13「GO前日に渦巻く思惑」

 駐車場スペースの縁日からは客足が消え、出店の主たちはそれぞれ店じまいを始めている。


 縁日は3日間開催されるが、グランドオープン前日である今日はメイン駐車場、明日以降は第2駐車場で行うためだった。


 その撤収の様子をホール内の窓から見守っていた瀬戸口に、副店長が近付いてきた。


「店内清掃が終わりました。業者の人間がはけ次第、社員にスロット全台のドアを開けさせておきます。パチンコは調整が済んでいるので基本的に目視で確認、念のため複数台機種からは各1台は抽出して釘確認シートと照合させます」


「お疲れ様。社員はそれが済んだら帰宅かな」


「はい。あとは日をまたいでシャッターを閉め次第、店長と自分とマネージャーの3人でスロット全台の設定を入れる段取りです」


「了解。久しぶりだな、全台打ち替えは──1島スピード競争して何か賭けるか?」


「冗談はやめてください。うちのグループであなたに勝てる人なんていませんよ」


「それも悲しい話だな。店長は?」


「ホールコンピュータの業者とセキュリティについて最終確認中です。その後は打ち替えの時間まで休憩すると聞いてます」


「ユーステストを兼ねて新規のシステムを導入したんだったな。店長の上申を受けて俺も本部に通したのを覚えてる」


「今回のグランドオープンはチャレンジングなことが多過ぎます。今日の件だってそうです。傷害事件となれば明日の開店すら危なかったかもしれません。あれほどリスクが高いと申し上げたのに」


 副店長は先ほどの縁日での事件について言及する。


 すると、それまでの事務的な語り口から瀬戸口の態度が少し変わった。


「事故だよ、あれは。それでも事前に手は打っていたから大事にならずに済んださ」


「そういうことではなく、そもそもの話で……」


「言っただろ、俺のわがままだって。今回の件も含めて我慢ならなかったら、本部に直接報告して構わんよ」


 それを最後に瀬戸口は副店長を残し、ホールの従業員出口へと向かった。


 


 


「クソが……ごほっごほっ! あいつ絶対に堅気じゃねえ」


 金髪の男は喉をさすりながら、後部席で前の助手席のシートを蹴り飛ばした。


 グラファイトブラックのレクサスの車体が軽く揺れるが、スモークフィルムに隠され中の様子をうかがうことはできない。


「人の車で荒れるのは感心しないな」


「すんませんね、こっちもめられたらおしまいなんで」


 運転席からの低い声にたしなめられ、金髪の男は足を組み直す。


「ほお、半グレも大変なんだな」


「何なんっすかね、その呼び方。オレたちは自力でしのいでるだけなんっすけど」


「大した物言いだな、だますかおどすかかすめ取るかして金を奪うしかできないやから風情で」


「喧嘩売ってんっすか? アンタのやってることと大して変わらないっすよ」


「こっちは風営法に基づいた立派なビジネスなんだよ。仕事くれてやってるだけありがたく思うんだな。しのぎの口も減ってきてんだろ?」


「ちっ……たしかにもうこの辺じゃ掛け子も出し子も集まらねえし、タタキはリスク高えし。都会なら女囲ってマンヘルでもマッチングアプリでカモ引っかけても余裕なんっすけどね」


「それと比べればうちの仕事なんて大したことないだろ、文句言わずにやることをやればいい」


 運転席の男はそう言うとアームレストの収納ボックスから煙草を取り出し、エアコンのスイッチを入れ外気導入に切り替えた。


「今どきヤニ吸ってんっすか、しかも紙巻き。終わってんなあ」


「半グレに諭されるとか時代だな。妻の目が厳しいんだよ、こういう時にしか吸えないんだ」


 運転席の男がそうぼやきながら煙草に火を灯そうとした時、レクサスの車体を外からノックする音が聞こえてきた。


 運転席の男が背後に向けて人差し指を曲げて見せると、金髪の半グレは黙ってうなずき後部座席のパワーウィンドウを下ろした。


「お客様、間もなく駐車場を閉めますのでご退出願います」


「ハイハイ、りょーかい」


 そう答えつつ半グレは窓の外に立つ店員らしき人影のネームプレートを視認する。


「明日からグランドオープンになりますので、ぜひお越しください」


 退店をうながす店員は、そう言いながらチラシとポケットティッシュを差し出してきた。


 半グレはそれを受け取り、ポケットティッシュに硬い手応えを確認するとパワーウィンドウを閉じる。


 店員が離れるのを確認すると、運転手の男はブレーキペダルを踏みエンジンボタンを押した。


 


