10/非難
埋葬を終えて、生活棟に戻る。
メロンのネックレスは、手放す気になれなかった。本当ならお墓に遺体の代わりに埋葬するべきだったのかもしれない。それでも、ここに置いていくのは違う気がして。
生活棟に近づくと、閉じられた窓の隙間から明かりが漏れているのが見えた。
中に入り、食堂へと向かう。
わたしが入ると、中にいたみんなが一斉に振り返った。
「……モルガーナ、さま。ご無事、でしたか」
入り口付近に座っていたシスターアラエルが立ち上がり、心配そうな声で問いかけてきた。顔色は青白く、まだ恐怖が抜けていないのだろう。
無理矢理笑顔を浮かべて、それに答える。
「……はい。みなさんも、怪我はありませんか?」
食堂を見渡す。メロン以外の子供たちも、シスターたちも全員揃っているようだった。見たところ、怪我をしているヒトもいない。入り口から少し離れた壁際には、メルリヌスさんの姿もあった。
安堵のため息を漏らしかけたところで、ダン、と机を叩く音が室内に響いた。
見れば、シスターサマエルが立ち上がってこちらを睨みつけている。
「怪我はないか、ですって。なにそれ。神父さまが殺されてからのこのこやって来たくせに、メロンが化け物になるのを助けられなかったくせに、まだ救世主面?」
怒りを声に滲ませながら、シスターサマエルはカツカツと足音を鳴らしてこちらに近づいてくる。
「あんたが本物の救世主なら、こんなことにはならなかったんじゃないの⁈ メロンだって化け物にならなかった。神父さまだって殺されずにすんだ。あんたが何にもできない役立たずだからこんなことになったんでしょ! 責任取りなさいよ!」
勢いよくやって来たシスターサマエルはわたしの胸元を掴んで身体を揺する。目には涙を浮かべ、息を荒くし、これでもかと感情をぶつけてくる。
「あんたが、あんたが! 何のために毎日馬鹿みたいに役に立ちもしない魔法の練習をしてたの。何のために仕事もせずに何もしないでここにいることをあたしたちは見逃してきたの。何のために、神父さまがあんたがここにいることを許したと思ってるの。全部全部全部、あんたが救世主さまだっていうから許してきたんじゃない! それを、この、恩知らずが!」
シスターサマエルが勢いよく右手を振り上げる。
「ちょ」
メルリヌスさんの戸惑いの声が聞こえたのと同時に、パシンと乾いた音が鳴った。ヒリヒリと左頬が痛み出す。
「この、この——なんとか言いなさいよ!」
「っ!」
体重をかけられて、身体が床に倒れる。馬乗りの体勢で、シスターサマエルは再びわたしの頬を殴った。
「シスターサマエル、ちょっと」
「さすがに、それは」
見かねた他のシスターたちが声をかけるが、シスターサマエルが止まる様子はない。そもそも他のシスターたちも、本気でシスターサマエルを止めようとはしていない。
視界の端で、テイルがぐにょぐにょと変形しかけているのが見えた。それを、首を振って止める。きっとわたしを助けようとしてくれているのだろう。けど、そんな必要はない。
「あんたなんか、あんたなんか——!」
シスターサマエルが握りしめた右手を振り上げる。
当然の怒りだ。当然の報いだ。
本当なら目を閉じることすら許されない。けれども怖くて、ぎゅっとまぶたを閉じる。
痛いのは嫌。怖いのも嫌。それでも、この程度の罰は受け止めなければ。
「————?」
だが、いくら待っても次の痛みはやってこなかった。
恐る恐る目を開けると、シスターサマエルの右手を掴むメルリヌスさんの姿が目に入る。メルリヌスさんの腕は細いのに、必死になって力を入れているシスターサマエルの腕はびくともしない。
「この、離しなさいよ! 魔法使い。あんた、部外者でしょう⁈」
「ああ。ここに来る前まではね。けど、その子はボクが見込んだ救世主だ。いや、それ以前にただの女の子だ。手を出すのはやめてもらいたい」
柔らかいのにどこか棘のある声色で、メルリヌスさんはシスターサマエルに意見する。
「それにね、何もできなかったのはキミたちも同じじゃないか」
「っ、当たり前でしょう⁈ ニンゲンが化け物相手に敵うわけないじゃない! あんなのを相手にするなんて、死ねって言ってるのと同じことよ!」
