08「来店演者が惚れる客」

 ヲタは早朝に目覚めると、キャバを起こさないように静かに身支度をして部屋を出る。


 地元を出て個室ビデオ暮らしをしていた頃と比べれば、見違えるような生活レベルの進歩だった。


 エリートとキャバとの話し合いで、完全なノリ打ちにするかどうかを決める必要があった。


 勝っても負けても均等に分け合うノリ打ちはヲタにとって負担、むしろ恐怖だった。


 パンクした場合は貸すという2人からの申し出もあったが、それだけは嫌だと断った。


 ならば、時給や日給で固定するかという案がエリートから出た。構わないと思って承諾しかけたが、それは「打ち子と何も変わらない」とキャバが反対した。


 そこでエリートは、固定給+インセンティブというのを考えてくれた。基本的にヲタの手取りは保障されるが、それはコンビニのバイトくらいらしい。そして全員の収支が一定以上プラスだった場合、他の2人より割合は低いがプラスアルファをもらえる。


 ヲタにとってはそれで何も問題は無かった。勝ち額の分配が少なくても、負けた時のリスクを他の2人が負って自分はプラスで帰れるなんて都合がよすぎる。その代わり、勝ちがデカければ2人の方がはるかに得をする。


 それで構わない。そして、その時のやり取りを覚えている。


「もし……俺がサボったり失敗しまくったりしたら……どうする?」


「それは契約自体の破棄を考える。だが……」


「ヲタくんはそういうことしなさそうだし」


「僕も信じていいと思っている。君は生きるための金に貪欲だし、より良く生きることをサボるようには見えない」


 信用される、という今までに経験のない不思議な感覚。


 そして生きるのに貪欲でサボらない、らしい。


 ヲタにとっては他に方法を知らないだけだったが、他の人間に評されるというのも新鮮だった。自分で自分のことなんて、分からない。


 


 ヲタが最初に向かったホールは、出玉データの公開もせず機種の台数も伏せている駅から徒歩で行くには遠い郊外店だった。旧イベント日で、取材系などのイベントは入っていない。


 ヲタの地元ではそれくらい当たり前だったし、それゆえに直に足を運ぶ価値が大きい。そして、こういった店は首都圏ではかなり少数のはず。だからこそ、それでも店が成り立っている理由があると踏んでのことだった。


 朝の並びは30人ほど。蓋を開けたら数人で朝からパチスロに行くのは自分だけという事態を恐れていたが、平日でこれくらいならばヲタの中ではセーフだった。


(客層は……あからさまな軍団は無し……常連同士が数人話しているだけ……問題ない)


 ヲタは普通に抽選を受けて列の後方から入店したが、台に座ることは無かった。


 あとは昼過ぎまで様子を見て、状況が良さそうなら夕方にでも良さそうな台が空けば座ってもいいと考えていた。


 


 ──が。


 


「お客様、遊技されないのでしたらご退店願えますでしょうか」


 昼を待たずに出禁を喰らった。


 店を後にする時、常連らしき人物とヲタに出禁を告げた店員がこちらを見てニヤニヤしていた。


「世知辛い……」


 思わず口を突いて出たが、そんなのはただのボヤキだとは分かっている。


 店がルールでダメと言われればダメ、出禁と言われれば出禁、そんなことも分かっている。


 凹んだ気持ちに輪をかけて、ヲタの腹も鳴った。


 ホールに出る時は、食事休憩など取らず立ち回り打ち続けるのが当たり前だった。


「他を見て回るか……」


 ヲタは駅まで30分近い道のりを歩き始めた。


 道の途中にあったスーパーに立ち寄り、割引シールの貼られた弁当を買う。


 備え付けの電子レンジで温め、近くの公園の目立たないベンチで急いで胃にかき込む。


 警察官に見つかり職務質問を受けるのはまずい。


 個室ビデオのサービス牛丼より少しだけましだった弁当の味を反芻はんすうする暇もなく、ヲタは駅へと向かった。


 


 ヲタが次に向かったのは、3人で昨日打ったホールの系列店だった。


 使い慣れないスマホで見つけたのだが、誰かが来店するイベントをやっているらしい。


 地元に何軒もあるグループ店を、聞きなれない芸能人が数時間ごとに来店するようなのは見たことがある。その日の出玉はそれなりに多かったが、それは設定や釘どうこうではなく客が増えて稼働が増した結果にしか見えなかった。


 良く吸って良く吐いた、それだけのことだったと思う。以前にこのことをエリートに話したら、


「稼働マジック、と呼ばれたりもする。それなりの出玉感があっても実際は10割くらいの営業で設定を組んでいて差玉分が利益になる。取材や来店者へのギャラは前もって予算で組まれていた宣伝広告費から出されるだけ。たとえ利益率が数%でも、1店舗が抱える台数が多くてそれが系列内でチェーンしているなら、得られるスケールメリットは大きい。それと比べれば広告塔へのギャラなんて痛くも何ともない。それで文字通り宣伝効果も得られるならホール側は大成功だろう」


