11/目的

 無言のまま、メルリヌスさんに引っ張られて自室へと戻る。

 自室に入ると、メルリヌスさんはわたしから手を離して壁にもたれかかった。


「さっきはごめんね。キミがここに居づらくなるようなことをして」


 いえ、と首を振りながら、メルリヌスさんから少し離れる。顔を見られたくなかった。


「そうだ。殴られた手当てをしないと。まだ痛むかい? あれだけ強く殴られたんだ。腫れていてもおかしくは——」


 ない、と続くはずだった言葉は、そこで途切れた。

 そっと、メルリヌスさんの手が頬に触れる。そうして何度かさすられた後、顔にかかった髪の毛を避けて、メルリヌスさんはまじまじとわたしの顔を見つめた。


「キミ、これは」


 そりゃあ驚くだろう。不気味に思うだろう。

 頬の腫れが引いているどころか、わたしの肌は殴られる前と何も変わってはいないはずだから。

 メルリヌスさんの手を払いのけて、距離を取る。


「き、気持ち悪いですよね。わたし、怪我をしてもすぐ治っちゃうんです。テイルが言うには、普通の魔法使いでもこんなことはないって。特異体質だ、って」


 ね、と足元に寄り添うテイルに声をかける。

 テイルは黙ったまま、こくりと頷いたように見えた。


「……そうかい」


 そう言って、メルリヌスさんはわたしに近づいた。そうして、ゆっくりと優しくわたしの頬に手を当ててさすり始める。


「けど、痛いだろう」

「いえ、痛みも、怪我が治るのと同時になくなるので」


 だから大丈夫です。と言おうとして、メルリヌスさんがどこか悲しそうな表情を浮かべていることに気がついた。

 どうして、わたしじゃなくてメルリヌスさんの方が痛そうな顔をしているのだろうか。


「今は痛くなくても、痛かっただろう? 痛みまでなかったことにする必要はない」


 よしよし、と言いながら、メルリヌスさんは何度かわたしの頬を撫でた。


「……それは、そうですね。けど、痛いのはきっと罰だから。だから、なかったことにはしてませんよ。それは、わたしが受け止めなきゃいけないことですから」


 そうしていつも通りの笑みを浮かべて、メルリヌスさんから離れた。

 メルリヌスさんは依然どこか辛そうな表情を浮かべたままだったが、そうかい、と一度まぶたを閉じて、そうして再び胡散臭い笑みを浮かべた。


「さて、いい加減ボクの話をしないとだね。聞いてもらえるかな?」


 どうかな、とメルリヌスさんは首を傾げる。頷くと、メルリヌスさんはにっこり笑ってありがとうと口にした。


「とりあえず、疲れているだろうからキミは座りなさい」


 さあさあ、と促されてベッドに腰掛ける。それを確認して、メルリヌスさんは口を開いた。


「それじゃあ話を始めるけどね。ボクが今日ここにやって来たのはキミ、救世主さまに会うためなんだ」


 救世主。

 やっぱりというか当然というか、メルリヌスさんはわたしのことを予言にある救世主さまだと思っているらしい。

 とりあえず話を止めるわけにもいかないので、ひとまず否定するのはやめておこう。


「簡単に言うとね、ボクはキミ、救世主さまを導いてこの世界の王様を倒そうと考えているんだ」

「王様って、アステールさまとかいうヒトのことですか」

「そう。——アステール。この世界を管理するカミサマであり、ヒトビトに信仰される神様であり、この世界の中心となる心臓であり、この世界を治める王様」

「……?」


 世界を治める王様、というのは分かる。だがカミサマと神様はどう違うのだろうか。いや、それよりも。この世界の中心となる心臓とは、どういう意味なのだろうか。

 分からないことだらけだけれど、まず聞く必要があるのは別のことだろう。


「ええと。それで、どうしてメルリヌスさんはアステールを倒したいんですか? その、アステールを倒すことが良いことのようには聞こえないんですけど」

「おや、そうかい?」

「はい。だってかみさまとか心臓とか王様とか、どれも全部大事な役割のような気がします。そんなヒトを倒すなんて、一体どうして——?」

