12「暴力に立ち向かう者たち」

「ヲタくん、あのアレっぽい市松模様の人形狙ってよ!」


「たしかにアレっぽいわ。もう黒緑でキューブだったら何でもアレだし。流行に乗るって大事よね~ウチの会社でもアレっぽい演者出そうかな」


「それいいかも! そう言えばヲタ君って長男だったよね? ビス子さんのとこでデビューしちゃえば?」


「長男だったか~それはポイント高いわ」


「…………」


 ホールの駐車場に広がる縁日スペースの一角。


 陶器の人形やココアシガレット、巨大なぬいぐるみなどが棚に並べられた昔ながらの射的の屋台で、ヲタとキャバ、そして私服姿のビス子の3人が並んで空気銃を構えていた。


(何なんだこれ……)


 キャバとビス子に挟まれ、導かれるまま縁日をはしごしている自分の状況を、ヲタはまだいまいち飲み込めていない。


 見知らぬ女性に声をかけられているヲタを見つけて助け出そうとしたキャバだったが、それがパチスロ系動画の演者であるビス子と分かると態度がひょうへんした。


 キャバはかなりそういった動画をチェックしていて、女性の演者の中でも視聴者にびないきわどい発言をしながら傾いて筋を通すビス子のことは好きだったらしい。


 むしろビス子のチャンネルを確認もせず、会ったことがあるのに黙っていたヲタをとがめるくらいの勢いだった。


 そしてすっかり意気投合してしまったビス子とキャバの2人は、ヲタを引き連れて縁日を満喫している。


「ビス子さん、これ聞いていいのか分かんないんだけど」


「な~に? 遠慮しないでいいわよ、駄目なことは駄目ってはっきり言うから」


「ビス子さんがここにいるってことは、やっぱり明日から来店があったり熱かったりするの?」


 キャバの踏み込んだ質問にはヲタも興味があるようで、今にも空気銃でコルク弾を打とうとしていた動きが止まった。


「そうね……明日とか明後日は無いかな、その後は……秘密。ホールさんは初日からかなり頑張ると思う……わたしのツイッターをチェックしてるといいことあるかも、くらいかな」


 ビス子はもったいぶった言い回しでそう告げた後に、唇に人差し指を合わせて見せた。


「いいのか……そういう話して」


「これくらい聞かれたら答えるよ? この世界でこういうのは聞き得、凸したもん勝ちでしょ。やっぱり君は真面目な子だな~」


 ヲタの素朴な疑問にビス子はあっけらかんと答えてみせた。


「やっぱりそういう人って多いんですか? DMで凸ってきたりする奴とか」


 キャバが興味津々な様子で身を寄せてビス子に尋ねる。


(近い……)


 ヲタの二の腕に、キャバの胸の感触がしっとりと伝わってくる。


「そうなのよ~今どきの広告宣伝規制は厳しいのに、“明日はどこに来店ですか? 何が狙い目ですか?”ってド直球で聞いてくるの。無視してもいいんだけど、人気商売だし打ち手の子の必死さも分かるから、教えられることだけ教えてあげるんだけどね」


 苦労を理解されて嬉しいと言わんがばかりに、ビス子もキャバに身を寄せて答える。


(狭い……)


 ヲタは射的の屋台で2人の女性に密着されて頭上で会話が交わされる、という貴重な体験をしていた。自分のどうが高まるのを感じ、空気銃の的を狙うどころではない。


「たしかに凸る方はノーリスクだし、ビス子さんも大変ですよね」


「言えないものは言えないからぼかして答えると、逆ギレされたりスクショ晒したりするのよ? 炎上も人気のうちだし、ヘイト買うのはわたしじゃなくてビス子っていうキャラだけど、割に合わないとは思うわ~」


