15/日常
気持ちの良い青空が広がっているのに、心は不安でいっぱいだ。
教会から外へと踏み出すのに、少しだけ躊躇いがあった。
教会の外に出てはいけないという規則を破ることになる。シスターラムエルに、その規則を破ることは許されたけれど。
それでも、本当に外に出ていいのだろうか。
「やめるか?」
肩に乗ったテイルが優しく問いかけてくる。
その誘いを否定するように、首を力強く横に振った。
せっかくの外に出るチャンスだ。メロンの意思を叶えるチャンスだ。わたしの、ずっと抱いていた憧れを叶えるチャンスだ。
それを無駄にはしたくない。
「おや、どうしたんだい?」
わたしよりも先に外に出ていたメルリヌスさんが、立ち止まってこちらを振り返る。
不思議そうにわたしを見つめた後、メルリヌスさんは何かに気がついたような表情をしてわたしのそばへとやって来た。
「ほら、おいで」
優しげな表情を浮かべて、メルリヌスさんはわたしに手を差し出す。
「外に出るのが不安なんだろう。大丈夫。ボクがついている」
おずおずと、差し出された手を取る。ひんやりとした、柔らかな感触が伝わってきた。
わたしの手を優しく掴むと、メルリヌスさんはゆっくりと歩き出した。
——一歩は、簡単に踏み出された。
ヒトビトによって踏みしめられ固まった土の道を歩く。道の両端には教会とも、教会の生活棟とも異なるような建物がずらりと並んでいた。
キョロキョロと周囲を見渡すわたしに、メルリヌスさんはくすりと笑みをこぼす。
「建物が気になるかい?」
「えっと、少し」
素直に頷くと、メルリヌスさんは人差し指を立てて建物の説明を始めた。
「じゃあ、説明を。ボクが知っている限り、この世界の建物は基本的には三種類。まず一つは木造建築。骨組み、床、壁。全てが木を使って造られている建物。キミが住んでいる生活棟がそうだね。次に石造建築。これは、教会がそうだったよね。基本的に石を積み上げて建てられていて、壁も床も固い石。で、三つ目。同じく壁に石材が使われているけど、骨組みは木で造られている木骨造の建物がこれら」
メルリヌスさんはぎっしりと並ぶ民家を指差す。
「この世界の多くの民家は木骨造だ。床は踏みしめられた地面だったり、石を敷き詰めていたり、木を張っていたりするけど、基本的な造りは同じ」
「そうなんですね。ってことは、どこの街も同じような感じってことですか?」
「ああ。中には木造建築のみの場所もあるけどね。けど、多くの街は同じような街並みをしている。バリエーションが少ないんだ。つまらないだろう?」
つまらない、という感想はよく分からないが、街並みがどこも変わらないというのはもったいない気はする。
「同じような建物ばかり、っていうのはどうしてですか?」
「まず一つ、この世界の気候がどこも同じだからという理由はある。これはまあ、再現する気も必要もなかったからなんだけどね。だけど、理由はそれだけじゃない。ヒトビトの発展を、アステールは許していないんだ」
「それは、どういう」
「うん。アステールはね、ニンゲンが成長することを許していない。具体的に言うと、ニンゲンたちが学ぶことを許していないんだ。だからこれ以上は発展しないし成長もしない。情報は更新されずに止まったまま。モルガーナは、文字って知っているかな?」
聞いたことはあるし、何度か見たこともある。
基本的には商業をするニンゲンが利用するもので、商品の名前を書くのに使ったり、値段を判断するのに使うものだ。
「文字はね、本来ならそれ以外の利用もするものなんだ。記録をつけたり、何かを解き明かすのに利用したり。物語を紡ぐのにだって使われる。けど、アステールはそういう様々な使用方法を禁止しているんだ。彼女は学問というものを、ニンゲンたちに許可していない」
「それって悪いこと、なんですか?」
「うん。カミサマがにんげんの発展を阻害するなんてあってはならない。にんげんは成長する生き物だ。その前提を否定するようじゃあ、彼女はカミサマ失格だよ」