「うん。それはね、アステールが悪い王様だからさ」


 さらりと、あっけなくメルリヌスさんは口にした。


「さっき現れた魔人。これが、アステールが悪い王様だと説明するのに必要不可欠な存在なんだ」

「魔人が?」


 ああ、とメルリヌスさんは頷く。


「魔人は大昔から存在するものではない、というのはキミも知っているかな? 今から約五百年程前から現れた、ニンゲンたちの間では正体不明とされる魔物のような存在。それが魔人なんだ、って」


 その話の内容は、神父さまやシスターたちの会話から聞いたこと、それからテイルに聞かされていたことと同じだ。


「けれど、キミも見ただろう? ニンゲンが、普通のニンゲンだったはずの存在が、魔人へと変貌してしまうのを」


 メロンが魔人へと変貌した時、テイルは言っていた。

 魔人の正体は、ニンゲンが魔物へと変質した存在なのだと。


「ニンゲンが魔人になってしまうのにはね、ある物質が関係しているんだ」


 そう言うと、メルリヌスさんはケープコートの内側から小さなガラス瓶を取り出す。メルリヌスさんの手のひらの中で薄く光るそのガラス瓶の中には、メロンから舞い散っていた塵と同じようなものが入れられていた。


「そもそもね。この世界における魔物というのは、世界を維持する上で排出されるゴミが集まって固まったモノなんだ。で、これがその世界のゴミ。さて、魔人が動くたびにこれが舞い上がっていた。そして魔人が死んだ後これと同じような塵になってしまったのを、キミも見たよね」

「ええと、つまり魔人もこの世界のゴミとやらで構成されている、ということですか?」

「って、思うよね。本来ならね、ニンゲンを構成する材料にこのゴミは使用されない。なぜならば、この素材がニンゲンを魔物へと変質させるきっかけになるから」


 メルリヌスさんは小瓶を手のひらで包み込む。次に手のひらを開いた時には、小瓶はどこかへと消えていた。


「けれども今、ニンゲンたちはカレらを構成するエネルギーを少しずつ奪われている。そうして奪われた分だけ、さっき見せたあのゴミを補充されている。五百年前からずっとね。そうしてゴミがどんどん溜まって、そのニンゲンの許容量を超えると——」

「魔人になってしまう、ってことですか」


 そういうこと、とメルリヌスさんは首を縦に振る。


「どうして、そんなこと」

「簡単だよ。世界を維持するためのエネルギーが不足しているのさ」


 メルリヌスさんはわたしから離れて、そっと壁に寄りかかった。


「この世界、ステラを維持するためのエネルギーはアステール自身の力だけでは足りない。となると、この世界に存在する他の生物たちからエネルギーを貰うしかない。けど、そうなると生物たちの生命力が削られていく。存在自体が危うくなってしまう。それを抑えるために、世界のゴミを補充して誤魔化している。このままこれが続けば、ニンゲンたちはみんな魔人になってしまうかもね。よく五百年も、魔人の出現数を増やさずにいられるものだよ。そこだけは褒めるべきだろうね」


 そんなことが、許されていいのだろうか。


「アステールは、本当にそれでいいと思ってるんですか」


 訊ねると、メルリヌスさんはさあね、と肩をすくめた。


「ボクは直接会ったことがないからなんとも言えない。けど、五百年間方法を変えていないことが答えだろう」


 いくら世界を保つためとはいえ、それでそこに住むニンゲンたちがみんな魔人になってしまっては意味がないだろう。生物あっての世界ではないのか。

 わたしの考えを見透かしたように、メルリヌスさんは首を横に振る。


「カミサマっていうのはね、個人よりも世界や星の方が大事なのさ。うん。それを考えるとね、アステールはニンゲンたちが全て魔人になってしまったとしても、世界さえ維持できればそれでいいと思っているんじゃないかな」


 あくまで推測だけどね、とメルリヌスさんは付け加えた。

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