32「里中技研 社長室 室長補佐 里中陽葵」

 応接室に通されて、キャバ──里中まりは待たされていた。


 今ここにいるのは、夜の街で才覚を見せつつ日銭を稼ぎ、何の因果か回胴式遊技機に魅入られてしまった女性ではない。


 里中技研。パチンコ・パチスロ業界を陰で支え、内情を知る者ほどその影響力の大きさを看過することはできない、東証1部上場企業。


 それは俗に言われるホールコンピュータの扱いに留まらず、遊技機の運用支援を行う“制御システム事業”と、ホールデータの分析や情報提供を行う“情報システム事業”といったBtoB事業を根幹としながら、ファン向けのホールデータ・機種情報の提供も行っている。


 特に業界では、“ST-SIS”と呼ばれるホール向け会員制情報提供サービスで知られ、マーケティングや機種評価の指標として重んじられることが多い。


 今のキャバは、その里中技研の名を負った社長名代、里中まりとしてここに座っている。


 30分は経っただろうか。待たされている理由は分かっている。


 県警の生活安全課の人間に頭を下げまくって、何とかお引き取り願っているのだろう。


 まりの方を外で待たせて向こうを応接室に招き入れるかと思ったが、ロールスロイスの圧力が効いたのか、あるいは警察の人間を中に入れたくなかったのか。


 そんな思いを巡らせていると、ノックと共に店員らしき女性が紅茶を運んできた。


 とりあえず客としてはもてなしてもらえているらしい。


 そして間もなく漆原が姿を現した。


「お待たせしました……事前にご連絡いただければ店内もご案内させていただいたのですが、あいにく色々と立て込んでおりますもので」


「それは失礼しました、こちらを」


 まりはハンドバックから名刺を差し出す。漆原は慣れた仕草でそれを受け取ると自らの名刺を差し出しつつ、受け取ったそれを確認した。


「社長室 室長補佐 里中まり──失礼ですが、社長のご親族でいらっしゃる?」


「長女になります。本日は社長の名代としておうかがいしました」


「それはまた……ご用件をお伺いできますでしょうか」


 ここまで来てハッキリしていることは一つ。


 漆原はキャバのことに気付いていない。


 あの店で自分が城之内に酷い目に遭わされ、そこに同席していたにも関わらずに、だ。


 盛っていた髪をバッサリと切り落として服も化粧もフォーマルに整えたとはいえ、気付かないものだろうか。


 顔を合わせた瞬間に驚かせてやろうと思っていたが、これはこれで面白いとそのままにしている。


「弊社の北関東エリアで、少々不自然な業務遂行や人事が相次ぎまして」


 まりはティーカップを手に取ると、冷めかけた紅茶を口にした。


「ほう、不自然とは?」


 まりは一拍置いてから言葉を続けた。


「とある日に多くのホール様から過剰なメンテナンス要請がありまして。現場ではお断りした方がいいという判断もあったのですが、支局長の強い意向もあって北関東エリアのほぼ全従業員が出払うようなことがあったのです」


 漆原の顔色を変えず、無言でまりの出方をうかがっている。


「すると、その日に別のホール様で弊社システムに甚大な影響を与える事故が起こりまして。本来なら翌日の営業までには修復できる案件だったのですが、対応可能な人員がおらずそのホール様にはご迷惑をおかけする事態となりました」


「ほう……」


「その“多くのホール様”というのは、ほぼ全てが御社のグループ店舗だったのですが。ご記憶はございませんか?」


「そうでしたか。私は今日こそ当店におりますが、日頃は現場に任せておりますのでそこまでは存じておりませんでした」


「事故が起こったのは、弊社の新規システムをご採用いただいてこのエリアにグランドオープンを迎えられたホール様でした。本来なら新規導入期間中は弊社の者が営業中もお立会いするのですが、それも行われず残念な事態となった次第です」


「それはお気の毒に。同エリアで業界を盛り上げていきたい者としては、誠に遺憾です」


 さすがにあれほどのことを仕掛けてくるだけあって、漆原も面の皮が厚い。


 まりはティーカップをテーブルに戻し、会話の調子を変えることはなかった。


「弊社としても看過はできず、当時の事態を調査するとともに支局長の身辺調査を行いまして……」


 その時、漆原の眉がわずかにひくついたのをまりは見逃さなかった。


「……現在、まだ調査中です。近日中に結果が出るとのことで、それ次第で処分をくだす予定です。弊社の恥をさらすようで恐縮ですが、御社にも問い合わせがあるかと思いますのでその際はご協力いただければと」


