06「理性と情熱」

 【回想から現在へ】


 


「あの時の判断は間違ってなかったな」


 エリートが手にしていた缶コーヒーは、気付けば空になっていた。


 キャバが全系のまど2に座り、ノーマル系でヲタは確実に結果を残すだろう。


 エリートは安心して2人との出会いを思い出していたが、しばらくラインを開いてないのに気付いた。


 もっとも、本当に急ぎならば声をかけずとも近くまで来てサインを送ってくるはずなので、特に問題はないはず。


 


  キャバ『すぐにほむらCZ来たよ~弱チェ引いたか覚えてないけど』


   ヲタ『ハナハナを押さえた。若いのやイベ日に来るだけの奴らは座りたがらないから、楽でありがたい』


  キャバ『良かったね、今日はもう座ってあと過ごせるよ』


   ヲタ『そんなことより、何があるか分からないからキャバは推測かけるのサボるな』


  キャバ『サボってないよ! 少しは部屋主に対して優しくしなさいよ~』


   ヲタ『たとえ世話になってても、注意はさせてもらう』


 


 ヲタはキャバの部屋に住んでいる。


 個室ビデオ暮らしのヲタを見かねて、キャバが招いたのだ。


 キャバの住んでいるマンションは広く、服や小物の倉庫になっていた空き部屋がヲタの部屋になったらしい。


 仲間のプライベートに口出しする気も無い。


 そんなことよりも、エリートは自分のできる仕事はないかとフロアに足を運んだ。


 


 エリートはフロアの端から端まで丹念に状況や個々の台のデータを見まわしていったが、やはり基本的な勝負はすでについていた。


 見えている当たり台がもし空いたら、という状況ではピンでもヲタくらいのガン張りか、軍団やノリ打ちグループの徘徊はいかい役の網にかかるか、になる。


 高設定の台が空くわけないと思われがちだが、人には人の都合があり、高設定だから常にプラスという訳でもない。


 設定はあるかもしれないが差枚はプラマイ0くらい、そこで打っていた者が一般客で友人や家族に呼ばれたり、用事ができたりしたら?


 ホールに来て強く設定を意識して打つ客が10%、専業に分類される者が2~3%とエリートは考えている。客全員が高設定しか打たない集団ならば店の経営は成り立たない。


 もちろんその日その場所の状況次第だが、高設定は空く。それがエリートの持論だった。


 


 ──そして、空台があった。


 


 が、エリートはすぐに打ち始めず、台に座るとラインを開いた。


 


 エリート『1台確保したが……』


  キャバ『さすがじゃない! 3人フルマークでお仕事完了ね』


   ヲタ『……“が”?』


 エリート『海皇覚醒のリセット狩り後の台。おそらくGBレベルが高いから突っ張って、地獄の底まで連れていかれたのが空いた』


  キャバ『ああ……』


   ヲタ『ああ……』


 エリート『ああ……』


 


 納得、恐怖、同意と三種類のため息が言葉としてラインに流れた。


 ハイリスクハイリターンの象徴のような台。高設定ゆえの当たりやすさや打つ意味は確実にあるが、リセット恩恵も取り終えて残り半日の状態で触るにはリスクも大きい。


 ゆえに常時は打つ打たないの方針を決めるオーダーであるエリートであっても、こういったケースでは2人に了解を得る必要を感じてのことだった。


 


 エリート『2台ツモってる状況ならば無理する必要はないとも考えられるし、目の前に落ちている期待値を捨てる理由がないとも考えられる』


  キャバ『エリちゃんから見て、全系なの間違いないんでしょ? アタシやヲタくんもその点は同意見だし』


   ヲタ『だが、俺がピンだったら絶対に打たない』


 エリート『3人とも理解してるリスクとリターンは同じか』


  キャバ『だったら』


   ヲタ『こういう時はエリートの判断に任せる』


 エリート『……ありがとう』


 


 高設定を打つのは当たり前であり大前提。その上で打つべきか否かの判断が、結果に大きな影響を与える。


 どれだけ合理的に考え数値を追い求めても、最後は確率の掌の上で踊らされていることを痛感する。


 エリートは決断を迫られていた。


 


 


