6/軋轢

「起きたか?」


 目の前にはテイル。感じるのは痛み。

 今日もまた、朝がやってきてしまった。


「……うん。おはよう、テイル」


 初夏。日中の気温は過ごしやすいものだが、早朝の気温は少しだけひんやりとしている。そのひんやりとした空気のせいか、板張りの床もほのかに冷たい。

 心地よくてそのまま床で眠ってしまいそうではあるが、そんな姿をメロンに見つかるわけにはいかない。

 気合を入れて立ち上がり、身支度を済ませる。

 黒一色のワンピースは教会から支給されているものだ。毎晩、翌日に着る分をメロンが置いていってくれる。

 髪をとかす櫛も、教会が用意したもの。

 わたしの持ち物はこれだけ。まあ、どちらも正確に言えばわたしのものではないのだけれど。

 普通の女の子なら、何を持っているのだろうか。

 やっぱり髪飾りとか、そういう可愛いものだろう。

 コンコン、と扉が叩かれる。

 いつも通り、はい、と返事をすると扉は勢いよく開かれた。


「おっはようございます! って、やっぱり起きてましたか。残念」


 がっくりとうなだれながら、メロンが部屋へと入ってきた。


「残念、とはなんですか。おはようございます、メロン」

「おはようございます、モルガーナさま。今朝も早起き、ご苦労様です。でもあんまりそうやって早起きされると、私の世話係としての仕事が無くなっちゃいそう。なので、もう少しだけゆっくり起きて欲しいなーなんて思ったり」


 どうです、とメロンはわたしの顔を覗き込む。と、メロンの顔色がいつもよりも少しだけ悪いように感じた。


「いえいえ。メロンには十分お世話になっていますから。ところで、メロン。体調は大丈夫ですか?」

「え、ああ、はい。大丈夫。今日も元気いっぱいですよ」


 にっこりとメロンは微笑むが、やはり雰囲気がいつもよりも大人しい気がする。本人が大丈夫と言うのなら、あまり気にしすぎるのも迷惑かもしれない。


「なら、いいんですけど」

「はい。ご心配ありがとうございます」


 どこか元気のない笑顔を浮かべるメロン。と、メロンの胸元に見慣れないアクセサリーがあることに気がつく。

 首からぶら下げられた銀色のそれは、礼拝堂奥に置かれている外の世界の神様を象った石像と同じような形をしていた。


「あ、これですか?」


 わたしの視線に気がついたメロンが、アクセサリーに手を触れる。


「昨日、神父さまに貰ったんです。神様を象ったネックレス、お守り代わりに持っておきなさいって。まあ、ネックレスなら他にも持ってるんですけどね。けど普段身につけていても許されそうなのはこれしかなくて」

「そうだったんですね」


 そういえば、シスターたちの中にも似たようなものを身につけているヒトがいた。なるほど。これはお守りのようなものだったのか。


「……もしかして、モルガーナさまも欲しいんですか?」


 じっと見つめすぎたせいだろうか。メロンはどこか嬉しそうな様子で、にやと口元を歪める。


「へ。いえ、そういうわけでは。ただその、わたしはそういう何か身につけるものを持っていないので物珍しいなと思ってですね」


 慌てて言葉を紡ぐが、なんだか言い訳のような取り繕っているような言葉しか出てこない。


「へえ、ふうん」


 ニヤニヤとした笑みを浮かべるメロンに、思わず後退りをしてしまう。


「意外です。モルガーナさまも、アクセサリーとか欲しかったんですね」

「で、ですからそういうわけでは」

「いいんですいいんです、隠さなくて。むしろ早く言ってくれればよかったのに。そうしたら一緒に買いに——って、そっか。外に出るなって言われてるんでしたっけ」


 しまった、と言わんばかりの表情でメロンは口元を抑える。その仕草に少しだけ寂しい気持ちになりながら、はい、と笑顔を作った。


「だから、いいんです。別に」


 外に出られないわたしには関係のないものだ。買ってきてもらうことはできるかもしれないけれど、わざわざそんなことをしてもらう必要もないだろう。

 メロンはなにやら微妙な表情を浮かべると、突然わたしの両手を掴んだ。


「モルガーナさま!」

「は、はい⁈」


 なんでしょうか、と首を傾げると、メロンは真剣な表情で口を開いた。


「私が神父さまにお願いして、次の外出日に一緒に出かけられるようにしてもらいます!」

「——それは」


 それは、多分無理な話だろう。神父さまがわたしを外に出したがらないのは、わたしの身の安全を保障するためだ。


「大丈夫です。モルガーナさまの安全は私が守りますから。だから、今度の外出日には一緒に外に出かけましょう。それで、何かアクセサリーを買うんです。お金なら、私が出します。日頃のお礼です。そのくらいさせてください」