「それを、救世主だからという理由だけで彼女に強要できると? 彼女だって、ただの女の子なのに?」
はっ、とシスターサマエルはメルリヌスさんの言葉を鼻で笑った。
「ただの女の子? 違うわ。こいつは魔法使いよ。予言にある救世主としてこの教会に置かれていた、出来損ないの魔法使いよ。なら、あたしたちを助けて当然でしょう? だって救世主なんだから。普通のニンゲンじゃないんだから。あたしたちを助けて死ぬなら、そいつだって満足でしょ——っ」
ギチ、と。メルリヌスさんの手に力がこもる。
「へえ、なるほどね」
これまでとは違う、冷たい声がメルリヌスさんの口から発せられる。その顔には先ほどまでの笑みはなく、冷たい、無機質な表情を浮かべていた。
「それが、キミたちニンゲンか。人間と変わらないとはいえ、実際に相手にするとこうも腹立たしく感じるなんて。うん。ボクは、モルガーナほど優しくないんだ」
ミシ、と明らかにヒトの身体から聞こえてはいけない音が聞こえ始める。
これはまずいとシスターサマエルも察したのか、ひいと情けない声を上げながらじたばたともがき始めた。それでもメルリヌスさんの手から逃げることはできず、シスターサマエルは苦痛に顔を歪める。
「ちょ、メルリヌスさん! 離してあげてください!」
わたしの声に、メルリヌスさんが力を弱める。だが、決してその腕を離そうとはしない。
「シスターサマエルの言っていることは間違っていません。救世主としてこの教会に置いてもらっていたのに、実際には誰も助けることができなかった。責められるべきだし、カノジョの怒りはもっともです」
わたしの言葉にメルリヌスさんは一瞬目を見開く。けれどすぐに、厳しい表情へと戻ってしまった。
「いいや、違うね。たしかにボクもキミのことを救世主だと思ってはいるが、それはボクがキミにその役割を押し付けているだけのこと。この教会のヒトたちがキミを救世主だとしたことも、みんなが勝手にキミにその役割を押し付けただけじゃないか。キミ自身は何も選んじゃいない。キミ自身は救世主という在り方をまだ選んではいない。そもそもキミはただの女の子だ。それなのに、勝手に役を演じることを求めて、それができないからといって感情的になる。自分勝手にも程がある。これはキミが受け止めるべきものじゃない」
きっぱりと、これは譲らないという口調でメルリヌスさんはわたしの言葉を否定した。
おかしなヒトだ。会ったばかりのわたしをそこまで庇う必要なんてない。救世主さまだと言ったくせに、わたしをただの女の子だと何度も言う。
嬉しいけれど、でも、やっぱりみんなの怒りはわたしが受け止めるべきものなのだ。
「それでも、わたしはみんなの期待に応えたかった。みんなを守りたかった。だから、その怒りはわたしが受け止めなきゃいけないんです。何の償いにもならないかもしれないけれど、それでもわたしがしたことへの罰には違いないから。シスターサマエルの言葉に、間違いはありません」
「……はん。どこまでも良い子ちゃんぶって。そういうところが嫌いなのよ、偽者」
蔑むような声を、シスターサマエルはわたしにぶつけた。
「罪だの罰だの、甘えてんじゃないわよ。何にもできなかったくせに、何にもできないくせに——っ⁈」
どん、と。壁にシスターサマエルが叩きつけられた。
メルリヌスさんはぱんぱんと手を払って、ふん、とそっぽを向いている。
「ちょ、シスターサマエル! 大丈夫ですか!」
駆け寄ろうとするわたしを、メルリヌスさんは正面に立って止める。
「手当ての必要はない。痛いだけで、怪我はしていないだろうからね。それより、キミの方こそ手当てが必要だろう。キミの部屋に行こう。これ以上ここにいたくもないしね」
そのまま、わたしの手を取ってメルリヌスさんは食堂から出て行こうとする。
「メ……」
声をかけようにも、うまく言葉が出てこない。
食堂を出る直前、ぴたりとメルリヌスさんは立ち止まった。
「……悪いことをしたね。シスターたち、それから子供たち。けれど、これ以上この子に関わらないでおくれ。ボクはこれ以上、落胆したくない」
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