 ただ、そのさじ加減が難しくてホールの経営手腕が問われるだろう、とも。


 エリートはパチスロなど打たず経営者にでもなればいいとも思ったが、ヲタにとってホールの損得はどうでもよかった。


 それよりも結果として自分が打てる高設定の絶対数が増えるならば、打ち手としては意味がある。午後から夕方にかけて、満足した一般客や心折れた打ち手が台を空けることは少なくない。


 そう考えて店に入ったが──


「何だ……これは……」


 人、人、人。


 ヲタの視野に空台は見当たらず、通路にも打つ台を探す客であふれていた。


「もうすぐ夕方だぞ……これは……無理だ」


 見る限りパチスロが9割以上、パチンコも7~8割の稼働だろうか。


 朝イチにこの状態になると、ただの空台ですらすぐに埋まる打ち手の飢餓状態、完全な売り手市場になる。


 しかし、やがて設定推測が進んで打ち手側の財布が耐えられなくなると、午後には空台が増えていくのが普通だ。


 それでもこれだけの稼働があるということは


「出し過ぎだろ……」


 打ち手の頭上と傍らに詰まれる、メダルと玉のドル箱の山。


 それはもはや通路にまであふれ出し、それを目にした打ち手なら誰もが体温を上昇させるような圧倒的な光景だった。


 これはエリートが言っていた稼働マジックなんかではない。


 日本中の引き強がこの店に集まったのでない限り、設定の力が無ければこんな風景に仕上がらない。


 一言で言うならば──祭だ。


 居場所もなくしばらくフロアを徘徊はいかいして後、席が埋まってしまった休憩所の片隅に立った。


 間もなく耳に他の客の会話が聞こえてくる。


「いや~こんなの座れたらもう勝ちだったろ」


「俺も抽選で飛ばされたよ。今日何人並んだんだ?」


「700人超えたってさ、余裕の台数オーバーだよ。この店の系列の特日はたしかに強いけど、まさかビス子来店でここまで集まるとはな」


 ビス子……ライター? 芸能人?


「収録もまだ続けてるよな。たしか朝からずっとツイドラ打ってるぜ」


「よくあの機種で動画撮れるよな、見せ場とかあるのかよ」


 動画の出演者か。スマホのデータ使用量が無くなるのが怖いのでほとんど見たことがない。


「今日もビス子はアレやるのかな?」


「やるんじゃね? 台移動とかして無いから、きっとツモってるだろ」


「じゃあまた、あの格好のままホールを周るのか」


 もはや会話の内容に付いていけず、ヲタは関心が薄れてもう一度フロアを見て回ることにした。出玉の印象だけでなく、Aタイプの実データをしっかりと見て回りたかったのだ。


 ジャグやアクロス系を確認するとどれもベースが高そうで、ハズレですら中間設定と言っていい状況だった。


 そしてハナハナ系へ。誰もがドル箱を積む壮観の中で、席を取り囲むような人だかりがあった。三脚やカメラを持ったスタッフらしき人間の隙間から覗くと、そこはもう空席になっている。


 せめて一目だけでも見てやろうと思ったが、いないなら無理することもない。


 話のネタくらいにはなったかもしれない、とある程度満足してヲタは店を後にしようと通路に出た。


 すると、そこには──


 


 こんどんに編み込まれた金ラメの紋様に、いくつもの花と鳥が舞う絢爛けんらん豪華な色打掛。


 それらをまとめるのは一夜妻を暗喩する前帯。重く厚いたたずまいをかもし出し、広幅のまな板帯が垂らされている。


 肩のはだけた抜き襟には白粉が塗られた透き通るような肌がのぞき、その白は首から顔へ。


 筆で描かれた整った黒の眉と、濃く広がる紅のアイシャドウのコントラスト。


(着物……芸者?)


 人込みであふれているはずの通路が真っ二つに分かたれ、その中央を素足に高下駄を履いた着物の女性がゆっくりとかっしている。


 何重もの紅が重ねられた玉虫色の笹口紅に軽く添えられているのは、長尺の煙管きせる


 それを片手でつまむ爪紅の主は、凛々りりしくも横目を引いて客を見定める。


 扇のように広がるまげにはきめ細やかな模様が刻まれたくしこうがいが刺され、周囲を見渡すたびに短冊状の金細工が施されたかんざしがキラリと揺れる。


 ヲタの目前に広がっていたのは、都内のパチンコ店内とは思えない、遊女が客を品定めする花魁おいらん道中だった。


「ビス子のマムシお呼ばれ、かなうお客はんはどこどすか?」


 ビス子と名乗る花魁おいらんの高く透き通るような声が通路に響く。すると周囲の人間のざわつきが収まり、パチスロの効果音やボイスが鮮明に響き渡る。


 ヲタは今までの人生で見たことのない花魁おいらんの美しさにれて、口を開けたまま微動だにできなかった。


 その時、ホールが設定したジャグのボーナス確定に連動する甲高いキュイン音が響く。


 ほとんどの人間がその音に気を取られた瞬間、ビス子とヲタの目が合う。


 ビス子は煙管きせるを口元から離すと、その雁首がんくびをヲタに向けた。


ぬしさんにしまひょ」


 ビス子の開かれた口に垣間見える真っ黒な歯を見つめたまま、ヲタは背中に雷を打たれたかのごとく動けなかった。


 