 ね、とメロンは明るく笑う。

 その笑顔を奪いたくなくて、その心遣いが嬉しくて、わたしは自然と頷いていた。


「よし。それじゃあまずは朝ごはんです。早く食堂に行きましょう!」


 上機嫌なメロンの後を歩いて、食堂へと向かう。

 食堂に入りかけたところで、聞きたくもない会話が耳に飛び込んできた。


「所詮は偽物でしょう。大した魔法も使えないんだから」


 思わず足を止める。

 話し声の主であるシスターたちはわたしが来たことに気がついていないようで、大きな声で会話を続けていた。


「お祈りも朝しかしないし、教会の仕事もろくにできない。それで魔法も駄目って、何のためにいるのかしらね」

「子供たちもメロンも、何を考えているのかしら。あんなの、放っておいたって死なないのに。食事だって、ほんとはもっと少なくたって問題ないでしょうよ。救世主なんて呼ぶのもどうかと思うわ。だって穀潰しでしかないのだし」


 聞こえる言葉は、否定しようのない事実ばかり。言い返すことなんてとてもじゃないけれどできない。

 思わず俯いてしまうけれど、いつまでもここで立ち止まっているわけにもいかない。メロンと共に中に入ろうと顔を上げると、メロンはカツカツと足音を鳴らしてシスターたちのもとへと向かっていた。


「ちょ、メロ——」


 引き止める暇もなく、メロンはシスターたちの座るテーブルへと向かうと、バン、と机を思いっきり叩いた。

 突然の出来事に、シスターたちは目を丸くしてメロンを見つめる。こちらに背を向けているためメロンの表情は見えないが、それでもその背中を見るだけでカノジョが怒っていることは明白だった。


「シスターたち、いい加減にしてください。モルガーナさまの悪口を言うのは、お世話係の私が許しません。モルガーナさまが許したって、私は絶対に許しません!」


 シスターたちはぱちぱちと瞬きをした後、呆れたようにため息を吐いた。


「メロン。あなたはモルガーナさまのことをよく知らないからそう言えるのよ。よく考えてごらんなさい。あの娘がわたしたちに何をしてくれたと言うのです」

「そうよ。何もしないあの娘に衣食住を与えてあげてるだけでも感謝されるべきでしょ」

「そもそも、あたしたちは事実を言っているだけ。あなたに許されなくても、何も間違ったことは言ってないじゃない」


 シスターたちはわたしをちらりと見て、すぐに視線をメロンに戻す。メロンに対する視線は、普段わたしを見つめているものと同じくらい鋭く冷たい。

 慌ててメロンの前に飛び出ようとして、


「それに、これ以上あの娘をここに置いておいたらわたしたちが危険な目に遭うわ。そうでしょう、神父さま」


 その言葉に、身体が動かなくなった。

 しんと食堂内が静まりかえる。

 それはこの一年間、ずっと見るのを避けてきた事実だ。

 恐る恐る神父さまの顔を伺う。神父さまははあ、とため息を吐いて、少々面倒くさそうな表情でシスターたちを睨みつけた。


「少しは落ち着いたらどうですか。モルガーナさまが外に出ない限り、カノジョの存在が星教せいきょう派に見つかることはない。あなたたちがカノジョの存在を外で話すことがなければ、何も問題はない。そうでしょう」

「で、ですが神父さま!」


 ガタリと音を立てて、シスターサマエルが立ち上がる。


「そうは言っても、いつどこからモルガーナの存在が外部に見つかってしまうか。そうなれば、モルガーナだけじゃなくあたしたちまで星教派、警備隊のやつらに殺されるかもしれないんですよ⁈」

「だとしても」


 ピリ、と空気に緊張が走る。


「だとしても、行く当てのない娘を放置することは許されません。わたしの考えは変わりません。引き続き、モルガーナさまはこの教会で保護します」


 神父さまはじろりとシスターサマエルを睨みつけて、これで話は終わりだ、とでも言いたげに黙り込んでしまった。


「っ、なにそれ」


 声を震わせながら、シスターサマエルがこちらを見る。サマエルだけではない。他のシスターたちも、納得のいっていない表情をわたしに向けていた。


「行くところがなくたって、救世主さまならどうするべきか分かるんじゃないの?」

「そうよ。みんなのために、わたしたちのために何をするべきか、どうするべきか。考えるまでもないでしょ」

「シスターたち、いい加減に——」


 再びシスターたちに食ってかかろうとするメロンを、その肩に手を置いて止める。


「モルガーナさま。でも」

「……いいんです。何も間違ったことは言っていませんから。シスターたち、ごめんなさい。でも、さすがにいきなり出て行くことはできないのでもう少しだけ時間をください」


 それでいいですか、と無理矢理笑顔を作る。

 シスターたちはわたしの言葉に満足したのか、表情に余裕が戻る。そうして、いつも通りの冷たい笑顔を浮かべてわたしに向けた。


「ええ、いいですよ。出て行ってくれるのなら、待ちましょう。神父さまも、モルガーナさま本人が出て行くというのなら止めませんよね?」

「…………」


 神父さまは無言のまま、こちらを見ることなく机に視線を落としている。


「……っ、そういうわけなので、メロンは何も気にしないでください。それじゃあ、わたし、魔法の練習に行ってきますね」


 これ以上ここにはいられない。

 食事もまだなのに、わたしの足は自然と食堂から離れようとしていた。


「あ、ちょ、モルガーナさま!」


 メロンの呼びかけにも応えず、わたしは逃げるようにその場を後にした。

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