31「こんな業界だからこその“正義”」

「ん~客入ってんねえ」


 神内は店長として最後の巡回業務でもしようかとフロアに出ると、そこそこのにぎわいを見せている光景を他人事のように眺めていた。


 しかし、間もなく違和感を覚え始める。


「出玉もなかなか……ん? ……んん!?」


 通路を歩きながら台の上に置かれるドル箱、キャリーで並べられている別積みの数々を目にして、本来あり得てはならない状況であることに気付いた。


「君、君! 一体これどうなってんの!?」


 神内はあわてて近くの店員に声をかける。


「何かおかしいことありますか?」


 呼び止められた店員はメダル補給の途中で、露骨に面倒くさそうな態度を示した。


「いや、おかしいも何もなんでメダル積んだり運んだりしてるの!?」


「今日はパーソナルなしですよ、先週から予定してたじゃないですか」


「パーソナルなし? 先週?」


「店長は休んでたから──あ、お客様お待ちなんで」


 呼び出しランプを点けて島の奥から不機嫌そうにこちらを見ている客に気付くと、店員は会話を中断してメダルスコップを片手に去っていった。


 神内は改めてパチスロの島に入り、空き台を確認する。


 パーソナルシステム用のメダル投入口や会員カードの差込口が、あらかじめビニールテープで封じられている。


 そして見覚えのないメダル計数用のジェットカウンターが何カ所かの島端に設置されていることに今さら気付いた。


 先程まで余裕を見せていた神内の顔からみるみる血の気が引いていく。


 さらに覚えている限りの番号の台を見てまわると、空き台か出玉が無く現金投資されている台ばかり。データ表示機を見てもほとんどが下降線をたどっている。


(おいおいおいおい、話が違うだろ! それに私の店に何してくれてんだ!?)


 パーソナルシステムを止めてこんなことができるとは。


 そして何よりも、目の前で起こっている全ての状況を自分は聞いていない。


 聞いていない──いや、わざと聞かされていない?


 ようやく一つの結論に至りそうなタイミングで、背後から肩を叩かれた。


「ひっ!?」


 神内は体をびくつかせて振り向く。そこには耳のイヤホンに指を添えている店員がいた。


「何ビックリしてるんですか? インカムで副店長がお呼びです」


「……そうか副店長ね、分かった」


 ──これは、ダメだ。


 神内はポケットに車のキーがあるのを確かめると、バックヤードには行かずフロアの出入口から外へ出た。


 ホールの建物をなぞるように迂回して裏手に周る。


(とにかく逃げるんだ、バックれちまえばあとは漆原さんが何とかしてくれる!)


 神内は車で脱出しようと小走りで従業員用の駐車スペースに向かう。


 そして角を曲がって愛車のフォルクスワーゲンが見えて駆け寄ろうとした時。


「店長、これから遅番じゃなかったのか?」


「ああ、あの、はい……そうです」


 そこにはエリアマネージャーの瀬戸口の姿があった。


「駄目だよ、洗車はこまめにしておかないと。せっかく小金稼いで外車乗ってるんだから」


 瀬戸口は車の窓に目立つ水垢を指でこする。


「偽計業務妨害罪──威力業務妨害罪の教唆にもなるかな。詐欺、窃盗、私文書偽造、ああもちろん民事もあるから安心しろ。うちの法務部は勝てるとなれば全力で根こそぎケツの毛までむしり取るから、今後は脱毛の心配はしなくていい」


 瀬戸口が犯した罪を丁寧に並べて聞かせていると、従業員出入口から副店長も出てきて店長の背後に立った。


 店長は2人に囲まれて、口を半開きにしたまま唇を震わせて力なく両膝をつく。


 瀬戸口はうなだれる店長の前にしゃがみ込むと、その肩を叩いた。


「情状酌量とか和解とかいろいろ道はある。とりあえずは話し合いといこうじゃないか。ゲロってくれる内容によっては、お前の人生すべてを終わらせるまではしないよ」


 


 


 渦中のグランドリニューアルの一方、日出会館の稼働は高く活況を呈していた。


 だが、それは店側の思惑とはやや異なる形でだった。


 


『Re:ゼロやっぱ何かやってねえか、あの台5連続で白鯨突破してるぞ』


『ああ、あの女が打ってる台か。角から456確も出てるって話だしな』


『三太郎が絆を打ってるぞ? いつもユニバには座らねえし逆に怪しくね?』


『でもさっきはまどか打ってたし、その前は吉宗3だろ。来店であんなにカメラ引き連れてフラフラしてるのも珍しいな』


『ったく今日はどれなんだよ、全然見えてこねえ』


 


