07「店に丸裸にされる打ち手たち」

 3人での稼働、打ち上げを終えてエリートは帰宅していた。


 都内の私鉄沿線、駅から離れた学生向けのワンルーム格安アパート。


 ここに住んで3年が過ぎる。


 ユニットバスとクッキングヒーター1個、寝る方向さえ選べない細長い部屋。


 それはあまりにもエリートにとってぜいたくで、生活するのに何の不便も無かった。


 耐え続けてようやく勝ち取ったこの生活に不満は一切ないし、過去を振り返る気もない。


 そして、あと1年近くで決断すべき日が来る。


 エリートは狭い部屋を大きく占める机につくと、引き出しから写真を取り出した。


 5人の子供たちと1人の大人が身を寄せ合い、わざわざ幸せを演出するように仕立て上げられた集合写真。


 その中で1人だけ、素っ気ない仕草でカメラから視線をそらしている背の高い女の子がいた。


(清掃会社で働いているって言ってたが、うまくやれてるのか?)


 写真を裏返すとメッセージが書かれていた。


『生きてりゃOK!』


 何度も見ているはずのその言葉に、エリートは笑みをこぼした。


みどりっぽいよな、ほんとに」


 誰も聞くことのない独り言をこぼしつつ、写真を机の引き出しに戻した。


 エリートは机上のノートPCを開くと、エクセルに今日の分の収支を記録し始める。


 それは単なる収支表ではなく、ヲタやキャバへの分配金、交通費や外食費も管理されている。そして、月や日々の稼働に対する目標収支が設定されており、それに対する過不足も表示される。


(このまま行けばぎりぎり間に合うか?)


 収支が自動で可視化されるグラフを見つめていた。


(いずれ下ブレは来る。どこか大きいプラスが欲しいが……都内では厳しいか? ただ、3人の今の実力で新規開拓や遠征をしてはたして……でも経験を積まないといずれは行き詰まるかもしれない)


 思考を巡らせながら、別のフォルダに集められたホールの出玉データ一覧を開いて順に確認していく。ウェブで有料公開されているホールデータを吸い上げ、エクセルに自動で出力するツールを使用したものだ。


 ツールは最初こそ有料で月額登録制のものを利用していたが、仕組みを理解してすぐに小遣いを欲しがってた大学の理系の友人にオリジナルを作らせた。


 関東1都3県で約450軒のホールデータが集計され、さらにそれらのデータに関連付けられたマクロが組まれたチェック表となるエクセルも用意している。


 突き出した出玉や平均して客側のプラスが大きい機種とそのホール、系列店の出玉傾向や各ホールの特日割り出し、機種ごとの平均出玉率など、膨大なデータから知りたい情報を抽出できるようにした。


 これによって『何かを仕掛けているホール』『すでに知られている旧イベント日以外の特日の存在』『ホールごとの新台の強さ』『機種自体の甘さ辛さ』『系列店のグループを横断した仕掛け』などが見えるようになった。


 そして、気になるホールや機種をいくつかメモに残すとツイッターや店ごとのライン@などSNSでその内容を確認する。


 すでにウェブ上で晒されている情報か、そのホールの実際の集客はどれくらいか、取材系イベントの影響なのか、などデータだけでは探りきれない温度感を探るのだ。


 データは嘘をつかない。結果として現れたデータから、その要因を抽出していく。


 あやふやな噂や評判を元にデータを確認するのは、結論ありきの後付け行為に過ぎない。そもそもの根拠が怪しい演繹えんえき法より、明確なデータを基にした帰納法を取る。


 正解を知るのはホールのみで、自分たちはそれを推測するしかない以上、この方法が正しいとエリートは信じている。そして、実際にこの方法で結果を残してきた。


 エリートに言わせれば、なぜこうした情報収集をしないで盲目的に金を突っ込むのかがむしろ疑問であり、そうしないでいる人間の多さこそ自分が勝てる理由だと自覚していた。


 ただ、一つだけ決めてることがあった。それは、こういったノウハウを情報商材にはしないということ。もしかしたら、それは大きな機会損失かもしれないし、ビジネスや起業を志す者としてなら失格かもしれない。しかし、それだけはやってはいけないという決意、美学のようなものがエリートにはあった。