 


 ほとんどの屋台が撤収を終え、本来の姿となったメイン駐車場の広大なスペース。


 その片隅に停められた白いハイエースのバッグドアを開けたまま、初老の作務衣さむいを着た男は荷台に腰を掛けて一服していた。


 傍らには青い四角に白抜きでロゴが施されたハイライトと百円ライターが置かれている。


 そこに近付いてくる人影が一つ。


 暗闇で顔は見えなかったが、その姿から察して作務衣さむいの男は腰を上げようとした。


「瀬戸口さん、お疲れ様です」


「御剣さんこそ、そのままで」


 御剣と呼ばれた作務衣さむいの男の前に現れたのは、エリアマネージャーの瀬戸口だった。


「1本もらえますか」


「もちろん」


 御剣が左手でハイライトの箱を小刻みに振ると、そこから突き出た1本を瀬戸口はつまみ取る。


 差し出された百円ライターで火を灯し、夜空に向かって大きく紫煙を吐く。


 上弦から満月に差し掛かるほどの月から注がれるほのかな光。


 地平の建造物から差し込む明かりも少なく、都心よりも星が多く輝いて見える。


 駐車場から出ていく車が合流する国道には車列が絶えない。


 そのエンジン音だけが2人の間に流れ、会話を交わさないまま時が流れる。


 御剣が1本吸い終えそうな頃に、ようやく瀬戸口が口を開いた。


「今日は助かりました……正直なところ、やっちまったかと焦りましたよ」


「あれは無理ですよ」


 御剣はハイライトの吸いさしを空き缶に落として答えた。


「この度は地元衆の庭場とは違いますが、庭主や昔の伝手に話は通してました。でも、あれはどこにも属してない半グレもどきです。あの後に軽く電話してみましたが、どこもケツ持ちじゃありやせんでした」


「そうでしたか……たしかに的屋に堂々と因縁吹っ掛けるなんて、そんなやからしかいないでしょうね」


「ですが、うちらが店出さなかったら、こんなことにはならなかったかも知れやせん」


「別に御剣さんがあいつらを呼び寄せたわけじゃないですよ。多かれ少なかれ、うちのグランドオープンに嫌がらせをするつもりだったんでしょう。むしろ、そういうやからの存在が事前に分かっただけでも大きい」


「表立っては動けませんが、できることはさせていただきやす。最近じゃ出せる本数も減ってきて組合の衆たちにも苦労かけてたんで、話をもらえたのは本当にありがたかった」


 御剣が空き缶を瀬戸口に差し出すと、気付けばフィルターまで燃えかかっていたタバコをそれでもみ消した。


「ただ……いいんですかね、瀬戸口さん」


「ん?」


「いくら今は非指定のタビニンだからと言って、パチンコ屋はあっしのような人間と関わりを持っちゃ危ないんでは?」


 その御剣の危惧を聞いた途端、瀬戸口は目を見開いて思わず笑い出した。


「笑い事じゃないでしょう、瀬戸口さん。あっしは瀬戸口さんと比べれば学もねえし娑婆しゃばにも疎いが、鼻は利く方ですぜ」


「ああ、すみません。さっき部下にその話で説教されたばかりなもので。御剣さん自身にまで心配されたら、立つ瀬がないな」


 瀬戸口は笑いを抑えて言葉を続ける。


「所轄の生活安全課の課長には、正直に伝えて言質を取ってます。問題を起こさない限りわざわざ掘り起こすようなことはしない、ってね。それに何より、俺が御剣さんを仕事で呼びたかったんだ。ようやくそれができる立場になったし」


「瀬戸口さん……」


「これで返せるとは思ってませんが、下北沢での恩は忘れてませんから」


「そりゃあまた懐かしい話を」


 御剣はそう呟きながら遠く夜空を見つめていた。


 


 