 演者の三太郎が来店している時は、彼が打つ機種やその周辺の台が鉄板というのはそれなりの打ち手には暗黙の了解だった。


 しかし、肝心の三太郎にツモっている気配がなく、その限られた情報に頼り切っていた者たちは右往左往を繰り返している。


 当たり機種や法則性が見えずいたずらに台が耕される状況が、結果的には高い稼働率を維持する事態を招いていたのだ。


 そして、混乱をさらに助長していたのが1人の女性だった。


「これまた当たっちゃうかしら?」


 浅野の妻である真由美は、液晶画面で繰り広げられるバトルをニコニコしながら見守って打ち続けている。


「まあ大きい♪」


 画面に巨大なPUSHボタンが映し出されると、真由美はそのボタンにタッチするが何も起こらない。


「あら、まどかとは違うのね……えい!」


 真由美は画面ではなくリール盤面下の本物のPUSHボタンを押すと


『ごちそうさまです!』


 可愛らしい女性キャラクターが七色に光り、これでもかと打ち手を祝福する甲高い音が響き渡った。


 それと共に空いていた周囲の台に何人かの客が座り始め、真由美の背後に1人の男が近付いてくる。


 リール盤面のガラスに映るその姿を見とめると、真由美は振り返って話しかける。


「また当たっちゃった」


「本当に大したもんだよ、真由美さんは」


 その相手は夫である浅野だった。


「そう? この台初めて打ったけど目押しも真ん中にスイカ狙うだけで簡単だし、打ってたらそのうちピキピキ鳴り出して当たるんだもの」


「まあそれはその……真由美さんが持ってるというか簡単にしているというか……」


「ふ~ん。この台って設定あるのかしら?」


 周囲を気にしながら浅野は真由美の耳元に手をかざし、小声でささやいた。


「無いとは言わないけど、これが6だったら日本中のスロッターに夢と希望を与える女神になれるね、真由美さんは」


 頭上のデータ表示機に並ぶ高層ビルのような通常G数を示す棒グラフを見つめながら、浅野は苦笑してみせた。


「真由美さんはこのATを取りきったらやめていいよ。退屈しただろうし、あとはディスクアップとかアクロス系とか好きな台で遊んでてよ」


「分かったわ、なお君は?」


「俺はもう少しだけやることがあるんでね──お、おいでなさったようだな」


 そう言い残すと、浅野はホールに入ってきた数人のスーツを着た集団を確認してその場を離れた。


 


 漆原は自店の応接室で、不機嫌そうに組んだ足で貧乏ゆすりを繰り返していた。


 昼過ぎから城之内と連絡が取れない。グランドリニューアルの様子を見るついでにマーベラスへ店員を頭取りに行かせたが、稼働もそこそこ高く特に変わった様子もないと要領を得ない報告しかなかった。


 また、昨日から何度も神内から電話があり二言目には金と仕事の保障ばかり訴えてくる。もっとも、それも午後になってようやく途絶えたが。


 そして何より、今目の前にいる男がとにかく目障りだった。


「何よアレ、話が全然違うじゃない! チミがいつも仕込んでくれるから安心して打ちに来てるのに、これじゃギャラなんか飛んで今日1日タダ働きみたいなもんよ」


 何をほざいていやがる。この時代遅れの三流演者が。


 代理店をはさまずに直接仕事を出せるようにしたのは自分のおかげで、そのギャラが1回の来店で一般のサラリーマン1か月分に勝ることは分かっている。交通費も宿泊費も、ましてや夜の接待もすべてこっち持ちで、だ。


「まあまあ、落ち着いて。今日は何かの手違いで本当に申し訳ありませんでした。だからこそ、本来は外の人間またがせないここにお招きしているわけで」


「頼むよ~本当に。それより今夜は大丈夫だろうね? ええっとたしか、澪ちゃん、そう澪ちゃん指名するから!」


「ああ……あの店は最近オーナーが変わって女の質が落ちましてね、今夜は別の店をご紹介します。もっと高級な三太郎さんにふさわしいお店を」


「そうなの? まあそれならいいけどチミ、よろしく頼むよ~」


 その時、三太郎と漆原2人だけの応接室にベル音が響く。


 扉の横壁に設置された内線電話が鳴り続けると、漆原は立ち上がり乱暴に受話器を取った。


「来客中だと言ったろ──ん、生活安全課!?」


 漆原の顔色が変わる。


「今どこにいる──分かった、そこで足止めしろ──そんなの何でもいい、責任者が忙しくてとか適当に誤魔化せ!」


 受話器に向かって怒鳴りつけて通話を切ると、漆原は机上の手荷物を急いで片づけ始めた。


「三太郎さん、サツが来店かぎつけて立入検査に来てます」


「ちょ、なんでそんなことになってんのよ!?」


「こんなこと今までは……」


 同業者が通報したか? だが、それだけで立入検査はまずあり得ない。しかも遊協の人間でなく警察がいきなり? 何かしら話が広まって大量の電凸でもあったのだろうか。


「指導はともかく、現場押さえられるのはさすがにまずいですね。今すぐ裏から出ましょう」


 漆原は応接室の扉を開けると、あわてて身支度をする三太郎を手招きした。


 


