30「暴力に対する力は、暴力。」

 エリートから城之内がこちらに向かっているという連絡を受け、ヲタはフロアの巡回を止めた。


 すでにパチスロ島は多くの台が反応して活況を呈し、出玉という形でも見え始めている。


 この時刻でこれだけなら、夕方にはちょっとした祭の様相になるのは明白だった。


 そしてその光景を後押ししているのが、釣られているとも知らずに低設定を打ち続ける打ち子グループだ。


 レベルの高い専業や軍団が集まった場合は、メリハリが見えてくると空き台イコール低設定となり全体の稼働率は低下していく。


 しかし、今日は低設定も回され続けているので稼働率が落ちない。フロアの勢いと期待感が維持されたままになり、空き台にも座りたくなる環境ができ上がっている。


 稼働が高いと誤爆も含めて出玉が目立ち、実際はその陰で大量の差枚数マイナスが発生しているにも関わらずホールが出しているように見える“稼働マジック”という現象がある。ホールにとって最も好ましい状態と言えるものだ。


 だが、稼働マジックに似ているようで、眼の前に広がる景色は違う。


 多くの高設定台がその力を発揮し、低設定台もバリバリ稼働しているフロアには熱気があり、これがやがて本物の祭を生み出していく。


 純粋にこの環境で高設定を追い求めて立ち回ることができたら、と思わずにはいられなかったが今は我慢しなければならない。


 ヲタはホールの出口へと急ごうとしたが、そこで打ち子グループの親の男と鉢合わせになった。


 もはや顔からは表情が失われて唇を震わせ、眼球が破裂するのではという勢いで目をき赤く充血させている。


「無理だ、取り戻せねえ! もう現ナマ全部吐き出しちまったよ。城之内さんに埋め合わせしてもらわねえと破産しちまう!」


 それはもはや救いの手を求めるというより、亡者が地獄の底へ落ちていく断末魔の叫びに聞こえる。


 もはやその叫びに耳を貸す段階では無かったが、その姿はあまりに哀れでまた胸の中のとげがうずいた。


 ──こんな時、キャバなら。


「城之内はもう終わりだ……ガセをつかまされてる、すぐにでも退いた方がいい」


「やっぱガセか──って終わりって何のことだ!?」


「……今日はもう打ち子を解放して……お前も帰れ……またいつか……たとえば明日にでも取り返せるかもしれない」


 ヲタはそう言い残すと、親の男の肩を叩きホールの出口へ向かった。


 


 外に出ると耳がやられそうなホールのけんそうから解放され、違う世界に飛び出したような感覚になる。


 それはホールに入る時も同じで、自然と自分の中のスイッチが切り替わる感じだ。


 だが、今は違う。


 すでに胸の中に灯っていた火が、さらに燃え上がるような衝動。


 駐車場を見回すとこちらに向かってくる忘れることのない風貌、金髪の男、城之内が見えた。


 まだこちらには気付いていない。


 ヲタはラインで手短にメッセージを送ると、スマホを尻ポケットにしまった。


 大きく息を吸い込み、歯を食いしばったまま吐き出す。


 ヲタが城之内に向かって進むと、気付いていなかった城之内がこちらに視線を向けた。


 他に人の姿の無い開けた駐車場で、自分の方向に歩いてくる人間がいれば注目しないはずがない。


 ヲタは城之内に目を合わせると両手を広げ、右手を自分の首に当てる。


 そのまま親指を立てて首を横になぞり、ゆっくりと親指を下に向けた。


 カッ切ってやる。


 それはあまりにも分かりやすい挑発のサイン。


 呆気あっけに取られていた城之内は、ヲタの顔を見てそれが誰だか気付いた。


 その表情はみるみるとひょうへんし、怒髪天を衝く勢いで怒りに満たされる。


「クッッッソガキがあああ!!!」


 城之内はほうこうを挙げながらヲタに襲い掛かろうと駆け出す。


 ヲタはそれを迎え撃とう──とはせず、きびすを返してホールの敷地外へと走り出した。


 城之内は迷わず後を追ってくる。


 ヲタは背後から聞こえる地面を蹴る音を感じながら敷地を出て、国道沿いの歩道を走り続けた。


 足には余裕がある。何の訓練も受けずトレーニングもしたことはないが、日々ずっと立ち続けホールを回り続けていることが効いているとすれば、これほど健康的で不健康な話もない。