 そういった心にキャバやヲタと通じるものがあったのだろう。


 ふと、今日の打ち上げでキャバとの口論の間に入ったヲタの言葉を思い出した。


『でも……金なら他に稼ぐ方法もあるんだろう、2人は。……それにエリートは、人を使うのをもっとうまくなった方がいい……きっといつかそういう立場になるんだろうし』


 ──何も言い返せなかった。


 他にこれより効率よく稼ぐ方法はないとは反論したかったが、ヲタの言っていたのはそういう意味ではない。そして『人を使う立場になるなら』という投げかけは胸に刺さったままだった。


 自分が金を稼いだ先に何を目指しているのか、真の意味をまだ見いだせていないのを見透かされている。


 ヲタはキャバよりも自分よりも若く、社会経験も少ないに違いない。


 しかし、人の心を突くナイフを内に秘めている。それがどのように研ぎ澄まされたかは、彼の歩んできた人生だけが語ってくれるのだろう。


 


 


 


 時は少し遡り。


 


 アメ横を南へ、御徒町から上野広小路へしばらく進んだビル。


 その3階にある料理店の入口で、夫婦は店員の案内を待っていた。


 いくつものデパートの紙袋やラッピングボックスを共に夫は椅子にへたれこみ、妻は満足げにその傍らで立って待っていた。


「座れば……」


「いいえ、夫を立てるのが妻の役目ですから」


 夫婦で上野を訪れ、夫は気まぐれでとあるホールを覗き、その罰として妻のショッピングの荷物持ちに粉骨砕身し、ようやくその労働から解放されようとしていた。


「ああ……女のガチの買い物怖いわ……」


「これでもだいぶ手加減したんですよ? 日頃の主婦業の代償としては全然足りませんけど」


「今後はもっと真由美さんを大切にさせていただきます」


「なお君のその言葉、今日で何回目かしら」


 ──浅野様、お待たせいたしました。


 圧倒的に妻のツッコミが優勢の夫婦漫才は、店員の登場で閉幕となった。


 


 庭付きの料亭を模倣したインテリアを通り抜けて個室を案内されると、中には2人の男性が待ち受けていた。


「おう、待ってたぞ直樹、真由美さん!」


 1人は白のワイシャツに青のネクタイをきっちり締めた、まさに働き盛りと言わんがばかりの覇気をただよわせる男。


「浅野さん、どうもっす。奥さんは初めましてっす!」


 もう1人はワイシャツの男性より若くTシャツにジーパン、そして室内でもキャップを被り、それをパーカーのフードが覆っている。胸にも銀製のアクセサリが垣間見えるストリートファッションだった。


「袴田、もういいだろその恰好かっこうは。直樹はともかく真由美さんに失礼だろ」


「あ、すんません、瀬戸さん」


 そう言われて、袴田と呼ばれた若者はフードを外し、キャップも床に置いた。


「私は構いませんよ。それより瀬戸さん、ご紹介してくださる?」


 瀬戸さんと呼ばれたワイシャツの男は、うなずいて答えた。


「こいつが上野の店長をやってる袴田です。俺がエリアマネージャーにさせられたので、仕方なくパチスロ担当から店長に引っ張りました」


「何っすかそれ! オレ上げる時に瀬戸さん『お前しかいない』って言ってくれたじゃないっすか!」


「はあ? 俺が現場を離れるって発表した瞬間に『瀬戸口店長の跡を継げるのはオレしかいないっす!』と売り込んできたから、致し方なく推薦してやったんだ」


「上司と部下なのにお前ら本当に仲がいいよな……ああ、それより真由美のことを」


 2人のやり取りを見てニヤニヤしながら浅野は妻を紹介しようとしたが、それを制して真由美は自ら口を開いた。


「浅野の妻です。瀬戸口マネージャーには、浅野ともども親しくさせていただいてます」


「いやあ光栄っす。伝説の専業と呼ばれた浅野さんと知り合えただけでなく、その奥さんにもお会いできるなんて!」


 袴田は上司である瀬戸口との先ほどまでのやり取りなど何もなかったかのように、目を輝かせて真由美に手を差し出す。真由美は躊躇ちゅうちょすることなくその手を握り返した。