 漆原の表情にわずかに垣間見えていた緊張がゆるむ。


「それはもちろん。弊社としてもご迷惑をおかけしたようで、お詫びいたします」


 これで漆原はグループ内の情報統制に入るだろう。記録を改ざんし、この件を負う責任者を別に立てて飛ばすなり解雇するなり動くに違いない。


 もっとも、そんな時間は与えないが。


 それに支局長の身辺調査はすでに済んでおり、漆原のグループから様々な“好意”が寄せられていたことは判明している。


「そう言えば私がお伺いした時、何か店舗の方が騒がしかったような。気配から一般のお客様の問い合わせには見えませんでしたが。それに部下の話ですと、今日は以前からの告知で動画演者の方が来店していると聞きましたがお姿が見えませんね」


「ああ、それはお恥ずかしいところを。県警の生活安全課の人間が多数の通報を受けたとかでわざわざ様子を見にきまして。こんなことは異例なのですが、きっと当店を陥れようとするやからの嫌がらせでしょう。よくいるんですよ、負けた腹いせにトイレやじゅうを壊したり、ネットであらぬ噂を流したり、頭の悪いやからが」


「こういう業種ですから、それも致し方ないことでしょう。ただ、こちらのエリアではイベントに相当する取材や来店は事前告知を禁じられているとうかがいましたが?」


「お詳しいですね、それを言われると耳が痛い。まあ、こう言ったことは杓子定規しゃくしじょうぎに動いても馬鹿を見ますので。馬鹿を見るのは釣られてやって来る客だけで十分です」


 ここは悪びれないのか。もっとも、じゅうの破壊やらネットの噂やら、どっちもどっちといったところだろうか。


 ただ、客は馬鹿、であることは疑いないらしい。


「ファンの方をそこまで言うのは……私たちを支えてくれているのはファン、ホールで遊技を楽しまれるお客様の方々ですし」


「これはこれは。里中技研のご令嬢とあろう方が、客を過大評価されすぎでは。勝てば自分、負ければホールのせいにする低能なやからですよ、胴元が勝つサルでも分かるシステムなのに。反省も学習もせず、次の日もなけなしの金を握って幻とも知らず夢を見てやってくる。まあ、私たちはその夢を売る商売をしてるようなものです。いわば奴らは、夢への依存症でしょう。依存症バンザイ、庶民のはかない夢を奪っちゃいかんでしょう」


「業界の存在意義については、多少は理解できるところもありますが……ここで論じ合うことでもないですね」


 サル呼ばわりされてはウッキーウッキー叫んで反論もしたいところだが、こういった意識のホール経営者も多いに違いない。それを表に出すことは決して無いだろうが。


「ところで……先程の事故が起こったホール様にはお詫びしつつ事後対応をさせていただいたのですが、お話を伺うと色々と大変なようで」


「それはそうでしょう。新規店舗というだけでオペレーションもスタッフ育成もままならないでしょう」


「ええ、特にスタッフ……人材には悩まされているようです」


「人材は大切です、特に信頼できる人材は。どこも悩みは変わらずですか……他店舗のことではありますが興味深いですね。参考までにお聞かせいただけるとありがたいのですが。ああ、もちろん支障のない範囲で。御社とは今後とも良好な関係でいたいと望んでおります」


 話がくだけて本音を漏らし始めたところで、やはり喰い付いてきた。


「これは店内スタッフの方の話で、噂のようなものですが──」


 まりはやや目をそらし、独り言を漏らすかのように話し始めた。


「店舗の不利益に供する者が、内部にいるらしく」


「それは……穏やかな話では無いですね」


 漆原が身を乗り出してくる。まりはその様子に内心ほくそ笑みながら、素知らぬ様子を取り繕う。


「設定情報がろうえいしてる──そんな声がいくつも。情報管理はしっかりしているはずというお話なのですが」


「なるほど。よくある話ですが、それだけに防ぎにくい厄介な話なわけで。それにいくら防ごうとしても、どこからか漏れてしまうものです。言ってしまえば設定キーを持つ人間は全員容疑者と言っていいでしょう」


「そういう訳でもなさそうなんです。かなり露骨というか、えげつないやり口らしく。朝からピンポイントに稼働されて1日の粗利が飛ぶこともあったとか」


「酷いですね、ウチのグループでしたら大問題ですよ。犯人探しもそうですが、店長レベルの人間も詰め腹を切らされるに違いない」


 きっとその腹からは、どす黒い臓物があふれ出てくることだろう。


「それが別々の人間とも限らないらしいんです」


「と、言うと?」


 そろそろ頃合いとばかりに、まりは切り出した。


「社員ではなく清掃員に特定の台の清掃を指示していたり、自身で開店前に台をチェックしていたりという様子が目撃され、追って店内カメラでも確認されたとのこと。そこで店に出入りさせなくなったら、途端にろうえいによる被害は止まったとのことでした」


「それは一体……?」


「店長です。まさか店のトップがそんなことをするとは思いませんよね。でも調べてみると、新規開店時に台確保券のデザインデータを流出させたとか、一部のお客様の貯玉情報を不正に水増ししていたとか」