 エリート、ヲタ、キャバの3人はタクシーでホテルに戻ってから、コンビニで買い出しをしてから一室に集まっていた。


「…………」


 あんな出来事もあり3人の間には重い空気がただよっていたが、特にヲタはいつにもまして無言でうつむいたままだった。


 こんな時にはしゃいで見せて場を和ませるのがふだんのキャバだったが、彼女は彼女でやり場のない怒りと悔しさを何とか抑え、温もりの残る胡麻あんまんにかぶりついていた。


 金髪の半グレに張り倒された頬や口内は幸いにして傷つくこともなく、すぐに冷やしたことで腫れもだいぶ引いている。


 エリートは食べかけのサンドイッチを傍らに置き、ノートPCで情報収集をしている。ホテルのWi-Fiが弱いのか、近くにはスマホが置かれテザリングでウェブにつないでいた。


「島図もようやく店ラインのメニューで見れるようになったから、各自あとで確認しておいてくれ」


 ヲタは黙ってうなずき、キャバも胡麻あんまんを食べながら片手でスマホを操作し始めた。


 エリートはすでにウェブ掲載済みだった機種構成と初見のフロアレイアウトを見比べる。


 都心の系列店と比較すると、この地方特有で好まれているらしい沖スロ系がボックスで配置されているのが違いとして顕著になっている。また、Aタイプではアクロス系より圧倒的にジャグ系が多い。


 しかし、それ以外のメイン機種や少数台のチョイス、バラエティの並びは馴染なじみのある構成だった。


「通常の特日ならメインに機種1か456を1セット、やや割高目の少数台に全6。ジャグやアクロス系にはローテ気味に56を散らして、バラエティには設定推測しやすい機種に数台。それをしやすい構成と配置にしてある」


 エリートはあえて2人の反応を待たずに淡々と語り続ける。


「近隣店の交換率の相場は47枚貸しの53枚交換で11.27割、これは開店したらカウンターで特殊景品の枚数を聞いておく。仮に同じとして、この分岐をスタートラインにして配分パターンをシミュレーションしておく」


「分かりやすいことしてくるかな? さすがにしてきそうだけど」


 口の中の物をすべてしゃくし終えたキャバがようやく口を開いた。


 エリートはうなずいてそれに応える。


「店としての思想──客に対してこの店は何に力を入れていくか、というメッセージがこの3日間で示されるものだと僕は考えている。さっき言ったようなことなんて一切関係なしで、初日は沖スロ系を全56にして残りは割が許す限り適度に散らすだけ、というのも当然あり得る」


「沖スロ系か~、あれはあれで好きよアタシ。アタマ空っぽにして叩けるし、ボーナスの曲が変わって枚数も表示されてドヤあって感じとか。あとチョロ回しして離席くり返す奴とか、台押さえてすぐに休憩取るような小僧とかいなくて、老いも若きも金突っ込んでレバー叩く鉄火場感がイイよね」


「キャバが打てるか打てないかの話ではないのだが」


 エリートはそう言いつつ、キャバが少し調子を取り戻しつつあることには胸をでおろしていた。


「予想と仮説なしに挑むのは無謀だが、それに縛られて変化し続ける兆候に対応できないと身を滅ぼす。明日の朝は何かしら座らないと始まらないだろうが、いつも以上に気を配っていこう」


