11「開店前夜、“祭”が始まる!」

 夕暮れの国道4号線。


 高層ビルの影もなく、ほとんどが平屋の建築物の間からうっすらと地平線が見える。


 往来する車がライトをつけ始め、学校帰りの制服やジャージを着てヘルメットを被った学生たちが楽し気に会話を交わしながら自転車で帰路についている。


 移動手段のほとんどが車やバイク、自転車という地方特有の風景の中で、場違いな徒歩3人組の若者たちが4号線を南下していた。


「ね、ねえ、もうタクろうよ。アタシたちもう十分がんばったよ」


 キャバがグッタリした表情で3人の最後尾でとぼとぼと集団に付いていく。


「バスの時間まで待てない、歩く方が楽しそうと言ったのはキャバだろう」


 スマホでグーグルマップを見ながら3人を先導するエリートは、キャバの嘆きにも取り合わず淡々と足を進めていく。


 新幹線で宇都宮に着いてからすぐに駅前のホテルにチェックインした3人は、翌日グランドオープンのマーベラス宇都宮店に向かっていた。


「だからってさあ、こんなにのっぺりして見るお店もないとこが延々と続くとか思わなかったんだもん」


「キャバ……俺も含めて地方出身者を……敵に回してる。こんなのホール回ってるのと比べたら……移動のうちにも入らない」


 可能な距離は自らの足で済ませ、何軒もの店を渡り歩きホール内でも張り付きにならないよう歩みを止めず何周もするヲタにとっては何の苦にもならないらしい。


「おんぶしてよー、アタシもう歩けないよー」


 キャバがその場にしゃがみ込んで駄々をこねると、ヲタは足を止めてしばしキャバを見つめてから腰を下ろして背中を差し出した。


「キャバなら……いいぞ」


「ええっ何なの! ヲタくんって天性のたらしなの!?」


 キャバが顔を赤らめて思わずヲタの背中に飛び込もうとすると、エリートがそれを遮った。


「着いたぞ、あの明かりだ。宇都宮のみなさんにおんぶされた姿を晒したいなら止めはしないが」


「えっ、あの明るいのがそうなの? 行こうよ早く!」


 キャバは急に元気を取り戻して立ち上がり、2人を置き去りにして前方の明るみへと駆け出していく。


 夕闇に染まる4号線の歩道で背中を差し出したまま放置され、身体を震わせて恥ずかしさに耐えているヲタにエリートは無言で手を差し出した。


 


 


『たこ焼き500円、焼きたてすぐ出せるよ!』


『懐かしい、型抜きだって! やっていこうよ』


『金魚すくい1回300円、ダメでも1匹プレゼント!』


 


 日頃は閑散として広大なスペースに少しずつ車が止まり始める平日の夕方、パチンコ店の駐車場。


 しかし、明日グランドオープンを迎えるマーベラス宇都宮店の駐車場は、無数に並ぶ屋台とそれに集まる客でにぎわいを見せていた。


「──これ程とは。店のサイトにグランド期間中は縁日連続開催とは載っていたが」


 エリートは眼前に広がる祭の風景に驚きを隠さなかった。


「…………」


「どうした?」


 ヲタは口を開けたままこの風景を眺めて無言で立ち止まっていた。


「ヲタ?」


「……これが縁日……初めて……見た」


「地元で連れて行って──いや、すまない」


「気にするな……親は誰も選べない」


 詮索を謝るエリートの気遣いを、ヲタは感じ取っているようだった。


「僕は店の様子を見に行くが、ヲタはどうする?」


「キャバがいないから……見つけて後から行く」


「分かった、せっかくだからゆっくり楽しむといい。整理券だけもらい忘れないようにしてくれ」


 そう言い残すと、エリートは人込みにあふれた縁日の間を抜けてホールの入口へと向かっていった。


 残されたヲタはまだ動かず、夕暮れが宵闇へと移ろった中で煌々こうこうと輝く温かい縁日の光に見入られていた。


 