それに、とメルリヌスさんは言葉を続ける。
「王様としても失格だろう。民の成長を潰して国が発展するわけがない。彼女にも事情があるのだろうけど、そんなことは民たちには関係ないからね。と、ムメイの街の中心広場に到着だ」
いつのまにか坂を下り終わり、教会から見えていた円形の広場に到着していた。
これまで歩いてきた道よりも、ヒトビトの往来が多い。ヒトビトはみな、色とりどりの服を着て、それぞれの目的地に向かって歩いている。満ち足りているはずのその顔はどこか、元気のないようにも見えた。
広場の床はさっきまで歩いていた道とは異なり、小さな四角い石が敷き詰められている。広場の中心には円形の水場があり、その中心からは水が吹き出していた。
「これは噴水。広場の装飾のようなものさ。さて、ここから真っ直ぐに南に下り続けると海にたどり着く。そこまで行くのは遠いから、やめておこう。で、ここから東西どちらに向かっても商店街があって、その先には街の出入り口がある。ちなみに、星教派の教会はここから西側に行ったところにある」
「なら、西側には行かない方がいいな」
それまで黙り込んでいたテイルが意見を口にする。
テイルはわたしが星教派のニンゲンに見つかるのを避けたいのだろう。見た目を誤魔化しているとはいえ、不安なのは変わらないということか。
わたしとしても、危険な目には遭いたくはない。
「じゃあ、東側の商店街に行こうか」
ぐい、とメルリヌスさんはわたしの手を引っ張って、左手に広がる道へと歩き出した。
目の前に続く道にはさらにたくさんのヒトビトの姿がある。カゴを持って店を覗いていたり、箱に果物や野菜を詰めて並べていたり、立ち止まってお喋りをしていたり、忙しなく動き回っていたり。
活気がある、とはこういうことを言うのだろう。
けれどもやはり、どこか違和感を覚える。何が、と問われれば難しいのだけれど、強いて言えば、その表情には心からの楽しさ、明るさがないように思えてしまう。
「……なんで、みんな楽しくはなさそうなんだろう」
思っていたことがぽろりと口からこぼれ出た。
その言葉が聞こえていたのか、メルリヌスさんは歩きながら、そうだねえ、とのんびりとした口調で答えてくれた。
「未来が見えない、からかな」
「どういうことですか?」
「成長しないということはね、変わらないということなんだ。昨日も今日も明日も、同じ毎日が続いていく。それはもちろん、平和で幸せなことではある。けどね、にんげんは退屈には耐えられないようにできているのさ。変わらない毎日を望むものがいないとは言わない。だけど、今日とは違う明日が欲しいと望む方が、きっと正常で、その方が得るものがあるだろうよ」
変わらない毎日。それが、ヒトビトをどこか暗い状態にしているのだろう。
どうして変わらないのか。どうして今日とは違う明日が来ないのか。
それはヒトビトが成長しないから。発展しないから。
その原因を作ったのは、この世界を治めているアステール。
なら、みんなが今どこか満ち足りていないのは、アステールのせいということになるのだろう。
メルリヌスさんはヒトビトを気にすることなく、ずんずんと商店街を進んでいく。手が離れてしまわないように必死にそれに着いていきながら、ヒトビトの様子を眺める。
もしアステールを倒したら、カレらは今より幸福になれるのだろうか。
ぼんやりと考えながら歩いていると、次第にお店の数が減っていった。そうして気がつけば、周りは民家ばかりになっている。
道の先には木造の門らしきものが見え、そのそばには銀色の鎧を纏った兵士らしきニンゲンの姿があった。
「あれが東側の出入り口だね。近くに立っているのは警備隊のニンゲンだろう。主教派が多い街とはいえ、それでもきちんと警備隊が配置されているらしい」
立ち止まって、メルリヌスさんが門の方を眺めながら口にした。
