■CASE5 宮田五樹

害虫駆除

 目の前、りっかの腹にシェフのハサミが突き刺さる。

 横っ腹あたりだったけど、しっかり血はにじみ出ていたし、致命傷だろう。

 間に入ろうとした俺を、りっかは首を振って制した。

 無理に助ければ、俺の方が危ないと思ってくれたのか。

 ともかく、躊躇した俺は、目の前で起きる殺傷事件を止められずにいた。

 りっかのように、恐怖心を感じなくなっていたなら、助けられたかもしれない。


 シェフ……りっかにハルくんと呼ばれた少年は、りっかの体を抱えると、レイカに軽くお辞儀をして部屋を出ていく。

 言いたいことはたくさんあるはずなのに、体が硬直して動かない。

 怒りか悲しみか恐怖か、とにかく感情がめちゃくちゃだ。

 そんな中、さきほど詩音と呼ばれていた少女が、冷静にレイカに質問を投げかけた。

「ねぇ、レイカ。なぜ、彼は害虫なの?」

 それは俺の疑問でもあった。

 なんとか体を動かし、レイカに目を向ける。

 レイカは小さく切り取った肉を口に入れ、それを飲み込んでから口を開いた。

「うちにいるメイドやボーイのことを知る者は、みんな駆除すべき害虫ってことになってるの」

「そうなのね」

 詩音は納得しているのか、レイカの言うことは絶対なのか、わからないけど反論はないらしい。

「なんで……知ってるだけで害虫に……?」

 俺はつい、疑問を口に出してしまっていた。

「害があるからよ」

 つまり、都合が悪いってことだろう。

 ここにいるメイドやボーイの存在は、世間に内緒にしておきたいらしい。

「害虫は、食べないんだな」

「ええ。だって害虫よ。食材じゃないじゃない」

 当然だとでも言うように返される。

 けど俺には、その違いはよくわからなかった。

「それより、さっきからなにも食べていないわね。少しくらい食べておいた方がいいんじゃない?」

 レイカの食事を見せられた状態じゃ、食欲なんてわきそうにない。

 ハンバーグもなんの肉かわからないし、統司も何も手をつけていなかった。

 ただ、下手に反感を買いたくもない。

 ひとまず、サラダにだけ手を付けることにした。




「さすがにお腹いっぱい。馴染むまで部屋で休んでくるわ。3時のおやつは彼女にする。夕飯は、またあなたたちで考えて」

 レイカはそう言うと、教師を置いたまま、その場を後にする。

 おそらく、あの標本室の奥……地下が自室だろう。


 テーブルの上で横たわる教師のもとへ、女子生徒が駆け寄る。

 それを止めるメイドはとくにいなかった。

「先生……先生……!」

 女子生徒の呼びかけに気づいたのか、教師がゆっくり体を起こす。

「菜々花……!」

 起き上がった教師は、俺たちがいるにもかかわらず、女子生徒を下の名前で呼び、抱き寄せた。

「先生……」

 女子生徒……菜々花も、周りがどうこう言ってられる心境ではないからか、抵抗する様子はない。

 だが、テーブルをおりた先生が、菜々花を抱いたままくるりと半回転し、彼女をテーブルに座らせると、さすがに動揺していた。

「あ、あの……大丈夫ですか?」

 教師は、開かせた菜々花の足の間に自身の体を割り込ませ、彼女を押し倒す。

「待っ……先生! ここ……みんなが……」

「みんながいなきゃ、いいのかよ」

 統司が冷たく言い放つ。

 菜々花の拒絶は『みんなに見られること』だけで、教師に対するの拒絶は見られない。

 脅されているだとか、無理やりだとか、そんな雰囲気ではないが、異常な事態だし、やっぱりこれは止めるべきなのかもしれない。

 相手は未成年だ。

 俺は立ち上がり、教師の腕を掴んだ。

「あの、そういうの、やめた方がいいです。相手、生徒ですよね」

 冷静さを取り戻してくれるんじゃないかと期待したが、教師は俺の手を振り払っただけでなく、強く体を押してきた。

「なっ……」

 背後に飛ばされるようにしてよろめく俺の体を、統司が支えてくれる。

「あ……ありがとう」

「……もともと最低なやつですけど、もっと狂ったみたいですね」

 ああ、そうか。

 レイカに食べられて、正常な判断ができなくなっているのか。

 だったらなおさら、無理やりにでも、止めるべきだろうか。

 この教師の今後のためにも……。

 今後?

 今後なんて、あるんだろうか。

 こんな狂った状態で、帰る場所なんてどこにもない。

 そもそもレイカは、みんなを帰らせるつもりはないみたいだし、菜々花も、次の食材に決まってる。

「邪魔者は……排除したよ。菜々花……」

 そう告げると教師はまた、菜々花に覆いかぶさった。

「先生……あ……!」


 キスをするわけでも、愛でるわけでもなく、早急に行為が進められていく。

 レイカが口にしていた『虫みたい』という言葉の意味が、わかった気がした。

 そんな俺の考えを後押しするように、詩音が呟く。

「本能で、生命の危険でも感じているのかしら。そういうとき、オスはとにかく子孫を残さなきゃって思うものでしょ」

 人間の話をしているのか、あるいは動物、獣の話をしているのか、虫の話をしているのか。

 わからなかったけど、教師が考えることを放棄しているということは理解できた。

「……なんとも思ってないだろうよ」

 統司が、俺の心を代弁するみたいに呟く。

「五樹さん、携帯貸してくれません?」

 そういえば、統司の携帯はメイドに回収されていた。

「いいけど……」

 どこかに連絡することはできないだろう。

「すみません。データが送信出来たら、すぐ消しますんで」

 統司はそう言うと、俺の携帯のカメラで現場を押さえた。

 それも止めるべきなのか、やっぱり俺にはわからない。

 統司にも事情があるみたいだし、この教師に制裁を加えるためには、証拠も必要だ。

 菜々花は、どう考えているんだろう。

 わからないけど、3時になれば、菜々花がいま抱いている感情も、きっとすぐ食われて消えていく。

 そう思うと、やっぱり次の食事は、菜々花で正解だったのかもしれない。

 これまで菜々花がしてきたことは正しくないけれど、レイカに食べてもらわなければ、それこそ、自殺しかねないくらい病んでもおかしくない。

 すでに現実逃避しているのかもしれないけど、菜々花は教師の背に手を回していた。


「ごちそうさま。虫の交尾を見る趣味はないの」

 詩音さんが席を立つ。

 ずっと微笑みを絶やさない少年も、食事を終えていたようで、詩音さんに釣られるよう席を立った。

 たとえ教師に感情がなくとも、菜々花にはまだ残っているはずだ。

「やっぱり、救った方が……」

 背後にいた統司に声をかける。

「無理やり引きはがしたら、楠にまた殴られますよ」

「その間に、彼女を保護するとか……」

 そう提案する俺の耳に、菜々花の声が届いた。

「せんせぇ……今日の先生、すごい……。見られてる、のにぃ……」

 俺の勘違いかもしれないけれど、興奮して、喜んでいるように聞こえた。

「心配するだけ損です」

 統司に言われ、俺たちは2人、その場から離れた。

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