9/責任

 わたしたち以外誰もいない礼拝堂。

 メルリヌスと名乗った女性は、胡散臭い笑みを浮かべてわたしに手を差し伸べていた。


「あ、の。えっと」

「ん? あれ、何かおかしかったかな。自己紹介はしたし、次は握手だと思ったんだけど」


 メルリヌスさんはわずかに首を傾げて、不思議そうにわたしを見つめる。

 そのちょっとした仕草に、なぜかニンゲンらしさを感じられない。艶のある、綺麗な動作ではあるのだが、なぜだろうか。不自然というか、演技をしているように見える。


「ふむ。まあ、いきなり現れた存在に握手を求められて素直に応える子なんていないか」


 仕方ない、とメルリヌスさんは差し出していた手を下ろす。そうして視線をわたしから、わたしの足元へと移動させた。


「それで、キミは救世主さまの使い魔かな? 見たところ、普通の魔物ではないみたいだけど」

「…………」


 テイルはじっと黙り込んだまま、メルリヌスさんを睨みつけている。


「おいおい、そんなに睨まないでおくれよ。これでもボクは、キミのご主人さまを助けた命の恩人だ。感謝されることはあっても、睨まれる筋合いはないはずだよ」


 止まっていた思考が少しずつ動きだす。わたしの頭は、メルリヌスさんの話す言葉をようやく認識しはじめた。


「ご主人さま……えっと、それは違うと言うか、正しくないと言うか」

「?」


 わたしの言葉が意外だったのか、メルリヌスさんはキョトンとした顔で首を傾げる。


「テイルが使い魔とか魔物とか、どういう存在なのかはわたしは知りません。けど少なくともわたしの使い魔ではないんです。この教会では、わたしの、ってことになってはいますけど。けど実際は使い魔とご主人さまって関係じゃなくてただの、いえ、大事な友達です」

「ふうん。友達、ねえ。で、黙り込んだままのキミはどうなのかな。キミ、喋れるんだろう? そのくらいの機能は与えられているように見えるけど」


 メルリヌスさんがテイルを指さすと、テイルはため息を吐いた。


「ああ、喋れるとも。で、わたしとモルガーナはたしかに使い魔と主人の関係ではない。わたし自身は、まあ、たしかに誰かの使い魔ではあるんだろうがな」

「そうかい。で、キミのご主人さまは誰なのかな」

「知らんな。わたしは気がついたらこいつのそばにいた。他に行くところもないし、目的もない。だからこいつと一緒にいる。それだけのことだ」


 ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らして、テイルはわたしの肩へ飛び乗った。


「それで、お前はなんなんだ。こいつを今代の救世主と呼んだな。なら」

「ストップ。さすがにここで長話をするのは問題だろう? 外へと避難したヒトたちのこともある」


 メルリヌスさんに言われて気がつく。そういえば、礼拝堂から逃げ出したみんなは無事なのだろうか。


「心配そうな顔をしているね。大丈夫。みんなは無事だとも」


 柔らかい表情を浮かべ、メルリヌスさんはぽんとわたしの肩を叩いた。


「生活棟、だっけ? そこに誘導しておいたから。ボクらもそこに行こう」


 そう言って、メルリヌスさんは礼拝堂奥の扉へと向かう。


「そ、その前に神父さまを」

「ん? ああ、そうだった。他のヒトたちに見せるのは可哀想だし、今ボクたちだけで埋葬してあげた方がいいかもしれないね。うん。長く遺体を放置しておくのも、一般的な倫理観に反するのだろうし」