「本当ですか、それ?」


「三太郎が何も分からずに平打ちしてるのは間違いないよ。それに今、あいつ姿消してるだろ? それにあれを見てみろ」


 顔見知りの地元の専業と話していた浅野は、景品カウンターの横でスーツ姿の男たちに対してくり返し頭を下げている店員を指さした。


「あれは制服じゃないが、たぶん警察だ」


「警察!?」


「お前も知ってるだろうけど、今日は来店告知しまくってたし、ツイッターでもいじられてたろ」


「見ましたよ。たしかビス子があおってた奴っすね。あれだけバズったら人も集まるし、文句言う奴も出てきますわ」


「さすがに見過ごせなかったんだろうな。これでマークされたら、この店もしばらくは派手なこともできなくなる」


 正確にはビス子が情報をバズらせ、さらに浅野が人脈を活かして栃木県の生活安全課に複数の通報を入れたのだが、そこまで話す必要はない。


「しかもな、三太郎って店に朝イチでデモずれしてる台を仕込ませて、それに座ってただけらしい」


「マジっすか!? 汚ねえ真似すんなアイツ」


「今日はそれが上手くいかなかったんだろうな。だからまだ埋まってると思うんだよな、今日は。そうだな、俺だったら……まだあまり触られていないサミー系を狙うかな」


「ああ! たしかに最近全系やってないし、三太郎が触らなさそうだからスルーしてましたわ。ちょっと耕してみますよ、あざっす!」


 地元の専業は浅野に礼を言うとその場を離れ、すぐに仲間たちに声をかけにいった。


 こういった現場の情報は、音もなく静かに、布が水滴を吸い取るように染みわたり広がっていく。よく目を凝らして観察しないと、それが分かりやすい染み跡になった時には勝負がついているものである。


(さて、これで俺のお役目は終わったようなものだが……)


 あとは真由美の隣でのんびりノーマル機でも打ちながら瀬戸口たちの到着を待とう。


 浅野はそう思いつつスマホのプッシュ通知に気付きラインを開くと、その内容に思わず口笛を吹いた。


「これはこれは千客万来。というか、もう着くんじゃないか?」


 浅野はまだ自分に仕事が残されていることを悟り、その準備に向かった。


 


 パチンコ店にはあまりに不似合いな、黒く、重く、形状を整えられた美しき鉄塊のような高級車が駐車場に入ってくる。


 威圧感のある方形のフロントフェイスには神殿を象ったグリル、その中央上部にはRRのエンブレムがはめ込まれている。


 そしてボンネット先端中央には──スピリット・オブ・エクスタシー。その象徴的なミューズを頂いた車体は、存在それ自体が威厳そのものだった。


 ロールスロイスは一般客の出入りするホール正面に停められると、運転席から中年の男性が降りてくる。上下に淡いブルーの作業着を身に付け、その上半身の内側にはワイシャツとネクタイを覗かせていた。


 男性はホールに入っていったが、ロールスロイスはホール正面に停められたまま。


 近くを通り過ぎる者たちは誰もが車体に目を奪われ、目ざといものはその車内にも注目した。


 窓にスモークは施されていない。


 その窓の奥、ウッド&レザーの内装が見て取れる後部座席には、1人の女性らしき姿があった。


 しばらくしてホールから先程の中年男性が戻ってくると、運転席に乗り込む。


 ロールスロイスは再び動き始め、ホールの裏手側へと回っていった。


 


「後でご連絡しますので、今日はもうこちらには来られませんように」


「当たり前だろ! 来月からは考えさせてもらうからね、チミ」


 漆原に導かれて裏手の従業員用の出入口から出た三太郎は、キョロキョロと周囲の視線を気にしながら走り去っていく。


 その後ろ姿を見届けて屋内に戻ろうとした時、漆原は今までにない猛烈な違和感に気付いた。


 日頃は自分のレクサス以外にはつつましやかな庶民的な車しか停められていない従業員用の駐車スペースに、それをはるかにしのぐ圧倒的な威圧感を放つロールスロイスが鎮座していたのだ。


 漆原がぜんとしていると、運転席から男が降りてくる。


 そのまま後部座席側に周ると、そのドアを自らの手で開けて首を垂れた。


 開かれたドアの下から、降りてくるであろう者の足下が現れる。


 フロントにヴァラ・リボンが施された黒のハイヒールのパンプス。そして、うっすらとボタニカル柄が垣間見える同系色のストッキングに包まれた甲から続く脚線は、ブーツカットのパンツスーツに覆われてその美しさ想像で補うしかない。


 後部座席から現れたその女性は、長め丈のテーラードジャケットを羽織り、黒髪のショートヘアが聡明さと快活さをかもし出していた。


「ありがと、じっちゃん」


 女性は車から降り立つと運転手に声をかけ、間を置かず漆原へと近付いていく。


 呆気あっけに取られ立ちすくんでいる漆原の目の前に立ち、うっすらとルージュの引かれた唇を開いた。


「里中技研株式会社の里中まりと申します。少々お時間よろしいでしょうか?」

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