33「店長、やらかす。」

「ヲっタくーん!」


 それはもうアニメで見るような全身でヘッドスライディングしながら飛び込む勢いだった。


 キャバは従業員出入口から外に出ると、ロールスロイスの前で待っていた仲間たちの中にヲタの姿を見つけると一目散に駆け寄っていった。


「……キャ……」


 ヲタが何かを言う暇も与えず引き寄せると胸元に顔を押し付け、その髪の毛をわしゃわしゃと?きむしる。


「あーもう、これよこれ! 純度100%ストイック成分配合のヲタくんきらしてたのよ~」


 キャバはヲタの頭に鼻を押し付けて、すんすんとその匂いを嗅ぎ続けた。


 ヲタは驚きのままされるがままにしていたが、行き場のない両手の収まりがいい場所を探した結果、その手はスーツ越しでも分かる抱きかかえたら折れそうな腰のくびれに絡められていた。


 マーベラス宇都宮店での“仕事”を終えたエリートとヲタ、そして瀬戸口と浅野夫妻たちは、観念してすべてを白状した店長を連れてこちらの日出会館に駆け付けていた。


 だがキャバ達の方が先に到着しており、漆原を詰める様子をスマホ越しに聞きながら外で待機していたのだ。


 本当ならば瀬戸口の考えで漆原を釣り出す道具として店長を同行させていたのだが、その店長は漆原の言葉を聞き終えると、顔面そうはくのまま動かないので車に残してある。


 かくして里中技研の社長室室長補佐として役目を終えたキャバを皆で出迎えたのだが、約1週間ぶりの再会を語り合う間もなくキャバはヲタを弄ぶばかり、というのが今の状態だった。


 その様子を微笑ましくしばらく眺めていたエリートだったが、それがあまりにも長く続くので自分の役目とばかりにその口を開いた。


「君たちもう付き合って──いや、もう結婚してしまった方がいいのでは?」


 悦楽のひと時を妨げるエリートに、漆原に向けたものと勝るとも劣らない敵意むき出しの眼差しを向けた。


「邪魔しないで、まだヲタくんキメ足りないんだから! あと結婚はもう前提だから余計なこと言わないの!」


「……苦しい……」


 キャバの意思を尊重してキメられ続けていたが、さすがに照れもありヲタの方からキャバから身を離した。


 一歩後ろに退いて、おそらく自分は知らないに違いないであろう高級そうな服や靴で全身を固めたキャバの容姿を上から下まで見つめる。


 そしてもう一度上、その髪型に目を奪われる。


「髪……切ったんだな」


「うん、バッサリ。こっちもイイ感じでしょ?」


「キャバクラ用に派手に盛られていたのもいいけど……今のも似合ってる……と思う」


「でしょ、でしょ! やっぱ素材がいいと何しても似合っちゃうのよね~」


 キャバはそう軽口を叩きながら、その理由までは聞こうとしないヲタの素朴な優しさが懐かしく、愛おしかった。


 エリートはタイミングを見て2人のやりとりの間に入った。


「それにしても突然今日来る、しかも里中技研の人間としてというのは驚いたよ。僕としてはキャバはもう十分働いたし、東京で休んでいてほしかったのだが」


「2~3日は実家でぐうたらしてたけどね。ただ、あんまり何もしないでいたら、いろいろ思い出して悔しくなってきちゃって。で、もう本格的に親父を巻き込もうって腹決めたの。ホントは嫌だったんだけどね、親の力を借りるのも、2人との関係が変になっちゃうのも」


 エリートとヲタを交互に見つめ、キャバは恥ずかしそうに目をそらす。


「それでも『力が欲しい』ってやつ? 自立した女を志す身としては親に頼るんじゃなくて、対等な立場で会社に降りかかった火の粉を払う提案をしてやろうと思ったわけ」


 そう話すキャバの横で、ロールスロイスの運転手を務めた男がニコニコしている。清潔だが年季の入った淡いブルーの作業着を着て、その顔にはこれまでに経てきた人生の年月を物語るしわが刻まれている。


「じっちゃんのこと紹介してなかったね。里中技研の最年長勤続者、ある時はホール周辺機器業界の生き字引、ある時は第一技術事業本部長、またある時は社長の右腕にして社用車の専属運転手、その正体はじっちゃん! じゃなくて」