 相手を諦めさせない程度に逃げ続けると、歩道から角を曲がり店舗と駐車場のあるスペースへと駆け込む。


 そこには数台の車が停められていたが、そこはすでに廃業したラーメン店の跡地で看板は外されていた。


 ヲタはその空き地の中央辺りで足を緩めて立ち止まり、後ろを振り向く。


 息を切らせて近付いてくる城之内の姿が見えたが、逃げることなくその場で待った。


(どこまでやらせてもらえるか……)


 走り続けた鼓動の高まりが、そのまま緊張にとって代わる。


 城之内はヲタが逃げないのを察すると、走るのをやめてにじり寄るように歩いて近付いてきた。


「ハア、ハア……クソガキが、いつまでも逃げられるわけねえだろ。あれだけのことしてくれたんだ、ぶっ殺してやる!」


 そう言いながら、城之内は構えもせず歩きながら踏み込むように右拳を伸ばす。


 拳は頬骨に当たり、ヲタの視界が一瞬ホワイトアウトして後方によろめいた。


 城之内はそのまま迫ると左手を伸ばし、ヲタの胸ぐらをつかんだ。


 人差し指にはめられたシルバーリングが、ヲタのTシャツに食い込んでいく。


「イキってんじゃねえぞ素人が!」


 城之内はヲタを手元に引き寄せ、頭を後方に下げて勢いを付けるとヲタの顔面目がけて前頭部を振り下ろした。


 


 ゴッ。


 


 骨と骨がぶつかり合う、鈍い音が響く。


「ぐっ」


 その衝撃にたじろいだのは──城之内だった。


 つかんでいた左手を放し、反射的に右手で額を抑える。


 城之内は思わず距離を取ろうとしたが、後ろに下がれない。


 それは、胸ぐらをつかまれた腕をヲタが両手で抱えて離さなかったから。


 ヲタは城之内が頭突きをしてくるのを察し、自らの頭を下げて亀のようにガードを固めていたのだ。


 2人の頭蓋骨が激しくぶつかりあったが、アドレナリンが分泌され覚悟を決めて痛みと衝撃に備えていたヲタは一切ひるまなかった。


 そして、城之内の左手を両手できつく握りしめたまま膝を曲げて屈みこむ。


 そのままスクワットのように全身の力を込めて立ち上がると、体勢が崩れて前のめりになった城之内の顎にヲタの頭頂部が突き刺さった。


「コハッ!」


 頭蓋骨まるごと使った直下からのアッパーカットが顎に突き刺さり、城之内は乾いたうめき声をもらして尻をつき後方に倒れた。


 ヲタは城之内ににじり寄って拳を固める。


 そのまま上半身に覆いかぶさってマウントを取ろうとした時、城之内の手元で何かが光ってヲタは動きを止めた。


「──ロス」


 城之内は視線を下げたまま何かをつぶやいている。


「──コロス、コロス、コロス──ブッコロス!」


 じょういっしてじゅを唱えながら立ち上がる城之内の手には、カランビットナイフが握られていた。刀身は緩く弧を描き、グリップを握る手からブレードが生えてきたかのように見える。小型で折りたたんでいたものを忍ばせていたのだろうか。


 直感的に身の危険を感じ、ヲタは城之内から距離を置いた。


(ここまでか……)


 興奮し続けて血の上っていた頭が、少しずつ冷めていくのを感じる。


 ヲタはもはや自分にできることが無いのを悟った。


 


 ──その時。


 


