5/カルミア1

 その少女は、ただの魔法使いだった。

 白い髪に赤い瞳。異質な容姿を持って生まれたために、魔法使いとして生まれてしまったせいで、言い伝えの救世主さまだと判断されてしまった哀れな少女。

 少女の両親は早くに亡くなり、これ幸いと教会はカノジョを保護という名目で監禁し始めた。

 少女と初めて顔を合わせたのは、まだカノジョが六つだった頃か。


「おい、お前が救世主か」


 何度目かの魔法使いとの出会い。いい加減救世主伝説なんて嘘なんじゃないかと思い始めた頃。

 いちいち気を遣って話しかけるのも面倒くさくなり、単刀直入に声をかけた。

 教会の裏。殺風景な草むらにうずくまっていた少女は、突然の声に驚いたように顔を上げた。


「……ねこ?」

「ああそうだ。猫だ。黒猫だ。可愛いだろう。それで、お前が救世主か?」


 わたしの問いかけに、少女はわずかに眉をひそめる。そうしてゆるゆると首を横に振った。

「ちが、う。私の名前は救世主じゃないもん」

 痩せ細った手足に血色の悪い顔。指先はボロボロで、長い髪はぼさぼさ。まともな食事が与えられていないことも、ろくに世話をされていないことも一目瞭然だった。


「じゃあなんだ。なんて名前なんだ、お前」

「カルミア」


 名前があることに安堵する。この様子では、まさか名前も与えられずに生活させられているのでは、と思うのも無理はないだろう。


「そうか。で、カルミア。お前はここで何をしているんだ?」


 訊ねると、カルミアは杖を編み上げる。


「魔法の練習、しなくちゃいけないから」


 よいしょ、と杖を地面に突き立てて、カルミアはゆっくりと立ち上がった。

 背の丈よりも長い木の杖。おそらくこれがカルミアの魔道具なのだろう。


「なんで魔法の練習なんてするんだ?」

「そりゃあ、救世主にならなきゃいかないから」

「でもお前、さっき自分は救世主じゃないって言ったじゃないか」


 そうだけど、とカルミアは困ったような表情を浮かべる。


「でも、なれって言われたから。救世主にならなきゃ何のために生まれてきたんだ、って怒られちゃうから」


 なんだそれ。

 カルミアはヒトリ、杖を片手に魔法の練習を始めた。魔力器官の質も魔力量も平均以上。魔法使いとしての才能は確かにあるのだろう。これならば救世主と呼ばれてもおかしくはない存在になるはずだ。

 だが。

 とてもじゃないが、見ていられない。

 もう何度も見た光景だ。魔法使いが生まれるたび、仕方のないこととはいえニンゲンたちはそれを監禁。大抵はろくな世話もせず、まともな食事も与えない。それでも救世主だなんだと崇め奉る。心の底から敬っているというのなら、もっとマシな扱いをするべきだろうに。

 質素倹約が美徳であるとでも思っているのだろうか。自分たちはそれを嫌がるくせに。


「——あああ! うんざり、うんざりだ! どいつもこいつも大人しく従いやがって。嫌なら嫌だと言ってやればいい。反抗すればいい。お前たちにはその力があるのだから」


 湧き上がった怒りをそのまま口にする。

 カルミアはびくりと肩を震わせて、恐る恐るわたしの顔を見つめた。


「なんで、あなたが怒ってるの?」

「民を思いやるのは当然のことだろう。そもそもな、温かい寝床で休み、腹一杯に飯を食うのが子供の仕事だ。それをさせず、無理矢理檻に閉じ込める。この教会の大人たちは最低だ。ああ、やっぱりニンゲンなんてろくでもない」


 何度そう思ったことか。

 けれども、それでもニンゲンたちを滅ぼせずにいるのは捨てきれない情があるせいだろう。

 それでもいつかは見捨てなければならない。その時は、とっくの昔に来ていたのかもしれないけれど。


「ニンゲンなんて滅んじまえ。お前もそう思うだろう、カルミア」


 酷い扱いを受けているのだ。絶対に頷くと思った。

 けれど。


「ううん。そんなこと、思ったことないよ」


 カルミアは、弱々しい笑みを浮かべて否定した。


「なんでだよ。こんなに酷い扱いを受けてるのにか?」

「別に酷くはないよ。ご飯だって少ないだけで食べさせてもらえてるし、寝る場所だってある。そりゃあお祈りは面倒くさいけど。けど、それだけだもん」


 そんなのは最低限の、絶対になければならないものだ。幸福とはあまりにも遠すぎる。

 それじゃあ本当に、ただ生きているだけじゃないか。


「じゃあお前、ずっとそのままここで暮らすのか」


 わたしの問いかけに、カルミアはううん、と悩ましげな声を出す。


「それは嫌だけど。でも、それが嫌ならやっぱり救世主になるしかないんだよね、私」

「なんでそうなるんだよ」

「だって、今の状態ってきっと私が救世主になるのを嫌がってる罰だから。私ね、救世主になるのは嫌だなってずっと思ってて。みんなはなれなれ、って。お前は救世主なんだって言ってくるけど、それを心の中ではずっと拒否してて。だから、罰なんだろうなって」


 絶句。そう、絶句だ。

 呆れてものも言えないとはこのことか。

 世界が個人に罰を与える時というのは、星に害を与えようとした時くらいのもの。個人の気持ちの在り方程度で罰が与えられることなどない。

 それをこの娘は、自分の気持ちの在り方が問題で罰を受けていると心の底から、本気で思っていやがる。


「そんなわけあるか。じゃあなんだ、お前はその罰が嫌だから、怒られるのが嫌だから救世主になるって言うのか?」


 カルミアはしばらく黙り込んだ後、こくりと大人しく頷いた。


「本気か? だとしたらお前、大馬鹿モノだぞ。お前が今こんな目に遭っているのは別に罰でもなんでもない。ただの理不尽だ。救世主になんてなる必要もない。そんなのは周りの押し付けでしかない。さっきも言ったが、嫌ならとっとと逃げ出せばいいんだ。なんなら、いっそ全部壊してしまえばいいんだ。お前にはその力があるんだから」


 わたしの言葉に、カルミアは力強く首を横に振った。


「それは駄目だよ。壊すなんて駄目。力は助けるためにあるんだって、神父さまが言ってた。それにみんな、私に期待してくれているから。その期待には、やっぱり応えたいなあ」


 なんだそれ。理解できない。

 自分に優しくしてくれないヒトたちの期待に応えたいなんて、馬鹿だろう。


「うん。やっぱり、頑張って救世主にならなくちゃ」


 カルミアはヒトリで勝手に納得して、再び魔法の練習を始めた。


「…………」


 それを、わたしは眺め続けるしかできなかった。

 ただ、この少女をヒトリにはできないと考えて——結局いつも通り、どう成長するのかを見守る選択を取ることにしたのだった。


「あ、そうだ」


 と、カルミアがこちらに視線を向ける。


「あなたの名前、聞いてなかった。なんていうの?」


 言葉に詰まる。

 自分の本名を馬鹿正直に言うつもりはないが、だからといって新しく偽名を考えるのも面倒くさかった。

 しばらく考えて、結局わたしは使い慣れた名前を口にした。


「テイル。テイルだ。これからよろしくな、カルミア」

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