「店長ですか、それは質が悪い」


「ライバル店や反社会的勢力と頻繁に接触していた、とか」


 まりはそれまでそらしていた視線を、初めて漆原に向けた。隠すことのないあらん限りの敵意を込めて。


「……」


 漆原は面の皮がどれだけ厚かろうと、まごうこと無き真実をいきなり突き付けられては平静を保つことができず、思わず言葉を詰まらせた。


「ホール側も警察に被害届を出すべく、不正のあぶり出しに取り掛かっています。今日も弊社が協力して、貯玉の再プレイのみを停止した状態でグランドリニューアルを迎えているはずです」


「再プレイできない? なぜ御社がそこまであの店に便宜を図る必要があるのですか!?」


 漆原が初めて語気を荒げた。


「弊社のシステムを故意に貶めるような事件があっただけでなく、その業務や人事にまで影響を及ぼすような事態を看過できないということです」


「どういう意味ですか? まるで弊社を疑っているような物言いですが!?」


「いえ、御社を疑っているわけではありません」


「ああ、そうですよね。驚かせないで──」


「貴方を疑っているんです」


「なっ、何を!?」


「はあ……まだ分かってないのね。ここまで来ると拍子抜けだわ~」


 まりはあきれた様子でその細い脚を組んで絡ませると、髪をかき上げながらこれまでの敬語を投げ捨てた。


「ネタは上がってんだよ。アンタ、アタシのこと覚えてないの? またタバコの火点けてやろうか、ついでにズボンも燃やしてあげようかしら。ああ、でもここは禁煙みたいね」


 漆原は目を丸くしてまりの顔を凝視する。


 まりは──キャバは目の前の男を指さして言い放った。


「あの金髪野郎のアフターはきつかったわ~あんま覚えてないけど。まあ、アンタの下品なその金歯は忘れてないけどな!」


「貴様、あの時のキャバ嬢か!? じゃあ里中の人間というのはでっち上げか、だましやがって!」


めんじゃないわよ! アタシは正真正銘、里中技研の社長室長補佐、里中まり。社長から全権を委任されてここに来てるのよ。対応によってはこの店だけでなく、アンタのグループ全体をST-SIS会員から除名してもいいって許可も得てるわ」


 それはグループ上層部に話が及ぶことを示すだけでなく、ST-SISを利用できなくなることはホール経営として致命的なものだった。


「あの店長も全部ゲロってるんだ、すべてはアンタの指示通りに動いただけだってな」


「な、何を言ってる!? 俺はそんな奴のこと知らんぞ! 俺も一切関与してないし、グループも当然だ。そんな弱小店の店長が言うことなんて誰も信じないぞ!」


 キャバはそれを聞くと大きくため息を吐き、漆原がこの応接室に入って来た時点からテーブルの上に置かれていたスマホに向かって大きく呼びかけた。


「──だってさ、みんな!」


 そのスマホがラインのグループ通話をずっとオンの状態にされていたことを、漆原は気付いていなかった。


 


 エリート「ネタは上がってる、とかゲロとか、現実では初めて聞いたな」


   ヲタ「キレそうなところいっぱいあったけど、キャバもよく耐えた」


  瀬戸口「なかなか交渉事うまいな、ウチで営業戦略とか担当すればいいのに。ああ、そもそもキャバ嬢というより里中技研のご令嬢だったか」


   浅野「それにしても今のホール経営してる奴らってのは皆こんな感じなのか? 昔はゴリゴリの反社っぽいのばかりだったが、ここまで陰湿でも外道でもなかっただろう」


   御剣「たしかに気骨はありましたなあ。下北沢を思い出すってもんです」


  真由美「あの~いっしょに話を聞いてた店長さん、ショック受けて泣き出しちゃったんだけど……」


  瀬戸口「まあこいつもひたすら利用されてきただけだろうしな。最後の最後に白状したから、少しは手加減してやるよ。これでもウチでそこそこ長く働いてきたわけだし」


 


 スマホのスピーカーから、いくつもの声が流れてくる。


 これまでの会話はすべてエリートたちに聞かれており、誰もが里中まりとしてのキャバの振る舞いと、漆原のしらばっくれる様子を傾聴していた。


「と、いうこと。まったく、そこそこデカいグループ抱えてるんだしセコいことしないで出玉で勝負すればいいものを。ただセコいというには少々やりすぎだったけど」


 キャバはグループ通話をオフにするとスマホを手に取って立ち上がる。


 その眼下には両手を合わせたまま目を泳がせ、膝をがくがくと震わせている漆原の姿があった。


「あ、アタシは何もウソついてないからね。親父激おこだったから、覚悟しといた方がいいわよ」


 そう言い残して、キャバは応接室を後にした。

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