14/朝食
「だから、どうしてお前は一人じゃ起きられないんだ」
ドン、と。
床に勢いよく叩きつけられて目が覚めた。
「……おはよう、テイル」
「おはようモルガーナ。今日もぐっすり眠れたようで何より。だがいい加減自分で起きてくれ」
はあ、とため息を吐きながらも、テイルはどこか心配そうな様子でわたしの顔を覗き込んでいる。
「……眠れたのは、眠れたみたいだな」
そう言って、ふい、とそっぽを向いてしまった。
テイルはいつだってわたしを気にかけてくれている。昨日だって、今日だってそう。わたしが救世主さまになんて相応しくないって分かってくれている。わたしにはそんな重荷は背負えないって分かってくれている。わたしがただの、役立たずの女の子だって知ってくれている。
みんながわたしを救世主さまと呼ぶなかで、ただ一匹だけ、わたしをただのモルガーナと呼んでくれる。
だから、テイルはわたしにとって大事な友達なのだ。
……あのヒトは、メルリヌスさんはどうなのだろうか。
わたしのことを救世主さまだと思っているようだけれど、だからといって教会のみんなと同じようにわたしのことを扱ってはいない気がする。変な気遣いはないし、何か違う別の存在として見られている気もしない。それどころか、何度もわたしをただの女の子だと言ってくれていた。
それは、なんだか。
けれど、わたしを救世主さまだと確信しているのだろうとテイルは言った。
メルリヌスさんは昨日、救世主さまかどうか確かめるために封印を解かないか、なんて言っていた。確かめるためにはそれが一番手っ取り早い。だけどもし、封印が解けてしまったら。あり得ない話だ。けれどもしそうなったら、その時は、どうしたらいいのだろうか。
「おい、いつまでぼんやりしている。そろそろ支度を整えたらどうだ」
「あ、うん」
考えていても仕方がない。どうせわたしは救世主さまではないのだ。特に何を心配する必要もないだろう。
起き上がって、机に置かれた着替えに手を伸ばそうとして、そういえばもうメロンはいないのだったと思い出す。
だから、そこには何もないはずだった。
「あれ?」
けれど、机の上には見覚えのない衣服が置かれていた。
「ああ、それか。メルリヌスのやつが、お前が寝ている間に置いて行ったぞ。女の子なのにこんな質素な服を着ているなんてもったいない、ってな」
白いシャツに水色のスカート。それから茶色いケープが綺麗に畳まれて置かれている。
色のついた服なんて、初めてだ。
「うわあ。どうしよう。お礼、何をしたらいいかな」
「お礼なんてしなくていいだろ。あいつが勝手に置いていったんだから」
「それでも、何かを貰ったらその対価は払わないと。何ができるか、考えておかなきゃ……これでよし、と。どうかな、テイル」
鏡なんて持っていないので、自分で自分の姿を確認することはできない。なので、今唯一わたしの見た目を確認できるテイルに感想を求めている。
テイルはまじまじとわたしを見つめた後、ふん、と鼻を鳴らした。
「悪くないんじゃないか。馬子にも衣装、とはこのことか」
「なにそれ。褒められてる?」
「ああ、褒めているとも。そら、せっかく着たんだ。メルリヌスにも見せて、お礼でもなんでも言え」
うん、と頷いて、テイルを肩に乗せる。
食堂に向かうと、メルリヌスさんは入ってすぐの席に座ってくつろいでいた。
シスターや子供たちは、メルリヌスさんから離れた奥の方で固まって食事を始めている。
メルリヌスさんはわたしが入ってきたことに気がつくと、やあ、と片手をあげた。
「おはよう、モルガーナ。おや、その服は」