『お祭りみたいでスゴいね』


『パチンコ屋ができるって言うからどうなるかと思ったが、こういうのを企画してくれるなら悪くないか』


『あなた、遊びにきたら駄目ですからね。麻衣も普段は近付いたらいけませんよ』


『でも今日はいいでしょ? ねっ、こんどは綿あめ食べたい!』


 


 自分の横を、家族連れが楽し気な会話を交わしながら通り過ぎて出店へと向かっていく。


(こういう世界があったんだな。連れて行ってもらいたかった……なんて今さらか)


 ヲタは今の自分とは程遠い微笑ましいその風景を、憧憬と共に見守っていた。


「あれ~もしかして君、あの時の子じゃない?」


 突然、背後から声を掛けられて振り向くと、サンダル履きに上下ともジャージの女性が立っていた。片手にハンドバッグを抱え、反対の手にはゴム風船のヨーヨーを手にしている。


 この高く透き通るような声はどこかで聞いたような気もするが、その姿には覚えがない。


「ど……どなたですか?」


 警戒するヲタにひるむことなく、その女性はヲタに近付いてくる。


「もう、そのやり取りは一度やったでしょ? ほら、ツイドラを譲った時のビス子よ。ビス子チャンネル見てね、って言ったじゃない」


「あ……マムシお呼ばれの……」


 唯一の手掛かりは声だけだったが、パチスロに関する言葉が出てきて全てがつながった。


 自力で店を開拓していた時に期待もせずに行った店で、来店イベントで豪華な着物を着ていたビス子という演者の女性だ。


 なぜか気に入られて打っていた台を譲ってもらったのを覚えている。


「あの後、ちゃんと出た?」


「……周りの台も含めて……完璧な状況判断だった」


「良かった~、私は朝座って打ってただけだけどね」


 ビス子は謙遜しつつ嬉しそうに答えた。


 店で演者として出会った時は着物姿の美しさも相まってどこか威圧感があったが、目の前にいる今のビス子からはそんな緊張は感じられない。


 近くに住んでいる妙齢の女性がふらっと遊びに来ました、という雰囲気である。


「近くに……住んでるのか……?」


 ヲタは素直な疑問をそのままビス子に投げかけた。


「ううん、お姉さんは生まれも育ちも東京よ?」


「じゃあ……あの着物は?」


「あれはスロ系動画をリサーチして演者の立て方を研究した結果、生まれたキャラクターよ。うちの会社ってV系でディレクターやってた社員もいるし、そういうのはしっかり統計立てて作り上げてるの。これでもウチの会社が人気出るまで試行錯誤を繰り返してきたのよ?」


 キャラクター? V系? 社員? 会社?


 ヲタの頭の中にいくつもの?が浮かぶ。


「あ~ごめんごめん。お姉さん、あんなカッコしてたけど一応ああいう動画を配信したりしてる会社の社長さんなの」


「社長……!?」


「ええっと~、ちょっとこれ持ってて」


 ビス子はゴム風船のヨーヨーをヲタに渡すと、ハンドバッグから名刺を取り出してヲタに差し出した。


「febbrile……フェブ……代表取締役……社長……鉄寿美子……てつ?」


「フェッブリーレの“くろがね”と申します。以後、お見知りおきを~」


「あ……は、はい」


 今までの人生で社長から名刺を受け取るという経験がなく、目の前で起こることに理解が追い付いてこない。


 パチスロに関することや立ち回りならいくらでも頭が回るのに、人との交流や社会性を求められると途端に怖気づいてしまう。


「しかし、君もふだんは東京で打ってるんでしょ? それでここにいるってことは、やっぱ君もグランドオープン狙いだよね。うん、なかなかいいセンスしてると思うよ~」


「いや……それは……」


 パチスロでもないのに長めのリールロック、もう少しでフリーズしてしまいそうなヲタ。


 その時、背後から聞き慣れた声が。


「ちょっと! アタシのヲタくんに気安く声をかけないでくれる?」


 立ちすくむヲタを守る女神のように、キャバはその背中を優しく包み込んで耳元でささやいた。


「さっきはゴメンね。これがおんぶの代わりってことで許して」


 