「網川聡と申します。最後の運転手は単に私の趣味です、社長のお車を運転できる貴重な機会ですので」


 網川は深々と全員に対して頭を下げると、自分の孫のようにキャバのことを見守っていた。


「以前にまりお嬢さまからご連絡を受けてから、弊社ではすでに調査を開始していたのです。そこにお嬢さま自ら動きたいという話が来まして」


 そこから先はキャバが話した方が良かろう、という網川は口を閉ざした。


 逃げようもなく、気まずそうにキャバがその続きを語る。


「それはもうね、地獄よ地獄……月に1回は実家に顔を出せ、母親のことが嫌いでも大切にはしろ、遊ぶのは勝手だがいまのうちに貯金しておけ、って貯まりに貯まった親の小言が利子付けて降り注いでくるんだから。やっぱ駄目よね、頼み事する方が弱みを見せちゃ。それでぼろくそ言われた挙げ句に、“自分で何とかしたいのなら会社を背負え”っていきなり社員にさせられて。あれ絶対に最初から考えてたのよ、まったく。じっちゃんも話聞いてたんじゃないの?」


「はて……何のことでしょう?」


 網川のとぼけた態度にキャバは舌を出して反抗して見せた。


「それにしても里中技研さんには本当に助けられました。改めてお礼申し上げます」


 瀬戸口が網川とキャバに頭を下げる。


「アタシは何も……じっちゃんが全部上手いことやったんでしょ?」


「弊社としても、パーソナルシステムのインフラを維持しながらフレキシブルに旧環境に切り替えるというのは面白い試みでした。何もすべてが新しく便利な方向に進まなければならないというわけではないと気付かされた次第です。今晩にはシステム復帰のためのメンテナンス要員をお送りしますので」


「よろしくお願いします──おい、直樹?」


 瀬戸口は自分たちの人の輪から少し離れて談笑している浅野夫妻に声をかけた。


「どうした、不思議そうな顔をして」


「今そこにいるのは、お前と真由美さんだよな?」


「そりゃそうだ」


「で、いっしょに来た青年2人もここにいるわけだ」


「そんなの見れば分かる」


「じゃあ──あれは何だ?」


 浅野夫妻が瀬戸口が指さした方向へと振り返ると、そこには見慣れた浅野家の自家用車があった。


 ただし、運転席に座っているはその所有者ではない男。肩をこわばらせてハンドルを握る店長の姿があった。


 浅野夫妻は顔を見合わせて事態を察する。車をロックせず、車内に失意の店長を残してきたままだった。


「あ」


「あら」


 2人の声が挙がった瞬間、車のエンジンがかかる。


 車体がゆっくりと動き出してタイヤがアスファルトを噛む音が聞こえると、アクセルを踏み抜かれた車は一気に加速してこちらに突進してきた。


「自棄になりやがって!」


 瀬戸口はその場を離れ、他の車の陰に身を隠す。


「あらあら」


 あわてる様子もなく身をかわした真由美の横を、異常にエンジンをふかした車が走り抜ける。


 その矛先は気付くのが遅れたエリートたちに向けられていた。


「避けろ!」


 エリートが声を挙げると共に、傍らにいた網川を引き寄せる。


 しかし、その網川が伸ばした手はキャバに届かない。


 即座に気付いたヲタがキャバの腕をつかんで避けようとしたが、ハイヒールを履いたキャバの脚が追い付かず、ヲタの手からよろめくキャバの腕がすり抜けていく。


 取り残されたキャバの目前に突進する車が迫り、もはや避けるのは不可能だった。


 


 ドン。


 


 日常生活では聞くことのない肉体と鉄塊がぶつかる鈍い衝撃音。


 急ブレーキをかけた車は、バックすると逃げるように走り去る。


 そして、その場には一体の横たわるたいが残されていた。


 間もなく、女性の叫び声が空気を貫く。


「なお君! なお君!!」


 そこには突き飛ばされて尻もちをつくキャバ。


 そして全身を打ち付けられ、力なく四肢を地面にはわせたまま動かない浅野の姿があった。


「なお君! 起きてよ、なお君!」


 夫の名をくり返して悲痛に叫ぶ真由美の声だけが、辺りに響き続けた。


 