 午後11時過ぎ。


 上野から数駅、その駅から徒歩10分ほど。


 エリートは、サラリーマンも引けて客の数も少なくなった通りのとある小さい居酒屋の暖簾のれんをくぐった。


「いらっしゃい……あ、いつもの部屋にご案内してますよ」


 学生よりは少し歳のいったフリーターだろうか、手慣れた感のある女性の店員に奥へと通された。


 他の客はカップルが1組、カウンターにサラリーマンが1人。気にかける必要もないだろう。


 決して大きくはない店だが、障子で仕切られた部屋に向かった。


「おっつかれ~! あ、お姉さん“なか”追加で~」


 入るや否やジョッキを握るキャバの高い声が奥の間に響いた。テーブルには黒ホッピーのボトルが並び、すっかり出来上がっている。


「おつかれ……」


 ヲタは飲んでない。年齢的なこともあるが、酒そのものに恐怖にも近い嫌悪感を覚えるらしい。もちろん、エリートもキャバも強制することは無い。


 エリートが堀になっている和室の畳に腰を下ろすと、まもなくエリートが頼んだ緑茶ハイにキャバ用の焼酎入りのジョッキ、そしてヲタ用のりんごジュースが出てきた。


「では」


「ん……」


「カンパーイ!」


 キャバが掛け声とともに容赦なく突き出すジョッキを、エリートは軽くいなし、ヲタは力強く受け止めた。


「くう~、水滴付きまくりのジョッキで片手上から乾杯とかサイコー!」


「そういう……ものなのか?」


 ヲタはキャバの職業病トークを理解できずキョトンとしている。


「ヲタくんもいつか太客になったら遊びに来てね♪ それより、まずはやっぱり……」


 キャバがエリートに近付いて肩に顎を乗せて尋ねてきた。


「どんくらい出たのよ?」


「どれくらい……残したのかも気になる……」


 エリートはしっかりとキャバとの距離を置いてから口を開いた。


「3700枚で240G残し。単純な純増なら500枚近くの欠損だな。投資が1350枚で結果としては満足してる」


「おお、エリちゃんが荒波ART機でプラスとか珍しい」


「……天井行った時はもう無理だと思ってた」


「僕もだ。海皇覚醒はGBスルー天井でもリスクが高いのに、設定狙いはやはり心臓に悪い」


「でもそれ言っちゃったらさ、もう何にも打てなくなるよ」


「ピンなら絶対に打たないけど……金があって長いスパンで設定を追うなら間違ってはいない」


「永遠のテーマだと思うよ。日々の結果を良くするには期待値を追うしかないが、欠損も余剰もその日だけのもの。113%を半日打って5万負けたとしても、それが後日戻ってくる補償はどこにもない」


「高校で……確率統計の授業だけは真面目に聞いていた覚えがある……」


「実際どんなもんなんだろうね、確率の収束って」


 キャバは焼酎の入ったジョッキに黒ホッピーを注ぎ足しながら質問した。


「とある実験で、サイコロを1000回振ったものがある。出目の平均は──」


「えっと、1から6足して6で割って……3.5で合ってるよね?」


「そう、何回も振り続ければその平均値に収束していくはずだが、100回や200回くらいの試行では全然安定せず、400回くらいで安定し始め、600回くらいでようやく動かなくなったらしい」


「単純なサイコロで600回か~」


「そう考えると……単純に比べるものではないが……ノーマルで1日に9000G回せばそれなりに結果が出るのは分かる気がする」


「僕たちのやってることは、より良い確率の台に座りできるだけ試行を増やしてその収束を目指す労働なのかもしれないな」


 エリートは緑茶ハイを口にした後に、すでに出されていたピクルスに箸を伸ばした。


 すると、反抗の意思表示のようにキャバが先にそれを手でつまみ口に放り込んだ。


「ここの自家製ピクルスが僕のお気に入りなのは知ってるよな」


「労働とか言う子はキライ。分かってても言葉にしないでよ、アタシは楽しくてやってるんだからさ」


「それより今朝の絆は何だったんだ? せっかく早番で押さえたと思ったら大して回さずにやめてたのは」


 エリートが箸先を鶏の唐揚げに変えつつ、反撃の狼煙を挙げた。


「ああ、あれは、その、ね」


「リセットのBTは早かったが……あとはただの低設定だった」


「朝に絆を押さえるのはあくまで何台かに絞り込んだ割の高い機種へのフォローだから、それがハズレなのは問題ない。そして自己の判断で空けるのも僕たちの場合は、まあいい。ただ理由くらい教えてくれてもいいだろう?」


「……たしかに……理由は知りたい」


 エリートの詰問に、りんごジュースを飲みながらヲタも同調した。


「お爺ちゃんに譲った」


「は?」


「…………」


「列の前の方に並んでた引き子のお爺ちゃんが、台にあぶれちゃってたから譲ってあげた」


「正気か!? 引き子を使うような軍団に台を譲ったようなものだぞ?」


「だって、お爺ちゃんがかわいそうだったんだもん! ガラの悪い奴らに確保券の難癖つけられて台取られて、突き飛ばされたのに誰も助けてあげなくて。あの歳で日雇い暮らしなんだよ? 台取れなかったら引き子の給料すら出ないんだよ?」