「警備隊、っていうと、アステールがまとめている兵士たちですか」
「そう。アステールを信仰する星教派のニンゲンたちが兵士として所属する団体。各地の街に配置されていて、街の治安を維持したり魔物を討伐する役割を与えられている、んだけど、基本的には主教派の多い街には警備隊は少ないんだよね」
「それはまた、どうして?」
街ごとに警備隊の数が異なるのは仕方がないが、それは街の規模によって変わるべきものだろう。宗教関係で数が異なる、というのは問題ではないだろうか。
「兵士たちが行きたがらないのさ。警備隊は結局はアステールを支持するニンゲンたちの集まりだからね。そうじゃない主教派の連中を守る義理はない、って考えなんだろうよ。だからこの街には警備隊が少ない。ま、フレウンなんかほんとに数人しかしいないし、カントレッジに関してはゼロだ。それを考えると、マシな方なんだろうけど」
そうなんですね、と頷きつつ警備隊の兵士を見つめる。
カレは退屈そうに、門の外側と内側を交互に眺めていた。
「さて、今日の外出は気分転換になったかな?」
「へ?」
予想外の言葉に、メルリヌスさんの顔を見つめる。
「いやなに。教会にいても落ち着かないだろうと思ってね。外に出ることで、少しでも気持ちが軽くなればと思ったんだけど」
どうかな、とどこか照れ臭そうな様子でメルリヌスさんは頬を掻く。
今日の外出は、メルリヌスさんなりに気を遣ってくれての提案だったらしい。
「そう、ですね」
視線を地面に落とす。
初めて外に出ることができたのは、正直嬉しかった。街並みを見ることができたのも、たくさんのヒトビトが住んでいることが実感できたのも、良いことだと思う。
でも、気分転換なんてしてよかったのだろうか、外に出ることを楽しんでしまってよかったのだろうか、というのが正直な気持ちでもあった。
だって、何もできなかった。ダレも救えなかった。
そんなわたしに、気分転換なんて権利はないんじゃないか。
「モルガーナ?」
メルリヌスさんがわたしの顔を覗き込む。翡翠の瞳は、心配そうにわたしを見つめていた。
「落ち込んだ顔をして、どうしたんだい。せっかく可愛いのに、そんな顔をしていてはもったいないよ」
「——へ?」
思いもよらぬ発言に顔を上げる。
可愛い? わたしが?
「い、いやいやいや。それはない。それはないです、絶対に」
だってこれまでそんなこと言われたことないし。そもそも水面に映った自分の顔を見た時だって、そんなこと思えなかったし。
大体わたしにそんなものは求められていないし、必要ないのだ。救世主さまは地味で、質素でいいのだ。着飾る必要なんてない。可愛い必要なんてない。だから本当なら、こんな普通の女の子みたいな服を着る必要も資格もない。
わたしは救世主さまじゃないけれど、それでもそう在りたいと望んでいるのだから。そう在れと、望まれているのだから。
「何を言っているんだい。キミは可愛いよ。そりゃあ、手入れが行き届いていないから髪の毛は艶がないし、必要な栄養をしっかり摂れていないせいか痩せすぎなところはあるけど、けど、顔の造形はとても整っていると思うよ」
貶しているのか誉めているのか分からない言葉を並べながら、メルリヌスさんはまじまじとわたしの顔を見つめていた。
「何を気にしているのかは分からないけどね、キミだって普通の女の子なんだから」
「で、でも。メルリヌスさんも、わたしのことを救世主さまだって……」
ああ、とメルリヌスさんはどこか納得したような声を出す。
「なんだ。そんなことを気にしていたのかい。うん。ボクはたしかにキミのことを救世主さまだと思っているけどね、それとキミが普通の女の子であることは両立するとも。というかね、キミは救世主さまである前にただの可愛らしい少女じゃないか」
そう言って、メルリヌスさんは優しく微笑んだ。