 2人の周囲に停められていた数台のうちの1台、白いハイエースのドアが開いて男が降りてきた。


 その男は作務衣さむいを身にまとい、中尺の得物を手にしいる。


「……御剣さん」


「ヲタさん、堅気であそこまでできたら大したもんでさ。こっちも教えたがあるってもんです」


 御剣は一歩、また一歩と2人に近付くと、ヲタに背を向けて城之内に立ちはだかるように間に入る。


「だが、そんな危なっかしいブツが出てきたらさすがに無理だ。ヲタさん、あんたの役目はここまでだ」


 御剣は腰を下ろして低く身構えると、木製のつかさやが一体となった鍔の無い日本刀を斜めに構えた。


「あとは任せておくんなせい」


 ヲタは無言でうなずいて後ろに下がる。


 廃業して空き地となった駐車場の中央に男2人。


 平日の午後で横を通り過ぎていく車も少なく、他に人の気配もない。


 互いに向き合う城之内と御剣、先に口を開いたのは城之内だった。


「あの時のヤクザか」


 カランビットナイフの刃に舌をはわせて、城之内は不敵な笑みを浮かべる。


「ちょうどいい──てめえもブッコロしたいと思ってたんだよ」


「半グレって奴は何かと血を流したがる……義理も人情もあったもんじゃねえ」


 姿勢を保ったまま微動だにせず、御剣が言葉を返す。


「時代遅れの的屋ヤクザがエラそうなことほざくなよ」


「それはもっとも……時の流れに残された、しがない的屋でござんすが……」


 それがすでに“事”の始まっている口上であることに、城之内は気付いていない。


「譲れぬ粋もあろうもの、決して朽ちぬこの太刀で……」


 


 キン──カラン。


 


「……渡世の義理を果たしましょう」


 2人の間に鋭いかまいたちの如き刃の風が吹き抜け、木製のさやが地面に転がる。


 さらにアスファルトの地面に金属が落ちて跳ねる音が響いた。


 御剣は懐から手拭いを取り出すと、血と脂の付いた刀身を拭う。


「へっ?」


「せーので始まる子供の果し合いとでも思ったか、若造」


 城之内は御剣の仕草に目を囚われて何が起こったか分からずにいた。


 だが、すぐに痛みという信号が脳に届き、その発信元を目撃した瞬間に事態を理解する。


「ぎゃああああああっ!」


 城之内は両腕から伝わる激痛に襲われて絶叫を挙げた。


 あるべきはずの左右合わせて10本の指が、そこにはない。


 何本かの指はカランビットナイフに絡みついたまま地面に転がり、シルバーリングも左手の人差し指ごと落とされている。


「いでえええええっ! うっだあ、ごあ、おう、おおお!!」


 両腕の先から血を流し続け、地面をのたうち回りながら城之内は叫び続ける。


 御剣の日本刀で二振り、瞬く間に城之内の指が全て斬り落とされたのだ。


 それを成し得たのは構えのままさやを後ろに投げ捨てて素早く刀を抜く早業で、いわば我流の居合抜きといえるものだった。


 そして御剣が片手を上げると、停まっていた周囲の車から5人の男たちが出てきた。


 男たちは城之内の口にさるぐつわを噛ませると、頭からズタ袋をかぶせて首元を縛る。


 さらに後ろ手に両手首も縛り上げ、ビニールのゴミ袋で何重にも包む。


 最後に金属製の足錠かけて両足首の自由も奪うと、数人で暴れる城之内の体を抱えて車の中に放り込む。最後に地面に転がった城之内の指とナイフを回収すると、全員が車へと戻っていった。