 ツインドラゴンハナハナの前に座りサンドに札を入れた辺りで、ようやくヲタは我を取り戻した。


 それまでにビス子の打っていた台を撮影スタッフに案内され、カメラに写っていた自分を動画に使っていいか聞かれたのであわてて断った。あくまで無作為に選ばれただけで設定示唆や利益共有の意図はない、と説明されて黙ってうなずいたのはかろうじて覚えている。


 周囲の視線は多少気になったが、幸いにツインドラゴンハナハナは他の台も十分に出玉を抱えていたので近くの打ち手達の敵意も薄く無関心を装ってくれていた。


 ヲタは心の平静を取り戻すと、改めてツインドラゴンハナハナの島を眺めた。ボーナス回数は十分に付いてきており、それより打ち手が状況を確信して設定推測や周囲の観察も止めてブン回しに入ってるのが見て分かる。Aタイプの全系でよく見られるこの光景なら、警戒心の高いヲタでも空いたら座ることは躊躇ためらわない。


 そして3kほど使いレバーを叩くと、通常回転を始めてからストップボタンが効かないままリールがスロー回転を始めた。


「ああ……」


 ヲタの思わず漏らしたのため息には、喜びと失意が入り混じっていた。


 間もなくリールがストップし、台のバイブレーションの後にカキーンという音と共にリールが変則動作を始める。


「あら~嬉し恥ずかしフリーズじゃない? 」


 突然の背後からの声に驚いたヲタは身体をびくつかせて振り向くと、サングラスにマスクをした見知らぬショートヘアの女性が立っていた。


「その微妙に喜べない感じ分かるわ~。ハナハナなんだからガンガン回してチカチカ光らせまくりたいもんね」


「ど……どなたですか?」


 ヲタが露骨に警戒すると、その女性はサングラスを取ってみせた。


「わっちのマムシの味はいかがでありんすか?」


 その口調と見覚えのある目元の濃い化粧から、ヲタはこのツインドラゴンハナハナを譲ってくれた先ほどまで花魁おいらん姿だったビス子であることにようやく気付いた。


「その……マムシって何ですか?」


「京都弁で鰻のかば焼きのこと。知らないってことは、君はうちの動画見たことないようね」


「……すみません」


「いいのよ~何となくそんな気はしてたから。暇な時にでも見てね、『ビス子チャンネル』でググればすぐに見つかるから!」


 先程までの花魁おいらん姿の時と違い、ビス子は気のいいお姉さんという感じで気さくにヲタに話しかけてくる。


 少し緊張の解けたヲタはビス子に問いかけた。


「この台の……挙動を知りたい……です」


「もうツイドラやってるってバレバレだし、今日は完全にホール側が景色仕上げてくれたからもう気にしなくていいんじゃない?」


「それでも……BIGスイカ、REGスイカサイドランプ、龍玉ランプ、レトロサウンド……動画撮ってるなら全部チェックしてないだろうけど……」


「マジメだね君は! ノーマル機にガチな若者はレアだから、そういう男の子はお姉さん大好物だよ」


「好物って……」


「見どころのある君には特別に教えてしんぜよう」


 そう言うとビス子はヲタの耳元にささやき始める。そのささやきは長く、言葉が連ねられるうちにヲタの表情が見る見る真顔になっていった。


「──ってな感じ」


「そこまで……見てたのか……」


「演者やってるとさすがに限界あるから、さすがに私自身は左右1台ずつまでだけどね。でもカメラマンは島全体をかんできるし、ディレクターも遊んでるように見えてしっかりホール全体を押さえてるしね。うちのスタッフめちゃアカンよ?」


 ビス子の表情はマスクの下で分からなかったが、その口調から相当にドヤっているに間違いなかった。


「……それなら安心して打てる……ありがとう」


「ふふっ、いいのよ~。思う存分ツイドラを堪能たんのうしたまえ」


「それと……もう一つ……聞きたい……」


「何でも聞きたまえ若者よ」


 ツインドラゴンハナハナの挙動を聞く時は何の疑問も抱かなかったが、ここに来て少しためらい気味にヲタは質問した。


「……何で……俺だった?」


「────!」


 おそるおそる上目遣いでこちらをうかがいながら尋ねてくる青年の表情とその言葉は、ビス子にとって予想外でとてつもない攻撃力を秘めていた。


「そ、そうね……ほら、君だけ私のこと見てくれてたじゃない? 何が起こってどんな音がしても私のことだけを」


「だって……綺麗だったから」


 


 ズキューン。


 


「じゃ、じゃあ私ワゴン待たせてるから、が、頑張ってねっ!」


 ビス子はそう言い残すと逃げるようにヲタから離れていく。


(危なかった……思わぬ逸材だったわ。このビス子が逆に客を取りたくなるなんて)


「……?」


 ビス子の心中をうかがい知ることもなく、ヲタはそれを座ったまま見送ると心機一転してツインドラゴンハナハナを打ち始めた。

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