 神父さまの遺体に近寄ろうとして、コツリと足に何かが触れた。しゃがみ込んで拾ってみると、それはメロンが身につけていたネックレスだった。

 それを握りしめて、神父さまに近づく。

 わたしがもう少し早くここに来ていれば、神父さまは死なずにすんだかもしれない。メロンにだって、何かできることがあったかもしれない。


「……埋葬は、わたしがやります。フタリを助けられなかったんだから、せめてそのくらいはきちんとしないと」


 わたしの言葉に、メルリヌスさんはうん? と不思議そうに首を傾げた。


「何を言ってるんだい。カレらを助けられなかったのは、別にキミの責任ではないだろう」


 静かな翡翠の瞳は、じっと物珍しいものでも見るようにわたしを見つめる。


「カレらが死んだのは、結局カレらが自分の身を守る術を持っていなかったから。カレらに助かるだけの運がなかったからじゃないか」


 ——そう、なんでもないことのようにメルリヌスさんはさらりと口にした。


「そんな、こと。それじゃあメルリヌスさんは、神父さまが死んだのもメロンが魔人になったのも、神父さまやメロン自身の責任だって言いたいんですか」


 そう訊ねると、メルリヌスさんはひらひらと手を横に振った。


「別にそういうつもりじゃないけどさ。けど、ニンゲンなんていつかは死ぬんだ。それが遅いか早いか。安らかなものなのか苦痛に満ちたものなのか。それだけの違いだ。いいかい、この神父さまにもメロンとやらにも、運がなかったんだよ。それだけのことであって、キミに非があるわけじゃない。誰かが死ぬのは、そりゃあ何かのきっかけがあってのことではあるし、他の誰かのせいってこともある。けどね、結局はそのニンゲンに運がなかっただけさ」

「運、って。けど、けどわたしがもっと早く異変に気がついていれば、神父さまは助かったかもしれないじゃないですか! メロンだって、どうにかできたかもしれない。それなら、フタリが死んだ責任はわたしにあるはずで——」

「ううん、それはちょっと、傲慢じゃないかい?」


 ぴたりと、飛び出しかけていた言葉が止まる。


「傲、慢?」


 うん、とメルリヌスさんは頷いた。


「自分さえこうしていれば、他の誰かがたどる道は変わっていたはずだ。もちろんそれは間違いではないだろうけど、その考えは少しばかり傲慢と言うか都合が良すぎると言うか。だって考えてごらんよ。キミにとってキミ自身の存在は大きなものだけれど、世界からすればキミの存在なんて小さなものさ。いやなに、もちろんその小さな存在に噛みつかれて世界や星が滅んでしまうことだってあるけどね。けど、結局世界にとって、個人の存在なんて取るに足らないものなんだよ」

「じゃあ、わたしが何をしても無駄だったって言いたいんですか」


 そんなの。


「全体的に見れば何も変わらない、というだけの話さ。もちろん個人に重きを置くのなら、何か変わったことはあっただろう。けどね、それは些細な変化さ。世界や星からすれば、無視しても構わない変化に過ぎない。どうあれ、キミが責任を感じるほどの大きさのものではないよ」


 そんなの、納得いかない。


「——っ、ヒトが死んでるのに、大きいとか小さいとか関係ない!」


 自分でもびっくりするほどの大きな声が礼拝堂に響く。肩に乗ったテイルからも、驚いている雰囲気が伝わってくる。

 そりゃあ驚くだろう。わたしだって驚いている。

 こんなに大きな声は出したことがないし、なによりこんなに感情が昂っているのは初めてだ。止めなければと分かってはいるけれど、それでも止めるわけにはいかなかった。

 大事なヒトたちが死んだのに、それを小さな問題だ、なんて言われたら誰だって怒るだろう。


「世界とか個人とか、そんなのわたしは知りません。責任を感じるのが傲慢だっていうのは、なんとなく分かるけれど。それでも、自分にできたことがあるんじゃないかって、それができなかったことを悔やむのはニンゲンなら普通のことじゃないんですか! 大事なヒトたちが死んで悲しいことも、それに対して自分の力不足を嘆くことも、ニンゲンなら当たり前のことじゃないんですか! それを、その当然の気持ちを傲慢の一言で片付けないで!」


