清めたがりの清美さん
福山直木
とある日の出来事
その人は僕を清めたがる。
しゃんしゃん
雅な音が
時刻は夕方、六時。
木々の向こうは薄暗い。そんな中、巫女装束をまとい、参拝者に向けて鈴を鳴らしている。
僕はというと、長い石段を登り終えて一息ついている。
荒れた息を整えながら境内を見渡す。
右手には社務所、正面の奥には本殿がある。左手には太い幹が印象的な御神木と小さな社がある。
鈴を鳴らした巫女さんは、小さな社に参拝した人へ鈴を鳴らした後、社務所のほうへと歩いている。
ざっ、ざっ、と砂利を踏みしめる音が響く。
ペースは一定で、歩幅も狂いがない。姿勢もぴしっとしていて綺麗だ。
市街地に接しているというのに、街の雑踏は聞こえない。鳥のさえずりと風に揺れる木々の音だけが絶えず聞こえてくる。
足跡はそれを書き消すように響いている。
ざっ、ざっ、ざっ…
突然、歩みが止まる。
ふと、こちらを見た彼女と目が合う。
あっ、と気付くと、少し表情を緩ませて、こちらへゆっくりと歩いてくる。
世間話の声が通るくらいに近づいてから、彼女は仕事を始める。
「参拝、お疲れ様です」
その人はとても澄んだ声をしている。
丁寧にお辞儀をされると、自然と自分の背筋も伸びる。
姿勢を正した彼女は、背中のほうから鈴を取り出す。
そして、両手で丁寧に持って揺らす。
しゃんしゃんしゃん
他の人は二回。僕はいつも三回。
なぜかは知らない。
僕はこの音が好きだ。
とても清々しい気分にさせられる。
巫女さんが持つ鈴と言えば分かりやすい。ぶどうのようにたくさん鈴を取り付けた楽器のようなもの。
それを見て、そういえば…という感じに先日のことを思い出す。
「これですか?これは神楽鈴ですよ~。ぶどうみたいでしょ。この見た目が鈴なりという表現の語源とも言われています」
その説明は慣れているようで、楽しそうに鈴を振りながら説明してくれた。
しゃらしゃらしゃら
途切れることなく揺らし続けると、結構な音量が出る。
「この音で皆さんを清めているんですよ。ここ
その鈴は何なのかと質問すると、そう解説してくれたのだ。
さて、そんなことを考えているうちに、彼女は一連の動作を終え、深く礼をしている。
僕もそれにつられて礼をする。
ルーティンが終わった途端、彼女がふっと息を吐く。
それが巫女から普通の女の子に戻る合図だ。
「今日は遅かったですね。もう、来ないかと思いましたよ~」
まるで旧知の仲のような、この距離感はあの日から全く変わっていない。
あの日はもう少し早い時間で、まだ夕日が照りつけていた。
「んー。見ない顔ですね」
開口一番、そんなことを言われて戸惑ったことを覚えている。
初めてだと答えると、
「初めてですか。ならっ、境内をご案内しましょうかっ?」と押しぎみに提案された。
お断りすると、
「それは、残念…」と落ち込むようにするものだから、しぶしぶ案内を頼むとそれはそれは嬉しそうに境内の隅々を案内してくれた。
「あの屋根のところの装飾、とても好きなんですっ」
「この御神木はパワースポットなんですよっ」
ここが実家だという彼女は、それはそれは楽しそうに、そして誇らしげに話してくれた。
それが彼女との出会いだった。
以降、この神社に来るといつも出会う。
「またお見えになられたということは、ご利益など、ありました?」
なんて聞かれたりもする。
特に何も変わらないと答えると、
「ん~。もうちょっと増やしときます?」なんて神楽鈴を掲げられることもしばしば。
お守りやご祈祷を目当てにやってくる参拝者に親身になっている姿は見たことがある。
でも、ここまでフレンドリーではない。
こんな風に会話を繰り広げる相手は僕くらいじゃないかと思う。
決して社交的ではないし、こちらからは絶対話しかけることはないというのに。
なぜか構われる。
嫌というわけじゃない。でも、その真意が分からず、困っている。
自分には気づかないだけで、何かが見えているのか。
それとも、ただ世話焼きなだけなのか。
前者であるならば、早く祓ってもらいたいところだが。
「あの、僕って何かついてます?」と訊いてみる。
「え?」と驚いたようにしたが、「んー」と全身をくまなく観察して「特に何もついてませんよ」と教えてくれた。
意味の分からない質問に首を傾げながら、「どうかされました?」と訊かれてしまった。
なんでもないと言うと「窓口はそろそろ閉めますので、御用の際はお早めに」と知らせてから、「それでは、ごゆっくり」と社務所に戻っていった。
木々に囲まれた境内は日が落ちるのが早い。鳥のさえずりは、虫の音に変わり始めた。
薄暗い境内の中で、灯りに照らされる本殿はより一層、
ゆっくりと歩き出し、他の参拝者が帰るまで待ってから本殿へ。
本殿はいつも扉が閉められていて、中をうかがうことが出来ない。
しかし、神様が確かにそこに居るのだろうと感じさせる独特の雰囲気がある。
ざっ、ざっ
静かな境内。誰かが歩けばすぐに分かる。その音は僕の近くで止まる。
いつものことなので、何も反応することなく、財布から硬貨を取り出す。
「さて、今日はいくら入れてくださるのでしょうかね?」
彼女は僕が本殿に来るのを見計らって来ている。
3メートルほど離れた場所から、僕の一挙手一投足を逃すまいとしている。
これも毎度のことであり、慣れている。
最初は賽銭泥棒と間違われているのでは…なんてびくびくしていたが、ただ興味本位で眺めているらしい。
いつもの五円玉を優しく賽銭箱に入れる。
鈴を軽く鳴らし、二礼二拍手一礼の作法に則って、お願いを済ます。
最後に彼女にお辞儀をすると、どこからともなく
本格的な神事のような計らいに、ちょっとだけ申し訳なく思う。
そんなことなど気にさせないくらいに優しい表情で僕に語り掛けてくれる。
「叶うといいですね」
何の曇りもない表情で伝えられた言葉に、なんとも言えない複雑な気持ちを覚えながら、「はい」と返事をするのだった。
僕が何を願ったか。彼女には知るよしもない。
でも、彼女の
「またのご参拝、お待ちしてます」
旅館にでも泊まったのかと思うほど丁寧な見送りを受けて、僕は神社を後にする。
灯籠の灯りが転々と照すだけの石段をゆっくりと降りていく。
「きっと、大丈夫です」
ふと、蘇るように彼女の言葉が思い出される。
初めて神社に訪れた時、僕に向けて言ったであろう一言。
挨拶をした去り際、呟くように口にしただけ。
面と向かって言われたわけではないが、その時境内には誰もいなかった。
だから、その声が僕以外に届くはずがないのだ。
その言葉の意味はわからないのに、妙に心に残る一言で僕の記憶にしっかり刻まれている。
なぜ、彼女がそんなことを僕に言ったのか。
それは未だに分からずにいる。
今分かっていることは、その人が僕を清めたがっていて、僕のことをいつも気に掛けているということ。
今日も何も進展はない。
でも、別に進展は求めていない。
ここ数日は、この
彼女が居て、この場所がある。
ただそれだけで、僕の願いの半分は叶っているようなものなのだから。
石段を降りて、街の喧騒へと戻っていく。その足取りは心なしか軽い。
清めたがりの清美さん 福山直木 @naoki_Fukuyama
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