「ようはいつも通りでしょ。頑張っていこ?」


 キャバはそう言って下を向いているヲタの顔を覗き込んだ。


「…………」


 ヲタはうなずきこそするが、未だに口を開かない。


 キャバは口をとがらせてエリートに視線を向けて訴えかけたが、エリートもヲタにかけるべき言葉が見つからず押し黙ったままだった。


 キャバは軽く息を吐くと、ヲタの顔をいたわるように優しく両手で包み込んだ。


「アタシたちはあの金髪野郎たちを放っておけなかったし、ヲタくんはアタシを守ろうとしてくれたんだよ。何も悪くないし、恥ずかしいことないんだから」


「…………」


「女の子助けたヒーローなんだから」


「……ん!」


 この世に生を受けて初めて感じるやわらかさと湿ったぬくもり。


 己の唇が眼前の女性に奪われた刹那、ヲタのたいに電流が走り目を大きく見開いたまま微動だにできなかった。


 その甘美な時間は悠久にも思われ、急激に高まった鼓動が時と共に血流に溶けていく。


 キャバが緩やかに唇を離し頬に添えていた手を下ろす。


「少しは元気出た?」


 やさしくささやくキャバの声と共にヲタはハッと目を見開く。口付けの間、自分が眠りにつくように目を閉じていたことにも気付かなかった。


「…………うん」


「それはアガるね♪」


 キャバはヲタの頬を人差し指で突いてはにかんで見せる。


 ヲタは先程とは異なる感情でうつむかざるを得なかった。


 そして────


「僕は何を見せられてるんだ!」


 完全に置き去りにされていたエリートは声を荒げた。


「あ、ごめーん。エリちゃんいたんだ?」


「いたんだ、じゃねえ! お前ら付き合ってんならちゃんと言えよ!」


「おお、エリちゃん怒るとそんなしゃべり方になるんだ。でもざんねーん、ヲタくんがアタシの部屋に住み込んでもう何カ月も経つけど一切手を出してこないし、付き合ってもいないよ?」


「……何もしてない……キャバには感謝はしてるけど」


 そこだけはハッキリとさせておきたいという意思表示か、ヲタは重い口を開いた。


「だから……びっくりした」


 そのあまりにあどけないヲタの表情と物言いに、エリートはそれ以上突っ込むことができない。


「悔しかったんだ……」


 ヲタは顔を上げ、ぽつぽつと語り始めた。


「俺は……ろくな生き方してないけど……こんなことになっても親のこと恨んでないけど……ようやく自分の力で稼ぐ、スロで立ち回ってやっていける気がしてたんだ。エリートにもキャバにも頼ってるけど……それはまだ本当の意味で対等とは言えないかもしれないけど……俺は役に立っていて自分の足で立つだけのことをしていると思えていたんだ」


 キャバは言葉をはさまず、うんうんとうなずきながら黙って聞いている。


「でも……」


 ヲタは少し言いよどみ、唇を噛みしめる。


「俺……無力だった……何にもできなかった。エリートみたいに頭良くないし……キャバみたいに勇気もないし……今日みたいに暴力に対しても何もできなかった。パチスロで周り気にして高設定が空くまで何時間でも粘ったり……店の癖を見抜くまで何回でも何軒でも通ったり……それしかできない、他に何の取りもないクズのような人間だ。それが……悔しくて……悔しくて……」


 語り終えても握りしめ続けたままだったヲタの拳を、キャバは両手でそっと包み込んだ。


 しかし、キャバの慈愛の心に反する言葉がエリートから漏れた。


「そんなことか」


 エリートがそう切り捨てると、キャバが険しい目でにらみつける。


 それでもエリートは意に介さなかった。


「当たり前だろう、そんなの。特殊な訓練を受けていない限り、この国の一般市民は暴力に対して無力だ。子供は親を選べないし、生を受けた時点から経済的にも社会地位的にも圧倒的な不公平がある。人の性格や気質も、環境による後天的な影響が大きい。その結果、今のヲタが無力なことは、何もおかしくないし恥じることでもない。ほとんどがくだらない世の中や大人たちのせいだ」


 エリートは淡々と続ける。


「そんなくだらない何かのせいにして、文句だけ言って潰れていく奴らを僕は何人も見てきた。ホールに来てる人間にもそんなやからはたくさんいるだろうし、今日2人がやられたという金髪やその取り巻きもそんな人間のなれの果てだろう。でも、ヲタ。君は違う」


 キャバの憎悪に近いエリートに向けた視線は緩み、ヲタは顔を上げる。


「君は恨み言を言わず、他人を傷つけない節度を持ち、懸命に生きようとあがいている。悔しくてもいい、でも──自分の生き方を恥じるな」


 キャバは思わず口笛を吹いてエリートを肘で小突く。


「エリちゃん、カッコいいこと言うじゃん!」


「僕も同じだ。誰だって──自分の生き方を認めて欲しいんだよ」


 エリートは少し照れくさそうにして顔を背けた。


「だってさ、ヲタくん。アタシもそう思うよ。ところでさ……」


 キャバはヲタの耳元に顔を近づけて何かをささやいた。


 すると、ヲタは顔を赤らめて無言でうなずく。


「きゃっ! アタシ、ヲタくんの初めてもらっちゃった」


 キャバは嬉しそうに自分の唇をでて見せた。

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