第4話 お部屋探検

 お嬢様のカップを片付けて、自分の部屋に戻ろうとしたタイミングでどこからか声が聞こえた。


「綾人さんっ!」


 美しく白い髪、ほのかにする甘い香り。

 そして、小動物のような愛くるしさを持ったこの雰囲気はあいつしかいない。


「ナターシャじゃないか、どうした?」


「いやぁ特に用はないんですけど、ちょっと見かけたので声を……」


「ははっ、なんだそれ」


 つくづく思うがナターシャは人に好まれる才能があると思う。この世で彼女のことを嫌いになれる人間がいるとは思えない。


「ナターシャは今から帰るのか」


 普段のナターシャと違い、メイド服ではなく私服だった。そこから、今から家に帰るのだと推測できた。


「はいっ! 綾人さんも今日の仕事は終わりですか?」


「一応な」


「お疲れ様ですっ!」


 ナターシャは笑って綾人をいたわる。自分も疲れているだろうに、笑顔でそう声掛けが出来る。そういうところが人に好かれるのだろうなと思った。


「あの、綾人さん……?」


「ん? どうした?」


「綾人さんってこの御屋敷の一室に暮らしてるんですよね」


「うん、そうだな……」


「質問なんですけど……どれくらい広いんですか?」


「あぁー……ぶっちゃけ、高校生の一人部屋としては異常な大きさだ」


 これは綾人の素直な感想であった。もちろんお嬢様やその親族の方々と比べたらその大きさは劣る。

 それでも男子高校生の部屋にしてはあまりにも豪華すぎた。

 普通キングサイズのベットも華美な装飾のカーテンもないし、防音設備も整っていないだろう。


「これ以上にいい部屋に住んでる男子高校生がいるなら見てみたいね」


「そこまで言います?」


「もちろん」


 ここで無駄に自信過剰になったのが全ての始まりである――――。

 綾人は後にこの事を後悔することとなるのだ。


 ***


「――――うわぁああああ!! 広っっっっ!!」


 ナターシャは綾人の部屋を見るやいなや、そう叫んだ。


「なんでこうなったんだ……」


 まず初めから説明していこう――――。

 

 綾人はナターシャに次々質問された。主に自分の部屋の凄いところについて。

 防音設備が整っていることと日差しがよく入ることについて語ったのは覚えている。

 問題はその次である。それはナターシャが「部屋見てみたいです!」と言ってきた事だ。

 正直拒否したかった。

 しかし、目を輝かせたナターシャに無理だと告げる事の過酷さに耐えられず、結局こうなったのだ。


「すごーい! この部屋余裕で側転出来るくらい幅ありますよ! ほれっ!」


 ナターシャは無駄に綺麗な側転を二回連続で決めてみせる。


「アホか」


 部屋を見せることは別に構わない。ただ一番の問題は、いかんせん状況が良くないことだ。

 男子高校生の部屋に女子が来ている。しかも夜にだ。率直に言うと、この状態が一番問題である。


「ってうわ!! ベッドでかいっ!!」


「おい、人のベッドで飛び跳ねるな」


 綾人は執事業をする上で感情を表に出さない。そのせいで勘違いされるが性欲が欠如している訳ではない。高校生の年齢である事に変わりは無いのだ。

 無論、綾人はナターシャに恋愛感情及び性的感情を抱いていない。たとえそういう気持ちがあったとしても、変な形で手を出すことは絶対にないだろうが。


「ってか、本当に防音なんですねっ! 外の音も聞こえないし、全く声が反響しない!! うわぁああああああああああああああ――――!!!!!!」


「凄いよな。でも叫ぶなよ」


 そうだ、防音なのも良くない。この部屋の設備は完璧すぎる。それが返って仇となっているのだ。

 この部屋は、内側から鍵をかけたら外界とは完全に遮断される。この部屋の中で起こったことに外側から干渉できることはほぼ無いと言っていい。

 もしもそんな部屋で綾人がナターシャによからぬ事をしたとする。その時、ナターシャの悲鳴や叫声は外に届くか?

