7/変質

 殺風景な裏庭にたどり着いて、腰を下ろす。

 わたしがヒトリになれる場所はここか自室。けれど自室に引きこもったって仕方がないし、魔法の練習をすると言ってしまったのだからここにいなければ不自然だろう。

 膝を抱えて、地面を見つめる。

 ふっと、肩にかかっていた重さが消える。


「なんなんだアイツらは」


 肩から降りたテイルは、ぷんぷんという擬音が似合いそうなほど怒っていた。


「勝手に閉じ込めておいて、自分たちが危険な目に遭うかもしれないから出て行けだと? そんなの、最初に保護した時点で分かっていたことだろうに。それを今更。そもそも毎日毎日よく飽きもせず陰口を叩けるものだ。それもあからさまに。モルガーナが平凡なのは事実だが、それでもいざとなればお前らを皆殺しにしてしまえるんだぞ。それなのに恐れもせず見下してばかりで。ああ、いい加減にしてほしい。お前もそう思うだろ、モルガーナ」


 ビシッと尻尾のようなものを突きつけるテイル。

 同意を求めるその態度に、ゆるゆると首を横に振った。


「なんでだよ。そりゃあ衣食住は用意してもらえてるけど、それだけじゃあないか。お前をニンゲン扱いするやつなんてここにはいない。メロンは比較的そうしてくれているけれど、けれど、それでもお前を救世主さまだと持ち上げやがる。お前をお前として見てくれるやつは、ここにはいないんだぞ。それどころか、どいつもこいつもお前を見下して、雑に扱って。それでもお前は怒らないって言うのかよ」


 別に怒らないわけではないけれど、怒る理由もない。


「……だって、仕方ないよ」


 シスターたちの態度は仕方がないだろう。せっかく救世主さまが現れたと思ったのに、実際には平凡以下の魔法使いだった。そりゃあ、見下したくもなるはずだ。

 それどころか、大して役にも立たない魔法の練習ばかりで、教会の仕事はほとんどしない。しなくていいと言われたからではあるのだけれど、その態度が気に障るのは当然だ。

 メロンの態度だって、責められるようなものではない。わたしを救世主扱いしてくるけれど、それは本心からそう思ってくれているからだ。それを責めることはできない。

 本当に、衣食住を与えてもらえているだけで十分なのだ。

 まあ、その衣食住すら手放さなきゃいけないかもしれないんだけど。


「なんだそれ。どいつもこいつも意味が分からない。少しは怒れよな」


 テイルは苛立たしげに尻尾のようなものを地面に叩きつける。

 正直、こうしてテイルが怒ってくれているだけでもわたしは救われる。だから、これで十分なのだ。

 けれど。


「テイル、あんまりみんなのことを悪く言わないで。そりゃあ、もしかしたらあんまりよくない扱いを受けているのかもしれないけれど、それでもわたしはみんなのことが大事だから」


 魔法の練習だって、みんなの役に立ちたくて始めたことなのだ。その気持ちは今も変わっていない。


「けどなあ」


 いまだ不満そうなテイル。放っておけばいつまでも怒ったままだろう。


「ほら、魔法の練習しようよ。わたし、まだまだ半人前だからさ。使える魔法、増やしたいんだ」


 言いながら杖を編み上げると、テイルは呆れたようにため息を吐いた。


「お前がそう言うなら、仕方ないな。分かったよ。魔法の練習をしよう」


 こほん、と咳払いをして、テイルはぴんと尻尾のようなものを立てた。


「氷刃、凍結、洗浄。水や氷はだいぶ使えるようになったからな。今日は変質の練習をするか」


 変質。

 わたしの性質の一つ。わたしが得意とするであろう魔法。

 これまでほとんど氷や水を操る魔法ばかり練習していたけれど、ようやく新しい魔法を教えてもらえる。


「物事の性質を変化させること。情報の書き換え。温かいものを冷たくしたり、固いものを柔らかくしたり。なんなら、個人の内面を読み取って性格を書き換えたり、ある一面だけを分離したりもできるだろう」

「それって、結構危険なものなんじゃないの?」

「そりゃあそうさ。あのなあ、魔法なんてものは基本的には危険なものなんだよ。ちょっとの間違いで他の存在を殺せてしまう。消せてしまう。そういうものを、お前たちは扱っているんだ。最初の頃に言っただろう。魔法を使う上で一番大事なのは何か。心構えだ、って」


 魔法はヒトを殺せる力。存在を消してしまえる力。

 操るのなら奪う覚悟と奪われる覚悟をしておけ。

 そう、最初の頃にテイルに言われていた。


「で、変質させることができるからといっても自分好みにできるわけでもない。その存在が持つ性質と反対のものか、その存在が選び取らなかった別の可能性。そういったものに今現在その存在が持っている性質を変化させることができる。ちなみに、分離をするならその存在が持っている性質しか選び取れない」


