第二十九話

「ねぇ、和音ってもう夏休みの宿題は終わったんですか?」


 俺の部屋でまた勉強会となったのだが、突然七緒がそう声を出した。


「いえ、そもそも貰ってませんし」


「え? それってどういうことですか?」


 これはマズいかなと思ったが、軽くは話してるし大丈夫だよな?


 俺は静かに見守ることにきめた。


「学校に行ってないんですよ」


 淡々とそう言って、気にせず勉強を進めていく。


「その、行かなくなった理由って聞いてもいいですか?」


 勉強の手を止めて、七緒は俺の方も見ながらそう質問する。


 これは俺も知らないからな……。答えるのかな?


 和音はピタリと手を止めて――


「必要ないからです」


 そう短く切り捨てた。


「必要ないですか? どういう意味なのです?」


「あんな、あほの集まりなんて私には必要ないんです」


 和音にしては珍しく、要領の得ない言い方だ。


 でも、どこか怒っているような気がする。


「でも、高校は行きますよね? 出席日数は必要ですよ?」


 その言葉に和音はうつむいてしまう。


「その、はっきり言って和音がしてることこそがアホだと思うのです」


 七緒はそう言葉を続けた。


 流石に止めようと声を出そうとしたが、七緒に目で制止されてしまう。


「どういう意味ですか?」


 和音は底冷えのするような冷たい声を出して、七緒を睨む。


「だって、そんな理由で人生を棒に振って、お兄さんにまで心配かけて……。はっきり言って和音はアホです! アホアホです」


 和音の凄みに恐れることなく、七緒はそう言い放った。


「何も知らないくせに! 他人のくせに何様ですか! 口出ししないでください」


 和音は立ち上がって、こぶしを握ってそう声を荒げる。


「他人だからです。お兄さんは遠慮して、甘やかすから、私が言うんです。そもそも何も知らないから、その引きこもる理由を教えろってって言ってるんです!」


 七緒も立ち上がって、怒鳴り返す。


「お、落ち着けよ二人とも……」


 俺も立ち上がってそう声を出す。


「「だまってて」」


 怒られてしまった。


「何が兄さんのためですか? 貴女に兄さんの何が分かるっていうんですか?」


「分かります。だって、この半年ほどは和音よりずっと側にいたんですよ? 毎日毎日、和音が、和音がって聞かされる私の身にもなってくださいよ!」


 何かごめんなさい。


「それが何だっていうんですか? それは兄さんが私を言い訳に……」


 そこまで和音が言った瞬間、っと、乾いた音が部屋に響いた。


 七緒が和音の顔を平手打ちしたのだ。


「おい、大丈夫か? 七緒、手は出したらダメだろう?」


 たまらず和音を抱きしめて、注意する。


「お兄さんも、お兄さんです。こんなに甘やかして、和音をダメにするつもりですか?」


 涙目になって、七緒は俺を睨んできた。


「いや、そんなつもりはないけど……」


「だったら、こんな生活は今日までにして、ちゃんと和音を叱ってください」


 和音は涙交じりの声で、そう俺にお願いしてくる。


 その言葉に俺は気づかされた。


 ただ肯定するだけが愛じゃないんだって。


「ありがと、七緒。そうだな」


 和音の肩を掴んで、目を見る。


「兄さん……」


 どこか悲しげな声だ。でも、もうちゃんと向き合うんだ。


「話してくれないか? どうして、学校に行かなくなったのかを」


「……分かりました。でも、その前に……」


 和音はうつむいてそう声を出し俺の手を振りほどいて、七緒の前に歩いて行く。


「和音? どうしたんですか?」


「ごめんなさい」


 和音は勢い良く頭を下げた。


「え? え? どうしたんですか? いきなり……」


 七緒は戸惑ったようにあたふたと手を動かす。


「酷いことを言ってしまいました。分かっていたんです。甘えてるって……でも、もう今更どうしたらいいのか分からなくって……。凄く怖かったんです。でも、七緒が怒ってくれて、変われそうな気がするんです。ありがとうございます」


 和音は七緒の手を取って、目を見てそう言葉にする。


「そ、そんな、ごめんなさいは私もです。叩いてごめん。でも、前に進めそうならよかった……」


 七緒は和音を抱きしめた。


 その姿に俺は少し泣いてしまった。


 ・・・・・・・・・・


「じゃあ、話しますね」


 少し落ちつくためにお茶を飲んでから、改めて和音はそう切り出す。


「去年の終わりに、私に対する嫌がらせが始まりました。理由はたぶん、話が合わないとか、付き合いが悪いからだとは思うんですが――」


 そこで和音はカップに口をつけた。


「物を壊されたり、足を引っかけられたり、色々ありました。でも、何より嫌だったのは、兄さんです」


 少し震えたような声になりながらも和音は話してくる。


 最後の言葉にドキリと心臓が高鳴った。


「どういうことだ?」


 怖くなりながらも先を促す。


「あの時の兄さんは、私を見てくれませんでした。もちろん、わがままだって分かってます。でも、中学に上がってからの兄さんはアニメに夢中で私が話しかけてもそっけなくって、相談できなっかった」


 俺はなんてひどいことを……。


「ごめん」


 俺は和音に土下座して謝った。


「頭をあげてください。これはたんなるわがままなので。でも、引きこもる前日、喧嘩をしましたよね?」


 その言葉にゆっくりと顔をあげて、当時の事を思い浮かべる。


「和音が俺のフィギュアを壊した時だよな?」


「はい、その日の事です。兄さんが久しぶりに話しかけてきて、その言葉に私がイラついて……」


 そう、あの日が和音との最後の会話になった。あの時から、話すことなく俺達は家族であって家族じゃなくなったんだ。


 嫌われていることが分かったから、もう話せないって思っていた。


 でも、今なら聞けるんじゃないか?


「な、なぁ。あの日俺にキモいって言ったよな? 今でも変わらないか?」


 勇気を振り絞ってそう聞いてみる。


「その事は本当にごめんなさい……。でも、兄さんが他の子にデレデレするのは……」


 最後の方は声が小さくて、聞き取れなかった。


「ほんと、お兄さんは愛されてますね~」


 七緒がニマニマと俺を見てくる。


 どういう意味だ?


「いや、謝らなくていい。謝る必要はないんだ……。ただ、これからは普通の家族みたいに一緒にご飯を食べたりして暮らしたい」


 今は七緒を気にしてる場合じゃない。俺は和音の方を見てそう言葉をかける。


「兄さん、うん。私もずっと話したかった。兄さんと普通に話したりして暮らしたかった。それと、これからはちゃんと学校に行く……。だから、応援してくれませんか?」


 少し涙を浮かべた笑みでそう返事を返してくれた。


 これが俺達のスタートライン。


 七緒のおかげで俺達はまた家族に戻ったのだった。
















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