 答えは火を見るより明らかである。

 鍵を閉めた場合、外側から開ける方法はマスターキーのみですぐに助けが入ってこれる訳でもない。その上、扉は頑丈なので突き破るのは不可能。


「すごい! 何このランプ! オシャレすぎないですかっ!?」


「それ熱いぞ」


「うわっ!! あっつぅうう……」


 もしもこの一人部屋に住んでいるのが綾人ではなくギャル男、チャラ男だったらあまりにも危険だ。


「言わんこっちゃない」


「もう少し早く言ってくださいよ!」


 ――とにかく、何が言いたいかと言うと。


「……はぁ」


 ――――自分の身を大切にしてほしい。これに尽きる。


「あの、綾人さん?」


「ん? なんだ」


「……もしかして、私の事、危機管理能力低いって思っていませんか?」


「……」


「……図星ですか?」


 どうやらバレていたようだ。そんなに態度に現れていたのだろうか。ポーカーフェイスに自信はあったがまだまだらしい。


「なんで気づいたんだ?」


「なんて言うか……距離感が普段とおかしいです! というか、私が信用してない人の部屋に無防備に入ったりすると思いますか?」


「……それは」


「そんな事するわけないですよ! 綾人さんを信用してるから来れたんです……。優しくて自制の効く方だという方は承知していますから……」


「……そうか、いらぬ心配をした。ナターシャは思っていたより大人なんだな。勘違いしてすまなかった」


 そう謝罪を告げた。ナターシャは綾人の想像以上にしっかりとした思考の元で判断を下す。それが明らかになった。

 彼女は天然であるため少し頭が弱い節があると思っていた。しかし、それは勘違いなのかもしれない。

 するとナターシャはなぜか誇らしそうに胸を張った。


「まぁー? 私魅力的ですし? そういう心配をするのも当然ですよねー……!」


「すぐ調子に乗るな」


 綾人はナターシャの頭を小突いた。するとナターシャは少し笑う。その笑みはどこか無理していた。


 そして、目を伏せる――。

 少しきまりが悪そうに、でもと付け足した。


「……――綾人さんになら手出されたとしても嫌ではないですけどね」


 頬をほんのりと桃色に染めたている。口元を押えながら、何かを堪えているようにも見えた。


「ったく、さっき褒めたのは撤回する…………やっぱり心配だよ。冗談ならタチが悪いぞ」


「本音です」


 少し静寂が訪れた。それが予想していた返答ではなかったから困ったのだ。


「…………もっとダメかもな」


 なんとなく気まずい空気が流れた。

 ナターシャは綾人に背を向けて棚を物色し始める。

 そんな中、突然ナターシャがビクッと跳ねた。何かを見つけたようだ。


「――――これって」


 ナターシャは棚の中から本を取り出した。表紙にはとある人物の肖像画が描いてある。綾人は察した。

 さっきまでの緩やかな時の流れが一瞬にして切り替わる。


「それは……」


 ――――フレデリク・フランチシェク・ショパン

 中世に活躍したロマン派の作曲家であり。 生涯作曲した二四〇曲のほとんどがピアノとも言われている。

 音楽に貢献した偉大な人物の肖像画だった。


「…………綾人さん」


 その表紙には、肖像画と一緒にフランス語でとある文字が書かれていた。それを見てナターシャも察する。


「もしかして…………」


 ナターシャは言葉を続けようとしたがそこでやめた。グッと飲み込んだように見えた。

 そして、とても悲しそうな目でその本を綾人に返した。


「――――――悪いな、今日はそろそろ帰ってくれ……」


 綾人はそう言った。これ以上漁ってもきっと楽しいものは出てこないだろうなと思ったから。そして、少し気分が悪くなったから。


「そうですね……もうこんな時間ですしね」


 掛け時計は、二十一時になろうとしていた。


 ***


 ナターシャが部屋から居なくなった。

 家まで送ろうとしたが、ナターシャ曰く「家はすぐ近くだし、ここら辺は治安がいいから大丈夫」らしい。


 綾人はナターシャから渡された本を見る。

 その本は大分薄い、そして手触りが良かった。

 もう一度、表紙をよく見る。



 ''FANTAISIE IMPROMPTU”



 フランス語でそう書かれている本だった。

 綾人は棚を開ける。棚には、表紙にフランス語でなにか書いてある本が無数に入っていた。


 綾人は手に持っている本を眺めるだけ眺めて、ページを一枚も捲りもせずに棚に戻した。


 

~~~

春瀬です。応援等々してくれると大変励みになります。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る