「ですよね。そう思わない、ヲタくん?」


「それより……苦しい……」


 これ以上柔らかい何かに包まれ続けるとおかしくなってしまいそうな気がして、ヲタは思わず心の声を漏らした。


「ん? いい女に挟まれて苦しいとか、まだまだ君は社会勉強が足りないな~」


 そう言いながらビス子がわざとらしくヲタの首に手をまわしかけた時。


 3人のいる射的の屋台に、男たちの声が近付いてきた。


『ったくよお、パチ屋が祭やるって言うから来たらこんなショボい屋台だけかよ』


『玉出せないからこんなんで誤魔化してんのか、ああん?』


『この調子じゃ明日もたかが知れてんなあ!』


 ビス子は顔をしかめてヲタの首元に伸ばしていた手を戻す。


「ガラ悪いのがいるわね~」


 ヲタにもたれかかっていたキャバは、身を離して姿勢を正すと警戒の度を高める。


「ヲタくんのハーレム講座は、一時中断かな」


「…………」


 そしてヲタは、無言で空気銃をにぎったままキャバより前へと歩を進めた。


 


 ガシャーン!


 


 祭の場にふさわしくない大きな衝撃音。木がきしみ、ガラスが割れ、建築物が崩れ落ちるような複雑な音が屋台の並ぶ駐車場全体に響き渡る。


 アスファルトに散乱するお面と割れた風鈴の破片。それらを釣り下げていたであろう飾り棚の折れた木材。


 縁日を彩るお面の棚台が崩れ落ち、露店は跡形もなくなっていた。


「あっぶねーなー! 道にはみ出てたから、足つまづいちまったじゃねえかよ!」


 キャップを斜めに被り、口ひげを伸ばしたストリート風の服を着た男が大げさに騒いでいた。


「あ、あんたが自分で蹴り飛ばしてきて……」


「はあ? これ見ろよこれ! 血が出てんだろ、脛が切れちまったよ!」


 絡まれているのは屋台の店主らしき気弱そうな男性だった。


「そんなこと言われても……うちのせいじゃ」


「こっちは怪我してんだよ!」


「傷害だよ傷害、出るとこ出るかゴラア!」


「客に向かって偉そうにしてんじゃねえぞ!」


 因縁を付けているのはキャップの男だけでなく、仲間らしき数人の男たちが店主を取り囲んでいる。


 その中のうちの1人、カーキ色のスーツを着崩してノーネクタイのワイシャツから首元を開けた金髪の男が店主の前に出る。


 口角を上げて顔を突き出すと、人差し指のシルバーリングがいやらしく輝く手を店主の肩に置いた。


「うちの若いのは気が短くて悪いね。そちらだって商売やるの大変だもんなあ」


「ひ、ひっ!」


 金髪の男の圧を受けて、店主は思わず声を漏らす。


「まあ、ここは穏便に行きましょうや。ちょろっと治療費だけ出してくれれば、うちのも納得すると思うんで。そうじゃないとオレにもコイツらを抑えられないんですよ。こういった場だし、これ以上騒ぎも大きくしたくないでしょう?」


 店主の体が小刻みに震える。金髪の男の手には、その肩を握りつぶさんほどの力が込められていた。


「いかがっすかねえ?」


 ドスをきかせた〆の言葉には、有無を言わせぬ暴力の存在を感じさせるものがあった。


 


 ターン────ポコッ。


 


 スプリングが弾け、直後に乾いた音がその場に響く。


 金髪の男が店主の肩から手を離し、何かが当たった自分の頭を押さえた。


「あん?」


 足下にはコルクの小さな塊が落ちており、周囲を見渡すとこちらに向かって手を振っているキャバの姿があった。その傍らには、射的の空気銃を持ったヲタがうつむいたまま立っている。


