微妙な反応だった。
「ちょっと渋くないっすか」
「……なぜだ、蕎麦美味いだろ」
それに反論したのは、意外にも提案者の涼介ではなく蓮だった。
「いやまぁ美味しいのは分かるんすけど、中高生が集まって行くご飯屋さんが蕎麦って……」
「中高生が蕎麦食っちゃダメなのか?」
「そういう訳じゃないっすけど、普通にセンスないっす」
「じゃあ、お前が決めろ」
蓮は投げやりで明日香に託した。
綾人も蕎麦という気分ではなかったので明日香に期待する。
しかし、その期待も一瞬で打ち砕かれた。
「私は……あそこっすかねー」
「……よくお前俺にセンスないとか言えたな」
「おいおい! 正気かよッ!」
明日香が提案したのはカフェだった。
しかし、見るからに普通のカフェではない。内装外装共に全てがピンク。差し色の青や黄色も全てが明るく変な模様や装飾も多い。
落ち着いた食事とは無縁そう、多い情報量の中で唯一それだけは分かった。
「あのね、明日香……ああいうお店で得られるのはご飯を食べる喜びじゃなくてフォロワー。あそこを主食にする人間なんてどこにも居ないわ」
「えぇー、ダメなんすか!? じゃあ、そういうお姉ちゃんはどこがいいんすか!」
「ふふふっ……私はあそこね」
咲さんは中華屋の向かい側にあるファミレスに指をさした。高校生が良く行く、凄く安いファミレスだ。
「んまァ……あのイカれカフェにくらべたらマシか」
「イカれカフェ!? そこまで言うっすか!?」
「よし早く行こう」
綾人はナターシャに見つかる前に店内へ入りたかった。そのため全員を急かす。
しかし、良く考えたらファミレスは中華屋の前であるためかなり危ない。
ファミレスに少しづつ近づく。それはナターシャとの距離が詰まるということを意味していた。
ナターシャはずっと店の前にあるメニュー表を見ている。そこから横を向いたらバレる。
その上、既に声が届くので名前を呼ばれてもアウトだ。
「そうえば綾人せんぱ――」
「――あああああ! 何食おうかな!」
さっそく明日香は名前を呼んだ。綾人はそれを奇声でかき消す。
人間としての尊厳を捨てた誤魔化しかただが仕方ない。執事をこれからも続けていくためら容易い。
「なんか今日ちょっと変じゃない綾人く――」
「――変じゃないです!」
「返答はやっ!?」
次は咲さんが名前を呼んだ。あまり隠せている気はしないがナターシャは気づいていない。
様々な罠をくぐり抜けて、とうとうファミレスの前についた。これで一安心だと思った矢先。
「あら、めちゃくちゃ混んでるね」
「四十分待ちはキツイよなぁ」
店内に書いてある四十分待ちという文字と、数多くの客が目に飛び込んだ。
涼介は店から離れる。全員もそれに続いて店を後にした。
ファミレスと中華屋は向かい合わせになっているので、ファミレスを出ると目の前には背を向けてるナターシャが見えた。
綾人はナターシャが後ろを見ないことを願った。
しかし、無情にもナターシャは中華屋のメニュー表から目を離して振り返った。このままではナターシャと綾人は目が合ってしまう。
――大ピンチだ。綾人はやけくそになった。
「え、ちょっ、ふふっ……何してるんすか、っぷはっはっはっは」
どうにでもなれという精神でムーンウォークをする。普通こんな事したら逆に目立つが、顔を見られなければこの際なんでもいい。
「…………あれ? 綾人さん?」
後ろ向きの綾人とすれ違ったナターシャがそう呟いた。
かなりまずいが、幸い涼介達の耳にその声はまだ入っていない。
「……違います」
「いや……! 絶対そうですよねっ!!」
ナターシャのテンションがクレッシェンドのように上がっていく。それに比例してて増していく声量に涼介達も異変を感じこっちを見た。
「絶対にそうです!」
「違う」
それを聞いたナターシャは戸惑った。どう見ても綾人だったからだ。しかし、一度冷静になって周りを見る。そしてナターシャの脳はフル回転した。
――綾人さんの近くにいるこの方達は誰? 綾人さんは今伊達メガネをしてるし前髪を下ろしてる、これは学校モード! という事は周りの方達はもしかして学友……。
――綾人さんは学校で執事をしている事を隠している。ということは学友の方と一緒にいる時に私と会うと少し大変な事になる……。後ろ向きで歩いていたのは私に顔を隠すため、そうすれば私にバレない、私は声をかけない。
――あれ、でも私今気づいて……。あれあれ、声掛けちゃった……!? あれあれあれ、もしかして私やらかしちゃいました!? これはえーっと、何とかしなきゃ! 何とかして誤魔なきゃ!
「アァー、ヒトチガイデシター」
この間僅か0.2秒。最速で弾き出した答え、そして最適解だった。
しかし、それを全て無に返す演技力。逆に怪しさは増した。
「知り合いすか? 綾人先輩?」
「いや、違うね。この人も言ってけど人違いだろう」
「え、そうなんすか? カタコトすぎてなんか誤魔化してるのかと思ったっすよー」
「ロシアの方なんじゃないかな? きっと日本に来てまだ日が浅いんだ。……すみません、紛らわしい見た目をしていて」
「イヤ、コチラコソ。スミマセン」
そう謝るとナターシャは頭を下げた。それに合わせて綾人も軽く首を曲げる。
何とか首の皮一枚繋ぎ止めた。
その後、綾人らは普通に中華屋でご飯を食べた後に解散した。
***
「ナターシャ」
「は、はひっ……」
御屋敷に帰ると、ナターシャが正座して待っている。
さっきまで私服だったのにもうメイド服に変わっていた。
「あの……ほんとに、すみません」
ナターシャはすれ違った時とは比べ物にならない程、深深と頭を下げた。
「――気にするな、こればっかりは仕方ない。……とりあえず皆にバレなかったから良かった」
「綾人さんっ……」
怒られると思っていたのだろう。その不安から解放された安堵から来る緩みか。ナターシャの目尻には涙が浮かんでいた。
「――――しかし」
「……え?」
まだ話は終わらない。ナターシャには悪いがどうしても気になる所があった。
「流石に演技力が無さすぎないか……?」
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