 


「5日間で1枚ずつになりますがいかがしますか?」


「この番号順で入場するのですか?」


「これは通し番号で抽選参加券になります。朝8時までにお並びいただいて抽選入場になります」


「では、全部もらえますか?」


「はい、ご来店お待ちしております」


 エリートはグランドオープンを翌日に控えるホールの入口で、明日からの抽選参加券とそれに必要な会員証の作成を済ませようとしていた。


 近隣市街の住民に優先入場券を配布していたり、抽選では無く事前入場券として配布されていたりしても仕方ないと想定していたが、単純な抽選なのはありがたい。


 念のため5日分全ての抽選参加券をもらうようラインでキャバとヲタの2人に伝えるためスマホを取り出そうとした時、自分に向けられている視線を感じた。


 エリートが顔を上げると、そこにはホールの清掃員らしき制服を着た女性が立っていた。


伊吹イブ?」


 その顔を覆いたくなるような本名をためらいなく呼び捨てで口にする女性を、エリートは1人しか知らない。


みどり?」


伊吹イブじゃない! こんなところで何してんの?」


みどりこそ──いや、清掃会社で働いてるんだったか」


「全然連絡してこないし見捨てられたかと思ったんだから。ま、生きてりゃOKだけどね」


「ごめん、もう自立してるみどりに連絡しても迷惑だと思って──」


「何言ってんのよ。あの牢屋みたいな養護施設で生き抜いた仲じゃない? 伊吹イブも施設を出て大学行けてるんでしょ?」


「うん、何とかやってる」


「そんならいいや、わたし達の中で伊吹イブは一番頭良かったからね」


 みどり──佐山みどり


 児童養護施設で共に生活した2歳年上の姉貴分の前で、エリートの話し方は自然と当時のものに戻っていった。


 胸中に闇を抱え、望まぬままたどり着いた親を持たぬ子供たちの収容施設。


 鬱屈した空気の中で生きること以外の自由がほぼ与えられず、しかし大人たちに対して常に感謝の笑顔を向けないと己の将来が閉ざされる。


 そんな心身を病んでもおかしくない環境の中、自分の気持ちを隠さず周囲にぶつけて奔放にふるまうみどりは、エリートにとって心の支えだった。


 大人たちに叱られようが、施設の子であるが故に学校で酷い目に遭おうが、お構いなし。


 みどりいつわりのない笑顔を振り舞き、時には大人や社会に対して激しく抗ってみせた。


 そしてみどりはエリートのことを弟のように可愛がり、その心底も見抜いていた。


伊吹イブが大人たちを見返してやりたいのは分かってるし、伊吹イブにはそれができるから。面倒なことがあったらわたしに相談しな!』


 仮面をかぶり優等生を演じることに精神が擦り切れそうになっていたエリートを、みどりは救ってくれた。


伊吹イブはこんな田舎のパチンコ屋に何しに来たの? っていうか、打ちに来たんだよね。整理券もらってたし」


「あ、その──うん」


「何を恥ずかしがってるのよ? 別に大学行ってる伊吹イブがたまに遊んだって誰も文句言わないでしょ。そもそも文句言われたって構わないし!」


 ──そうだった、この人の前で隠し事や世間体を気にしても無駄だ。


 エリートはこの地に来た理由や自身の近況を、みどりに話し始めた。


 