「救世主さまだと思われているからといって、無理にそんな振る舞いをする必要はない。どんな振る舞いをしようと、キミにその能力があるのならばキミが救世主さまであるという事実は変わらないのだから。キミがそう在りたいと、キミの想像する救世主さまらしく振る舞いたいと言うのなら止めないけどね。けどそれは無理をしてまで、自分に嘘をついてまでする必要があることじゃない。大丈夫。ボクが保証するとも。キミは、普通の女の子だ」
「——それ、は」
それは、ずっと誰かに言って欲しかった言葉だった。その言葉を、ずっとメルリヌスさんは口にしてくれていた。
繋いだままの手を強く握りしめる。
「……でも、普通の女の子のままじゃ、きっと救世主さまにはなれない」
わたしはきっと救世主さまなんかじゃない。救世主さまになんてなれっこない。そもそも、心の奥底ではそんなものなりたくないって思ってる。
それはわたしの本心だ。
けれど、メロンの尊敬の眼差しを裏切りたくない。唯一救世主さまと心の底から慕ってくれたカノジョの気持ちをなかったことにしたくない。そうで在って欲しいと望まれたのだから、たとえ偽物でも救世主さまらしく在りたい。
それも、わたしの本心なのだ。
「いいや、なれるとも」
これまでになく力強く、メルリヌスさんは言い切った。
「まず何度でも言うけどね、キミは普通の女の子だ。魔法が使えるだけの、それが珍しいだけの普通の子供だ。キミはそのままでは救世主さまになれないと思っているみたいだけどね、それでも救世主さまにはなれる。一番大事なのはね、見た目でも振る舞いでもない。キミ自身の、心の在り方だ」
「心の在り方?」
「キミがどうなりたいのか、どう在りたいのかが大事なんだ。見た目や振る舞いはそのおまけでしかない。どういう存在でいたいのか。どういう存在で在りたいのか。キミが思う救世主さまはどういう心の在り方をしているのか。それさえ忘れなければ、普通の女の子だって救世主さまになれるとも」
大事なのは見た目でも振る舞いでもなく、自身の心の在り方。
けれどもまだ、わたしはその在り方すら見つけられていない。
「キミが本当に救世主さまに相応しいかどうか。それは最期の時まで分からないかもしれない。けどね、キミがそう在りたいと願うなら、キミ自身が心の在り方を探したいと望むのなら、ボクと一緒に来ないかい」
「一緒に、どこへ?」
「この世界を、ステラを旅するのさ。まあ、全部の街を巡るわけではないんだけどね。アステールを倒すために、っていうのは、今はまだ考えなくてもいい。ただ、キミ自身の心の在り方を見つけるために、旅をすることで何か得るものがあるんじゃないかと思う。少なくとも、ずっとあの教会にいるよりは良いはずだ」
どうかな、とメルリヌスさんは真剣な瞳で見つめてくる。
ちら、と肩に乗ったテイルに視線を向ける。テイルは黙り込んだまま、私の方をじっと見つめていた。……反対する気はない、私に任せるとでも言いたげに。
「……行き、ます。わたし、自分がどう在りたいのかを見つけたい。空っぽのままのわたしじゃなくて、求められたから救世主をやるだけじゃなくて、自分自身の意思で立てるようになりたい。納得のいく、自分の答えを見つけたい。だから、わたし、メルリヌスさんと一緒に行きます」
わたしの答えを聞いて、メルリヌスさんはもう見慣れた胡散臭い笑みを浮かべた。
「よし、決まりだ。なら、早速明日には出発しよう。ああ、教会のニンゲンたちなら大丈夫。カノジョたちのことは、心配しなくていいよ」
ぶんぶんと繋いだ手を嬉しそうに振りながら、メルリヌスさんはにこにこと笑っている。その笑顔に、少しだけ心が落ち着かない感覚がした。けれどもそれは嫌な感覚ではなくて、うまく説明できないけれど、なんだか心地が良かった。
「モルガーナ。ボクはキミの旅立ちを祝福しよう。その先に、どんな結末が待っていたとしても」
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