「おはようございます、メルリヌスさん。ええと、この服、メルリヌスさんが用意してくださったんですよね。ありがとうございます。その、お礼なんですけど」
頭を下げて感謝の言葉を述べる。そうしてお礼はどうするべきかと言葉を続けようとしたところで、メルリヌスさんが手をひらひらと横に振った。
「ああいや、お礼は不要だよ。ボクが勝手に用意したものだしね。……うん。やっぱりよく似合っている。キミにはあんな黒いワンピースよりも、こういう明るい衣服の方が似合うよ」
そう言って、メルリヌスさんは満足そうに微笑んだ。
「さて、朝食なんだけどね。ボクが用意したものでもいいかな?」
「あ、はい。食べられるのなら、なんでも」
答えながら、メルリヌスさんの隣に座る。
今更シスターや子供たちのところには行けないし、カノジョたちも、わたしとは関わりたくないだろうから。
メルリヌスさんはわたしが座ったのを確認して、くるりと空中で指を回す。
それと同時に。
「——へ」
ポン、と。軽快な音を立てて、目の前には皿に乗った食事が用意された。
間に具材……野菜とお肉だろうか……の挟まれたパン。野菜がたっぷりのスープ。それから牛乳。
テイルとわたしのフタリ分の食事が、何の前触れもなく突如として目の前に現れたのだった。
「あの、これは」
「うん? ああ、魔力で編み上げた食事だよ」
「魔力で⁈ ってことは今のはやっぱり魔法……詠唱もなしで……?」
わたしが驚いていることに気がついて、メルリヌスさんはふむと口元に手を当てる。しばらくそうした後、なるほど、と何かに納得したように頷いた。
「材料は魔力だけど、基本的には普通の食事と変わらない。食べても何の害もないよ。ああ、ボクは食事を必要としないから食べないけど気にしないで。テイルも本当はいらないと思ったけど、キミだけ食べるのも寂しいかなと思って用意させてもらったよ。余計なお世話だったかな?」
詠唱なしの魔力行使に驚いたのだが、メルリヌスさんは魔力で編み上げた食べ物に驚いたのだと勘違いしたらしい。いや、もちろんそちらにも十分驚いてはいるのだが。
ちら、とメルリヌスさんはテイルの顔を見る。
テイルはメルリヌスさんの顔を見ないまま、尻尾のようなものでパンを掴んだ。
「いや、頂こう。残念ながらこの身体は主人を持たない……わけではないのだが、魔力供給が十分に行われているとは言えない。食事は貴重な魔力補給になる」
テイルは小声で答えて、躊躇なくパンを食べ始めた。
テイルが食べているのなら、大丈夫だろう。
手を合わせて、わたしもパンに手を伸ばした。
「……美味しい」
お肉なんて滅多に食べることができなかったから、それを食べられるだけでも嬉しい。嬉しいという気持ちのせいもあるのだろうけれど、それ以上にこのパンはとても美味しい。ふわふわとしていて、挟まれた野菜はシャキシャキとみずみずしくて。
「ふふん、どうだい? ボクの性質の一つは創造。食べ物を作ったり、何かを真似て作るのは得意なんだ。こうして他者に振舞ったのは初めてだけど、うん、喜んでもらえて嬉しいなあ」
うんうん、とメルリヌスさんは満足そうに頷いている。
その顔は喜んでいる、にしては、いまいち表情が変わらないというか。先ほどと同じように、胡散臭い笑みを浮かべたままだ。あまり表情が変わらないヒトなのかもしれない。
それにしても、メルリヌスさんは何者なのだろうか。
詠唱がなかったのはもちろん、魔道具すら取り出していなかった。
もしかして、ではなく絶対に、メルリヌスさんの魔法使いとしての能力はわたしよりも上だ。それなのにどうして、メルリヌスさんはわたしを救世主さまだと思っているのだろうか——?