 そこまで言うと、テイルはそうだな、と考え込むような仕草をして、木から葉っぱを一枚取った。


「例えばこの葉っぱ。基本的には柔らかいよな? なら、これを変質させたらどうなるか」

「ええと、硬くなる?」


 そう、とテイルは頷く。


「で、選び取らなかった別の可能性の場合。この葉っぱに意思はないが、例えばもう少し大きく成長できたかもしれない。例えば色のついた葉っぱになれたかもしれない。意思あるものでなければ、そういうもしもの姿に変えることができる。けれど、もしもはなんでもではない」

「どう違うの?」

「例えばニンゲン。選び取らなかったもしも、ではあるかもしれないけれど、この木よりも高くすることはできない。それはニンゲンの基準を超えているからな。存在にはそれぞれルールがあるんだ。一般的なニンゲンの身長はこれくらい。一般的なニンゲンができることはこういうこと。そういう基準のようなものだ。そのルールを、枠組みを無視した性質の変化はできない。あくまでその生物たちにとって、その存在たちにとっての当たり前の規則の範囲内の性質の変化しかできないんだ」


 つまり、魔法が使えないのがニンゲンたちの当たり前。そのためいくらニンゲンの性質を魔法が使える、に変化させようとしても、そういう風にはならない。

 例えば二階建ての建物よりも背の高いニンゲンは基本的にはいない。だからいくらそのニンゲンの性質を高い、と設定しても、その高さはニンゲンたちが考える背の高いニンゲン程度にしかならない。

 その存在にとっての当たり前、常識、規則を超えた性質の変化は不可能である、ということらしい。


「とりあえずやってみろ」


 そら、と葉っぱを渡される。

 頷いて、葉っぱに意識を集中させる。


「——魔力器官、接続」


 まずはその存在の情報を読み取って、変化させたい性質を探り当てる。今回は柔らかい葉を硬くしたいから、柔らかいという情報を見つければいい。


「——解析、魔力挿入」


 あとは魔力を流し込んで、情報を書き換える。だけ、なのだが。


「——っ、情報、書き換え……あ」


 ぱちん、と音を立てて、葉っぱに繋げていた魔力の流れが途切れる。

 葉っぱには何の変化もない。どうやら失敗してしまったようだ。


「まあ、初回なら当然だろうな。異物を流し込んで情報を書き換えるんだ。そう簡単にうまくいくものじゃない。天才でもない限り、初めてで完璧にできるものじゃないさ」


 慰められているのか貶されているのか。


「どうせわたしは凡人ですよーだ。いいもん。何度か練習して、できるようになるんだから」


 呼吸を整えて、もう一度葉っぱに向き合う。


「——魔力器官、接続」


 慎重に、慎重に。


「——解析、魔力挿入」


 ゆっくりと、拒絶されないように気をつけながら魔力を流し込む。大事なのは魔力の濃度と流し込む場所。濃すぎれば毒にしかならず、薄すぎれば書き換えるだけの力を持たない。流し込む場所を間違えれば葉っぱは崩壊する。


「——性質、変更」


 流し込んだ魔力を使い、情報を書き換える。


「——完了」


 魔力器官の接続を止めて、目の前の葉っぱを確認する。

 指で弾くと、コン、と硬い音がした。


「! でき——あれ?」


 だが長くは保たず、すぐにへにゃりと折れてしまった。


「なんだ、失敗か……」

「いや、成功だろう」


 がっくりと肩を落としたわたしに、テイルは感心したような声を漏らす。


「二回目でそこまで持っていけたのは立派だ。あとは魔力器官の接続なしでどのくらい時間を伸ばせるか。効果をどの程度強くできるか、だな。うん。性質に合った魔法はできるようになるのが早いみたいだな。これなら、幻の方も教えればすぐにできるようになりそうだ」


 うんうん、とテイルは満足そうに頷いている。


「とりあえず、今日は一日その葉っぱで練習だな。最低でも、接続なしで丸一日効果が持続するようになれば、うん、日常的に使えるようになったと言えるだろう」

「丸一日……」


 できるようになる気はしないが、やるしかない。

 食堂にいたシスターたちを思い出す。カノジョたちの言っていたことに、何の間違いもない。

 この教会を出て行くことが確定したとしても、それでもそれまでには何かシスターや子供たち、それから神父さまにお礼ができるようになりたい。

 そのためにも、今はとにかくできそうなことをやってみるしかないだろう。

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