「そんなつもりじゃ……当てるつもりじゃ……」


 手汗でベトベトに濡れたハンドルに指を喰い込ませ、店長の神内は車をホール裏手から駐車場出口に向けて走らせる。


「俺のせいじゃない……俺のせいじゃない……俺のせいじゃない!」


 自分以外誰もいない車内に、神内のじゅがただよう。


 自分のことを本当に評価してくれる人に出会えたと信じて、今までの人生で積み重ねてきたものを全て賭けたのに。


 なぜ、忠実に言われた通りにした自分が裏切られ、切り捨てられなければならない。


 これで終わる人生は、あまりに惨めで不公平だ。


 感情が暴力的な速さで思考を加速させるが、その思考が自分にとって都合の良い結果とならず新たな感情を生み出す。


 負のスパイラルで神経が焼き切れそうになった時、1人の男がその視野に入る。


 ガラス張りで覗き見えるホールの片隅に外の様子をチラチラと気にしている漆原を見つけた時、神内は何も迷うことは無かった。


 そして10数秒後。


 車を降りず正規の入口を介さないでガラス壁から入店されたお客様によってホールは阿鼻叫喚あびきょうかんに包まれる。


 その店舗を経営するグループの重役が、ガラスをぶち破り突進してきた車とパチスロきょうたいに挟まれ、意識不明の重体に陥ったのだった。


 


 


 ビス子『はーい、業務連絡。明日は宇都宮集合だから忘れないでね』


  武丸『社員旅行っすよね』


みほたん『朝早いし前入りしちゃおっかな』


 サクビ『ところで何で社員旅行なのに各自コスチューム持参なんですか?』


 ビス子『それはね~たまたま集合場所がパチンコ屋さんの目の前で、たまたま集合時刻がそのホールの抽選時間前で、だったら皆が集まるのなんて滅多にないからいっしょに打とうかってなって、だったらみんなでコスプレしちゃおう! ってなるかもしれないでしょ?』


みほたん『うわー、それ言っちゃうかー』


  武丸『社長、さすがに苦しいっす!』


 ビス子『お前、来週から外の仕事なしで一生動画の字幕貼りとスキップ無しのフルタイム映像チェックの刑ね』


  武丸『すみません俺が間違ってました許してくださいゴメンナサイ社長サイコー』


 サクビ『分かりました! ところで今朝ここで話してた例のアノ店で何かあったらしいのを見かけたのですが』


みほたん『怒った客が車でホールに突っ込んだって話でしょ』


  武丸『えっ、そっち? 俺が聞いたのって警察が抜き打ち検査してきたって噂だけど』


 サクビ『どっちなんだろう? でも怖いですね、やっぱりルール守ってお客様を裏切らないって大事なんですね』


 ビス子『あなたはホントこの業界には貴重な本心からの正論を吐く子よね、そこがチャームポイントだけど。まあ、私から言えるのは“どっちか”じゃなくて、“どっちも”かもしれないってことくらいかしら。とにかく、明日の私たちの集合場所の近くにあるかもしれないパチンコ屋の話ではないから安心して。以上、業務連絡おわり!』


 


「まったく、ビス子さんたらやることエグいわ~」


 キャバは眺めていたツイッターのタイムラインを見終わると、いっしょに歩いていたエリートに感想を述べた。


「火の起こし方、油の注ぎ方、そしてぎりぎりで火の粉を浴びないポジションの確保。どれもブログ、動画、SNSを駆使して業界に現れて久しいウェブの荒波を何度も乗り越えてきた人だけある」