「ごめーん、そっち飛んじゃった?」


 キャバは満面の笑みで金髪の男に近付いていった。


「アタシの弟が打ったの跳ねちゃったみたい、大丈夫?」


 金髪の男はめ回すようにキャバのたいに視線を寄せる。それは女としての商品価値を品定めしているかのようだった。


「上玉だな。この辺の店じゃ見ない女だな」


「お店? 一体何のこと?」


 キャバはもちろん何を指しているか分かっていたが、営業スマイルを保ったままとぼけてみせる。


 すると金髪の男はキャバの目前に立つと、ためらうことなく片手でその胸を鷲づかみにした。


 服の上からでもはっきりと分かるふくよかな乳房に、男の人差し指に光るシルバーリングが食い込む。


 キャバは一瞬だけ体をびくつかせたものの、悲鳴も上げず笑みを保ってみせていた。


「とぼけてんじゃねえぞ」


 金髪の男が、先ほど店主を脅したドスのきいたトーンに変わる。


「オレらのようなやからにビビらねえで、乳揉まれて悲鳴も上げねえ女が堅気なわけねえだろ!」


 そのやり取りを見守っていたヲタは空気銃を握りしめたまま駆け寄ろうとする。


 だが、キャバは空いた手でヲタにハンドサインを送ってきた。OKからのステイ、『大丈夫だからそのままで』と即座にヲタは理解する。


 しかし、金髪の男が顎を振って指示を出すと、共に騒いでいた手下らしきやからたちがヲタを取り囲んだ。


 そのうちの1人がヲタの髪をつかむと、腹部に膝をぶち込む。


「うっ……」


 たまらずヲタは前に倒れ込み、空気銃を地面に落とす。


 すぐに何人ものやからによって地面に組み伏せられ、顔面に空気銃を突き付けられた。


「オレに弾当てたくせに生意気だな、オマエの弟は」


 金髪の男は不愉快な表情を隠さず、もう片方の手でキャバの顎を乱暴につかむ。


「オモチャでも目にぶち込めばヤバいかもな。躾がなってねえから、代わりにオレたちが教育しといてやるよ」


「やめろ、てめえ!」


 キャバは初めて営業スマイルを崩し、敵意をむき出しにしてつかまれた手を振りほどく。


 すると金髪の男はキャバの髪をつかみ、渾身こんしんの力で頬を張り倒した。


「っつ!」


 キャバも男の力には勝てずにうめき声と共にうずくまる。


「女は殴れば言うこと聞くって決まってんだよ──オイ、やれ!」


 指示を受けて空気銃を持つ手下がボルトを引いた。


 


 その刹那。


 


「お客さん、さすがにやり過ぎではございませんかね」


 作務衣さむいまとった初老の男が物陰から姿を現すと、空気銃が宙に跳ね上がった。


 それに気を取られたヲタを組み伏せていた手下たちが、気付けば瞬く間に倒され地面にはいつくばる。


 


 ガキッ。


 


 鈍い金属音をさせて宙に浮いた空気銃を曲芸のように右手1本で直接受け止めると、作務衣さむいの男は風を切るように素早く金髪の男に間合いに入る。


 その鮮やかな大立ち回りを目の前にしてぜんとしていた金髪の男の口に、空気銃がねじ込められた。


「んんごっ、ふぐ……」


「オモチャでも喉にぶち込めば、ただじゃ済まないですぜ」


 作務衣さむいの男はそのまま空気銃を突き進めると、金髪の男は抗いようもなく地面に仰向けに倒される。


「そちらさんも結構な粗相をされたでしょう。あっしらもこれ以上の騒ぎは望みません、ここらで文字通り痛み分けってことで手打ちにいたしやせんか」


「ふぐっ、んぐぐ!」


 金髪の男が涙目になりながら何度もうなずいてみせると、作務衣さむいの男は一度深く息を吐いてから周囲の人だかりに向かって言い放った。


「客人の方々、お騒がせして申し訳ありやせん。ことは済みましたんで、後はどうか祭を楽しんでくだせえ」


 しばしの静寂の後、騒ぎを取り囲んでいた人々から自然と拍手が巻き起こった。


 


 