 最後まで言い切って、わたしの叫びが消えて、礼拝堂はしんと静まり返る。

 ……やってしまった。

 これまでこんなに自分の気持ちを思いっきり叫んだことなんてないのに。嫌なことを言われてもちゃんと我慢ができていたのに。このヒトはわたしを助けてくれたのに。

 顔を見ることができずに俯いてしまう。

 言ったことは取り消せない。そもそもこれは譲れない。

 それでも、自分の気持ちを乱暴に押し付けたことに関しては謝らなければ。


「あ、あの、すみません。その、勝手に怒って勝手に叫んでしまって。その、ごめんなさい。けど、わたしは自分の考えが間違ってるとは思ってなくて。だから、ええと」


 声が震える。

 恐る恐る顔を上げて、メルリヌスさんの顔を見る。

 視線が合うと、メルリヌスさんはにこりと胡散臭い笑みを浮かべた。


「いや、別にボクは怒っていないとも。それに、キミが謝る必要もない。むしろ謝るべきなのはボクの方さ。申し訳ない」


 そう言って、メルリヌスさんは深々と頭を下げた。


「ボクはひとの気持ちに疎いみたいでね。一般常識はある方だと思うんだが、感情的な面では他の者より劣るらしい。ごめんね、キミの気持ちを理解できなくて」


 メルリヌスさんは頭を下げたまま、再び申し訳ないと口にした。


「い、いえ、そんな。顔を上げてください。謝罪するべきなのはわたしの方で、ほんと、ごめんなさい」


 メルリヌスさんに負けないくらい、こちらも深くお辞儀をする。

 どのくらいそうしていたのだろうか。

 呆れたようなため息が聞こえたのと同時に、パシリとテイルが尻尾のようなものでわたしの頭を叩いた。


「いつまでそうしている気だ。互いに謝罪をして、それでもう相手に対する不満がないのなら、もういいだろ」


 テイルの言う通りだ。

 謝罪の気持ちが伝わって、少なくともわたしはメルリヌスさんに対して怒りの気持ちはもうない。メルリヌスさんの方も、わたしを許すと言ってくれた。そんな状態で、いつまでもこうして頭を下げていても仕方がない。


「じゃあ、うん、そういうことで」


 メルリヌスさんが顔を上げる。


「そういえば、ボクはまだキミたちの名前も聞いていなかったね。二人とも、名前はなんて言うの?」


 柔らかい笑みを浮かべて、メルリヌスさんがわたしとテイルを見つめる。


「わたしはモルガーナです。こっちはテイル」

「モルガーナにテイルか。改めて、よろしくお願いするよ」


 メルリヌスさんが手を差し出す。

 今度はきちんと、その手に触れて握り返す。しばらくそうした後、メルリヌスさんはゆるゆると手を離した。


「——うん。不思議な感じだ」

「へ?」


 何がだろうかと首を傾げると、メルリヌスさんはぱちぱちと瞬きをして首を横に振った。


「いいや、なんでも。それより、カレの埋葬をするんだろう?」

「はい。神父さまとメロン、フタリのお墓を作らないと。わたしヒトリでするので、メルリヌスさんは先に生活棟に行っていてください」


 フタリのお墓は、やっぱりわたしがヒトリで作るべきだ。


「そうかい? じゃあ、そうさせてもらおう。もし手伝いが必要になったら呼んでおくれ」


 じゃあね、と言って、メルリヌスさんは礼拝堂裏へと繋がる扉に消えていった。

 扉が閉まって、わたしとテイル以外の生き物がいなくなる。途端に、様々な感情が胸の中に渦巻きはじめた。悲しみ。後悔。罪悪感。優しくはなかったけれど、それでもわたしを無碍には扱わなかった神父さま。ずっとわたしの味方でいてくれた世話係のメロン。

 何もできなかった。何も守れなかった。

 涙が出そうになるのを堪える。泣く資格もない。

 今はとにかく、神父さまを埋葬しなければ。教会の左手には墓地がある。そこにフタリのお墓を建てよう。

 せめてそのくらいは、きちんとしなきゃいけない。何の償いにもならなくても、そのくらいは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る