 エリートはコンビニのビニール袋を片手に、ハイヒールのパンプスを履いたビス子に歩調を合わせながら答えた。


 まもなく深夜、宇都宮駅と国道4号線の間に通る人影もまばらな道。


 コンビニからエリートたちの宿泊するウィークリーマンションまでの道のりを、エリートとキャバの2人は歩いていた。


「それで何か話があるのだろう? ヲタを置いてわざわざ僕だけを連れ出してきたというのは」


 それを聞くとキャバは立ち止まり、歩道のガードレールに腰を下ろした。エリートもそれに倣って歩みを止める。


「うん。エリちゃんなら察するだろうと思ってたけど、さすがね」


 キャバは両手をガードレールの縁に置き、夜空を眺めながら言った。


「ヲタくんには時機を見て言おうと思ってるんだけど、エリちゃんには先に話しとこうと思って」


 エリートは黙ってうなずくとキャバの隣に腰かけた。


 キャバはそれを受けて話を続ける。


「あの時にじっちゃんと話したことは、半分は嘘で半分は本当なの……というか、話したことは半分で、まだ話してないもう半分があるってとこかな」


「それは嘘ではない。君も仕事がら分かっているだろう」


「そうね、相変わらずアタシも意地が悪いというか。実はね、ヲタくんに助けられたあの日、あの金髪野郎にヤられてたのよ」


「ヤられ……って」


「ガッツリ中出しされてた。しかも超危険日でさ、もうサイアク──あれ、エリちゃん大丈夫?」


 飄々ひょうひょうと語るキャバに対し、エリートは瞬く間に顔を真っ赤にして歯を食いしばり、拳を震わせている。


「そんな大事なことを!」


「まあまあ、落ち着いて。アタシの中ではもう終わったことになってるから。でもやっぱ、エリちゃんに先に話してよかったわ~。エリちゃんでこれなら、ヲタくんに話した時はどうなっちゃうか想像もできないし。それにエリちゃんは親友っていうか、こういうこと話しても大丈夫なアタシにとって大切な仲間だし。色恋抜きでの男女の友情、なんてアタシはこれっぽっちも信じてないけど、唯一あるとすれば戦友だと思うのよね。エリちゃんはそんな感じ」


「では、ヲタは?」


「最初はからかうっていうか、母性くすぐられる感じだったんだけど、何だかゴリゴリ男前になってきてさ。子宮にグングンくるっていうか、母でありながら息子に対して一線を越えたラブ感じちゃったというか」


「言ってることはこじれていてかなり危険だが、ヲタの成長に関しては理解できる」


「でしょ? ちょっとアタシも本腰入れて考えようと思って。あ、話がそれちゃったけど、あの後さすがに凹んだキャバさんは実家に帰って寝込んでたの。アフターピル飲んで体調サイアクだったし、いくら苦手な家族がいっしょでもあの時は独りでいるのが耐えられなかったのよね」


 キャバは恥ずかしそうに鼻をかきながら話を続ける。


「そしたらさ、そういうのってやっぱ分かっちゃうっぽいのよね。アタシにどれだけ嫌われていようとも母親って奴は。アタシが弱ってたってのもあるけど、すぐに白状させられて親父にも伝わって里中家はもう大炎上よ! 超一級の弁護士用意して相手の人生終わらせるとか、社会的にもリアルでも抹殺するとか、アタシが言うのもなんだけど金持ちがガチで怒った時は本当にヤバいわ」


 エリートはここまでのキャバの話し方を聞いて、最初こそ血が沸騰しそうになったが彼女の中でそれは終わっている、心の整理が済んでいるということが分かりあんしていた。


「それがヤバいのは金持ちだからとうのだけでなく、親だからでは?」


 エリートのその言葉を受けてキャバはぽかんと口を開けたまま何も言えず動きが止まったが、しばしの間を置いて合点がいったのかその活動を再開した。


「そっか……そういうことか」


「そこまで想ってくれる人がいるというのは、羨ましい。もしかしたらみどりは僕のことをそういう風に気にかけてくれているのかもしれないが」


「エリちゃん、もしかしてアンタ……」


「僕のことはあまり話してなかったけど、キャバの言葉を聞いてガードが緩んだよ。いつか2人には話したいと思う」


 エリートはガードレールから腰を下ろすとキャバの正面に立ち、今まで見せたことのない笑顔をこぼしキャバに手を差し出す。


 キャバはその手を握って立ち上がると、人差し指でエリートの頬をつついた。


「へえ~そんな顔できるんだ」


「いや、それは」


「安心して、エリちゃんもなかなかのイイ男だから。それはともかく……」


 キャバはエリートにも負けない満面の笑顔を見せつける。


「アタシはそんなこともあったけど、今は大丈夫って話。これからもアタシは2人といっしょにパチスロ打ちたいし、それとは別にヲタくんのこともちゃんと考えてるってことで」


「了解した。何の異論もないし、大賛成だ。さしあたっては──明日、打つ?」


「打つ! ぜーったいに打つんだから!」


 キャバは人影の少ない夜の街に響き渡るほどの大声で叫ぶと、ハイヒールのパンプスを脱いで両手に持ちながらストッキングだけの素足で駆け始める。


「はやく帰ろ、ヲタくんが待ってる!」


 無邪気に夜道を駆け回るキャバの後を追って、エリートも仲間の待つ宿へと足を速めた。

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