 エリートがキャバとヲタに合流したのは、ラインで連絡を受けて駆け付けた駐車場スペースの関係者向けテントだった。


 ビニール袋に氷を詰めた手作りのひょうのうで頬を冷やしているキャバ、腕の擦り傷を消毒しているヲタが、暗い表情でパイプ椅子に座っていた。


「ヲタくんのこと怒っちゃダメだからね。アタシのこと守ろうとしてくれたんだから」


「……キャバの方が……酷い目に遭った」


 共に沈痛な面持ちで語るのは、互いを慮ってとすぐに分かる。


 トラブルを嫌う自分に対しての言葉とも取れるが、それをとがめるようなエリートではなかった。


「君が友達の子かな~?」


 2人に寄り添っていた女性がエリートに声をかけた。


「ビス子さんですね、2人から話は聞いています。動画での評判も」


「縁日を荒して回ってるやからがいて、脅されてる人を助けようとしたのよ。わたしはバレるとまずいから止めといた方がいい、って2人で行ってくれたの。放っておける感じじゃなかったし、助かったわ~」


「怪我の具合はいかがですか」


 ビス子が事の成り行きを説明していると、テントに作務衣さむいを着た初老の男性が入ってきた。


 首元にうっすらと線上の傷があり、両手に軍手をしている。


 落ち着いたたたずまいと相まってただ者ではない風格を感じた。


「お連れさんですか。この度は大変ご面倒をおかけしました」


「この人がアタシたちを助けてくれたの。すごかったんだから、一瞬でアイツらやっつけちゃって」


「こちらこそ、あっしの方に知らせが来るのが遅れたところ、うちの衆を助けてくださり恩に切ります」


 キャバの言葉に対して作務衣さむいの男は膝に手を置き、深々と頭を下げた。


「どうする? 整理券もらって後はホテルで休んだ方がいいか」


「そうだね、これ以上アタシたちがいても迷惑だろうし」


「大丈夫……もう動ける」


 3人の考えが一致してテントを立ち去ろうかとする。


 そこにまた1人、テントに男性が入ってきた。


「怪我をしたお客様は?」


 スーツを着たその男性は、その言葉からもホール関係者であろうことがすぐに分かった。


「瀬戸口さん、こちらの方々です」


 作務衣さむいの男がすぐにキャバとヲタを指し示す。


 瀬戸口は2人の前に立つと、即座に頭を下げて謝罪の意を示した。


「マネージャーの瀬戸口と申します。この度は誠に申し訳ありませんでした」


「いえ、そんな大したことじゃ……」


 その真っすぐな謝り方に戸惑いを示すキャバに対し、瀬戸口は言葉を続けた。


「治療費や慰謝料など、お望みの代償があればすべて承ります。また、そのお気持ちがあるならば警察に届けていただいても構いません」


 ホール側としては警察沙汰になるのは望まないはずなのに、それを自ら切り出すことにエリートは驚きを覚えた。そして見るからに重要な役職であろう人間が全面的に謝罪を申し出てくることも意外だった。


「アタシはいいよ。あの金髪は張り倒したいけど」


「俺も……あいつをぶっ殺してやりたいけど……みんなに迷惑がかかる」


「──ということです。そうしたら、まだ彼らの分の整理券をもらってないので、それをいただけますか。あと、ホテルまでのタクシーを呼んでもらえると助かります」


「かしこまりました、ではすぐに手配を」


 2人の意見をエリートがとりまとめると、瀬戸口は改めて頭を下げてテントを出ていった。


 その様子を見守っていたビス子は少し考え事をしている様子だったが、周りに作務衣さむいの男以外に誰もいないことを確認してからひっそりとささやいた。


「そうしたらね~今回は大変だったし特別サービス。わたしが来店するのはグランドオープンの3日目。この地域は当日まで告知禁止だからナイショね」


 3人はそれぞれに驚きの表情を隠せずその言葉に聞き入った。


 作務衣さむいの男は何も語らず右手をさすりながら無関心を装ってくれている。


「その日はね、私が好きな機種“以外”がアツいかもしれないわ」


 ビス子はいたずらっぽい笑顔でそう告げると、人差し指を唇に合わせて見せた。

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