「さて。キミたち、今日の予定は?」
頬杖をついてわたしたちの様子を眺めていたメルリヌスさんが、唐突に訊ねてきた。
「ええと、そうですね。……どうしよう、テイル」
小声でテイルに訊ねる。
いつもならば魔法の練習をして一日を過ごすのだが、正直やりづらい。昨日改めて自分が役立たずだと判明したのに、それでもまだ無駄な魔法の練習を続けるのかと思われそうで。
かといって、他にやることもないのだが。
「さあな。ま、特に予定はないっていうのがわたしたちの返事だ」
なるべくシスターたちに聞こえない声で、テイルはメルリヌスさんに返答した。
「ふうん、そっか」
メルリヌスさんは腕を組んで、ふむふむと頷く。しばらくそうした後、ぱん、と手を合わせて満面の笑みを浮かべた。
「よし。じゃあ、ムメイの街を散歩しようか」
「————」
ガタリ、とシスターたちがいる机の方から物音が聞こえた。視線を向けると、シスターラムエルが立ち上がってこちらを睨みつけている。
「メルリヌス、と言いましたか。あなた、モルガーナさまを教会から連れ出すつもりですか」
シスターラムエルは決まり事に厳しい。それもあってだろう。カノジョは外に出ようと提案したメルリヌスさんを、鋭い目つきで見つめていた。
「うん。何か問題でも?」
その鋭い視線を受け止めつつ、メルリヌスさんはにこやかな表情を浮かべる。それが気に食わないのか、シスターラムエルはその表情をより険しくした。
「モルガーナさまを外に出してはいけない。それがこの教会の規則です。それはモルガーナさまの身の安全と、わたしたちの安全を守るためでもある。もし星教派のニンゲンにその存在がバレてしまえば、カノジョは殺されてしまうかもしれないのですよ? それだけじゃない。この教会も、無事ではすまないでしょう」
シスターラムエルの指摘はもっともだ。
わたしの身の安全を気にかけているのは、きっと表面上だけ。一番大切なのは、自分たちの身の安全だ。星教派にわたしが見つかれば、カノジョたちの安全は途端に消えてしまう。
そんなシスターラムエルの言葉に、メルリヌスさんは笑顔を崩さずに口を開いた。
「それは大丈夫だとも。見た目を誤魔化すくらい、造作もない。ほら」
言って、メルリヌスさんはパチンと指を鳴らす。
すぐに、シスターたちの息を呑む音が聞こえた。
「——驚いた。それでは、普通のニンゲンと変わらないではないですか」
メルリヌスさんの見た目は金髪碧眼。どこにでもいる普通のニンゲンの姿へと変化していた。
再びパチンと指を鳴らすと、メルリヌスさんの髪色と瞳の色は元通り、若葉と翡翠の色へと戻っていた。
「これでも文句があるかい?」
見た目を変えられるのならば、星教派に自分たちが魔法使いであるとバレてしまう心配はないだろう。
シスターラムエルはぐっと唇を噛み締めた後、メルリヌスさんから視線を逸らした。
「……モルガーナさまの、身の安全を保障するのでしたら」
「もちろん。この子は大事な救世主だからね」
シスターラムエルは頷いて、大人しく椅子に座った。
「あの、本当に、外に出ていいんですか?」
シスターラムエルの許可は下りた。他のシスターたちも反対する様子はない。
それでも不安は拭えない。
恐る恐る、メルリヌスさんの表情を伺う。メルリヌスさんは胡散臭い笑みを浮かべたまま。その表情からは何を考えているのか、読み取れなかった。
「もちろん。それに、いつまでも教会に引きこもっているわけにはいかないだろう? そりゃあシスターたちがいれば、キミは外に出る必要はないかもしれない。けど、ずっとそのままで居続けることは不可能だ。いつかは出なければならない時が来るだろう。なら、今日外に出たって問題はないだろう」
それは、そうかもしれない。
「……わたしは、反対だな」
ぼそりと、食事の手を止めてテイルが呟いた。
「シスターラムエルの言う通り、星教派や警備隊に見つかったらどうする。いくら見た目を誤魔化せるとはいえ、絶対安全とは言い切れない。なによりもし——」
「大丈夫だって。モルガーナのことはボクが守るとも。そのための導き役なんだから」
テイルの言葉を遮って笑うメルリヌスさんに、テイルはいまだ不安そうな様子で反対をしようとする。
「だが」
と、テイルはメルリヌスさんを見つめる。
けれどそれも長くは続かず、テイルは視線をメルリヌスさんからわたしへと移した。
「……いや、大事なのはモルガーナの意思か。モルガーナ。お前は、外に出たいのか?」
「それは……うん。少し」
嘘。本当はずっと、出てみたかったくせに。
けれどその気持ちがバレないように抑えつつ、わたしは言葉を紡ぐ。
「だってわたし、この街のこと何も知らないから。そりゃあ、遠くから街並みを眺めることはできたけれど、でも、それだけだもん。一度くらい街を歩いてみたいって思うのは、悪いことかな。それに」
それに、メロンはわたしを外に出すと約束してくれた。今度の外出日に、一緒に街を歩こうと約束してくれた。
その約束は、もう叶わない。
叶わないけれど、その約束をしてくれたメロンの気持ちを無駄にはしたくない。一緒には出掛けられなくとも、わたしを外に出したいと願ってくれたその意思を叶えることはできるはずだ。
テイルは悩ましげに唸りながら、ぱたぱたと尻尾のようなものを動かす。少しの間そうした後、一際重たいため息を吐いた。
「……危なくなったら、すぐに帰るぞ。危険な目に遭いそうになったら、引っ張ってでも引きずってでも逃げるからな」
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