 キャバは叩くようにジョッキをテーブルに置くと、真正面からエリートに反論した。


「勝つのが目標でも、手段は“選ぶ”ってのがアタシたちの約束よ」


「だからと言って僕たちの利益を損なっていいことにはならない」


「貧乏な人から金をかすめ取ってまで勝ちたいの?」


「僕たちがやっているのは最初から金の奪い合いだ」


「むう」


「ふん」


 キャバとエリートの口論の間で、ヲタは残り少ないりんごジュースを飲み干すと音もさせずそっとグラスを置く。


 そして2人の言い合いがひと段落した段階でようやく口を開いた。


「……キャバの言っていることと俺たちのやり方とは……違う。キャバは気持ちが先に来すぎて話がごちゃごちゃになってる……と思う」


「ううっ」


「キャバも……言ってて自分で分かってる……はず」


「……そうだね、ヲタくんの言う通りかも」


 キャバは先ほどから一転してテンションが下がり、ジョッキを抱えたままテーブルに指で“の”の字を書き始めた。


「ただ……エリートも言い過ぎだと……思う。キャバの気持ち……いいとこも悪いとこもあるけど、そういうのひっくるめて俺たちはいっしょにやってる……んだと思う」


「──そうかもしれないな」


 エリートもヲタの言葉を受けて、高まった気持ちをクールダウンさせていく。


「金は……欲しい、死ぬほど欲しい。生きるために。でも……金なら他に稼ぐ方法もあるんだろう、2人は。……それにエリートは、人を使うのをもっとうまくなった方がいい……きっといつかそういう立場になるんだろうし」


 エリートは何も返さず黙ってうなずいた。


 その後、金の分配と翌日の打ち合わせを終えて、3人は解散した。


 正確には、キャバとヲタはキャバのマンションへ、エリートも自室へと帰宅した。


 


 


「ヲタくん、シャワー空いたよ」


 髪を濡らしバスタオルを肩からかけて、ほのかな湯気をただよわせたキャバが居間に現れた。


 ヲタは居間の片隅であぐらをかき、まだ使い慣れないスマホを人差し指で触りながらキャバに目を向けた。


 それは半裸に等しい下着姿で、ヲタは気恥ずかしそうにすぐに視線をスマホに戻した。


「……だから……せめて部屋着を……」


「これでも気使ってるんだから。ヲタくんが来るまではアタシ裸族だったのよ。ま、ナイトブラとかガードルとか体系維持にはいいみたいだから、ちょうどいい機会だから試したかったのだけど」


 キャバはそう言いながら割座でペタンと床に尻をついてヲタの隣に座った。


「近い……」


 まだ熱を帯びて甘い香りのするキャバの肌が自分の二の腕に触れて、ヲタはあわてて距離を置く。


 キャバはそれ以上ヲタに迫らず、バスタオルを自分の頭に被せた。


「ヲタくん、さっきはありがとう」


「……何が……?」


「エリちゃんと喧嘩してる時のこと」


「あれは……キャバが悪い……でもエリートが言い過ぎなのも本当……だと思う」


「分かってる。あんなこと言うから、女は感情的だとか子宮でモノを考えてるとか悪口言われるんだ。でも、間違ってるとも思わないし、自分を曲げることもできないよ」


 キャバはバスタオルを器用に頭に巻きながら言葉をつづけた。


「だから、ヲタくんが間に入ってくれて助かった。お仕事だったらいくらでも客に頭下げるけど、エリちゃんやヲタくん相手には嫌なんだもん」


「……見下げてる?」


「違う違う! 仕事なら客相手でも嘘つくし、自分の気持ちもごまかして頭を下げるけど、2人には隠したくないの。それだけ」


「そうか……働くって大変なんだな……」


「ヲタくんだって今まで──って、もうそういう話はいいの! 」


 キャバは頭にバスタオルのターバンを完成させて、ヲタの背中をぽんと叩いた。


「……もし引き子の老人がかわいそうと思ったのなら……台なんて譲らずに代わりに日当を渡せばよかった……のでは?」


「ああ、それアタシも考えた。だけどさ、あくまでも台を取らないとお爺ちゃんがきっと怒られるし、アタシがお爺ちゃんにただお金を渡すっていうのも何か違うって思った」


「美学……?」


「うーん、そんなカッコいいもんじゃなくて。そうしたかった、からかな」


「……分からない」


「男の子って本当に何でも理由とか目的とか付けたがるよね。そこがかわいいところでもあるんだけど」


「…………」


「ふふっ」


 キャバは返事に窮したヲタの傍らを立ち、クローゼットに向かった。


 カラーボックスからルコックのジャージを取り出し、無造作に手足を通して部屋着を身に付けた。


「ヲタくんも早くシャワー浴びなよ。明日は朝からお店開拓しに行くんでしょ? アタシはお仕事だから昼まで寝てるから起こさないでね」


「分かった……」


 ヲタはスマホを床に置き、キャバの背後を通り過ぎて浴室へと向かう。


 ふと、キャバが口を開いた。


「そう言えばさ、アタシがまど2を取る時、ヲタくん島の通路を塞ぐだけじゃなくて誰かにぶつかってメダルばらまいたでしょ。迫真の演技だったよ、ヲタくんにあんな才能があるとは思わなかった」


 ヲタは身体をビクッと震わせてから、顔を伏せて足早に浴室に向かった。


「あれは……本当にコケただけだ……」


 浴室の扉が開き、少しだけ勢いを付けてバタンと閉じられる。


 キャバはその様子を見たまま肩を震わせて思わず声を漏らした。


「か、かわいいなあ、もう!」

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