 その間、わずか1分足らず。


 御剣が乗っていた白のハイエースだけを残して、全ての車がこの空き地から出て行った。


「…………」


 活劇と呼ぶには地味で、しかしあまりに鮮やかな御剣とその連れたちの手際に、ヲタは言葉を失ってただ見守るしかなかった。


 ただ一つだけ、ヲタが気付いたことがあった。


「……今の人たちは……縁日の……?」


 御剣は手拭いを捨て、さらに拭い紙で根元からしのぎに沿って刀身を磨いていた手を止める。


「ほお、覚えておいででしたか。あっしもあいつらも、お天道様の下をまともに歩けなかった半端者なんでさ」


「それは……」


「若いお前さんが気に病むことじゃない。まだ汚れの知らない手をわざわざ染めることもないってもんです」


 つい先程まで城之内の指を斬り刻んだ男とは思えない笑顔で御剣は答えた。


「それに借りがあるのはお前さんだけじゃ……おや?」


 足元に光る何かに気を取られ、その語りは途絶える。


 それは、おそらく数時間後には誰に惜しまれることもなく何処かの海か地中に葬られる男が身に付けていた鈍く光るシルバーリングだった。


「おっと、三途の川の渡し賃を忘れていったな」


 御剣はシルバーリングを拾うと、手にしていた拭い紙で泥と血のりをふき取る。


 ヲタはその様子を神妙に見つめ続ける。


 御剣はシルバーリングを磨き終えると、視線に気づき指でつまんでみせた。


「これが気になるんですかい?」


 ヲタは首を縦に振り、手を差し伸べる。


「今日のことは……忘れたくない」


 ヲタはシルバーリングを受け取ると、無造作に尻ポケットに突っ込んだ。


 


 


 従業員用の駐車スペースに白のフォルクスワーゲンのポロが停められる。


 車から降りた神内は、すがすがしい顔をして遅番の勤務へと向かった。


 今日は自宅静養の指示を受けてから、久しぶりの出勤日。


 そして、もう二度とここに来ることはない最後の出勤日。


 遅番で入り、城之内の打ち子グループが自分の教えた高設定を全埋めし、自分が増やしておいた貯玉を全て交換するのを見届ける。


 あとはすでに荷物をまとめてある車で東京に向かいしばらく潜伏すればいい。


 できれば退職代行を使って退職金もせしめたかったが、漆原の方で借金は肩代わりしてくれるのでそれで十分だろう。


 そう言えば城之内から着信が入っていたので何回か折り返したが、電話に出ることもなく最後には電波さえ通じなくなった。


 もっとも、すでに自分はやるべきことを全てやっているし、城之内が何をしていようが知ったことではない。


 神内は従業員入口からバックヤードに入る。すれ違う従業員たちは挨拶こそしてくるものの、久しぶりに出勤した自分にどこかよそよそしい。


 店長に対してこんな無礼な態度を取るような奴らばかりのグループだから、自分のような有能な人材を評価できないのだ。そんなもの、こちらから願い下げだ。


 腹立たしいもののそれも今日で終わりと切り替え、まずは事務室へと向かう。やることと言えば、早番の副店長と業務を引継ぐだけだ。


 事務室に入ると予定通り副店長が独り、監視カメラのモニター映像を横目に見つつホールコンピュータを操作して座っていた。


「やあ副店長、お疲れさん! 私がいない間は苦労をかけたね」


 神内は機嫌良さそうに挨拶すると空いている椅子に座る。


「お久しぶりです、店長。ゆっくり休まれましたか?」


「ああ、グランドオープンではとんだ騒ぎだったな。あれからゴト師軍団は捕まったのかい?」


「いえ、証拠は提出しているのですが警察もなかなか動いてくれず、エリアマネージャーも途方に暮れています。もっとも、あのマネージャーのせいでこうなったようなものですし、今日も徹夜仕事ですが」


 副店長は目元を押さえながら、不本意そうな様子で答えた。


「それは気の毒に。あのマネージャーの勝手な行動に付き合わされたら身がもたんしな。ところで、今日の引継ぎはもうできるかね?」


「申し訳ありません、あともう少しかかりそうですね」


「そうか……じゃあ私はフロアの様子でも見てくる」


 神内はそう言い残すと事務室を出る。


 最後くらい何も知らずに金を吸われていく客の様子をじっくり眺めるのもいいだろう、という軽い気持ちだった。


 そんな神崎の様子を、副店長は気付かれないように背後から見届けていた。


(お客様のいるフロアに出るのに、ネームプレートもインカムも付けず、キーホルダーさえ持たない。最後まであなたは残念な人だ)


 副店長は大きくため息を吐くと、休憩スペースで仮眠を取っている瀬戸口のもとへと向かった。

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