「伝説ですって、なお君」


「大げさなんだよ、スロ業界は……。まあ、誰がどこで何したとか大っぴらにはならないアングラな世界なのはたしかだけど」


 浅野があきれたといった仕草をして、真由美の振りに答える。


 それに瀬戸口が同調した。


「専業のネットワークは凄いからな。関東圏内ならネタが広まるのに半日かからない。無双の釘がヤバいと気付かれたら、朝イチはガラガラでも昼過ぎにはピンも軍団も入り乱れて満台御礼だ」


「あれって不思議っすよね。そういうのってすぐにネットにばらまかれて近所のおばちゃんまで知ってるようなことになりそうなのに、世に出るのはすっかりネタが消化し終わった後っていう」


 袴田の疑問には浅野が答えた。


「本当においしい話を他人に教えるわけがない、ってのが一つ。ただし、専業同士はもちつもたれつで情報をやり取りして生き残っている、というのが一つ。そしてもう一つは、専業は“晒さない”」


「でも、他人に教えたら広まって晒されるんじゃないっすか?」


「晒したと分かった瞬間から、もうその専業には誰も情報を回さない。これはな、明文化されていない専業たちの『仁義』なんだよ」


 瀬戸口はうなずきながら黙って話を聞いている。浅野は言葉を続けた。


「まあ、昔は機械に対するキズネタがメインだったが、今はホール情報がほとんだろうな。各地の専業たちが、SNSで誰もが知ってる取材系イベントや案件も含んだ晒しアカの情報に頼らず、自分の目と足と耳でつかんだネタだ。まあ、晒しアカの中には専業時代のノウハウで瞬く間に喰えるホールを自分で見つけて晒してる卒業生もいるから、一概に仁義に反してるとも言えないが」


「仁義とか何かすごいっすね、反社って奴っすか?」


「なお君、やくざさんだったの?」


「違うっちゅうに! それに、真由美さんはそんなこと分かってるでしょ!」


 袴田と真由美の反応に、浅野は声を荒げた。もちろん、冗談含みで。


 そして黙って話を聞いていた瀬戸口が口を開いた。


「ウェブ社会の情報過多の中で有用なものだけをフィルタリングしていくという時代と、仁義という約束事で守られた専業間のクローズドネットワークが有効な時代。一見、新旧相反するように見えるが、今はそれがオーバーラップしてる」


「瀬戸さんってカタカナ語好きっすよね」


「黙っとけ、こういうの使った方が歳喰った偉い奴はだまし……説得しやすいんだ」


「瀬戸さん、本音こぼれてますよ」


 真由美は、袴田と瀬戸口のやり取りに笑いながらツッコミを入れた。


「いかんいかん。まあ、ルールとか約束とかにうるさいのが年寄りで、それに縛られないのが若い奴らだ。それはもう良し悪しじゃない。ただ、打ち手でも業界の人間でも本当に一線を越えちまう奴も中には出てくる」


「お、ライン越えってやつだな」


「直樹、流行り言葉を確認し合うのは、なかなか老害ポイントが高いらしいぞ」


「同世代で似たような専業やってたお前には言われたくない」


 話の掛け合いが瀬戸口と浅野に移り、真由美は聞き役に回っている。


 そんな空気の中でも、喰いついていこうとするのが袴田だった。


「聞かせてくださいよ、ライン越えちゃった奴ってどうなるんっすか」


「そうだなあ……その筋の方にご指導を受けて二度と姿を見なくなった奴とか、パンクしたらしく街中のティッシュ配りで見かけたとか、地方で相変わらず専業続けてるとかいろいろ聞くな」