「パチスロってのでそんなに稼げるんだ。ただのギャンブルだって思ってたけど」


 みどりに案内され、明日から喫煙所になる予定の屋外の休憩スペースで2人は腰かけていた。


 中央に置かれた灰皿スタンドを囲むようにベンチが配置されている。


 縁日でにぎわう駐車場からは少し離れ、周囲に人の姿はない。


みどりはこういうの嫌いじゃないのか?」


「ここ以外のパチンコ屋も担当してるけど、まあろくでもない奴が多いのは確かかな」


 みどりは笑いながらうなずいて見せた。


「でも全然気にしないよ。他人に迷惑かけてるわけでもないし、伊吹イブが納得してやってることならそれでいいじゃない?」


「後ろ暗いことは何もないよ。店や他の客との金の奪い合いだということは分かっているし、それは法を犯さない限り他の経済活動と変わらない」


「相変わらず伊吹イブは小難しいな。わたしにはよく分からないけど」


 みどりはポケットから黒に緑の幾何学模様が施されたタバコのケースを取り出すと、手慣れた仕草で一服し始めた。


 エリートは気に留めず、むしろその姿を懐かしくさえ感じていた。


「不良の姉貴は銘柄変えてないんだね」


「そうよ、しかも電子タバコにも乗り換えられないかわいそうな姉貴なのよ」


 みどりは施設時代から大人たちに見つからないように、そしてエリートには隠すことなくタバコを吸っていた。『伊吹イブは真似しちゃダメだからね』と何の説得力もない教えを受けたことを覚えている。


「さっき話してくれた2人とはうまくやってるの?」


「──共に戦う仲間、かな。信頼してるし、されてるとも思う」


「それはいいね。わたし以外にも伊吹イブにそういう相手ができるって、何だか嬉しい。いい友達になれるといいね」


「友達かどうかは分からない。戦友とは言えるかもしれないけど、みどりのように何でも許し合えるような存在とはまた違うかな」


 みどりはその言葉を受けてわずかに身体をびくつかせる。


「だからそういう小難しいのはいいの。気の合う仲間といっしょに何かをしてたら、それはもう友達でしょ」


 そう言いながら紫煙を空に吐いてエリートの背中を叩く。それが照れ隠しであったことに気付くには、エリートにはまだ人と心を通わせる経験が必要だった。


 2人の会話がひと段落した時、休憩スペースに近付いてくる人影が見えた。


 こちらに気が付いているようだったが、ためらわず向かってくる。


 姿が見えると、それは長身でスーツ姿の眼鏡をかけた男性だった。


「あ、どうもっす」


 みどりが座ったまま挨拶すると、エリートもそれに合わせて無言で頭を下げた。


「お疲れ様です。休憩中ですか?」


「この後に夜清掃っす。社員さんの店内整備が済んだら入ることになってる感じで」


 エリートは暗闇の中でうっすらと見える男性の胸のネームプレートを確かめると、彼がこのホールの副店長であると分かった。


「そちらの方は?」


「わたしの……義理の弟っす。明日打ちに来るみたいで」


 副店長は品定めをするようにエリートに視線を傾けた。


「そうですか。できれば勤務中にホール関係者以外の方との会話は控えていただけると助かります」


 エリートには副店長の丁寧な言葉使いがむしろ癇に障ったが、ここで敵意を向けたとして何の得もない。それにみどりの立場もある。


「そうっすよね、いらん誤解受けてもバカバカしいし。すんませんでした」


「いや、みどりは休憩中なんだし僕が行くよ」


 みどりは素直に頭を下げてベンチから立ち上がろうとすると、エリートはそれを制した。


「そろそろ彼らと合流した方がいいし。また連絡する」


「あ、伊吹イブ


 心許ない声で呼び止めるみどりを休憩所に残し、エリートは副店長に軽く会釈すると駐車場スペースに広がる縁日の明かりへと向かっていった。


「また、とか言ってまともに連絡もよこしたこと無いくせに」


 休憩所に取り残されたみどりは、思わず愚痴をこぼす。


 副店長はそれを拾うことなく、みどりの対面に腰を下ろす。


 内ポケットからスティック状の電子タバコを取り出して一息吸うと、みどりに言葉をかけた。


「あなたを疑っているわけではありません。それは理解してください」


 みどりは不満そうにしていた顔を一転させ、明るく答えた。


「分かってますって。副店長さんは言い方アレだけど、真面目なだけっすから」


 副店長はみどりの顔を見返すことなく、無言で電子タバコを口に寄せた。

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