「打ち手はそんなもんだろう。ホール関係は、従業員レベルなら業界追放みたいなものだ。ブラックリストも出回るし、雇用時に最低限の身辺調査はかける。設定ろうえいやサクラを使った小遣い稼ぎ、売り上げ持って東南アジアにトンズラ、いくらでも話はある」


 そう言いながら瀬戸口は袴田のことをにらんだ。


「お、俺はそんなことしないっすよ!」


「だといいがな。で、話の続きだが、店長くらいにまで上がってそこそこ金やコネを持った悪知恵の働く奴が厄介だ。ホールや各地方自治体の組合や協会の間にも、面子や通すべき筋はある。そういうのを無視したり利用したりして、日銭を得てポジションを守る。独立して無知な店から金をだまし取るコンサルになる奴もいるな。何とか総研、みたいな名前が付いてるのは大概怪しい」


「瀬戸さんは独立なさらないんですか?」


 真由美の一言に場の空気が凍った。


「あら……私また何かやっちゃいましたか?」


「──真由美さんには敵わないな」


 瀬戸口はお手上げの表情を見せると、思わず袴田が顔を向けた。


「瀬戸さん、会社辞めちゃうんっすか?」


 瀬戸口はイエスともノーとも言わずほくそ笑むと、浅野がその質問に代わって答えた。


「俺はこいつほど、ライン超えを躊躇ためらわない男は知らないよ」


 


 4人の会合は浅野や瀬戸口の専業時代の話で盛り上がり、料理が〆に向かうに連れてそれも落ち着き始めたところで浅野が話題を変えた。


「ここに来る前に、お前さん達の店に寄ったよ」


「お、今日はウチの店は特日っすよ。オレは非番だったのでスロ担当の副店長に今日は任せてるっすけど。閉店までは……まだ1時間以上あるっすね、報告は来てないっす」


 袴田は自らのスマホを覗きながら答えた。


「やっぱ11.2割はいいっすよ。前に働いてたとこは等価だったから、出玉感出せなくて本当に苦労したっす。ハイスペックに456入れたら他にはもう設定まわせないし、中間ベースにして遊ばせてもパッとしないだけで評判は上がらないし。それに比べて非等価は設定入れる方も楽しいし、打つ方も狙いが多くなって耕しがいあるし。全系一つを専業が埋めて終わりじゃないのがいい」


「ほお、まるで店長みたいだな」


 瀬戸口が茶々を入れても袴田の口は止まらなかった。


「そういうの面白くないっすよ。ま、オレを前の店から引っ張ってここまでにしてくれたのは瀬戸さんですから、ギャグが寒いのは大目に見るっすけど。それより浅野さん、店の様子はどんな感じだったっすか」


「そうだな……若いのが目ギラギラさせてたけど、まど2と海皇覚醒とアクロスとハナハナだろ。あと単品散らして。あれだけ入れて分岐越えない感じに組めるもんなんだな」


「リセットでハイスペックが暴れると赤になることもあるっすけど、大体はトントンで収まるもんですよ。っていうか、ちょろっと寄っただけでそこまで見切るって怖いっすわ」


「予想は当たりってことでいいのかな?」


「さあ、怖いってだけっす。まだ営業時間内ですし」


 袴田は否定も肯定もせずとぼけて見せたが、それはまさに瀬戸口譲りとも言えた。


「なるほどね──そう言えば打ち手の中で面白いのを見かけたよ。若いのでもあんな感じの奴がいるんだな」


「面白い? 直樹が今どきの打ち手に興味を持つなんて珍しいな」


 浅野の言葉に対し、瀬戸口が身を乗り出して聞き返す。


「ああいうの見ると、うずうずしてくる。きっとお前もな」


 浅野は不敵な笑みを浮かべていた。

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